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「日本一新運動」の原点―356

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 日本一新の会事務局

 

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            日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 内閣法制局の憲法解釈「想定問答」開示問題について!

 

 トランプ米大統領の出現で、世界中が大騒ぎしている中、日本で重大な事態が起こっている。国会の責任問題だが政治家も政党もその認識がないようだ。それは1月18日に内閣法制局が朝日新聞の要請で開示した「集団的自衛権の行使を認めた憲法解釈変更の想定問答」の問題である。

 この「想定問答」の資料は、平成26年7月の「憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を認めた」閣議決定の論拠となるもので、きわめて重要なものである。この資料については国会で野党側も提出を求め、朝日新聞なども情報公開法に基づいて公開を要求していたが、政府側の不誠実な態度で埒があかなかったものである。

 ご記憶のある方もいると思うが昨年4月の313号メルマガで「内閣法制局が提出を拒否する〝集団的自衛権〟を巡る想定問答資料について」と題して、政府の態度と国会の怠慢について警告しておいた。その後朝日新聞の努力で総務省の「情報公開・個人情報保護審査会」で開示すべきと答申したことにより一部が開示された。これからどう展開するか、マスコミに任せてよいものだろうか。衆参両議長や政党はどうするのか?。

 

(このザマになった原因はどこにあるのか!)

 

 憲法の改正手続で行うべきことを政権が「解釈改憲」することは政治犯罪である。しかも国民の圧倒的多数が反対する問題であれば、政権のクーデターといえる。安倍政権の「解釈改憲の悪知恵」の根源は内閣法制局にあり、それを究明するのは国会の責任である。今の国会はその責任を果たしていない。その理由は衆参両院議長が憲法原理を知らないこと、さらに野党がしっかりしていないことにあった。原因のひとつに当時の民主党の中に「集団的自衛権の部分的容認論」があったことによると思う。

 時間が経ったとはいえ、政府の審議会が朝日新聞の情報公開要求に対する不服申立に対して開示すべきと答申したことは評価すべきである。その結果、衆参両院はまったく恥をさらしたといえるが、その自覚がないことは恐ろしいことだ。それと安保法制の強行成立に対して、あれほど「立憲主義の確立」を叫んでいた学者先生たちが、この内閣法制局問題に関心が薄かったことが気になっていたが、開示は段階的と思うので、安保法制廃棄の闘いはこれからである。

 

(「集団的自衛権容認」の世界史的意味)

 

 憲法9条が、戦後の混迷した国際情況の中で首の皮一枚を残して生きてきたのは「集団的自衛権の不行使」が、憲法9条に対し唯一の法理として内閣法制局が護ってきたからだ。安倍政権の解釈改憲で理屈をつければ世界中の戦争に参加できるようになった。憲法9条は葬られたのである。

 経済大国で優れた先端技術を持つ日本が、「戦争放棄」という憲法をもつことは世界平和のため大きな意義をもっていた。資本主義がマネーゲームで経済成長を貪っていた時代までは憲法9条はそんなに邪魔ではなかったが、やがて「グローバル・マネーゲーム資本」は、2008年(平成20年)のリーマン・ショックなどで限界が見えてきた。そこでグローバル資本が目をつけたのが、世界の問題の場所に戦争や紛争を起こし、武器や軍事経費を供給して経済を成長させることであった。

 こうして「グローバル軍事資本」が世界を闊歩するようになった。この現象は先進国の実態経済が不調になった時期から始まるようになり9・11ニューヨークテロ事件後に大きな流れとなる。最近の中東テロ戦争、北朝鮮の核開発、中国の海洋進出などの原因は、国境を超え国家の規制を無視した「グローバル軍事資本」が意図的に仕組んで危機を煽っている要素が大きい。となると、経済力と先端技術を持つ日本の憲法9条は「グローバル軍事資本」にとっては自分たちの金儲けの妨害になる。安倍政権は彼らの要求を積極的に受け入れ、憲法九条を葬っただけでなく、武器輸出三原則を緩和し、特定秘密保護法を制定した。そして日本の軍事産業に営業を展開させるようになった。いよいよ新しい戦争の時代に入ろうとする入り口を開けたのが、内閣法制局であったことを知っておくべきだ。

