「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―365

            日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

 国内では「共謀罪」の導入による平成の治安維持法への謀略、北朝鮮問題に関係した敵地先制攻撃論の台頭、更にその背景にある「教育勅語」の復活。そして、アベノミクスの失政による差別化と弱者の生存権破壊が蔓延してきた。戦争に突き進んだ、昭和初期以上に混迷する現在の日本、桜の花に浮かれる気にはとてもならない。

 日頃、私の書生論を我慢して読んでいただいている会員の皆さんに感謝しつつ、本号から構成を再考して、前半ではトピック的なものを中心に論評し、後半では『国会つれづれ』と題して私が体験した日本政治の実相を、思いつくままに綴ってみたい。

 

〇 時局妙観

 4月8日から2泊3日で四万十市で始まる「市長選挙」の野党協力候補応援と、ポスト「森友問題」と言われる、今治市での、「加計学園問題」現地調査のため四国路を駆け巡ってきた。

 

(四万十市・市長選挙の状況)

 四万十市とは旧中村市のことで、応仁の乱を避けて時の右大臣一条教房が都落ちし、四万十流域の中村に約百年「京都文化」を残し、戦国時代に、長宗我部一族に滅ぼされた歴史を持つ地だ。明治維新後、土佐の自由民権運動で幡多地域(四国西南)の中心となったところだ。大逆事件で知られる、幸徳秋水の出生地でもある。明治21年、秋水は上京し林有造(自由民権運動の指導者・自由党幹部)の秘書となる。中江兆民に師事し、自由党左派から社会主義者として活動した人物だ。保守と革新の思想を知り尽くし、反戦運動が原因で冤罪となり、死刑された人物である。私の故郷の天才であり、保革の本流の人間が手を取り合い日本の危機をどう乗り切るか、その地で市長と市議選挙が行われるというので、野党協力の提唱者として応援に出かけたわけだ。

 

 野党協力を前提に市長選に立候補したのは、共産党の幡多地区委員長などを歴任した「大西まさすけ」という人物である。大叔父が自民党リベラル派で活躍した大西正男、先祖は昭和初期に民政党で活躍した大西正幹という保守リベラルの家系である。私が参議院を引退した直後「四万十地域政党をつくらないか」と話を持ちかけた共産党では異色の存在だった。現在の野党協力の提唱者でもある。

 四万十市に着いたのが8日(土)正午過ぎ、その足で市内の四ヶ所で小雨の中の街頭演説を行った。市議候補の川渕せいし氏の応援も一緒に、香川県議の白川よう子氏が駆けつけてくれた。市長選には社民・新社会が協力、田中全元市長もリベラル派の立場で顔を出してくれた。民進党の協力が見えてこないことに問題がある。ここは25年前に、私が保守系無所属で参議院選挙に臨んだ所で自民党支持者のリベラル派をどれだけ引き寄せるか、自由民権運動の発祥地で小さなテストケースとなる。投票日は23日。

 

(今治市での加計学園問題調査)

 ポスト「森友学園問題」と言われ今治市に設立される加計学園の岡山大学獣医学部新設の実情を調査のため10日(月)今治市を訪ねた。ごく少数の市民運動家や有識者と懇談し、現地も視察し大変参考になった。

 今治市では、昭和50年代から地域振興の流れの中で丘陵地を開発して大学の誘致や企業誘致を計画していた。時代に遅れたり構想に問題があったりしてすべて不調に終わっていた。小泉政権の「構造改革特区」で大学新設を陳情したものの、15回も採用されず今治市も諦めていたとのこと。

 第2次安倍政権で「国家戦略特区」がスタートし昨年8月石破地方創生大臣と森山農水大臣が辞め、安倍首相の意向を〝忖度〟する閣僚に交代した途端、加計学園の構想である今治市での獣医学部新設構想が突然に動き出し市当局も政治の動きに巻き込まれ、宿願の大学誘致を目前にして、それに応じる行政手続を進めているところである。そのため市民への情報開示が遅れまた安倍首相の親友が加計学園理事長であることから権力の私物化として国会の議論となっている。

 善意の市民や市職員は、設立計画が廃案となると大変なことだと危惧すると同時に、準備不足でスタートして、将来、運営不能となると、より大変なことになると困っている。

 

〇 国会つれづれ  2

 四国路の遅咲き山桜に誘われたように四万十市、土佐清水市、毛市、愛媛県の愛南町、宇和島市から松山市に出て、聖徳太子ゆかりの道後温泉で一泊という一人旅だった。80才を過ぎた私には、若い頃、親や恩師に迷惑や心配をかけたことを思い出すほろ苦い旅でもあった。『国会つれづれ』の書き出しをどうするかという旅でもあった。

 陸の孤島四国西南地域を、幼なじみで同級の沖野吉克氏(元高校教師で保健体育担当)の運転で、維持会員で従兄の平野成泰氏が同乘して「車中花見」となった。途中宿毛市の松田川上流で、山本五十六海軍元帥が、宿毛湾碇泊のたびに鮎釣りを楽しみにしていた場所の近くの有田家に立ち寄った。

 私が国政に出る前からいろいろ支援してくれた旧家で、主人の有田幸雄氏が一昨年になくなり久しぶりに宿毛を通ったので線香でもと立ち寄ったわけだ。未亡人が喜んでくれて茶飲み話となった。『国会つれづれ』の書き出しが話題となり沖野氏から「高知に帰って高校の社会科の先生になると言っていたのに、まったく場違いの衆議院事務局に就職した。事務局に入るに至る運命的な切っ掛けがあるだろう。できれば誰にも話していないようなそんなことを書き出しにしろよ」とのこと。「なるほど考えてみよう」となった。

