「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―340

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇「自由党」再起への小沢一郎の思い!

 

 10月12日(水)、かねてから相談していた『私の共産党物語』の出版について小沢さんに報告に行った。「メルマガ・日本一新」に連載中のもので、当初は来年春頃に刊行できればと思っていた。しかし解散風が吹き始め、本物になりそうになって年内に刊行して共産党アレルギーを少しでも減らすべきとの声があちこちから出るようになった。急な構想だったが『詩想社』が協力してくれることになり、12月中旬に刊行できることになった。小沢さんに、この報告に行ったのは「自由党」と党名を変更し、記者会見をした直後だった。

 小沢さんは記者会見で、「年明けの衆議院選挙の可能性が高い状況で、党の態勢を一新して臨みたい」などと述べたようだ。私には「平成10年から6年足らずだったが、自由党時代には政治理念や政策に筋の通った活動ができた。成果を〝日本一新十一基本法案〟としてまとめ、国会に提出して解党して民主党に合流した」と、その後の苦労を思い出したのか、しばし目を閉じていた。

 そして、「原点回帰ではないがみんなの気持ちが一致したので、時代も変わったし、当時の発想を全員で見直して新しい事態に対応しようということだ」と。そこで私は「来週、1時間いただきたい。〝自由党再起への思い〟を語ってもらいたい。12月中旬に出版する本のメインテーマにしましょう」と提案し快諾を得た。19日午後4時半から1時間私がインタビューすることになった。

 現時点で私が構想しているのは、題名は未定だが、1)小沢一郎が語る「自由党再起への思い」、2)平野貞夫の「共産党国会物語」、を予定している。   

 

 その狙いは「小沢・共産党アレルギー」を治療することだけではない。これ以上安倍自公政権を続けることは、日本だけではなく世界の安定や人類の福寿の妨げになることを発信して、政権交代が必至であることを訴えたい。

 出版に協力してくれる『詩想社』は植草一秀氏の紹介であり、『資本主義の終焉、その先の世界』や、『誰がこの国を動かしているのか』などの新書で知られている。拙筆ではあるが私の意図するところをご理解願い、多くの人に知られるように、またまた会員諸氏の多大なご協力をお願いしたい。

 

〇 私の「共産党物語」 25

(政局の流動化を見通していた共産党)

 

 平成10年7月30日に召集された臨時国会は「参議院の構成」という国会法に基づく役割だけではなく、橋本内閣総辞職という政局問題があった。その背景には、橋本自社さ政権の経済政策の失敗から発した「金融危機」があり後継の小渕政権は自民党単独・参議院少数ということでスタートする。そんな中、民主党の菅代表が自民党の加藤紘一幹事長に「金融危機を政局に利用しない」とあらぬ約束をする。共産党と自由党は金融危機をつくった自民党の経済政策に問題があり、議会政治は常に政局であるとして菅代表を批判した。現実は長期信用銀行等の破綻などきわめて深刻で、政府自民党は野党の政策提案を丸のみにして「金融機能早期健全化法」等を成立させて、金融危機を乗り切っていく。

 

 これらの対応で、小沢自由党の協力が小渕政権にとって役立ち、小渕首相と小沢党首の間で旧交を温めることになる。日本の抜本改革について基本政策を共有するようになる。10月末から水面下の「自・自連立」交渉が始まり、翌11年1月9日には政策協議を終え、自自連立を発足させた。しかし、この動きの裏には、野中広務官房長官による自由党を利用した公明党の政権への取り込みがあり、俗にいう〝自由党ザブトン構想〟があった。

 自・自連立政権は政府委員制度廃止・副大臣制度の設置・党首討論の導入などを内容とする「国会審議活性法」を成立させた。この国会改革は自由党が連立の条件として自民党に要求したもので、民主党も公明党も賛成したが共産党は反対した。政権交代を促進するための法整備であり、この時期、共産党にとって悩ましい問題であったが強い反対はしなかった。

 自・自連立は、同年10月には「自・自・公連立政権」となり、野中官房長官のシナリオ通りとなる。これらの政局に共産党は保守体制の再編として厳しい批判をした。当然のことだ。一方で、「自・自・公」政権が不安定なものであり、政局の流動化を見通していた。これらの保守体制の整備を水面下でやっている私を批判せず、自民党改革の促進を期待していた。私は吉岡吉典参議院議員や参議院の若手と情報交換をするようになっていた。