 

〇 日本人と『憲法9条』 4

(ちば三区結の会 市民連合に出席して)

 

 2月5日(日)、市原市で開かれた「ちば三区結の会」の発足集会に呼ばれ、『野党共闘が必要な理由』について話せとのこと。時間が15分ということで困ったが、問題提起をして後は質問に答える形で対応した。

 この集会は1月29日(日)に発足した『千葉県市民連合』の衆議院小選挙区野党協力を実現する初の集会であった。千葉3区に出馬を予定している共産党の飯島誠之助氏と自由党の岡島一正氏らが挨拶をした。実際はこの2人のグループが、これからどう協力していくかについての集会だった。

 ここでの私の問題提起と質疑応答の中で『日本人と憲法9条』の本質問題があった。現実の国民の生活で憲法九条が、どのように理解されているか、野党協力の指導者や有識者が反省しなければならないことを学ぶことができた。

 

(私の問題提起)

1)現代の政治対立は「保守対革新」ではない。 日本では政治の対立は「保守対革新」といわれてきたが現代では「保守」とか「革新」という定義は実情に合わなくなっている。私は保守本流として育ってきたが「本流に生きろ。亜流に生きるな」と教えられてきた。「本流」とは自分が不利になっても嘘を

つかない政治のあり方だ。「亜流」とは自分が不利になると嘘をついて正当化する政治のことだ。

 平成時代になって世界が大変化する中で、「本流対亜流」が世の中の対立軸になった。安倍自公政権は嘘とマヤカシの政治を続けている。アベノミクスで喜んで儲けている人たちも亜流の人たちだ。この安倍政権を交代させて、国民に嘘をつかず「いのちと暮らし」を守ろうというのが本流の政治で、この本流の政治をつくるため「野党共闘」が必要だ。そして本流の人たちによる政権でなければ日本の将来はない。

 

2)ここ2・3年の間に安倍政権は「集団的自衛権行使」の解釈改憲で憲法9条を葬った。「嘘と虚言政治」の極みである。

 憲法9条はこれからの「グローバル軍事資本主義」の展開に邪魔になるという世界の亜流勢力によって葬られたのだ。これを再生しないことには、日本も世界も悲劇の時代となる。日本の野党協力を世界の本流の人々は期待している。その為、小異にこだわらず大同に生きるべきだ。

 

(参加者との主な質疑)

 

1)東アジアの緊張、中東のテロ戦争など国際政治は大変だ。日本の安全保障野党協力はどう考えているか。

 

日米安保条約や自衛隊問題で必ずしも意見は一致していない。共産党は凍結論で直ちに廃止ではない。当面は野党連立政権には入らないので選挙協力の妨げにはならない。選挙にも有利になる。これからの協議で共産党のもう一歩の大転換を期待したい。

 自由党は、かつて小沢代表のもとで「国連を改革し〝国連警察機構〟を設立し、これに参加協力する。国権の発動としての国際紛争には参加しない、などを基本方針としている。最近の国際緊張は、国家の規制を超えた「グローバル軍事資本」が金儲けのために、意図的に緊張をつくり出したり、情報工作をしている。冷静に対応して外交力を強くすることだ。

 

2)この地域の選挙は護憲・安保法制廃止では票は入らない。地域の発展や経済と生活安定といったことをどうするのか。

 

答 野党協力を主張する党幹部や支持する有識者が、憲法9条を護ることが地域の発展や生活の安定に役立つという発想をすべきだ。憲法9条を「戦争放棄」とか「交戦権放棄」とか、文理とか解釈だけで論じてはならない。

 

 このことについて私の意見を申し上げたい。憲法学者は誰も言わないが、憲法9条の「戦争放棄」などは何のためにつくられたかを考えるべきだ。「日本人の命と暮らし」を護るためだ。哲学者の柄谷行人は「憲法9条は徳川体制に先行形態がある」と論じているが、その根拠はいっていない。私はその検証で昨年3回勝浦に行った。徳川家康に「天下の政道・権力の本質」を教えたのが、側室の「お万の方」だと推測している。

