「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―395

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観 (「議会民主主義を喪失した国会」が出現!)


 11月1日(水)第195回特別国会が始まった。9月28日の憲法53条に違反した解散にもとづいて、10月22日に行われた総選挙によって、憲法54条1項によって召集される国会である。この異常な政治に当事者の国会議員はもとより、憲法学者・マスコミ有識者から、何の異議も出ないとはどういうことか。

 解散後から特別国会召集日までの約一ヵ月の間に、政治家から出た発言で私が注目したのは次の1人であった。

 

1)志位共産党委員長 「この解散は憲法53条違反である」

   (しばしば、テレビ討論などで発言)

2)小沢自由党代表 「安倍首相は議会民主主義を否定した」 

 (岩手で選挙事務所の挨拶)

 

 この発想でわが国の異常政治を警告している政治家が2人しかいないことは、国家の危機、即ち「国難」としかいえない。 とはいうものの「議会民主主義を喪失した国会」が出現したことに、心ある人々が気づき始めたことを紹介したい。

 メルマガ393号で述べたように、超アナログ老人の私が総選挙中の10月15日から18日にかけて4件のツイッターを発信した。その内容は、憲法53条に違反した「審議なき冒頭解散」は、議会民主主義の原点である「少数者の権利」を抹殺したものだ、から始まって、安倍首相が党首討論で「冒頭解散の先例が3件あり問題ない」との発言を私が衆議院事務局の実務経験の立場から、「根本的に違う違憲解散」と証言したこと。さらに「神無月 立憲主義の声は消え」に至るまで、総選挙が終わって2週間過ぎてもインプレッションが増え続け11月4日午後6時現在35万人を超えた。多数の返信が寄せられており、ほとんどが怒りに溢れている。「憲法53条にそんなに重い意味があったのか」とか、「安倍首相の偽つき発言を、何故、野党は究明して追求しないのか」とか、「憲法学者やマスコミは、気がつかないのか」等々の返信が多い。11月になって、国際的な拡がりが始まっている。

 

(「議会民主主義を否定」する安倍首相の言動は続く!)

 

 こうして始まった「議会民主主義を喪失した第195回特別国会」で、あろうことか最初に出た問題が「野党の国会での発言時間を削減する」と、政権与党自民党から信じられない話。ことの起こりは総選挙の議席圧勝に気をよくした安倍首相が「民意は、自民党に議席に応じて発言して欲しいということだ。野党の発言時間を削減することを検討して欲しい」と、萩生田幹事長代理に指示したからだ。

 この問題は「憲法53条に違反の審議なき冒頭解散」に勝るとも劣らない重大問題だ。議会政治の原点中の原点である「少数者の発言権」の否定につながることである。こんな政治感覚だから、「審議なき冒頭解散」についても、反省はもとよりなく、正当なことだと妄信しているのだ。問題は自民党内に、この反デモクラチストを説得する人材がいないことだ。それどころか二階幹事長に至っては本気で安倍首相の指示を実現するようだ。こうなると、

先に小沢自由党代表が総選挙中に発言した見解を修正しなければならない。議会民主主義を否定するのは安倍首相だけではなく、「自民党」そのものだということになる。

 さらに深刻な問題がある。これに対する野党各党の対応だ。森山自民党国対委員長が、与野党国対委員長会談で「野党の発言時間の削減」を検討したいと提案したとき、各野党がこぞって反対の意向を示した。これは当然のことだが、問題はその理由である。各野党とも、与党より野党に発言時間が多いことを「国会の慣行」だから反対するということだ。

 野党の幹部がこの程度の議会政治の認識だから、9月28日の「審議なき冒頭解散」が憲法53条違憲の意味を理解できないのだ。議会民主政治における「少数者の権利」について明確な認識をもつ国会議員がほとんどいないことを証明したことになる。

 議会先進国では、与党とか野党の区別はともかく、政府行政権が行うことについて異論がある場合、少数意見を持つ者の発言を保証してこそ多数決に正当性が発生する、という理念が貫かれているのだ。これが議会民主政治なのだ。

 野党の発言時間が与党より多い根拠を「国会の慣行」という認識は、議会民主政治原理に無知・無関心であることが原因である。そもそも行政権を持つ与党は、自己の権勢欲を実現するため、常に憲法の制約を破ろうとする本能を持っている。私が衆議院事務局にいた33年間を振り返ると、「自民党は憲法に違反することが好きな政党」であった。そこで司法権が憲法判断から逃げる状況の中で、私たちは憲法をめぐって自民党との闘いといえる苦悩

を続けてきたのだ。

 当時は自社55年体制といわれる談合政治であったが、こと憲法の原理については野党も必死に対応した。21世紀になって、自民党が憲法運用に問題が多くなったことについて、野党側の責任も私は指摘したい。野党指導者たちの見識が法文の技術的解釈に専念し、基本理念を学ばなくなったからだと思う。9月28日の「審議なき冒頭解散」以降、わが国の国会状況を見るに、末恐ろしくなる毎日である。

 

(「議会民主主義を喪失した国会」を蘇生することができるか)

 

 議会民主主義を喪失したままの国会を続けることはできない。形だけの国会は国民の眼力からすればすぐわかるだろう。国会の機能に正当性がなくなるからだ。このままだと国民の政治不信が暴発するか、無気力な塊となって、「いつか来た道」の全体主義国家になるかだ。早急な修復による蘇生が必要である。