 

(小沢自由党の政権離脱と野党協力の強化)

 自由党は10月の「自・自・公」連立政権成立直後から、参議院の多数派対策のため自民党守旧派に利用されたことに気がつき、政権離脱論が出はじめた。世論調査でもこのままでは次期総選挙で激減するデータが出る。この時、最も強固に政権離脱を主張したのが、現東京都知事の小池百合子氏と私のふたりだった。

 平成12年が明け、自民党と公明党は自由党の政権離脱を防ぐために、政権協議の重要項目のひとつである「衆議院の比例区定数」20名の削減を、常会冒頭に実現した。比例区を必要とする共産党は強く反対した。1月中旬小沢党首を中心に、「日本一新!五つの指針―新しい国家目標」を策定し、小沢党首は小渕首相に「新しい日本を創る方策」として提案した。小渕首相は理解を示したが、自民党内は公明党と連立すれば国会運営は多数でやれると、自由党の政策提言は邪魔になるとの姿勢だった。

 自由党の政権離脱問題は3月の年度末になってクライマックスを迎える。連立政権協議のとき合意した重要政策がまったく協議されてなく、自由党は支援者から厳しく批判を受けていた。小沢党首は連立合意の重要政策を協議し実現するかどうか、小渕首相と神崎公明党代表に確認するため3党首会談を要請した。 平成12年4月1日午後6時から行われることになる。

 3党首会談では、自由党小沢党首が「今国会中に政策合意して実行するのか否か」と問いかけ、小渕首相は「不可能だ」と回答。公明党神崎代表も「首相と同様」と回答した。小沢党首は「遺憾である。(連立への)私の判断を3日の自由党全員議員懇談会で伝え党としての態度を決めて両党首に伝える」と回答を延ばした。

 3党首会談が終わった直後、野中幹事長代理が一枚のペーパーを記者団に発表するよう小渕首相に渡し、小渕首相はペーパーを読んでいるうちに、自分が小沢自由党を連立から切り捨てる内容であることがわかった。小沢自由党から連立を続けるかどうかの回答を受けることが、自分で切り捨てることになっていることに小渕首相は驚くが、自民党執行部の意向に逆らえなかった。この小渕首相の記者会見をテレビ中継で視ていた専門医は、小渕首相の表情に脳梗塞の初期症状が現れていると、後日語っている。

 

 4月1日の深夜、小渕首相は順天堂医院に緊急入院する。小渕首相の病状を医師団が発表したのは5月14日に死去した直後で、「入院した直後には昏睡状態であり、官房長官に指示を出すことは医学的に不可能」というものだった。この間、4月3日に青木官房長官が「病名は脳梗塞」と発表し、「小渕首相から首相の臨時代理の任に当たるよう指示された」と嘘をつき、4日に総辞職を決定し、自民と公明は自由党から分裂した保守党の3党で後継に「森喜朗政権」を成立させた。森喜朗政権を成立させるにあたって、自民党は「宏池会」を排除して、主要な派閥のボスが密かに談合して、後継の総裁を固めるという暴挙を行った。さらに、昏睡状態の小渕首相からあり得ない指示を受けたと偽り、青木官房長官等が憲法70条をはじめ数々の法規を冒涜し違反するという犯罪行為を行った。 

 私は森政権の樹立に議会主義と憲法上の正当性がないとし4月25日の参議院予算委員会で、「このやり方で健康な総理を病院に拉致して意識不明とし、医師団に真実を発表させなければどんなことでもできる。森政権は憲法政治を破壊して談合クーデターでできたものだ」とテレビ中継の中で追及した。私の発言は予算委員長職権で取り消された。しかし私は、本会議や法務委員会で繰り返し発言したため、自・公・保の与党3党は、私を懲罰委員会に付する動議を提出した。森政権の反憲法性を追及できる絶好の機会と腕まくりして準備していたが、6月2日に衆議院は解散となり不発に終わった。この事件には、憲法や政治学者をはじめ、有識者からの議論はほとんど出なかった。地方大学の憲法学者が一人、私の同意見のコメントを地方紙に載せていたと記憶している。国会議員では私の強気を心配してくれる人が多かったが、共産党の吉岡吉典参議院議員の支援が有り難かった。「平野さん、総選挙が終われば野党協力を本格的に議論しないと、日本の国会は諸外国から笑われますよね」と。