この千葉の房総で生まれた女性だ。「慶長の法難」で、お万の方が家康を諭したのが「命の大切さ」で、それが徳川体制の基本となった。田中角栄は『日本列島改造論』で「9条を改正して軍事大国にならずに、地域の格差を直し、国民が公正にいきていけるよう」にと結んでいる。野党協力はこれで成功しないはずはない。

                         (続く)

「日本一新運動」の原点―355

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            日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 安倍首相の『ハマグリ演説』はとんでもない嘘言である!

 

 1月20日(金)の第193回通常国会の召集日、安倍首相は施政方針演説で、江戸時代の土佐藩で家老の野中兼山がハマグリを放流した逸話にちなみ「350年を経た今も、高知の人々に大きな恵みをもたらしている」と発言した。これは国会での憲法論議を進めることに下心があったようだ。

 自由民権運動の精神を継承する『高知新聞』は翌21日の朝刊で事実に基づく批判記事を出し咬みついた。「高知はハマグリ乏しい」―「首相演説〝今も兼山の恵み〟ウソ」―「漁業関係者ら異論続々」の見出しで、5段抜きの大キャンペーン報道であった。

 22日(日)午後、私は8ヵ月ぶりに高知市を訪問、山原記念館や墓参をして、夕方からの高知勝手連の懇親会に出席した。実はこの会合で『安倍首相のハマグリ演説』が話題となり、野中兼山といえば『土佐南学』の中興の祖だ。平成時代の土佐南学研究といえば〝平野貞夫〟しかいない。安倍首相の嘘言を放置して良いのかとさんざん発破を掛けられた。

 

(安倍首相の「ハマグリ演説」要旨)

 安倍首相は施政方針演説の締めくくりで、満を持して「子や孫のために、未来を開く」として、兼山のハマグリ養殖の話をした。土佐湾でハマグリ養殖を始めたのは、江戸時代、土佐藩の重臣、野中兼山だったといわれています。こうした言い伝えがあります。

「おいしいハマグリを、江戸から土佐に持ち帰る」

兼山の知らせを受け港では大勢の人が待ち構えていました。しかし到着するや否や、兼山は舟いっぱいのハマグリを全部海に投げ入れてしまった。ハマグリを口にできず、文句を言う人たちを前に、兼山はこう語ったといいます。

 

「このハマグリは、末代までの土産である。子たち、孫たちにも味わってもらいたい。兼山のハマグリは土佐の海に定着しました。そして350年の時を経た今も、高知の人々に大きな恵みをもたらしている。まさに「未来を開く」行動でありました。

 

 続けて、安倍首相は「自らの未来を、自らの手で切り開く。その気概が、今こそ求められています」と、兼山の逸話を乱用して憲法改正への方向づけを無理やりに押しつけた話となる。

 

「憲法施行70年の節目に当たり、私たちの子や孫、未来を生きる世代のため、次なる70年に向かって、日本をどのような国にしていくか、その案を国民に提示するため、憲法審査会で具体的な議論を深めようではありませんか」と。

 

(土佐南学の中興の祖・野中兼山とは)

 国会で安倍首相が、野中兼山のハマグリ演説をした20日(金)の夜、私は安倍首相が狸禅ならぬ「狐禅」をしている谷中の『全生庵』で、「田中角栄の凄みと弱さ」と題して若い経営者などに説話をしていた。知人からハマグリ演説の情報を聞いていて安倍首相がどの程度「兼山」を知っているのか気にしていた。案の定、まったく無知で役人のつくった原稿を、自分の知識であるかのように格好をつけてしゃべったのだ。発言を陳謝し訂正すべきだ。

「兼山」の逸話は沢山ある。それだけ活躍した人物だが、逸話のほとんどは後世の兼山ファンが創作したもので、事実を無視した話が多い。確かに兼山は、ハマグリの養殖を漁民救済として実施したが、失敗であったことは兼山研究者なら知られた話である。