 では、どうすればよいのか?。本来なら大島衆議院議長がこの問題の深刻さに気づくべきだが、その気配はない。そこで野党第一党の立憲民主党に問題を提起する責任があると思う。その手順として参考までに述べておきたい。

 

1)立憲民主党として今回の解散が先例となれば、憲法53条による野党の臨時国会召集要求権は空文化することを確認すること。

2)野党各党とはかり今回の解散で憲法53条が「解釈改憲」されたという認識を共有する。

3)大島議長に問題点と対応を伝え、議院運営委員会に憲法学者や専門家を招聘して意見を聴取し、衆議院としての対応を決める。

4)国会法等で解散権の乱用を規制する方策を検討する。等々

 

 総選挙後、憲法改正への動きがあわただしくなった。現憲法の統治原理を破壊しておいて何が「憲法改正」か。「議会民主主義を喪失した国会」を修復し、蘇生させる責任は、「立憲」を党名の頭とした「立憲民主党」にある。

 

(本当に自民党の圧勝であったのか!)


 数日前、友人から「自民党は楽勝したわけではない。あれだけ野党が足の引っ張り合いをやるという環境で必至になって頑張り、ようやく小選挙区で当選した、という自民党議員が相当いて安倍首相の政治運営に強い不満をもっている。これからの自民党内は簡単ではない」との情報があった。

 念のためにと思い、確定した総選挙の各候補者の得票数を調査してみた。驚いたことに小選挙区で自民党が当選したところで、次点の野党との差が一万票以下の選挙区が44あった。一万五千票以下となると50という数字である。これらの数字は野党協力があればむろんのこと、なくても逆転可能な数字である。友人の話のように、自民党の当事者にとっては、次期総選挙の悪夢を見た思いであろう。

 確かに「希望の党騒動」には問題があったが、多くの有権者は「安倍政治を変えよう」との意向をもっている。今回の総選挙が「勝負に勝って、試合に負けた」面がある。野党の中には「単独政権を目指す」と主張するところもあるが、社会の多様性が進むなか、それは不可能なこと。冷静に分析し、健全な野党協力を再編し、議会民主主義の修復と、戦争ができる国家に進む安倍政治にストップをかけて欲しい。

 

(川内博史衆議院議員を囲む会にて)

 11月6日(月)、木村朗鹿児島大学教授の声がけで5年ぶりに見事に国会に復帰した川内氏と品川プリンスホテルで懇談した。鳩山元首相の側近、鹿児島一区で立憲民主党から見事に当選し、これからの野党協力のキーマンとなる人物だ。鹿児島一区の共産党を中心の野党協力の話を聞いたが、非常に参考になった。

 トランプ大統領の来日で都内は戒厳令下の状況のなかで、木村朗教授が編著の『中国・北朝鮮脅威論を超えて』―東アジアの不戦共同の構築―(耕文社)をいただいた。本の帯に「圧力ではなく対話の東アジアへ」とあった。

             (「国会つれづれ」は休みました)

「日本一新運動」の原点―394

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観

 混迷の第48回総選挙の直後、永田町に旋風が吹き荒れている10月25日(水)の夕刻、麻布の「東京さぬき倶楽部」で〝変わった〟というより大事な会合が開かれた。直接「時局」とは関係ないが、戦後の日本にこんな時代があったことを知ってもらいたい。

 

(中国大使館 沈建国参事官歓送会にて)

 日本で2年半の大使館勤務を終えて、交友のあった人たちが開いた会合だ。呼びかけ人は、村山首相談話の会の藤田理事長で、ほとんど中国大使館と付き合いのない私だったが、懇請されて顔を出した。出席者は香山リカ立教大教授、岡本厚岩波書店代表取締役社長、鳥越俊太郎、高野孟、植草一秀氏ら30名程であった。

 藤田理事長の開会挨拶、来賓の挨拶と左派らしい理屈っぽい話が続き、沈参事官が返礼の挨拶を終えたところで突然、私に乾杯を兼ねて何か中国に注文をつけろと藤田理事長から指名があった。驚いたが、たまたま機会があれば40年前にある中国の要人からの手紙を沈参事官にそっと手渡そうと思っていたのでそれをタネにして挨拶をする羽目になる。

 

○平野 藤田理事長のご指示には逆らえませんので乾杯の音頭をとらせていただきます。その前に、先ほど藤田さんの挨拶の中で、沈参事官の生まれた年を1978年といわれたと聞きましたが、確認したいと思います。

 確認できましたので皆さんにお聞きしますが1978年という年はどんなことがあったかご存じでしょうか。(声なし)実はこの年の10月に「日中友好平和条約」が発効しています。沈さんが生まれた年ですから、日中友好のためにこの世に現れたといえます。それから6ヵ月して、昭和54年4月に中国の議会の役割をしている「全国人民代表大会」の議員団が、衆参両院の招待で来日しました。団長は周恩来未亡人の鄧穎超副委員長で、30人の議員で構成されていました。当時、私は衆議院事務局委員部の課長補佐で、全人代一行の日本主要都市への友好訪問の案内役を勤めました。大阪の案内が最終日となり鄧穎超団長主催の事務局職員慰労会を開いてくれました。そこで鄧穎超団長から私に話されたことが大変面白いもので、要点を紹介すると、