 

〈英語の誤訳を秀才に間違えられ合格した大学院で、一度は共産主義に憧れる〉

 

 自慢することではないが、私の特徴は「基礎学力が不足している」ことだ。原因は昭和20年8月15日の敗戦の日、天皇陛下の玉音放送が終わった後、父親がカルチャーショックを起こし、「貞夫、学校の勉強をして出世しようと思うな。俳句と般若心経を教えてやる。この二つを勉強しておけば、悪いことをする人間にはならん!」と、今でも耳に残っている。この父親のことばを忠実に守った結果がこれだ。

 国民学校が小学校に変わり、新制中学校から高校まで試験前の勉強も、そして高校や大学の受験勉強をした記憶がない。足摺岬の見える太平洋につながる川や山で、遊んでばかりいた。大学に入って気がついたことは「英語力」が著しく低いことであった。

 法政大学の大学院政治学修士課程の試験を受けることになる。このとき基礎学力の不足をつくづく感じた。少し専門的な学問をしたうえで高知に帰り高校の教師を考えていた。不合格なら大学卒だけで高校教師をやろうという思いでダメ元で受験したわけだ。案の定、英文の試験で大失敗と確信し、故郷に帰る準備をして、念のために発表を見に行ったところ合格に名前があり、この大学はどうなっているのかと驚いた。それが運命で私の今日がある。

 昭和33年3月中旬だった。政治学修士課程の定員10名に、50人が応募し法政大から10名が受験、ほとんど他大学や社会人で8名が合格した。西洋政治史の倉橋教授が試験責任者で出題者だった。クリストア・ヒルの「英国市民革命史」から、A4で3枚ぐらいの英文が配られて、要約せよとの出題。訳本など出てない時期だ。

 そのなかでキーになる文字が「Feudalism」(封建主義)であった。英語力の弱い私は、高校生でも知っている訳語を知らなかったのだ。要するに、「封建主義から市民革命が生まれる」というのが正解であった。こんなことを知らない自分に呆れながら合格を諦めて直感で「絶対主義」と訳して、教科書的には滅茶苦茶な訳文となった。下宿に帰って辞書を見ると、とんでもない間違いとわかり帰郷の準備となったわけだ。ところがそれが合格の切り札になるとは、世の中は喜劇で悲劇の始まりだ。

 

 政治学修士コースの倉橋ゼミの1回目のガイダンスに顔を出すと、倉橋教授から「今年の合格者の中に特異な秀才がいる。英国の政治史の本質を知っている」とのこと。ゼミには青山学院高校で英語を教えている人物がいたのでその人かと思っていた。倉橋ゼミが始まって、教授から私に集中して質問が出るようになる。私も、あの誤解が専門家の中では論争のあったもので倉橋教授はその学説だなと感じるようになり、西洋政治史に暗い私は3回目からゼミに出ないことにした。

 この私の誤訳が切っ掛けで共産党入党寸前の私をつくり、吉田茂・林譲治という故郷の先人の説得で、衆議院事務局への道を歩む運命となる。                  

(続く)

「日本一新運動」の原点―364

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日本一新の会事務局

 

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            日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 日本をダメにした文科官僚と文科族議員!

 

 3月3日(木)、文科省は文科官僚の「違法天下り」を62件認定し43人を処分した。その中にトップ官僚の事務次官3人が、次官在任中に違法行為に関わっていたことが認定され多くの市民は驚いた。松野文科大臣は記者会見で「省をあげて、違法天下り構造に関わっていた」ことを認めて謝罪した。しかし、文科省の「違法天下り」の根本原因については気がついていない。

 そこで私が代わって「文科省官僚と文科族議員」が如何に日本を駄目にしてきたかを解説しておきたい。お断りしておくが「文科省」とは橋本行政(平成10年)で、「文部省と科学技術庁」が合併した省であり、科学技術庁は原子力行政を所管していて重大問題を引きずっているが、今回は「旧文部省」に絞って、国民がほとんど知らない情報を提供する。

 

(文部官僚と自民党文教族、日教組の談合構造が日本をダメにした)

 

 文部省は「教育基本法」に基づく行政を所管することで「さぞかし平和と民主主義の理想を生かそうとする人材が集まる」と考える日本人が多い。また、戦後の教育政策を牛耳ってきた「自民党文教族」には、素晴らしい識見をもつ政治家の集団と思われがちだ。日教組については改めての説明は無要だろう。

 

〇文部官僚の特質 敗戦の新憲法で革命的民主化が行われたが、行政官僚の本質は改革せずに占領軍はむしろ占領政策のため上手に有用した。独立後、官僚が真っ先に戦前復古を画策したのが教育と警察行政であった。文部官僚は警察官僚と異なり、単純な出世主義ではなく、文化や教育に関わりながら社会的・経済的地位を確保して永く生きていくという、一見立派に見せて実際は文教利権の寄生虫だった。

 まず、文部省が採用する東大のキャリアは、右翼的思想を持つことが条件であった。右翼でも本格派は少なく、漢字問題でも、英語教育でも日本の伝統文化を保守しようとはせず、自己の支配欲を満たすため利害に迷う米国右翼もいる。文部官僚の得意とすることは、頭の悪い政治家を煽て利用して思いを成功させることである。

 教育といえば文部官僚の敵は「日教組」であった。これを「自民党文教族」を駆使して、ある時は「喧嘩」をさせて、ある時は「談合」させて操りながら、今日の日本の教育を堕落させてきた。文部官僚で国会議員になろうという発想の人物が少ないのは、文教族という政治家を利用することが効率が良いからだ。

 

〇 自民党文教族と日教組の実体

 