 

 総選挙では、自民党と公明党が「小渕首相を病気に追い込んだのは小沢一郎だ!」と、マスコミを総動員した小沢叩きのキャンペーンで自由党は苦戦を強いられる。さらに、自由党から25名が離党して保守党を結成して与党に与し傷だらけであった。残ったのは24名で文字通りの死闘となる。「小沢の政治生命はこれで終わりだ」と言われたが22名を当選させ、比例区で658万9490票を得た。保守党は7名の惨敗であった。自民党は現有議席を減らし、公明・保守との連立政権を継続させる。民主党も政権交代できる状況ではなかった。総選挙後、野党各党間で森政権に対峙するには本格的協力が必要だとの雰囲気が出る。その主導権をとったのが小沢自由党党首で「社民党と共産党との憲法観共有が鍵だ」とし、基本問題を研究することになる。 

(続く)

「日本一新運動」の原点―326

             日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 第24回参議院選挙で話しておきたいこと!

 7月11日付の朝日新聞に、次の記事が載っていた。〝生活の青木愛氏「一番最後の奇跡」〟の見出しで、

 

「10日投開票された参院選の比例区で、最後の一議席は生活の党と山本太郎となかまたちが獲得した。元職の青木愛氏(50)が11日早朝に当選を決めた。東京都北区の事務所で開票結果を待っていたという青木氏は「やきもきしていました。奇跡のような一番最後の議席なので、格別な喜びがあります」と語った。「(今回の選挙では)党の唯一の議席。子育てや教育などの政策に力を入れたい」と述べた。

 

 青木愛の比例区最後の当選は、本人の言うとおり「奇跡の議席」である。昨年来この参議院選挙は野党協力で「オリーブの木方式」を活用すれば、参議院で与野党逆転の可能性があると見て、私は高知勝手連を中心に各地で活動してきた。かねてからの小沢生活の党代表の宿願であり、総力を挙げたが、民進党執行部の不見識のため実現できなかった。

 

 結局「生活の党」独自で比例区に挑戦することになり小沢代表の胸中はこれまでの政治活動の中で、最も厳しいものであった。私の見方は「比例区で百万票獲れば、1人の当選は可能だ」というもの。小沢代表からは可能性の最も高い「青木愛」を活用したいとのこと。自前の東京12区と故郷の千葉県を中心に、個人名で10万票を確保する方策を基本方針とした。

 そこで、日本一新の会の会員にはご迷惑をお掛けしたが、メルマガやデモクラTVなど、私が顔を出す機会の全てを「小沢代表を再び政治の北極星とするカギは、青木愛の比例区議席確保だ」と訴えてきた。他の「生活の党」比例区候補四名には、大変申し訳なかったとお詫びしたい。

 

 新著『田中角栄を葬ったのは誰だ』を上梓した直後の6月19日、私は「青木愛総決起大会」に押しかけた。角栄さんが学んだ「中央工学校」の近くに会場があった。「田中角栄は、ロッキード事件で葬られた。小沢一郎は、陸山会事件という政治の暴挙に襲われたが未だ生きている。これらの『権力の犯罪』を葬るためには、小沢一郎氏は政治の真ん中で活躍しなければならない。それには青木愛さんの比例区での当選が絶対に必要だ」と叫んだ。

 

 選挙は数字として私が予想した結果となったが、選挙戦の実状は数倍も厳しいものであった。中盤ではほとんどの世論調査が、比例区の生活の党の当選予想はゼロというものが続き、絶望的なものだった。まさに青木愛自身が述べた「奇跡のような一番最後」のひと言が実感である。

 私はこの「奇跡」ということばに拘りたい。全ての開票が終わった11日(月)正午すぎ、何人かの知人から不思議な話が電話で伝わってきた。1人は男性で、「小沢代表が、終盤の野党協力の応援で、必死の演説を中継したネット映像を見たが、小沢さんの後ろに『観音さん』が見えたよ。もう1人は女性で「8日に放映された柏市の布施弁天の妙見堂前で、青木愛さんが語っていた映像の後ろに『菩薩さん』がいた」との話に驚いた。他は略す。