 

○鄧団長 ・・・・・(通訳が通訳しない。鄧団長、注意して催促する)

○通 訳 貴方に大変失礼な話なので・・・・・。

○平 野 気にしませんから通訳してください。

○鄧団長 日本に一週間いて貴方の顔や態度を見て、きっと両親か父か母が中国人だと思いますが、如何ですか。

○平 野 私は高知県生まれで日本人です。父は他界しましたが、母は鄧団長と同じ歳で健在です。

○鄧団長 いやどう考えても貴方には中国人の血が流れています。貴方の仕草は中国人です。

○平 野 2千年ぐらい前なら私の両親は間違いなく中国人だったと思います。

○鄧団長 日本人にしては面白いことをいいますね。その発想が大事です。(この後、「全人代」を近代議会制を参考にして改革したいとの意向があった)

○平 野 全人代議員団が帰国直後の4月26日の日付で、鄭重な手紙を頂きました。私は単なる礼状だと思って、中国語を知りませんので、40年間放置していました。よく考えますと40年昔の日中関係の雰囲気を知るために何かの資料になるかと思いまして、沈参事官に手渡すつもりでコピーを持参しました。お受け取りください。

○沈参事官 ただ今拝見しましたところ、これは外交文書的性格があります。40年前の日中関係の様子がよくわかる貴重な資料です。

との説明があり乾杯となった。参加者一同は喜んで盛り上がった。

 

(毛沢東主席の『矛盾論・実践論』について)

 もうひとつ興味ある話だが、沈参事官と鳥越俊太郎氏と私が隣り合っていて懇談の中でのこと。久しぶりの鳥越氏との歓談の中で、昭和30年代の学生時代の話となった。

 

○鳥越 80歳を過ぎたとは思えない。学生時代のことで何が一番ためになったか。

○平野 原水爆禁止運動でレーニン平和賞をもらった安井郁教授のゼミで2年間、毛沢東の『矛盾論・実践論』を学んだことだ。時々安井宅で東大時代の教え子と一緒に読書会を開いたが、当時、進歩的文化人の中に入っていた三島由紀夫さんがいた。

○鳥越 驚いた。『矛盾論・実践論』とはね。

○平野 衆議院事務局の仕事で役に立ったよ。与野党の対立闘争を解決するのに、矛盾の主要な側面を見つけて正常化のシナリオをつくるなど、いろいろと役に立った。ところで沈さんいま中国で『矛盾論・実践論』はどう位置づけられていますか。

○沈 日本で貴方たちの世代が『矛盾論・実践論』を学んで国会運営などで活用していたとは知りませんでした。重要な話ですよ。実はいま、中国では新しい動きとして毛主席理論の再活用という指導が行われています。その中で『矛盾論・実践論』が中心です。

○平野 戦後の日本では、革新派が西欧の社会主義や共産主義の方法論で政治を行いました。保守良識派の多くの愛読書のひとつが『矛盾論・実践論』でしたよ。

○沈 参考となる話を聞きました。

 

〇 国会つれづれ  17

 9月28日発信のメルマガ389号から5回にわたって休んでいましたが、再開します。

 

(「黒い霧解散」余談)

「国会つれづれ16」で説明したとおり、昭和41年11月30日に召集された第53回臨時国会は、自民党政権下で多くの疑惑事件が発覚し、第一次佐藤内閣は野党の解散要求に追い込められる。衆議院の野党側は議長・副議長を使って佐藤首相に解散を明言させようとする。その中で佐藤首相は「解散権は内閣にある。国会は文句をいうな」ということで臨時国会が終わった次の日に自民党両院議員総会で、佐藤首相が次の常会冒頭に解散を示唆するわけです。典型的な「話合い解散」といえる。

 今回の「審議なき冒頭解散」について安倍首相は「三件の先例があり、問題はない」と、テレビ朝日の党首討論で正当化した。黒い霧解散といわれる昭和41年12月27日の常会召集日冒頭解散は、三件の内のひとつだ。これは前述したとおりの「話合い解散」で、憲法53条の「少数者の権利」を侵害して、議会民主政治を安倍首相が抹殺したこととは異なる。

 安倍首相のテレビ朝日での虚言に反論するため前号のメルマガ393号で紹介したが、10月16日に発信した私のツイッターのインプレッションは、総選挙が終わって一週間過ぎても増え続け、29日午後10時現在で約32万9千通となった。憲法学者からの解散違憲論はこれまで全くない。

 一方、報道によれば、安倍首相はこれからの国会運営について、「国会の発言時間を各派割りとし、与党の発言時間を多く、野党の発言時間を縮小することを検討せよ」と、萩生田幹事長代行に指示したとのこと。

 議会政治とは「少数派の発言を保証する」ことが基本中の基本であることを知らないようだ。総選挙での議席数での圧勝に気をよくして、「自民党を支持した人たちは、国会での自民党議員の発言を待っている」とも語っているとのこと。「少数者の権利」を抹殺して憲法五十三条に違反した憲法犯罪を憲法学者らが黙認するからこのような流れになるのだ。私が危惧した「アベ・ナチノミクス」が活動し始めたといえる。