 天敵と思われていた自民党文教族と日教組の関係だが自社55年体制では裏で談合を重ねていたのが実態だ。それを上手に操っていたのが文部官僚で、三位一体の深い関係を政治が十分に監督しようとせず違法天下りを放置していたわけだ。その原因は国民に見えにくい文教利権にある。

 大学をはじめ、学校法人への補助金、教科書・文化ホール・公民館などへの助成、学校給食利権・スポーツ団体・宗教法人などへの利権・芸術文化利権など数え上げれば際限がない。

 これに群がる文教族の核は、早稲田大学雄弁会→自民党代議士秘書→国会議員によってつくられる。森喜朗氏・海部俊樹氏等は、この利権で総理・総裁の座を得たともいえる。渡辺恒三氏らは原発利権とともに、文教利権で政治活動を行ってきた。私が知る限り、文教族で真っ当な政治家は西岡武夫元参議院議長のみだった。現在の日教組は居場所がないほど影が薄い。政治への影響力もない。この文教利権に国民は怒りを持つべきだ。

 

(かつて衆参両院で行われた「教育勅語排除・失効決議」

の再確認決議運動を始めよう!)

 

 3月31日(金)、安倍内閣は民進党初鹿衆議院議員が提出した「教育勅語」についての質問主意書への答弁書を閣議決定した。要旨は「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」とのこと。憲法に反するので、国会議決で排除・失効させたことを知らないのか。森友学園問題で教育勅語が話題となっている時である。安倍首相・下村文科相・稲田防衛相は、積極的肯定論者だ。これらの背後には文部官僚による「教育勅語の復活」という宿願がある。この答弁書は彼らの目的の入り口といえる。

 戦時国家となった現代日本を、日本国憲法の原理に戻すために「教育勅語排除・失効決議」の再確認国会決議を、日本一新の会として提案する。

 

〇 日本人と『憲法九条』 10

 

 哲学者・柄谷行人が、その著書『憲法の無意識』で論じた「憲法9条の先行形態は徳川体制にあり」に刺激され、その具体的動機を乱暴に検証したのが「慶長の法難」であった。その中で家康の側室・お万の方の法華信仰が権力者家康に「権力の根本、それは人間の生命を大事にすること」に気付かせたと推論する至った。

そこで、法華信仰を知らない私は、法華経のにわか勉強をすることになる。植木氏の革命的「法華経論」に目が覚め、日本文化―日本人の深層心理・心の中の底流に流れている「法華経の思想」の究明に強い関心を持った。ひとまず本号をもって問題提起とし、憲法9条の法源をさらに研究して、日本文化の根底にあることを証明したい。

 

(聖徳太子の『十七条憲法』に日本国憲法九条の法源あり)

 

 平成9年12月に「新進党」が分裂して、翌10年1月1日に小沢一郎党首のもと「自由党」を結成することになる。憲法施行50年から2年が過ぎ、憲法のあり方を与野党で議論しようとの気運が起こった。平成12年1月に、第147常会で衆参両院に憲法調査会が設置されるようになる。各党でさまざまな憲法論議が行われる同11年8月中旬に、私は直腸癌の手術で慈恵医大病院に入院する。直腸を約10センチ切除する手術で当然全身麻酔をする。16日の手術の日から4日間続けて不思議な夢をみた。

医師の話だと「麻酔で潜在意識が出る場合がある」とのこと。3日目の夢に聖徳太子が出てきて「十七条憲法の歴史的意義を学べ」との御託宣。入院中でもあり、聖徳太子関係の書物を10冊読むことができた。これまで聖徳太子に関心がなかったことに恥ずかしくなるほど勉強になった。

 平成12年1月、東京博物館で太子が註釈したといわれる『法華義疏』の原本が展示され、初日に見に行った。私は占領時代に漢文が禁止されていた世代で、解読する能力はなかった。何回も何回も魂をこめて、何を訴えているか、不得手な漢字を辿った。

「大乗仏教を導入して、日本の指針にすべし」という意味を確信した。当時、日本では「他者救済を中心とする大乗仏教」を導入するか、「自己の悟りを中心とする小乗仏教」とするか、大論争の時代だ。太子の論旨に日本政治の理念の原典があると感じた。

 同年2月16日に開かれた憲法調査会の自由討議で、私は自由党を代表して意見を述べた。要点は、1)占領軍によって押しつけられたから改正するとの論は採らないが、制定過程は十分調査すべきだ。2)近代憲法の諸原理の発展的見直しが必要だ。3)現代は、聖徳太子が活躍した時代背景が国際的にも、国内の諸勢力の状況も酷似している。十七条憲法制定時代の歴史に学ぶべきではないか。

 この私の意見に対して、共同通信や朝日新聞から批判の報道があった。特に朝日新聞は「時代錯誤の発想」と報道し、また社説で「平野氏は、・・・米国からの〝押しつけ憲法〟論を前面に出す意図がのぞく」と、悪意の論説を出した。私は次の憲法調査会で「社説は社論だ。人の心を勝手に覗いて国民に誤解を与え一種のムードをつくろうとするやり方」に強く抗議した。朝日新聞は私の抗議に「言論妨害だ」と、大騒ぎになった。

 さて、私の「時代錯誤の発想」は間違っていなかったことを、植木氏の、法華経関係の著書を読んで確信した。そこで改めて、『十七条憲法』を私なりに検証してみた。十七条憲法は統一国家として官僚制度を中央集権的に編成しようとするもので、大乗仏教(儒教と同質)等の思想を取り入れたものであること。国の基本方針を、第一条で「和を以て貴しとなす」と、権力者の姿勢について規定したものである。

