「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―387

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観 (前原新民進党代表に伝えたいこと)

 

 民進党代表に前原誠司氏が決まり「山尾問題」でマスメディアが出端をくじく日が続いたが、ようやく冷静になった。「山尾問題」が、前原代表のこれからの活動にダメージを与えるかどうかは、前原代表自身の人生観による。この問題は「天が前原代表に与えた試練」で、就任祝いと思ってはどうか。

 野党第一党の代表となって、順風満帆の船出より苦労の船出の方が、大義に生きようとする人間にとっては有り難い苦労といえよう。「人間の未熟さ」を、「天」が教えてくれたと思うことが大事だ。 平成18年秋に民主党代表に初当選したときの雰囲気とは相当に違うが「発展途上人間」という点では変わっていない。人間は棺桶に入るまで「発展途上動物」だ。

 代表選挙の4日前小沢一郎さんと世間話をした時「前原誠司氏」が話題となった。どんな話をしたか、ここでバラスわけにはいかないが、その時、私が思い出したのは、小沢さんが47歳で歴代最年少の自民党幹事長に就任した直後、最初にあった話は「僕は大学を出て大学院で司法試験の勉強中に親父が亡くなり、社会で働くことなく国会議員になった。社会活動がないので人を見る眼がない。その点をカバーして欲しい」ということだった。

 

「自分を知る」とはこれだと思った。平成元年8月、私が衆議院事務局職員時代だった。7つ年上とはいえ、一介の公務員への腹を割った話に驚いた。私は「社会活動がなくとも貴方が東大受験と司法試験とに失敗したことが若き与党幹事長をつくった。学歴とキャリアで人間を判断しないことが、政治の鉄則」と話したことを記憶している。小沢さんは七十五歳を過ぎても、すべての人から学ぼうという姿勢を変えていない。学ぶべきだ。

 

(「野党協力」の歴史的意義を自覚すべし)

 民進党の代表選を通じてこれまで妙見できなかった「野党協力」の難しかった奥底がみえてきた。それは「共産党との関係」だ。前原候補の「共産党との選挙協力合意を見直す」との言葉尻をつかまえて枝野陣営がいかにも選挙協力を破棄するとばかりネットで攻撃した。前原氏も大人の言葉で発信すべきで、ここら辺は、「松下政治塾の尻尾」が残っている。

 前原氏のいう「見直し論」は、私は論理として当然だと思う。安保法制を廃止するため政権交代を目指す合意で三年前の話だ。現下の東アジア情勢は戦時体制と言っても良い。それに原発問題も、このままでは市民連合は納得しない。破棄はあり得ないのが常識であるはず。危機感を煽る枝野陣営は、本気で政権交代を考えているのか疑わしい。

 問題は細川・鳩山両元首相が、この枝野陣営の策謀にのって、枝野候補を熱心に応援したことも理解できない。前原氏への批判は普通ではなかった。民主党政権崩壊の責任はこの元首相にあるとの論をあえてこの機会にしておこう。まず鳩山元首相だが引退を決めていた藤井裕久氏を平成21年の総選挙に無理に出馬させ、鳩山政権で財務大臣の起用したことである。ここで消費増税が固められたのだ。菅・野田両元首相は使われただけだ。

 菅首相退陣の後、細川元首相から「野田佳彦氏が適切なので、小沢さんを説得して欲しい」と電話があったので「野田氏を総理にすると民主党を壊すだけでなく日本をおかしくする」と断った。お二人には政治の洞察力なし。

 

 今回の民進党の代表選挙で、政権交代の実現を絶対に必要とする理由を前原・枝野両候補は提示しなかったのは残念だ。当選後、前原代表は「国民が安心する国づくり」を社会保障や生活の問題で提示していたが、それも大切なことだ。しかし、現在の国民の「安心」の根本は「北朝鮮危機」の国際情況である。その原因をつくったのは、日本国の安倍自公政権であることを何故いわないのか。憲法9条の解釈改憲から共謀罪の成立は「戦時国家体制づくり」であったとの歴史観が必要だ。野党協力で安倍政権と政権交代することが、絶体絶命の東アジア危機回避の第一歩となる。「理念と政策の一致が選挙協力の条件」とは、松下政治塾ゼミの話だけにしてもらいたい。それが可能ならひとつの政党だ。政治の理想と現実の弁証法的調整を、小沢さんから学ぶべきだ。

 

 

〇 国会つれづれ  15 (「国会牛年会」の話)

 