「国会つれづれ」が、つい「時局妙観」の話になってしまった。話を戻そう。

 昭和41年12月17日の常会召集日冒頭解散で園田副議長は当然に衆議院議員の職を失うことになる。私も一年間にわたる副議長職を辞めることになる。解散となり、園田副議長が副議長室に戻り、私の手を握り「本当によく尽くしてくれた」と礼を言われた直後佐藤首相秘書官から「総理から官邸に来て欲しい」との電話があった。「最後の仕事と思って、同行してくれ」といわれ一緒に官邸に行った。

 首相室に入り10分くらいして出てきた園田前副議長は上機嫌で「佐藤総理から、世話になったと特別な言葉をもらった。君にも頑張ってもらった・・・」と涙ぐんだ顔で話しかけられた。 二人で記者たちで溢れる廊下を歩いていると園田さんの内ポケットから祝儀袋が見えている。多分、佐藤首相からもらったものだろう。「内ポケットに気をつけてください」と小声で伝えると、一瞬緊張した園田さんは人目につかないようにして、「預かっておいてくれ」と、私に祝儀袋を手渡した。感じでは、300万円ぐらいの現金が入っていた、と思う。        

(続く)

「日本一新運動」の原点―393

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観 (第48回衆議院総選挙を顧みて!)

 

 わが国の憲政史でも違憲、かつ異常事態といえる衆議院の「安倍ファースト解散」が断行されたのが9月28日。10月22日の総選挙の結果は、前回にも増して自民党の圧勝となった。一時は「小池・希望の党ブーム」で政権交代が実現するかに見えたが、野党第一党として責任ある「民進党」が三つに分解した。

 その結果、野党間の足の引っ張り合いで、政権の受け皿が消えたことが自民党圧勝の原因といえる。 日本では安倍政権にも野党側にも、近代国家として議会政治を理解しておらず、定着していないと思えることがこの総選挙でも出た。分析する詳細なデータが出ていないものの、持ち合わせの情報で反省をこめて説明しておこう。

 

1)四野党協力が崩壊した原因を考える

 

 9月16日から18日の三連休で、安倍首相が「9月28日に野党要求の臨時会を召集し召集日に冒頭解散、10月10日公示、22日の総選挙を決断した」と報道が連休明けに流れ、政局は一気に解散モードとなった。慌てた民進・共産・自由・社民の四野党は、選挙協力の組み方について協議を始めた。

 それまでの四野党の協議は、戦略的協議はなく民進党と共産党の間で非公式に、小選挙区の取引といえるような調整が窓口と言われる幹部間で行われていた。情報によると8月末ごろにはおよそ120~150の小選挙区で見通しがつき、共産党が絶対に譲れない16重要区を中心に時間をかけて詰め、その上で自由党や社民党に〝お零れを〟という調子だった。

 具体的に小選挙区を調整することも大事なことだが、私が各地で「市民連合」の人たちに話したのは「現職議員の生き残りを取引するようでは政権交代はできない。まず戦略的枠組みを堅めよ。「民進・自由・社民」で比例区をオリーブ型で統一名簿にし小選挙区では三党と共産党での協議機関を発足すべし。さらに、選挙協力のため基本政策構想をつくることだ」ということであった。

特に指摘したのは「選挙協力合意が〝安保法制破棄し安倍政権打倒〟だから、破棄した安保法制の代わりにどんな安全保障体制とするか、具体的政策でなくても方向性のような考え方を提示すべきだ」と話したが届かなかった。四野党の幹部が緊急事態になって、小沢代表がかねてから提唱していた民進・自由・社民の三党による比例区オリーブ型だった。

 これが不調になったのは社民党の一議員の反対であった。理由は「前原民進党代表の安保政策を許せない」ということ。次に出た構想が、民進党と自由党が合流するという「第二次民由合併」だ。狙いは小沢自由党代表が民進党に入り共産党との間で残っている小選挙区調整を信頼関係で解決し、民進党の重鎮として政権交代のために国民に安心感をもたせるということであった。民進党の若手やベテランも歓迎し、9月20日の松木けんこう議員のパーティーでは前原代表も出席してその方向で盛り上がっていた。

 ところが、その構想を民進党の「小沢アレルギー派」が潰すことになる。この時点で小沢代表は「野党第一党の前原民進党代表が野党協力体制を呼びかけてつくるべきだ。それに協力する」と語っていた。問題はその時期に結党した「希望の党」の存在であった。小池都知事側近の若狭勝氏と民進党を離党して小池新党に政治生命を託した細野豪志氏の二人が、結成したばかりの政党の選挙への対応にもたつく中小池都知事が突如代表に就任し、若狭・

細野両氏の方針をリセットすると発言。さらに「安倍一強政治を打倒」との方針を示し、野党としての方向を明らかにした。

 この動きの裏側で何があったのか。前原代表は高津連合会長に次のように語っている。

 

 前原氏は「小池さんとの話で選挙区調整は意味がない。一緒にならないとダメだとなった。民進党単独では支持率良くても8%。離党者が続きジリ貧だ。座して死を待つのではなく〝身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ〟と」(サンデー毎日)。この前原代表の決断を評価した神津会長は「安倍一強政治の受け皿」を一本化するため協力することになる。そして九月二十六日の「前原・小池・高津」会談で、民進党を希望の党に合流させる合意がなる。