 第一条の「和を以て貴しとなす」の真意について、これまでの日本人は、適切でない、あるいは、人によっては誤った解釈をしていたのではないか、これが私の検証の結論である。従来の解釈は「お互いに心が和らいで協力する、むやみに反抗すべきでない」などと協力しろまではよいが、「談合」まで許容している。これを植木氏の「法華経の思想」に照らし考えると、そんな単純なことではないと思い、念のために「和」の語源を調べてみた。

 

『和』の語源は「禾」は軍門に立てる標識の木の形。「口」はサイ(口の象形文字)で神への祝詞をいれる器の形だ。サイをおいた軍門の前で誓約して講話すること。即ち、戦争をやめて平和的な状態に戻す意味であり、転じて「やわらぐ・なごむ」などの意味となったものである(白川静著・字統(平凡社刊))より。

 聖徳太子の時代、漢字の語源は指導者の知識として重要視されていた。「和を以て貴しとなす」は、国の基本方針として「争い」をするなという意味で、それは「戦いをするな」即ち「戦争放棄」を宣明したものである。これが憲法九条の法源といえる。「法華経」の思想を基本としたものであり、古代から日本人の潜在意識に生きている考え方であるといえる。 

        (了)

「日本一新運動」の原点―363

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            日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇森友学園問題にみる日本人の感性の劣化!

 

 3月23日(木)、森友学園問題で参議院と衆議院において、籠池理事長に対する証人喚問が行われた。籠池氏が記者団などに「安倍首相から100万円の寄付をもらった」などの暴露発言に、頭にきた自民党が「総理を侮辱した」という前代未聞の理由で行われたものだ。

 籠池証人は偽証罪とか詐欺罪と脅されたものの、それ以上の材料の切符を持ち、次々と情報を出して、日本中を「籠池劇場」にした。自民党は「藪をつついて蛇を出した」どころか、「森友問題の幕引きを狙いながら、幕を引けなく」してしまった。否問題を隠すべき幕を焼いてしまったといえる。これらの報道は世界中に拡散し、日本の恥部を安倍首相夫妻と自民党がさらけ出したといえる。

 

 与野党国会議員の籠池尋問、政党幹部の発言、学識有識者らの新聞・テレビなどでの見解を3月26日まで可能な限り検証した。森友学園問題の本質を何人が指摘するかを知りたかったからだ。しかし残念ながら、私の期待は裏切られた。その代表例は蓮舫民進党代表で「問題の本質は行政改革だ」と公言したことだ。確かに9億円以上の国有地を8億円以上も値引きさせた理由や財務省・国交省の官僚が安倍首相の意向を忖度したか否かも大事な問題だ。大いに追求すべきである。

 問題はそれだけで終わらせてはならない。私は3月19日(日)に国会議事堂正面前の「森友学園の権力犯罪を真相究明しよう」との市民集会で、教育勅語の教育で「天皇陛下バンザイ」と叫んで戦死した日本兵士が100万人を超えたと叫んだ。その『悪霊』を、新設する小学校に蘇生させようとする学校法人に安倍首相夫妻が共鳴・協力することは、憲法9条を葬った流れを勢いづけるものと、何故、政治家や有識者は指摘しないのか。昭和天皇の、「人間宣言」や「憲法の平和原理」は今や日本人の感性から忘れられたようだ。諸外国の善良な市民が最もおそれているのはこの問題だと私は確信している。

 議会政治の先進国の市民たちが、もうひとつ日本の議会政治に心配していることがある。「森友学園」問題の安倍首相や稲田防衛大臣はじめ、官僚たちの発言がほとんど〝ウソ〟であることだ。先進国の議会では「虚言」を絶対に許さない。「記憶にない」との発言は絶対に存在しない。

 キリスト教会が近世になって、「心を律する教会」と「政治を律する教会」に分離する。そして後者が現在の議会となる歴史を持っている。こうして「政治の教会」で嘘をつくことは「神に嘘をつく」という倫理観が厳然として生きているのだ。議会が教会の建物そのものであり、議会の開会式で、議員は聖書に手を置き宣誓する。日本では、嘘をつく才能のある政治家や官僚が出世するという不思議な議会政治を続けている。森友問題はそのことを世界に暴露したといえる。

 

〇千葉県知事選挙の反省


 3月26日(日)の行われた「千葉県知事選挙」は、森田健作現知事が圧勝した。彼岸が過ぎて気温が10度を切る冷たい雨の条件とは言え、投票率が31%とひどい知事選挙だった。国政政党が名を出して支援したのは、共産党と自由党が応援した「角谷信一候補(無)」だけであった。自民党は名を出さず、民進党は自主投票ということで「森田候補」と「松崎候補」に割れ、ごく一部が「角谷候補」を応援した。社民は連合の影響を受けて「森田候補」を支援したとの情報だ。

 森田圧勝の原因は、国政4野党が先の新潟知事選挙のように候補者選びから、きちんと協力をすれば知事選を盛り上げることができたし、森田圧勝どころか野党側の勝利も可能だった。これからの国政選挙を控え、反省の多い選挙であった。

 私は四野党の統一候補を期待したが不調で、共産党と一緒に自由党千葉県連顧問として「角谷候補」を応援した。23日のJR千葉駅頭の応援演説の前に佐倉市の「麻賀多神社」に必勝の祈願をした。ご祭神は〝稚産霊神〟(わかむすびのみこと)で、幼児・子供・若者を健全に育てることを御神徳とする神社だ。角谷候補は高校の社会科の先生が職歴である。「おみくじ」を引いたところ〝大吉〟だった。