 そこで兼山はどんな人物でどんな活躍の人物だったか、簡約に説明しておこう。

 野中兼山は元和元年(1615年)1月姫路に生まれた。実父は土佐藩の家老であったが、事情があって浪人であった。幼児期に実父を失い土佐に帰り野中直継の養子となり後嗣となる。17歳(22歳の異説あり)で兼山は土佐藩の奉行職を勤めた。寛文3年(1663年)失脚するまで、執政の任に当たり土佐藩政の隆盛と経済の振興に全力を尽くした。

 兼山の施政哲学は、鎌倉時代に土佐で暮らした夢窓国師から始まる『土佐南学』であった。これは朱子学から始まったが、兼山時代に「知行一致」といった陽明学的実学となり、藩政や経済の改革で、土佐藩が幕末に活動できる基盤をつくり明治維新につながった。

 土佐の殖産振興での兼山の功績は大きく、新田開発・河川改修や灌漑用水路・堰・港湾の整備などを手がけ、21世紀の現在も使用しているものがある。漁業では捕鯨・鰹節、山間部では和紙・椎茸・木材・木炭・漆喰などを開発して土佐ブランドとして全国に展開した。

 安倍首相が引用した逸話は高知新聞によると『先哲叢談』(1816年刊)からで、江戸中期までの儒学者の伝説をまとめたものからのようだ。高知は貝類の宝庫であり、私が子どもの頃には天然のハマグリを捕った記憶があるが、量としてはアサリ貝が圧していた。現在では高知の海岸・砂浜でハマグリが捕れたという話は聞いたことがない。

 兼山は土佐の振興策に止まることを知らない情熱をもち、そのため他を顧みない方策から怨念の声が上がるようになる。寛文3年藩の上下から排斥運動が起こり執政の座を追われる。同年12月に不遇のうちに憤死する。

 

(野中兼山の死後、土佐に伝わる霊言)

 よい機会なので兼山の死後、土佐に伝わる彼の霊言を紹介する。兼山が土佐藩の執政に就くまで土佐藩の民心は乱れ、長宗我部の残党の蠢きが収まらなかった。兼山は長宗我部郷士を殖産振興に活用し、土佐の酒飲文化を改革していく。従って評判や人気がよいはずはない。兼山の民衆教育は「知行一致・奉仕勤倹・相互扶助・多目多聴」という土佐南学の行動規範であった。

 兼山が政権を追放され急死(毒殺の疑あり)すると、翌年遺子たちは土佐国幡多郡宿毛の地に送られ幽閉される。兼山の子孫を残さないためである。四男が死亡して男系が絶えると、女子の婉(えん)が44歳で赦免される。朝倉村(現高知市)に住み女医として貧しい人々を救った話が残っている。大原富枝の歴史小説に『婉という女』がある。兼山の活動や悲劇を描いたもので知られている。

 土佐国幡多郡といえば、四万十川・足摺岬・宿毛湾という陸の孤島である。私の生まれた三崎村は宿毛の近くで、古くから行き来が多く親族も多い。父の親友で宿毛病院の家系に跡取りがなく、四男の私が養子に行く話が何回かあり、野中兼山の話を散々聞かされた。

 兼山一族を幽閉として預かったのは、山内藩主の分家で、ここで兼山一族は幽閉とはいえ、父兼山の偉業を思い地域全体で大切にし、子孫が絶えた後も丁重な供養をした、と伝えられている。私が衆議院事務局に勤務するようになる直前、慶応病院に入院中の林讓治元衆議院議長に、何度か昔話を聞いたのが「兼山の霊言」であった。

 幕末、宿毛の殿様伊賀さんが続けて兼山の夢を見ることがあった話だ。「兼山の子孫は絶えたが、わしの信条を理解する人たちが、宿毛や幡多には沢山いる。この中から日本をつくる人物がでるようになる」という夢での霊言だよ。