 神津会長は、この構想を応援する条件として、民進党の理念と政策を引き継ぐことを伝えている。さらに、小沢代表が前原構想に関わっていたかどうかについて、「このことで小沢さんとは会っていません。オリーブの木構想を持っていた小沢さんが、連合が前向きでないと誤解していたことで説明したことはあります」と語っている。財界筋から小池希望の党代表に「民進党との合流の協議には、小沢を遠ざけておけ」との話があり、それを受けて前原代表は、ある時期から小沢代表との連絡を一切断っていたのが事実である。

 衆議院が解散となり民進党両院議員総会が開かれ、前原代表から小池希望の党との合意が提案された。民進党を希望の党に合流させて総選挙に臨むという想定外のものだ。この合意には文書がなく口約束のものであったが、若干の質問が出たものの全員拍手で了承された。野党第一党を事実上解党する話がいとも簡単に承認されたことに私は危惧と嫌な予感を感じた。

 翌日から小池代表の「排除と踏み絵」の発言と作業が始まる。憲法問題や安保政策については、当初自民党と同質であったが、その後政策公約では民進党の方針に変わるなど混乱が続く。結局、排除対象者とマスコミが希望を〝失望〟に叩き落としたため、希望の党排除者の一部が、枝野(民進党代表代行)氏を中心に「立憲民主党」を結成することになる。民進党は、希望組・立憲民主組・無所属組に三分裂し、野党協力は夢のまた夢と化した。

 小池希望の党代表の「傲慢な言動」、前原民進党代表の「大人の常識不足」が、自民党圧勝の主たる原因である。しかし選挙戦となり、野党間の足の引っ張り合いは見苦しく「安倍一強政治を変えろ」という、国民の70%の熱望を実現できなかったことは、全野党の責任である。政権交代のための野党協力は、これからも重大な政治課題だ。開票日の深夜のテレビで枝野立憲民主党代表が「私たちは護憲ではない。日米安保体制は強化する」と発言し、

共産党に距離を置く発言をしていたが、本当のリベラルなのか、急激な立憲民主党結成の検証が必要だ。

 

2)日本の憲法学者は「議会民主政治」の原理を理解しているのか?。

 

 憲法53条の「少数者の権利」を保証した臨時会の召集・活動権を抹殺して、冒頭解散したことに対し、私はこのメルマガだけではなく、テレビ・ラジオ・政治専門誌などで機会ある度に抗議してきた。これに対して憲法学者はじめマスコミ有識者からは、安倍政権に〝忖度〟したのか、何の発言も聞こえてこない。

 今回の事態を放置しておけば、国会運営の先例となり、多数派が少数派を死滅させることができる重大な問題となる。特別国会を待たず、議会政治の根本原理「少数者の権利」のあり方について国民的議論を期待する。

 この総選挙中、私は四回にわたりツイッターでこの問題を提起したところ、総計で約31万人からインプレッションを受けた。理屈っぽい内容にこれだけの反応があることを知って驚いた。以下、その詳細である。

 

(第1回)10月15日発信(83、814通)

 審議なき冒頭解散は、憲法53条が規定する「少数者の権利」を抹殺する解釈改憲によるクーデターである。総選挙後、自公政権が続けば国民がこれを正当化することになる。「少数者の権利」は政権交代の原点であり議会民主政治の生命だ。総選挙が事実上憲法改正国民投票だ。国会を死滅させてはならない。

 

(第2回)10月16日発信(200、363通)

「安倍首相は党首討論で「冒頭解散は三件先例あり、問題なし」と正当化。衆議院事務局で直接関わってきた私が言う。54回常会は話合い解散。105回臨時会は自民党多数派の要求。107臨時会は衆議院選挙制度実施のための野党要求の話合い解散。今回は「森友・加計隠し」の違憲解散。根本的に違う。

 

(第3回)10月17日発信(15、655通)

「少数者の権利」は、多数派の正当化など議会政治存立の基本として憲法が保障。発言権・表決権・特別多数決などだ。この源が憲法53条であり、臨時会の召集手続だけの解散権など許していない。フランスなら憲法院が「総選挙の無効差し止め」とするだろう。立憲主義を叫ぶ憲法学者の見解や如何に。

 

(第4回)10月18日発信(12、690通)

(今治で街頭演説を終えて、暫し休息中に俳句が出る)ツイッターで発信。

 

           神無月 加計隠しの 総選挙

           神無月 立憲主義の 声は消え

 

             (「国会つれづれ」は休みました)

「日本一新運動」の原点―392

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観

 (安倍内閣の解散権の乱用は憲法53条違反であり、

国会を破滅させる行為だ!)