 

 実は後半戦の戦略について悩んでいた私は、ネット技術に優れたボランティアの方々と相談して小沢代表と青木愛の先祖の歴史に共通なものがないか探した。そこには、小沢代表の父親の故郷には北辰妙見思想の岩手、母親は平将門で知られる千葉は相馬郡の生まれである。青木愛に至っては、千葉は安房国出身で徳川家康の夫人「養珠院―萬」の生まれた地である。「萬」は家康に、妙見信仰の民衆の救済を説いたことが知られている。

 そうだ、小沢代表は平将門に繋がる改革者であり、青木愛は萬の思想を継承すべき運命を持つといえる。こういった説明を語りながらのネット映像ができあがった。この映像はとても多くの人たちが見たようだ。しかし、『観音さん』や『菩薩さん』の話は別にして、ネットの活用は新しい時代に入ったといえる。物語と撮影場所と技術によっては、映像に大きな影響を与え、見る人によっては、「深層心理」が醸し出す幻覚を感じることができるかも知れない。

 なお、参議院選挙の政治的評論は、7月13日発売の『サンデー毎日』にコメントしている。次号で詳論したい。

 

〇 私の「共産党物語」 12

 

 昭和48年に前尾衆議院議長が実現した頃共産党は野党第2党(公認38名、共産系無所属2名で40名の会派)に躍進する。これまで述べたように、共産党は試行錯誤を繰り返し、議会内政党になろうと努力していた。

 年始には各党幹部を衆議院議長が招いて懇談する慣行があり、共産党は料亭を嫌うので議長公邸で夕食会を開くことになる。酒が入った前尾議長が「大正時代の関東大震災の頃、旧制高校でヘーゲルもマルクスも読んだよ。マルクスの弁証法を日本のマルキストは誤解しているよ」と、共産党幹部に議論を仕掛けていた。共産党幹部も「こんな人物が自民党にもいたのか」と、それなりに楽しんでいた。議会政治は思想の「相対主義」が前提であり、一定の教養とユーモアがあれば話は弾むものである。

 

 昭和61年7月の中曽根政権は、憲法を冒涜した「死んだふり解散」で、衆参両院の伯仲状況が終わる。中曽根自民党の圧倒的多数勢力の中で、共産党は国会の行事に協力しながら、復活した自民党の暴政に孤高の正論で対応することになる。

 この国会伯仲時代に、共産党が天皇の出席する開会式に出る気持ちになっていたところを、自民党の党利党略のため実現できなかった事件が起る。それは「福永健司議長更迭事件」である。

 

 福永議長は昭和58年12月の総選挙後の特別国会で選ばれ、同60年1月に辞任した。その理由が問題だ。実は、福永議長は戦後の吉田茂政治から、新憲法での国会運営では政界一の見識と知恵を持っていた。議長にはふさわしい人物であったが健康に難があり、腰と足に障害があった。議長に就任して約1年間は職務に差し障りがなかった。

 議長職で、何故腰や足に障害があると不都合があるのか。その理由は開会式で天皇陛下から「お言葉」をいただく時、その証書を5段くらいの会談を昇って受け取り、そのままの姿勢で後すざりで降壇する慣行になっていた。福永議長の場合、完全に後ろ向きに階段を降りられない程度に腰や足の障害が悪化していた。従って、天皇陛下に「お尻」を向けて降壇することが問題となった。

 

 この時期、議会内政党化に懸命であった共産党は、福永議長の見識に学び天皇陛下が出席する開会式に出席することを検討していた。ところが中曽根自民党政権内に「福永議長更迭論」が噴出してきたのである。表向きの理屈は「健康上の理由」で、腰や足の障害で天皇陛下に「お尻」を向けることになるのは失礼になるから・・・との話であった。本音は自民党内の派閥問題で、宏池会所属の福永議長は健全な議会民主政治実現のため、議長の権威や運営の正常化について厳しい政治家であった。率直にいって、中曽根首相と発想が合わないことにあった。これが政治の実体である。

 