 思うに、幕末から維新にかけて、あれだけ宿毛の血をもつ人間が活動できたのはなぜか。吉田茂の父親の竹内綱、僕の父親の林有造、大江卓、『国憲汎論』を書いた小野梓、岩村通俊、小野義真、中村重遠、岩村高俊らがいる。僕のような出来の悪い政治家でも、敗戦後の混乱で吉田首相を手伝えたんだ。みんな、何かの縁で兼山につながり、影響を受けているんだよ。

 

(「兼山」の思想に学ぶべし)

 兼山の失脚は、土佐藩内での遺恨が本当の原因ではない。兼山の施政により藩士や住民が節酒令などで健全となる。ベンチャー事業が発展、尾長鶏は遺伝子操作、漆喰はセラミック技術などの現代技術の原点といえる。海辺や山間にある資源の活用、農漁・商工のバランスのよい地域作りを成し遂げた。この土佐藩の隆盛を警戒した幕府が仕掛けたのが、兼山の事実上の追放であった。

 幕末、坂本龍馬ら商家の子弟が1年間に百両も掛けて江戸留学ができ、それが維新の原動力にもなっていく。その基盤をつくったのが兼山であり、現代も大いに学ぶべきだ。安倍首相も嘘言で兼山を評価するだけでなく、真の「土佐南学思想」が国民を幸せにし、国を発展させることを学んで欲しいものだ。   

(了)

 

(今週は、〇 日本人と『憲法九条』は休ませて頂きました)

「日本一新運動」の原点―354

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            日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 酷寒の「谷中の政経塾」と高知今治旅行記

 

 1月22日(日)と23日(月)の1泊2日で久しぶりに高知と今治を訪ねた。西日本に寒波が到来し、酷寒ではあったがさまざまな人々との出合いで学ぶことが多かった。

 出発の前々日20日(金)に谷中の『全生庵』で「谷中の政経塾」の面々に「田中角栄の凄さと弱さの実像」をテーマに放談し、それに続く強行軍だった。

『全生庵』といえばかつて中曽根さんが座禅したお寺で知られ、最近は安倍首相が山本有二農水大臣の案内で座りに行ったことで話題になった所だ。実は先代の住職が高知出身で、伊野町長を長く勤めた井上さんと、旧制海南中学校で同級生だった。私が国会議員になった平成4年頃、井上町長から『全生庵』で座禅を学べといわれたが、中曽根さんの話を聞いて「狸禅」には付き合いたくないと逃げていた経緯があった。

 佐高信さんの紹介で、参加者はジャーナリストOB・一流企業のサラリーマン・慶應大学の学生などで、社会の実態を学ぶことが狙いのようだった。参加者が発想できない政治の裏側を話したところ、鋭い質問が続発した。いずれ経営者となる人たちが新聞テレビに出ない政治の実態を知ることは大事なことだと思った。

 

(山原健二郎記念館と筆山の墓所で誓い合った政権交代の実現)

 

 私はここ数年、懸案事項として故人となった高知県選出で共産党衆議院議員・山原先生の墓参の思いがあった。山原先生は共産党国会議員の中でも、青森県選出の津川武一医学博士に並ぶ人格者で知られていた。昭和40年代から平成初期にかけて、教育者の経験を持つ山原先生の国会活動は異色であった。

 実は私の母方の叔父、平林速夫と旧制高知城東中学校の同級で机を並べた親友だったとのこと。叔父は陸軍士官学校を出て日中戦争で少尉任官後に戦死した。昭和14年だったが、5歳の私はその葬儀を憶えている。山原先生が衆議院議員選挙で当選し、衆議院事務局に勤めていた私を訪ねてきて、「平野君は、僕の中学校時代の親友で最初に戦死した速夫君に似ている」と、涙を流してくれた。

 当時、高知県から衆議院議員に大西正男(自)、井上泉(社)、山原先生を入れて3人が党派を超えた付き合いをしていた。私もしばしば郷土出身者が経営していた原宿の『土佐』に呼ばれ痛飲した。私はこの3人を「土佐人間党」と言って喜ばれた。