 

 メルマガ391号(前回号)の『緊急提言』について詳論しておきたい。小西洋之参議院議員(民進党)は、9月28日の審議なき冒頭解散について「党利党略による解散権の乱用である」と、3種類の質問主意書を提出した。それに対して、安倍内閣は10月6日答弁書を閣議決定した。その要旨は次の通りである。

 

1)衆議院解散をいかなる場合に行うかは、内閣が政治責任で決すべきものだ。

2)憲法7条は、内閣の助言と承認に基づく天皇の国事行為として衆議院の解散を挙げている。それは実質的に衆議院の解散を決定する権限を有するのは内閣であり憲法上の制約はない。

3)内閣が国政上の重大な局面等において主権者たる国民の意志を確かめる必要がある場合に、国民に訴えて判定を求める。

 

1)憲法7条解散の問題点

 この安倍内閣の答弁書は、憲法7条の解散の手続の運用を乱用して「実質的に衆議院の解散権を決定する権限を有するのは内閣であり、憲法上の制約はない」と開き直っている。

「所謂7条解散」は、憲法先例となっており、一般論として違憲でないことは私も承知している。だからといって何時でも、どんな情況でも、「憲法上の制約はない」という性格のものではない。

「7条解散」は不幸な歴史があり、それを超えて確立した憲法先例である。私は衆議院事務局に勤務して33年間で、11回解散の現場にいた。その中で昭和41年12月、同47年12月、同54年9月、同55年5月、同58年11月、同61年6月、平成2年1月の7回の解散は、実際の解散の事務を行った。この中で数回は、憲法運営上如何かと思われるシナリオを当時の自民党政権から強要されたが、歯を食い縛って抵抗し、違憲と指摘されることがないように努力した。その際留意したことは「7条解散」が、どういう経緯で憲法先例となったか、という問題であった。

 

「7条解散」を先例化したのは昭和27年8月26日に召集した第14回常会であった。(当時の国会法は、議員の任期満了との関係でこの時期に常会招集が可能であった)当時の政局は、日本が独立し追放解除など旧政党人の政界復帰により、早期解散の要望が高まり、内閣の解散権をめぐり国会、学会等で解散権論争が盛んに行われていた。新憲法下では、占領下は占領軍の指導で、「憲法69条の場合のみの解散」が行われていた。

 国会両院法規委員会は、同年6月17日に解散権問題について次のように両院議長に勧告していた。                     (両院法規委員会会議録11号)

 

『衆議院の解散制度に関する勧告』

「憲法解釈としては衆議院の解散は第69条の場合に限らないと解すべきである。但し、内閣がみだりに解散権を濫用しないよう、例えば衆議院が解散決議を成立させた場合に、内閣がそれを尊重して、第7条による解散の助言と承認を行うというふうな慣例を樹立し、運用上において規制を加えるべきである」

 

吉田内閣は講和独立後の諸制度整備を行っていたが、戦前への「逆コース派」と「民主政治推進派」の混乱の中で、政権与党の自由党も、鳩山一郎や岸信介の影響を受けて混迷していた。

 第14回国会召集日には衆議院議長が交代し、大野伴睦が就任した。3日目の8月28日、大野議長が那須で静養中の昭和天皇に就任挨拶に参上した日、緊急閣議で突然衆議院の解散を決定、大野議長に通告し解散となった。これが悪名高い「抜打ち解散」だ。憲法7条のみによる解散で、解散論争が再燃した。

 総選挙は10月1日に行われ、同月4日苫米地義三(落選した改進党所属)が、第14回国会の抜打ち解散は憲法違反であり、無効であると最高裁に提訴した。経過は次のとおり。

 

1)昭和28・4・15 最高裁は違憲審査を固有の権限とする憲法裁判所たる性格をもつものでなく、不適法な訴えとして却下。

2)苫米地氏は、改めて衆議院議員資格確認並びに歳費請求事件として、東京地裁提訴。(昭和28・10・19 東京地裁は本件衆議院解散は憲法7条違反とし、「無効の解散」と判決。吉田内閣は控訴。昭和29・9・22 東京地裁は本件衆議院の解散について原審判決を取消し、解散は有効と判決)

 この「抜打ち解散」は吉田首相の意向を受けて保利茂官房長官が構想したものであった。衆議院議長を3日間で辞めることになった大野議長は、保利官房長官を「忠臣蔵の敵役・定九郎」だと激しく非難して話題となった。それから26年の歳月が流れ、昭和52年12月に保利氏は衆議院議長に就任する。その時、私は衆議院事務局で議院運営委員会を担当していた。保利議長が就任の際、事務局に指示したのが「7条解散の乱用を許さない」という議長見解であった。当時の岸本議長秘書の相談相手となったことを記憶している。この保利議長の強い意志を受けたのが福田赳夫首相であった。昭和五十三年九月三十日の参議院本会議で、次のように発言している。

「解散権の行使、これは本当に厳正・厳粛な立場においてこれを行うべきでありまして、これを党利党略のために使うとか、ましてや派利派略のためにこれを行使するというが如きは、これは断じて排していかねばならぬ、このように考えています。」

 

2)憲法違反の解散権乱用についての記者説明会報告

 10月13日(金)午前11時から参議院会館会議室で、小西参議院議員と、私の呼びかけによる「憲法違反の解散権乱用についての記者説明会」を開いた。まず平野が呼びかけの理由と情況について説明し、次いで小西議員が内閣への質問主意書提出の理由と答弁書の問題点について説明。最後に参加者からの質問・意見交換を行った。

 

1)平野の説明会呼び掛け理由と状況説明 6月末に4野党が「森友・加計問題の真相究明」を求めて憲法53条による臨時国会召集要求を、安倍内閣は3ヵ月以上放置していた。9月中旬、突然、9月28日に召集して冒頭衆議院解散する政府筋の情報が流れた。審議することもなく冒頭解散となれば、議会民主政治の存立条件である「少数者の権利」が抹殺され