 昭和41年という時期には、前年の「日韓国会」の与野党激突への国民の批判を受け、国会改革による正常化の体制ができる。ところが国会議員個人の犯罪や不祥事が続発し佐藤首相は与野党の国会議員個々人と接触する機会を望むようになった。この相談を受けた園田副議長は「何か考えろ」と、話を下ろしてくる。

 園田副議長はこういう人の和をつくるのが得意で官邸から竹下登内閣官房副長官を連絡役とし、園田・竹下・平野で何回か相談したが、中々に難しい問題だった。与党議員と接触することなら簡単だが、野党を入れるとなると大義名分というか、世間が納得する理由が要る。3回目の打合せだったと思うが、当時「干支による政治家の行動」というとんでもない方法で政治を茶化していた私は、軽い世間話で「河野参議院副議長と園田副議長は相性が合うようですが、干支ははなんですか」と聞くと「僕は牛年だ」

とのこと。念のために河野参議院副議長を調べると、一廻り上の「牛年」だった。 すると竹下副長官が「佐藤総理も橋本登美三郎官房長官も牛年ですよ」と話をつなぐ。そこで園田副議長が立ち上り「牛年の国会議員を与野党にかけて集めて〝国会牛年会〟をつくろう。月に1回くらい会食して、天下を語る会にしよう」となった。

園田副議長が佐藤総理に会って報告。喜んだ佐藤総理が「会長は私、副会長は河野・園田両副議長、事務局は竹下副長官と平野君」と、その場で決めてしまった。「総理から誉められたよ」と機嫌良く国会に帰った園田副議長は「竹下副長官と平野君が事務局だ。会食にも出席するよう総理はいっていたよ」とのこと。「竹下さんと私は牛年ではないですよ。事務局はやりますが役人の私ひとりが国会議員の会食の席に出るのはまずいですよ」と、文句を言うと「文句を言うな。誰も君のことを役人とは思ってな

いよ。君の干支の話が元なんだ。責任を持て」と逆効果となる。準備が始まり「牛年」の衆参両院の議員が、何と83名もいた。

 明治22年生まれの元貴族院議員・戦前の大蔵大臣の青木一男参議院議員(77歳)が最年長で、最年少は昭和12年生まれ、小渕恵三・橋本龍太郎(29歳)であった。「国会牛年会」の、会則もつくり、1年に4回ぐらいで会費制・一人2万円とし日時場所は事務局で調整するということで始まった。

 第1回は梅雨時で6月末の記憶がある。新橋の『小蝶』という高級料亭だった。自民・社会・民社の与野党の両院議員30名が参加した。共産党の参加はなかったが、公明は衆議院進出前で参議院では牛年の議員はいなかった。座敷の入口に小机を置き竹下副長官と私で受付をやり参加議員から2万円づつ会費を徴収した。この料亭は最低でもひとり5万円はかかる。竹下さんにどうするのか問うと、「会費の2万円は平野君が管理してくれ。全額内閣機密費で払う」とのこと。

この会食の余興に橋本官房長官の提案で水前寺清子とバンドを呼び「懐メロ」を唄わせたところ大好評で、みやげに「牛乳石鹸」の詰め合わせを用意したところ喜ばれ、大成功だった。

 第2回目の「牛年会」は、私が佐藤総理から大目玉を食らうことになる。1回目の成功に気をよくした佐藤総理は直接私に「2回目は『金田中』、余興は講釈師を呼べ、牛の講談をさせろ」とのこと。竹下さんに連絡すると「問題が山積して楽しみは〝牛年会〟しかない。頼りにしているから、よろしく」とのこと。9月末、一人8万円の超高級料亭の『金田中』を予約し、余興の講談のことを政治好きの宝井馬琴師匠に相談した。師匠は「講談に牛の話はない・曲垣平九郎の〝寛永三馬術〟をやる」と譲らない。

 竹下さんと相談して佐藤総理には事前に説明せず牛年会で「馬」の講談を強行した。牛年会の当日、牛の講談を楽しみにしていた佐藤総理の怒ること、怒ること。40名くらいの参加者は喜んでくれた。会食が終わると私をつかまえて「どうしたことか」と怒鳴り出す。「牛の講談はないので馬の話にした」と答えると「天神さんの牛の話がある」と言い捨てて帰宅した。

 翌日、「牛年会で馬の講談を聞いた」と参加者が面白がって話を拡げた。「佐藤総理も味なことをする」と、永田町では話題となった。数日後、佐藤総理から「天神さんの話は、講談ではなく説話だったよ。悪かった」と電話があった。     

(続く)

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   代    表 : 平野 貞夫
   顧    問 : 戸田 邦司
   事 務 局 : 大島 楯臣

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