 私が参議院高知地方区に出馬したとき、自民党推薦で県内の自民党幹部を訪問したとき、支部長の3人が「私は衆議院選挙では、山原さんを応援することにしている」と公言した。理由を問うと、同級生とか恩師とのこと。そういえば、私の兄も教え子で同級に、鎌倉節元宮内庁長官や中谷健元建設協会会長(中谷元前防衛大臣の父)らがいた。

 野党が協力して政権交代を実現して立憲政治を再興し憲法九条を生き返らせようという重大な時局に、「政治理念や基本政策が一致しない共産党と政権を組むことはない」と主張する元二重国籍の政党代表がいるが、政治は自己を売り出すビジネスではない。国民の生命と暮らしを保証するため「人間党の自覚」をして貰いたいものだ。

 山原健二郎記念館を訪ねたところ県内の支援者を中心に3千万円を超える寄付で建設したとのこと。生誕から他界するまでの貴重な活躍の資料が展示されており、山原健二郎の精神が見事に生かされていた。今どきの与野党政治家で、こんなに遺徳を慕われる人物はついぞ見ることはない。墓参には山原記念館に駆けつけてくれた関係者10名と、筆山の墓所に故人が好物であった清酒を持参した。筆山には土佐の歴史を刻んだ人物の多くが眠っている。政権交代を実現して、山原先生の墓所の桜の下で宴を張ろうと誓い合った。

 

(「四国の人材育成を考える会」にて)

 

 1月23日(月)高知市から民進党県連職員の大崎氏の運転で、今治みなと交流センターで開かれた「四国の人材育成を考える会」に出席した。海洋環境改善に余命をかけた明神水産(株)の創始者・明神照男氏が同行してくれた。

 きっかけは今治市で活動している黒川敦彦氏の呼び掛けだった。黒川氏は「でんわ勝手連」の事務局長で市民運動家でもある。今治市に「獣医大学」を設立しようとの動きがあり、それよりも、今治の地場産業である造船やタオルなどを振興させるため、海洋環境保全などを狙いとした人材育成をする施設はどうかを議論する会合であった。

 大阪大学の浜田格雄講師が産学連携について、明神氏が海の環境と水産業、私が海洋のエネルギーと産業創出について意見を述べた。20名近い若い自営業者が出席、地方経済の衰退の話があり、80代の高齢者の話を聞いて議論でき、海洋環境改善技術で地方振興ができると好評であった。

 

 

〇 日本人と『憲法九条』 3

(参議院選挙で受けた徳川家康と「お万の方」の話)

 

 昨年の7月、参議院選挙で「生活の党」は全国比例区に青木愛さんを立候補させた。青木さんは千葉県房総地区の出身で、生活の党で絶対に当選させなければならない候補者だった。千葉県内で一定の票を得ることが必要で、総指揮官の私は悩みに悩んだ。結果は開票日の深夜が過ぎて夜が明けた頃、奇跡的に全国比例の最後の当選者となることができた。これで「野党協力路線」を主導する、生活の党の小沢代表の基盤を確保することができた。東京を始め、各地での関係者が活躍したお陰だが、その時の奇跡を述べておきたい。

 

 7月8日(金)苦戦が続く最終盤、青木愛の出生地が「お万の方」の生まれた勝浦市の近くであることに気がつき、早朝に柏市の布施弁天を参拝し、妙見菩薩の前で「お万の方」の身代わりとして「生命と平和を守り、民衆の福寿のため全力を挙げます」と誓うシーンをネット用に撮影した。その足で北総線の鎌ヶ谷駅頭で、街頭演説を行った。

 そこで私は、徳川体制の政治と安倍自公政治を比較するという乱暴な話をした。要点は、

1)徳川家康は大名など権力者は苛めたが、民衆は苛めなかった。封建時代という制約はあったが、大名間の争いや海外侵略を抑え平和路線を進めた。そして江戸の町づくりで民衆の暮らしを良くする政策を展開した。

2)安倍政治がどんなことをしているか。憲法9条に反して集団的自衛権を容認し、戦争ができる安保法制を強行成立させた。アベノミクスで貧富の格差を拡大し、消費税増税など民衆を苛める政治ばかりしている。