ることになります。私は雑誌やネットテレビなどの機会があるため、日本の民主政治の危機と警告を発してきました。 9月28日、予想通り衆議院本会議で議席指定後、解散となり

ました。小池都知事の「希望の党」の混乱と民進党の分裂という大騒ぎの中で、野党協力は崩壊した結果、政権交代は絶望となったのです。私はこういった政局問題を採りあげるつもりはありません。33年間、衆議院事務局で「異常な解散」の事務を扱ってきた私にとっては看過できない「議会政治の崩壊」を皆さんに訴えたかったからです。幸いなことに、小西参議院議員が奇蹟的に安倍内閣に「違憲の解散権」の質問主意書を提出してくれ「内閣の解散権を憲法上制約する規定はない」との答弁を引き出してくれました。

 憲法53条は議員の4分の1の少数者の権利を明記しており、この答弁書自体が違憲です。また、10月11日のテレビ朝日の「報道ステーション」で安倍首相は「議員要求の臨時国会で2回、常会で1回冒頭解散の先例がある」と発言して正当化しました。実はこの内2件について、私は事務局担当者として直接関わっています。「中曽根死んだふり解散」、参議院自民党有志の要求で53条の乱用です。他の2件は与野党の「話し合い解散」でした。

安倍首相の発言は「自己正当化の虚言」です。野党はこれに反論できない不勉強が問題です。今回の冒頭解散が先例となれば「少数者の権利」が日本では抹殺される重大問題です。

 

2)小西参議院議員の説明 小西議員が内閣に提出した質問主意書は、「法の支配と解散権

の制約に関する件」、「臨時国会を9月28日まで召集しなかったこと及びその同日の解散が憲法違反である件」、「国難突破解散における私利私欲又は党利党略の有無に関する件」の3種類であった。それぞれの質問主意書と答弁書の要点を説明した。

 答弁書が憲法の理念を放棄したことを強く批判し、正常な議会民主政治が期待できないとして、総選挙後に「解散権の乱用による憲法に規定されている〝少数者の権利〟の侵害」について、憲法訴訟を行う予定であるとの方針を述べた。

 なお、この記者説明会には20名の関係者とテレビ朝日の取材がありました。

(「国会つれづれ」は休みました)

「日本一新運動」の原点―391

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観

 

 10月10日(火)、第48回衆議院総選挙が公示となり政権交代か安倍退陣をめぐる闘いが始まった。 実は9月に入って「月刊タイムス社」から論説を依頼され9月27日締切で「揺らぐ安倍一強体制―どうなる政治の行方」とのテーマであった。激動する政局の中で、締切日に脱稿した。

 題名を『国難』をつくった三つの大罪として10月13日発売の『月刊タイムス』11月号に掲載されている。以下、要約したものを紹介する。

 

『安倍首相の三つ大罪』

 

 平成24年12月に奇蹟的復活で、第二次安倍自公政権を成立させて、まもなく5年目になる。国の内外が激動するなか、安倍首相は人類に三つの大罪を犯したと私は断言する。

 

(第一)国会抹殺の大罪

 

 第194回臨時国会は憲法53条に基づく四野党の「臨時国会召集要求権」によるもの。6月に提出した要求書を3ヶ月も放置し、要求書の理由は「森友・加計問題の真相究明」であった。この要求理由も満たすことなく、まったくの審議なしで衆議院を解散したことは、議会民主政治が成り立つ基本条件である「少数者の権利」を否定するものだ。憲法53条は「少数者の要求によって、国会を活動させる」少数者の権利を明記している。

 これらの文明・民主制を発展させた原点である「少数者の権利」の抹殺は、人類の普遍的原理の死滅である。安倍首相の行為は、衆議院解散の悪例として「先例」となる。となれば日本国議会政治は機能不能となる。安倍首相大罪の第一である。

 

(第二)新軍事資本主義を地球にリンクさせた大罪

 

 21世紀になって世界史的に大変化したことが二つあった。ひとつは2001年9月11日の「米国同時多発テロ事件」である。これまでの「戦争の形態」を変えてしまった。テロ集団とか軍事企業とかが、国家とからみながら戦争の主体の一部となった。 もう一つの変化は、2008年秋の「リーマン・ショック」である。20世紀末から米国の実体経済が不調となり、「マネーゲーム」による経済成長が主流となった。その限界と弊害が暴発し、金融資本主義の存立の問題となった。これは「資本主義形態」の変化といえる。この「戦争の形態」と「資本主義の形態」の変化から生まれたのが、ミリタリーゲームによる「新軍事資本主義」といえる。近時の中東紛争・戦争の実体を観察すればわかろう。

 

「北朝鮮危機」はもっとわかりやすい。4月末、米国の北朝鮮を威嚇するためのシリア攻撃から、北朝鮮のミサイル発射実験や核実験などで世界中を緊張させている。安倍政権は迎撃用として、「イージス・システム」を米国から購入する方針を決めた。トランプ大統領は米国の経済成長に役立つと小躍りしている。

 先の国連総会のトランプ大統領の演説は北朝鮮への「宣戦布告」に類する内容であった。安倍首相の演説もそれに同調するもので、総会の基調が「対話」であるため、両者の主張の孤立が目立っていた。さんざん緊張を煽ったうえで、日本では衆議院解散という政治空白を安倍首相はつくった。