「長い苦しみから、明るい見通しがつく」との御託宣で、演説では「知事選は皆さんの努力次第だ。衆議院選挙で4野党の協力次第で政権交代が成功する」と、反省と勉強になった。

 

 

〇 日本人と『憲法九条』 9

(植木雅俊氏による「法華経」の新解釈)

 

 元創価学会幹部の友人から教えてもらった植木雅俊氏の著書は『思想としての法華経』(岩波書店)『仏教、本当の教え』(中公新書)『ほんとうの法華経』(植木氏と橋爪大三郎氏との対談・ちくま新書)の3冊であった。私の家系は「浄土宗」だが、真言宗の四国八十八カ所〝金剛福寺〟が近くで、御詠歌を子守歌として育った。そんなことで「般若心経」には興味を持っていたが、「法華経」には縁も興味もなかった。

 物理学を専門とする植木氏の書物を読んで真っ先に感じたのは、現在の創価学会が支援する公明党の政治活動とはまったく逆の思想ではないか。創価学会のいう「法華経」とは異質のものではないか、ということであった。本を紹介してくれた友人にそう伝えると、「まったく新しい発想で、日蓮聖人自身の考えにも無いものがあり、原始仏教の理念が生き生きとして記述された法華経の革命的解釈ですよ」とのことであった。 

 仏教にも法華経にも素人の私が、3冊の書物を読んで偉そうなことをいえる立場ではない。しかし、植木氏の学説に驚異的刺激を受けたので、3冊の要点を整理しておきたい。

 

1)日本への法華経の伝来は、五世紀の初めにサンスクリット語を中国人の鳩末羅什(くまらじゅう)が漢訳したものが始まりといわれている。それを日本人が読み、仏教の各宗派の大部分が最高の経典としてきた。わが国で最初の「法華経」注釈書は、聖徳太子の「法華経義疏(ぎしょ)」(615年)といわれている。これについては次号でふれる。

 

2)1837年に、この世には存在しないと思われていたサンスクリット語の法典が、ネパールで見つかり、その中に「法華経」があった。その原本を徹底的に読み解き、鳩摩羅什の漢訳と照合して、植木氏が日本語訳としたのが2008年であった。それにより、法華経は日本でほんとうの姿を現したといえる。それまでのわが国の法華経は、誤訳や宗派のドグマの中で、真の姿は見えにくかったといえる。

 

3)法華経は信仰としてではなく、思想として読むことで新しい価値観を発見できるというのが植木氏の意見である。法華経が成立したのは紀元前300年代、ガンダーラを含む西北インドと推定されている。この時期、この地域にはギリシャ人・パフヴァ人・サカ人などが共存していた。異なる宗教、異なる文化を持つ異なる民族が対立という文明的試練を超え、相融和して暮らしていた。そうした精神風土の中で法華経の止揚・総合の論理が醸成されたとのこと。

 法華経は、いろいろな教団でバラバラに説かれていたブッダを「釈尊」に一本化し「原始仏教に還れ」という主張である。原始仏教教典で釈尊は「私は人間であり、皆さんの善き友である」と語っている。ところが小乗仏教では「釈尊は人間ではない。ブッダである」と神格化し差別化している。これに対して「大乗仏教」は「成仏をあらゆる人に開放する」という仏教本来の平等思想を本旨としている。こうした小乗と大乗の思想の対立を克服して、普遍的な平等思想を打ち出したことが法華経の思想的課題である。

 

4)法華経と旧約聖書との比較だが、仏教では人間が目的であるのに対し、キリスト教では人間が神のもとに手段化されている。旧約聖書では「共同体の維持ができなくなるので、人は殺してはいけない」という。これは自分たちの共同体を守るためなら、他の共同体を解体させてもよいことになる。とすれば「人を殺してはならない」ということは絶対的な原理ではない。法華経の場合、「人を殺してはならない」ということは絶対的な原理である。

 

 以上、植木氏の3冊の書物から私が印象にのこってところを書き出した。これだけで法華経を理解したとはとても言えることではない。私は80才を過ぎるまで、「法華経」にこのような人類普遍の思想があることを知らなかった。まことに恥ずかしいことである。

 植木氏は著書の中で、この法華経の思想は日本文化の底流に流れていると論じている。(『思想としての法華経』38~40頁) その思想の影響を受けた日本人として、聖徳太子・最澄大師・徳一・日蓮・道元・西行法師・松尾芭蕉・近松門左衛門・本阿弥光悦らの言動を挙げている。なる程と思える。日本の歴史の中で法華経の影響を受けた人々は、数えることができない。その中で、法華経の「生命を大切にする」思想を感じ取った人が何人いたのか。私は、お万の方の法華信仰に原始仏教の原典を見つけた思いを持った。

                 

(続く)

「日本一新運動」の原点―362

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日本一新の会事務局


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            日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

 今年は年明けから多忙を極めている。80才を過ぎて、こうも引っ張り回されるのはよほど時代が悪いからだ。ほとんどの会合で、世のお偉方や権力者の悪口を言うのが主な仕事となった。

 それでも、真面目に暮らしている方々から喜ばれると、生きていて良かったとも思う。

 

(千葉県知事選挙、すみや候補応援活動)

 

 3月18日(土)JR柏駅ロータリーで「すみや候補」(新しい知事をつくる会・自由党・共産党など応援)の街頭演説で自由党を代表して応援演説をした。千葉県は財政規模で全国第4位であるが保育・教育・社会福祉・医療整備などでは40位台である。

ところが第1位のものがある。それは安倍政権ベッタリ度だ。永田町の政治ジャーナリストの評判である。安倍政治にベッタリの県政を進めると、県民のいのちと暮らしの政策は40位台になるのだ。それを「せめてベストテンに上げるよう、すみや候補には頑張ってもらいたい」と話すと、約600人の聴衆に結構うけた。

 そこでもっとも大事なのは教育だといって、森友学園の「教育勅語」問題を批判しようと思った矢先、進行係が「時間切れ」の札を出したので、中途半端な終わりとなった。演説会が終わり、街路を歩いていると知人から声をかけられた。「平野さんの話の続きを聞きたかった。話が一番短いのは手を抜いたのだなど文句を言う人がいましたよ」と注意を受けた。演説者が多かったので遠慮したが、民衆の目は中々に厳しいものだ。

 

(「森友学園」問題の本質は何か!)