3)家康が、平和で民衆のための政治をするようになったのは、政治の師「天海僧正」と側室「お万の方」、この2人の妙見星信仰の影響によるものだ。この鎌ケ谷・柏・松戸など、下総地方は、平将門以来から「妙見菩薩信仰」のメッカだった。青木愛は「お万の方」の生まれ代わりとして、民衆の生命と暮らしを守る政治を行う責任がある。是非、ご支援を願う。

 

 翌9日(土)、参議院選挙の最終日に、青木愛が布施弁天の妙見堂で「お万の方」の身代わりを誓った映像がネットで流れた。千葉県の下総地区ではネットで話題となる。青木愛の後に妙見さんが見えたと言った噂が広がった。夕刻この情報を耳にした私は奇跡を祈っていた。厳しい選挙の中で最後であったが当選できた。これも「お万の方が信仰する妙見さん」のお陰だ。

 

(「お万の方」研究に勝浦市を訪問!)

 これまでの「お万の方」についての私の知識は少なく、戦乱の時代に苦労を重ねて育ち、縁あって徳川家康の側室となる。民衆の福寿を教示する「妙見菩薩」を信仰し、家康の信仰面に影響を与えたという程度であった。

 一方、家康の幕政の重要構想に参与した天海大僧正がいた。家康に「天台」の教えを説き家光らの尊崇を受け日光山を再興した。日光山の家康廟の上には天台(北極星)が輝くつくりである。天台宗とは北極星を中心とする妙見・星信仰のことだ。

 私は、昨年の8月24日(水)9月10日(土)11月12日(土)の3回にわたり勝浦市を訪問した。勝浦市では「お万の方」について、ほとんどの市民は関心がなかった。唯一、「水産加工業『(株)西川』の故人となった先代が、強い関心をもっていた」との情報を教えてくれたのが私と同郷で友人の「明神水産(株)」の創始者であった。

 8月24日の勝浦訪問は明神氏の案内で、「(株)西川」の齋藤社長夫妻の知人に話を聞くことができた。この時故人となった戸田七郎氏(安房地区出身で住友金属(株)取締役)が平成5年に出版した『女心仏心―養珠院お万の方の生涯―』がお万の方研究に最も適切とのアドバイスを受けた。

 現地での話と、この書物を読んで私がいかに無知であったかを思い知らされた。何と、家康とお万の方には2人の子息があり、兄の「頼宣」は紀州に、弟の「頼房」は水戸藩主の初代となる。頼房の子息が「光圀」こと水戸黄門でお万の方の孫である。お万の方の法華経・妙見信仰を継承した生涯であった。八代将軍・徳川吉宗は紀州の出であり、お万の方の血筋と心情を受け、大岡越前らと徳川政治を確立したとのこと。そしてお万の方は「人間の生命」を大切にする法華経の真髄を家康に教えた事件があったことを知った。これが、憲法9条の先行形態の思想的背景の原点として究明すべき課題と思った。 

(続く)

「日本一新運動」の原点―353

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〇 情報社会という新文明のあり方を考える!

 

 1月20日には米国の新大統領にトランプ氏が就任する。昨年11月の大統領選挙で当選以来世界中の混乱は想定を超えている。さまざまな要因があろうが、大きな原因のひとつに「情報社会」での価値観・倫理観が人間社会にできていないからである。というよりも欲望を限界まで拡大させた高度資本主義が、新しい価値観の形成を阻害し、世界中が「情報戦争化」しているのが原因だ。

 

(送られてきたロシアでの「トランプ・スキャンダル」のメール)

 恥ずかしながら、私は超アナログ人間である。情報社会に抵抗して、ワープロもスマホも拒否して、急激な情報化による社会を批判してきた。昨年、佐高信氏から「受信したメール」を見ることを教わり、これだけができるようになった。

1月13日の午後0時7分、携帯電話に突然に英文のメールが入った。

http://www.zerohedge.com/news/2017.01.10/trump-was-cctivated-supported-and-and-assistoa-russia FND

 