 実はこの「ミリタリーゲーム」が、何時、紛争や戦争に転換するかわからない。そうなれば文明の崩壊であり、人類危機の時代が到来したといえる。わが国は敗戦・占領・独立そして米ソ冷戦の中、日米安保体制を国政の基本としてきた。それでも憲法9条の戦争放棄については程度の差はあれ保守も革新も遵守してきた。激動の国際情勢の中でも長期政権を担当した保守政権は9条改正再軍備論や米国からの要求に応じなかったのは「集団的自衛権の容認」による自衛隊の海外派遣であった。

 経済問題だけではなく、安全保障でも日本が過度に対米従属するようになったのは小泉政権からである。第二次安倍政権に至っては防衛問題では完全に米国の支配下に入った。ミリタリーゲームが目立つようになる時期を重なることに注目したい。

 平成26年、安倍首相は内外の批判を排除し、憲法9条の解釈改憲を閣議決定で強行した。「日米安保体制」の下で、国是としてきた「集団的自衛権の行使は憲法上できない」という方針を変えて、自衛隊を海外派遣できることになる。歴代内閣法制局長官や、最高裁判事を歴任した有識者たちが猛反対する中、安倍首相が解釈改憲を断行した背景に、世界史を変える事情があることを見抜くことが必要だ。それは「ミリタリーゲーム」が世界中で活発化するなかで、その動きを妨害する壁があった。国内外の軍事関連マフィアたちは、その壁に穴を開けることに挑戦することになる。その壁とは日本国憲法第九条であった。

 日本国内の有力なマスメディアの中には自己の経営維持のため「ミリタリーゲーム」を歓迎して、内外の軍事関連企業と協力して「安倍一強体制」をつくりあげたのである。これにより、ミリタリーゲームによる「新軍事資本主義」が地球をリンクすることになった。この動きの中で「北朝鮮危機は一段と緊張を高めていったことに説明の要はなかろう。安倍首相による憲法9条の解釈改憲から始まる日本の戦時国家体制の完成により、地球をリンクした「新軍事資本主義」は、人類と文明を崩壊しかねない。安倍首相の大罪は重大である。

 

(第三)北朝鮮危機の原因つくり煽った大罪

 

 9月の国連総会でのトランプ大統領・安倍首相・李容浩北朝鮮外相の演説を切っ掛けに口先戦争情況となった。北朝鮮側の主張に正当性はなく異常である。異常状況を解決するためには冷静さが必要だ。異常者に対応するには相当な知恵がいる。長い「日朝交渉」のなかで、日本が決定的に約束を破棄したことがあれば、それに対する礼を尽くすことが対話を促進することになる。

 実は平成14年、小泉政権時代の「日朝平壌宣言」が、日本の約束不履行が原因で、有効なのか破棄されているのか国民にはわからない。9月25日のTBSテレビで、安倍首相は「平壌宣言は有効です」と発言している。この宣言の趣旨は、①日本は幅広い経済協力を行う。②両国は国交回復を協議する。③ミサイル発射実験をモラトリアムを延期し、核開発問題で対話を促進し問題解決を図る。ことを合意し、「拉致問題解決を最優先」させるために、5人の拉致被害者を一時帰国させることを約束した。

 

 ところが一時帰国させた5人を、約束どおり一旦帰国させるか、帰国させないか政府内で大問題となった。福田康夫官房長官は、「宣言を実現するため約束を守るべし」と主張した。安倍晋三内閣官房副長官は国民の人気を得ようと帰すことに反対した。小泉首相は安倍副長官主張を採用し内閣支持率を上げた。安倍副長官は、これがなければ総理・総裁の道はなかった。拉致問題を政治的に利用したのだ。安倍副長官の国際約束を破棄する主張で日朝正常化の協議を不能にしただけではなく日本は国際信用を失った。福田長官の主張どおり誠実に国際約束が実行されていたなら事態は大きく変わっていたと思う。そもそも、小泉政権が「拉致」という人権問題を政権の浮揚に政治利用することは保守本流の政治ではない。まして安倍副長官が個人の人気取りのために国際約束を破ることなどは政治以前の問題であり「人の道」に反することだ。今の北朝鮮危機の原因のひとつは、安倍晋三の人間としての資質にあるといえる。

 全世界が行き先の見えない「北朝鮮危機」におののくなか安倍首相がなすべきことは、北朝鮮に「平壌宣言」が空文化した責任について謝罪することだ。その上で、米国に対して、北朝鮮が何を求めているのか本音を聞き出して「米朝話し合い」の切っ掛けをつくる努力をすることだ。「北朝鮮危機」の原因をつくり、その上でトランプ大統領を世界でただ一人煽っている。安倍首相には「北朝鮮危機」の原因と煽りの大罪がある。

 

(緊急提言!)

 

 10月6日(金)、安倍内閣は小西洋之参議院議員の「解散権乱用」の質問主意書に対し、「実質的に衆議院の解散を決定する権限を有するのは内閣であり、憲法上の制約はない」と閣議決定した。これは憲法53条の「少数者の権利」を抹殺するもので、解釈改憲である。先例になれば国会の死滅である。

 野党各党は何故抗議しないのか。立憲主義の破壊として、憲法学者は何故指摘しないのか。

 

(「国会つれづれ」は休みました)

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