 

 翌19日(日)、国会議事堂前で「でん話勝手連」の声がけで、市民団体の「森友学園の権力犯罪の真相究明しよう」という集会に顔を出した。午前11時という早い時間で、300人くらいの市民が集まっていたが、午後には1500人ぐらいになったとのこと。午後は別の会合に出る予定があったので、早めに顔を出すとトップバッターで挨拶した。丁度、前回の千葉県知事選挙応援の反省もあって、十分に話すことができた。要旨は次の通り。

 

1)教育勅語を暗誦させられた経験者として

 私は太平洋戦争中の昭和19年、国民学校3年生で「教育勅語」を暗誦させられた。6月の梅雨時、修身の時間に学級全員で暗誦した直後先生が「勉強は誰のためにするのですか」と全員に質問した。私が一番で「ハイ」と手を挙げ、「自分のためにします」と答えた。ところが先生は「平野君は間違っています」と怒る。2番目に手を挙げた中野君が「勉強は天皇陛下のためにします」と答えた。

 先生が「それが正しい答です。立派です」と誉めた。その後、全員で「勉強は天皇陛下のためにします」と暗誦し先生が「平野君、わかりましたか」というので、「わかりません」と答えると、カンカンに怒った先生は「廊下に立っていなさい」と、水を入れたバケツを持たされて修身の時間が終わるまで立たされた。この話は夕方になると村中に拡がる。「平野のお医者さんの家もとうとうクズが出た」と言われるようになった。

 

2)教育勅語のどこに問題があるのか

 教育勅語の中には。仏教・神道・儒教・キリスト教などの教え方が使われていて、それらを評価する人もいる。政治的かつ社会的役割は「一旦緩󠄁󠄁アレハ義勇󠄁󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」というところである。これは戦場で戦死するときは、「天皇陛下バンザイ」と叫んで死ねという教育である。この様に叫んで戦死した日本の戦士は百万人を超えると思う。

 これは「天皇の人間宣言」や「民主憲法」など、新しい日本の統治原理で否定されたものである。これを新設する小学校の基本理念とし、それを時の内閣総理大臣夫妻らがこぞって支援するとは教育基本法はもちろん、憲法以前の統治原理に対するテロ行為に等しい。その権力者の意思を「忖度」して国有地をただ同然に売買する手続を行う官僚たちは人間とはいえない。ここまで公務員の質が悪いとは・・・・・・。

 東京オリンピックのためとの名目で、テロ対策として「共謀罪」が制定されそうだが悪質なテロ・組織犯罪を増やすだけだ。それより「公務員忖度共謀罪」を制定し、権力に拘る人間の犯罪行動を防止すべきだ。

 

 

〇 日本人と『憲法九条』 8

(「慶長の法難」がもたらしたもの)

 

「慶長の法難」で日蓮宗を弾圧し、日遠上人の磔を命じて「駿府の法難」を引き起こした家康は自分の生命より大事な愛児・長福丸と鶴千代から母・お万の方の覚悟を訴えられ、これまでの自分の生涯を顧みて、このままでは徳川体制が続かないと考え込んだ。

 明くる日、慶長14年(1609年)5月12日、お万の方は「主君家康公を諌め、上人様をお救いすることをできない心残りを、最後の一筆、御法のために死ぬ操の明かし」を書き置きした。侍女から「書き置き」を知らされた家康は「身延日遠処刑の儀、仔細あって取り止めとする。早馬をもって刑場に急げ。遅れては一大事ぞ」と命令を発した。

 一方、死装束に身を固めた「お万の方」は刑場に着くや刑場の中に押し入り、「この度のこと、吾が君をお諌め申すこと度々、なれど力及ばず翻すことができませんでした。不甲斐なさをお許しください。いさぎよく、ここで自害して死出のお供をつかまつります」と日遠上人に伝え、懐刀を抜きはなったとき、あわただしい蹄の音「御上意なるぞ、その処刑とどまれ」と、家康の日遠上人磔刑取り止めの上意が寸前のところで届いた。

 この情景を『女心仏心―養珠院お万の方の生涯』の著者・戸田七郎氏は、次のように述べている。

 

 この不惜身命、鬼人も哭くお万の方の信行と、極刑に遭いな  がら露いささかの私情もなく、あくまで法を思い国を思う日遠  上人の心情は、お万の方や「宝子」「おつる」の願いも「天下  の政道、表向きのことは」として断固として耳を貸さなかった 家康をして「天下の政道、権力の根本」にはつと気付かしめた  のであります・・・・・・・・・・・・

 (家康は)権力の座に坐った為政者がおのれの権力を無上のも  のと信じ切って「人間の権力以上に尊く強いものがある」とい  うことを忘れていたことを家康は今やはっきりと思い知ったの であります。

 