 当時の衆議院事務局としては、従来の慣行を改めて「お尻」を向けて降壇することもやむを得ない、補助者がついてもよい、杖の使用もあると、開会式のあり方に関して改革を提案したが、政権側の中曽根首相側に押し切られた。共産党はこの機会に開会式に出席することを検討していたが、「そこまでも明治憲法の慣行に拘る自民党」に反発して、開会式に出席する協議を取りやめた。

 困ったのは、福永議長を説得する議院運営委員長の小沢一郎氏であった。私が議運担当課長で同行した。本来正当な理屈で説得できる話ではない。そこで小沢議運委員長と相談して、開会式の慣行など理屈の説明をしないことにした。中曽根政権の状況を説明し、伯仲国会の難しさと、日本の議会政治がこのままでは駄目になるとの世間話から始めることにした。福永議長と小沢議運委員長の父親・小沢佐重喜氏は、戦後の吉田政権で苦労を重ねた仲できわめて親しかった。

 福永議長は報道などで、政治の雰囲気を承知していて、来訪の趣旨を事前に承知していた。ご自分から進退について話を切り出され、説得の必要はなかった。2人は安堵して退室した。

 

 あれから30年という歳月が流れた平成27年12月、立憲主義を冒涜した安保法制政治に対抗して、4野党が協力してこれからの国政選挙に臨むことになった。年末、小沢さんと会ったとき、「志位共産党委員長から、1月の常会開会式に出席することになった」との話があったとのこと。

 動かないと思っていた時代が、激変することを感じた。

                         (続く)

『田中角栄を葬ったのは誰だ』あとがき

 『田中角栄を葬ったのは誰だ』あとがき(http://gekkan-nippon.com/?p=9090)

 

 今年は異形異能の政治家田中角栄がロッキード事件で逮捕されてから40年目。異常とも思える「角栄ブーム」が起きている。

 私は昭和35年に衆議院事務局に就職して以来、国会の裏方として、また平成4年に参院議員に当選してからは国会議員として、政治の表裏をじっくりと観察してきた。

 ロッキード事件が起きたのは、私が前尾繁三郎衆院議長秘書時代のことだった。今回、私は意を決して、ロッキード事件の真相を事実に基づいて克明に綴った。それは何としても健全な議会政治を復権させたいという、私の執念からである。それは私の心の叫びでもある。 

戦後70年余、紆余曲折をへながらも、議会制民主主義のもとでわが国は戦後復興を成し遂げ、国民生産額でも世界有数の地位に上り詰めた。しかし、敗戦国であるわが国の平和と繁栄は、戦勝国アメリカの庇護のもと、国家の最高規範である憲法はもちろん、安全保障も外交もすべてアメリカに丸投げにし、屈辱に甘んじてきた末に獲得した「不名誉な果実」だ、といっても間違いではないだろう。 

 名ばかりの独立国である日本は金満大国にはなったが、国家観は希薄で、歴史観すらもアメリカ製の戦後レジームを引きずっている。有体にいえば、残念ながら日本はアメリカの従属国なのである。しかし、この不愉快極まりない厳粛なる事実に正面から向かい合わない限り、独立国としての名誉も誇りも回復できない。そう私は考える。

 三木武夫首相はロッキード事件を「外為法違反」という名目で田中角栄を別件逮捕することで、早々に決着を図った。この裏で疑惑の中心人物児玉誉士夫の口を封じる謀略が、白昼堂々と行われた。私は今回この事件の真相を白日のもとにさらすことにした。

 児玉は敗戦後、A級戦犯として三年余にわたって巣鴨拘置所に収監された。児玉とCIAの関わりについては早稲田大学教授の有馬哲夫氏が『児玉誉士夫 巨魁の昭和史』文春新書)で詳述している。

 有馬氏は「児玉とCIAは、日本を共産主義に対する防波堤とする、再軍備させ、軍備を強化する、というところまでは共通点が多かった。だが、児玉の最終目的が日本を独立国とし、アジアの盟主として復活させることだったのに対し、アメリカの目的は、日本を自らに従属させ、対抗勢力にならないようにすることだった」と述べている。

 最重要証人である児玉誉士夫の証人喚問が実現していたら、どのような事態が生じただろうか。自ら「国士」をもって任じている児玉が事件の真相と、政界の裏面を暴露する可能性がまったくなかったとは言い切れまい。児玉証言は核爆弾級の衝撃を与える可能性があったのだ。そのため、児玉の証人喚問を是が非でも阻止しなければならない者がいたのである。