 私はこの戸田論に接し目からウロコが落ちた思いがした。それは哲学者・柄谷行人が『憲法の無意識』(岩波新書)で論破した、「戦後憲法の先行形態は徳川体制にあり」を思い出したからだ。「慶長の法難」に続く「駿府の法難」という、政治と宗教の葛藤から「お万の方」が〝不惜身命〟で、「生命の大切さ」と「信仰の本質」について家康を諭したことなどから例証できると確信したからである。

 ここで家康の宗教観について簡単にふれておきたい。家康に限らず戦国の武将は、おのれの勝利を願って神仏に祈願した。家康は「厭離穢土、欣求浄土」を旗印として戦った。これは浄土宗に帰依していたことによろう。ただ家康は特定の宗派にこだわった宗教観はもたず、臨済宗や日蓮宗、そして天台宗などの高僧との交流も深く、寄進などの配慮も行っている。

 一方、家康は宗派の対立となる宗論や法論問答を嫌った。門徒一揆などが天下動乱になることを恐れたためである。宗派を対立させずに自分の政治勢力の拡大や安定に活用しようとする意図があった。ただ、日蓮宗に対しては強い団結力や非妥協性、国家諌言を建て前とするところが問題で、始末が悪く勢力を抑圧したいとする時期もあったといわれている。

「慶長の法難・駿府の法難」を経て、晩年の家康はお万の方の、「不惜身命」の報恩行為によって、幕府の権威の押しつけを反省するという「宗教観の退化」があったと戸田七郎氏は論じているが、卓見である。「宗教観の進化」ということは、人間観・人生観・政治観の進化ということになる。これらの進化が「お万の方」の信仰の源である「法華経」の信条によるものといえる。

 そこで「法華経の信条」とは何かこれが重要なポイントとなる。残念ながら私は「法華経」について、まったく無知である。戸田説を証明するためには「法華経信仰」の基本を知る必要がある。そのため、私は創価学会の元幹部の友人に、法華経を知るための適切な書物を教えてもらった。万書といわれる法華経の書物から、最新の注目されるものとして九州大学大学院理学研究科修士課程を修了して、仏教研究家として知られている植木雅俊氏の著書である。サンスクリット語の法華経原典を、初めて日本語に翻訳した人物だ。

  

(続く)

「日本一新運動」の原点―361

◇予備会員(会費切会員を含む)への配信は周回遅れで配信します。

  当ブログも同様に周回遅れで掲載しています。

 

              日本一新の会事務局

 

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            日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 横須賀市での市民集会に参加して!

 

 3月12日(日)午後2時半から横須賀市で「左右を超えた野党共闘で亡国政権交代へ」という呼びかけで市民集会が開かれた。私が、昨年12月に刊行した『野党協力の深層』(詩想社新書)を読んでいただいた、横須賀で市民運動で知られた一柳洋さんのご縁で企画され、約100名の市民が参加してくれた。

 集会の第1部が私の「政権交代、左右を超えた野党共闘を語る」というテーマの話。第2部は「市民と政党(国会議員)が野党共闘を語る」というシンポジウムであった。政党側から、共産党の畑野君枝衆議院議員、自由党の木戸口英司参議院議員が参加し、横須賀市を中心に市民運動団体の代表がパネリストとして議論した。ここでは私の話を要点を記載しておくが、詳細は会員のご協力で、動画(https://youtu.be/zpK3Ws4JWvw?t=5m29s)がアップされている由、それをご視聴願いたい。

 

(横須賀は鬼門だった)


 41年ぶりに横須賀に参上した。今年82才なので、丁度人生の半分折り返し点だった。昭和51年3月20日で、防衛大学校の卒業式に出席する前尾繁三郎衆議院議長の御伴だった。河野参議院議長や三木首相も出席していた。ロッキード事件で日本中が大騒ぎしていたときで、事態の収拾で両院議長と首相の極秘会談が防衛大学校長室で行われて、秘書役の私はメモを採る役で強烈な思い出の地です。

 ここは龍馬の妻・お竜の終焉の地で墓参に来たかったが、気が乗らないトラウマがあった。それを話すと今日の政治状況につながります。私は平成16年に参議院議員を引退しましたが、この時、自民党OB長老の後藤田・野中両氏から引退するなとしつこく言われた。理由と問うと「小泉首相が一番嫌いな政治家は平野貞夫だ。嫌らしい質問に困ったという話だ。小泉政治は日本を滅ぼすので、引退せず、小泉政治を糾弾しろ」とのこと。両長老の誘いには乗れなかったが、横須賀に行く気にはなれなかった。

 

(四野党の国会共闘ができなくて、選挙協力ができるはずはない!)

 

「森友問題」での野党の追及は生ぬるい。四野党が究明のため協議会を設置して戦略戦術や調査情報を共有して追求すれば、倒閣できる問題だ。衆参両院とも自民党と民進党の2党の国対委員長会談で重要なことが、談合で処理されている。共・自・社3野党は「カヤの外」だ。野党がバラバラで個人のスタンドプレーでは政権交代なんてとても無理。

 安倍首相から「印象操作の質問はやめろ」とか、「疑惑をいうなら事実を証明しろ」といわれて、野党側はシュンとしている。これは議員の審議権を妨害する言動だ。印象操作で首相や閣僚の責任を追及するのが、野党の国会議員の仕事だ。「疑惑を持たれた権力者自らが解明して責任を明らかにしろ」というのが、『政治倫理要項』の第4項にあることを、衆参国会議員のほとんどが知らないようだ。

 オリンピック対策とか、テロ対策と言って『共謀罪』という、平成の「治安維持法」が提出されそうだ。成立を絶対に阻止すべきだ。そんなことより「首相等と官僚の忖度・共謀罪」を制定すべきだ。政治権力が、行政権力を悪用した「権力の犯罪」が目立ちすぎる。これは「岸信介」が創出したノウハウだ。国会が放置しておくと軍事独裁国家となる。