 こうして児玉誉士夫を意識障害で口もきけない状態にする謀略が行われた、と私は考える。その結果、ロッキード事件のターゲットは田中角栄に絞り込まれた。

 このことによって利益を得たのは誰だったのか。結局、この児玉証人喚問を封じ込めたことが、ロッキード事件最大のターニングポイントになった。

 本書で述べたように、田中角栄を起訴に持ち込んだ最有力証拠は「嘱託尋問調書」だった。この嘱託尋問は、日本国憲法はもちろん刑事訴訟法にも違反しており、本来、証拠として採用できる代物ではなかった。

 案の定、田中角栄が死去して2年がたった平成7年、最高裁判所は嘱託尋問調書の証拠能力を否定した。

 「日本の刑事訴訟法上、刑事免責の制度を採用しておらず、刑事免責を付与して獲得された供述を事実認定の証拠とすることを許容していないものと解すべきである以上、米連邦法上に基づいて行われた嘱託尋問調書については、その証拠能力を否定すべきである」(平成7年2月22日、最高裁判所大法廷)

 最高裁は田中角栄を違法な証拠で起訴したことを、自ら認めたのだ。前代未聞のことである。いまから20年以上も前のことだが、当時、政治家もマスコミもこの問題を深く追及することはなかった。

 今回、このあとがきを書くに当たって、『新潮45』に掲載された天野恵市氏の手記「児玉誉士夫の喚問回避に手を汚した東京女子医大」を、改めて読んでみた。

 そこには、ロッキード事件が発覚してから48日目の昭和51年3月23日に、アメリカに留学経験のある外国人を妻にした元ポルノ俳優が、セスナ機で児玉誉士夫邸に突っ込んで、炎上したことが書かれていた。天野氏はこの時、自分が児玉邸に行っていれば、「死者は操縦していた日活の元ポルノ俳優に東京女子医科大学の医療チーム2人を加えた3人となっていたはずだ」と書いてある。

 ここまで読んで、私はハッと思い、身震いがした。児玉の証人喚問は喜多村孝一医師による注射によって実現不可能になった。しかし、児玉喚問を何としても阻止しようとする勢力は、児玉誉士夫の命そのものを奪おうとしたのではなかろうか。そんな考えがふと私の脳裏をかすめたのだ。

 最後に、私たちはロッキード事件から何を学ぶべきかを考えてみたい。

 この事件は、戦後政治に巣食う病根を図らずも明らかにした。一つは「ロッキード事件=虎の尾論」、つまり、いまも続く対米従属シンドロームである。第二に、自民党内の陰湿な権力闘争に必然的に伴う、政・官・財の三者による「権力の犯罪」である。

そして第三に、官僚支配からの脱却を図ろうとする政治家を排除する勢力の存在である。

 ベルリンの壁が撤去され、冷戦が終焉した時が、わが国にとっては対米自立の最大のチャンスだった。平成5年8月、細川護熙首相のもとで非自民八党派連立内閣が成立したが、細川政権は一国繁栄主義、官僚支配政治から脱却し、アメリカとは「自立・協力」関係を樹立する方向を模索した。細川政権は、対米自立を志向した「角栄政治」の改革的発展を目指したのだ。

 しかし、細川政権による対米自立路線は、ポスト冷戦期にアメリカの巨大資本による世界支配が始まることによって、挫折する。奇しくもこの年の12月、田中角栄が脳梗塞で言葉を失ったまま、無念の涙を呑んで75歳で没した。

 その後、自由化・規制緩和を標榜し、国境を超えて、ヒト・モノ・カネが勝手気ままに移動するワンワールド志向の「新自由主義」が世界を跋扈するようになる。対米自立は雲散霧消してしまった。

 こうした中で起きたのが「小沢一郎・陸山会事件」である。議会政治の復権によって、自立国家を創造しようとする政治家を政界から葬ろうとする点で、ロッキード事件と陸山会事件は「権力による犯罪」という同じ構造を持っている。

 この「権力による犯罪」は、対米従属シンドロームに由来することは明らかだ。アメリカと政治的経済的な利害関係を共有するわが国の政治家、官僚、財界は無意識のうちに、アメリカの利益を代弁している。

 アメリカの一部巨大資本の利益を最優先にするTPP。このTPP交渉で大筋合意に持ち込んだ甘利明前経済再生担当相が今年1月、現金授受問題で閣僚を辞任した。甘利氏は千葉県の建設会社から600万円を受け取っていたと追及されたが、結局は不起訴処分になった。国会閉幕前日のことである。

 国会開会中、甘利氏はTPP問題に関して、アメリカに不利だと思われることは一切明らかにせず、辞任後は「睡眠障害」と称して、国会への登院すらしなかった。対米従属シンドロームが、かくも深く底流に流れているのか、と思わせる経過である。

 安倍自公連立政権は、安保法制を強引に成立させ、普天間飛行場の辺野古移設を強行し、立憲主義を崩壊させた。この手法は、敗戦後の対米従属シンドロームのなせる病的な統治ノウハウといえる。

 問題は日本人の多くが、これを良しとして許容していることだ。明治維新以来、官僚は「お上意識」と「天皇制」を巧みに利用して、「天皇制従属シンドローム」ともいうべき統治ノウハウを編み出した。それが大東亜戦争、敗戦という悲劇を招いたことを忘れてはならない。

 いまも官僚支配の根底にある日本人のお上意識、これを何としても改革する必要がある。自らの頭で考え、自らの責任で意思決定する「人間の自立」なくして「日本国の自立」はない。福沢諭吉がいう「独立自尊」とはそういうことだ。

 10年前、私は講談社から『ロッキード事件――葬られた真実』を上梓したが、今回は同書に新たな事実を加え、大幅に加筆修正したものである。

 私は陸山会事件以後、「日本一新の会」代表として、対米従属シンドロームの打破を願って週一回のメルマガを発信して活動を続けている。本書についてのご意見があれば、日本一新の会事務局(jimukyoku(☆)nipponissin.com)にお届けいただければ有難い。

 最後に、きわめて短期間で本書を刊行できたこと、さらに貴重な進言をいただいた(株)K&Kプレス代表取締役の南丘喜八郎さん、副編集長の中村友哉さんはじめ、スタッフの皆さんに謝意を表したい。

     

  平成28年6月15日

            日本一新の会代表   平野貞夫妙観

ひだか剛君激励会のご案内!

 
元衆議院議員 元環境政務官 ひだか剛君激励会のご案内

謹啓 貴下、ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
 平素より、ひだか剛君に対し格別のご指導、ご鞭撻を賜り厚く
お礼申し上げます。
 さて、ひだか剛君は、高津区久地に新事務所を構え、捲土重来
をめざして選挙区をくまなく歩き、有権者の皆様にお訴えを続け
ております。
 今般、ひだか剛君を支えて下さっていらっしゃる皆様方に活動
報告をさせて頂き、皆様方からのご激励を賜りたく「ひだか剛君
激励会」を開催させていただくこととなりました。
 つきましては、皆様方におかれましてはご多忙中のところ、誠
に恐縮ではございますが、万障お繰り合わせの上ご臨席を賜りま
すよう、謹んでご案内申し上げます。

                          謹 白

 平成28年5月吉日
              「ひだか剛君激励会」実行委員会


             ― 記 ―

 ・日 時 2016 年5月28日(土曜日)
      14 時 開会(開場 13時30分)
 ・会 場 かながわサイエンスパーク(KSP) 3F ホール
      川崎市高津区坂戸3-2-1 でんわ 044-819-2211
      ※武蔵溝ノ口駅溝の口駅前ロータリー9番乗場から
       無料バスあり
 ・特別ゲスト 衆議院議員 小沢一郎先生(予定)

 ・会費 5000円
     お手数ですが事前振込をご利用下さい。
     尚、当日会場でもお受け致します。

     振込先 りそな銀行 衆議院支店 普通 8126828 
         ヒダカタケシセイケイケンキュウカイ

 ・お問い合わせ ひだか剛事務所 
         213-0032 
         川崎市高津区久地1-8-5-2F 
         TEL 044-850-1205  FAX 044-850-1206

  ※この催物は、政治資金規正法第8条の2に規定する
   政治資金パーティです。
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Author:nipponissin1
   代    表 : 平野 貞夫
   顧    問 : 戸田 邦司
   事 務 局 : 大島 楯臣

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