 

(4野党共闘を成功させるためすべきこと)

 

1)国民の投票行動 45回総選挙で、比例票約2900万票を得た民主党は政権交代を成功させた。46・47回総選挙の比例票で民主党は2千万票を失い、政権から下りた。この2千万票は、自民・公明に移っていない。棄権票として投票率を著しく下げている。この票を野党選挙協力で4野党に戻せば政権交代は実現できる。国民は安倍政権の受け皿を待っている。

 

2)その選挙協力協議が進んでいない理由は民進党にある。支持団体の「連合」の原発推進の要求を拒否できないからです。それだけでなく、安倍政権が「集団的自衛権容認の解釈改憲」により9条を葬り、グローバル軍事資本主義を世界にリンクさせた歴史認識を民進党がせず、連合の軍事産業労組の呪縛から逃れることができないからだ。民進党がこれらのことを反省し、共・自・社と心ある市民連合と手を組まなければ国は滅びる。

 

〇 日本人と『憲法九条』 7

(「慶長の法難」の行方)

 

「慶長の法難」をわかりやすく言えば徳川家の菩提寺である「浄土宗」に法論を挑む「日蓮宗」に対して、徳川幕府が宗教弾圧を行った事件であった。その原因とは、日蓮宗側が浄土宗を「念仏無間」と批判したことに始まるといわれている。念仏信仰について「現実逃避であり誤っている」ということである。こう批判されると浄土宗にとっては、存立にかかわる問題である。大御所・家康を使ってでも対決しなければならない事情があった。

 日蓮宗に対する徳川幕府の弾圧に対して、敢然と起ちあがったのが、家康の側室・お万の方が尊崇する恩師・身延山第22世の「日遠上人」で稀代の名僧であった。上人は駿府に出向き、家康に「廓山」と法論の機会を願い上げすることを準備しているところに駿府奉行から久遠寺「折伏停止の誓書を差し出せ」との命令書が届く。

 日遠上人は、再び身延には帰らないと決意し、駿府寺町の宿所として活動を始める。まず、家康に書状を出し命令書の見直しを懇願する。家康は「念仏無間」という主張を続けると宗派の争いが絶えす、国家が落ち着かないので日蓮宗の折伏を禁じるのだ」と上人の願書を拒否した。上人はこの家康の命を受けないどころか「今一度、浄土宗との法論を願いたい。破れれば、日蓮宗こぞって浄土宗に服する」と、浄土宗との再度の対決を懇願した。

 激怒した家康は「法論の結果いづれの一宗に改宗となれば国中が大乱となる。いたづらに願い出るとは、謀叛人も同然」とし、慶長14年5月12日、五刻(午前8時)に安倍川畔で処刑すると命じる。日遠上人はもとより覚悟の上のことであり、お預けとなった感応寺で法華経に一命を捧げる冥加を思い読経三昧の日々を過ごすことになる。

 さて「お万の方」は、どのような状況であったか。慶長12年から、お万の方は駿府の城に家康とともに移り住み、二人の愛児・長福丸(後の紀州藩主頼宣)と鶴千代(後の水戸藩主頼房)とともに喜びの暮らしに入る。しかも近くの身延山久遠寺には法華経信仰の恩師がいたのだ。人生の至福を迎えた矢先に「慶長の法難」が起き、それは「駿府の法難」に転化していった。お万の方の心は千々に乱れ、迷いに迷い、生涯最大の危機となる。

 お万の方は、日遠上人を救うことが家康のため、我が子のためだけでなく国のためと覚悟を決める。その方法は身をもって家康に歎願することであった。お万の方が駿府城中奥の家康の居間で、家康に日遠上人を赦免するように諌めた様子を戸田七郎氏の著書から要約しておこう。

 

1)上様は常日頃、余は戦のために戦をするのではない。打ち続く戦国の世を治めて、民農民のために、この地上に泰平を呼び戻すためだと申していた。御仏の心を心とした言葉だ。

 

2)それが法華宗の僧侶の耳を切り鼻を削いだ上に、日遠上人を磔にしようとしている。昔、秦の始皇帝は天下を統一したとはいえ、多くの儒者を穴埋めにして万巻の書を焚き、某君の悪名を残した。わが国でも信長の延暦寺焼き討ち秀吉のキリシタン26人の磔殺は民の心を傷つけた。

 

3)この上、上様が日遠上人を磔にし、日蓮宗徒を虐待されても、決して身延の法燈は消えない。後世の人々は、上様を何と申しましょうか。上様のため惜しみます。

 

 このお万の方の真情に、家康は耳を傾けず日遠上人の処刑の日は近づいてくる。力も尽き果てたお万の方が、苦しみの中で処刑の前日に思いついたのは、このままでは天下(日本国)の統一も水に流れるとし、師の日遠上人とともに法華経のために我が命を捨てるほか道はないと覚悟を固めた。

「命を大切にする」という法華経の本旨を超えて、家康を諌めようということである。死出の装束を準備中のお万の方の居間に偶然、長福丸と鶴千代が御機嫌伺いにくる。そこで母の異常を知った2人の子にお万の方は、事の次第を話し「信心を怠らず、君に忠、民に仁を行い、世の鏡人の模範になれ」と別れの言葉を言う。2人は「このみ教えは決して忘れません」と健気に答えたもののそのままにはでき

なかった。深夜、父・家康の寝所に入り「母上様は明日安倍川原でお仕置きになる日遠上人にお供して、身を捨てる覚悟のようです」と訴えた。驚いたのは家康であった。      

(続く)

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   顧    問 : 戸田 邦司
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