 同時に次のメールが届いた。「D・トランプの《モスクワSEX醜聞》疑惑の詳細(英文)。真偽について私からは、《ノーコメントです》(^_^))。

 私に、誰がどういう意図でこんなメールを送ったのかなという程度の感じでいた。ところが、翌14日午後5時52分、「ロシアがトランプ氏の問題情報を握っている?(BBCNEWS)」というメールが入り、続いて次のメールが入った。

「問題は北村滋内閣情報官(元警察庁外事情報部長)から、《公安嫌悪・刑事偏愛》の総理に報告が上がってこないこと。ヒドイ政権です。FND」との情報である。この14日のメールを見て、ロシアでの「トランプ醜聞」は簡単な問題ではないと思うようになった。日本のメディアも大々的に採り上げるようになり、私のような超アナログ人間にも情報を入れてくるようでは、世界中でこの情報は溢れているいるだろう。この問題はきわめて深刻である。「トランプ醜聞」の真偽はともかく、トランプ大統領就任妨害の動きが、就任後もこの情報戦争は続き、世界の混迷を深めていくだろう。

 

(『情報社会』に新しい価値観の形成を!)

 

 人類だけでなくあらゆる生物は、自然(神)からの情報を受け、選択して生存してきた。その中で人間だけが情報の量と質を調整して異常な進化という変化を遂げたのが現代だ。それでも「情報」という化物は、ごく数十年前までは活動の手段であった。

 第2次世界大戦が終わり、急激な科学技術の発達は通信情報技術に異様な技術開発が行われた。これまで人間の活動の手段や補助機能が主役となった。20世紀の後半頃から情報技術の発達が、それまでの「重化学工業社会」を急激に崩壊させた。経済の主体が情報技術に依存し資本主義のグローバル化が急速に進み、経済の「需要と生産」のバランスは、情報をコントロールする集団に支配されるようになる。「情報社会」の出現である。

 米ソ冷戦が米国側の勝利で終わると、米国中心の資本主義体制は変化し、先進国の実体経済は衰退して米国型マネーゲーム資本主義が世界経済の主流となる。「新自由主義」といわれ、世界中に「1%対99%」の格差社会とテロ騒乱を拡大させた。そしてマネーゲーム資本主義の終焉は、国民国家が規制できない「グローバル軍事資本主義」によって、世界中を永久戦時体制化しようと企んでいる。

 かつての「重化学工業資本主義社会」では人間の所有欲求が価値観として許容されていた。それは資源の限界や環境問題が自覚されない時代では可能であった。これらの限界が明らかになった現代「自己中心所有欲の価値観」は人類滅亡への道となる。異常に発達した現代の「情報社会」を生理学的にいえば、人間の全身の皮膚の外に神経を露出したような社会だ。そんな社会で人間は「自己中心所有欲の価値観」を変えることなく激しい排他的競争を続けているといえる。

「情報社会」に相応しい価値観を早急に形成させることが必要である。それは社会的公正を確立させ、適切な結果平等を実現させる「共生の価値観」ではないだろうか。

 

 

〇 日本人と『憲法9条』 2

(哲学者・柄谷行人の「戦後憲法の先行形態」論)

 

 柄谷氏は『憲法の無意識』(岩波新書)で、徳川体制に「戦後憲法の先行形態」があるとして、古代からのわが国の統治制度や支配体制の要点を挙げて論証している。その中で神島二郎が『世界』(昭和55年7月号)で論じた「戦後日本人の非武装平和主義の一因は、秀吉の「刀狩り」以来の「伝統」にあり」に対して、「この〝伝統〟は、秀吉ではなく、徳川体制に始まるとみるべきである」と、神島論を修正している。

 その理由を「家康は秀吉の戦争のあと即ち〝戦後〟に対処する必要がありました。家康が図ったのは、〝戦国時代〟を完全に終わらせることです。それは王政復古によって始まった戦乱を2度ともたらさないようなシステムを構築することです」としている。

 

 柄谷氏は、この問題について同書で次の様に論じている。

 第1は、象徴天皇制で、天皇が政治的に活性化したのは王政復古が唱えられた建武中興のころで、その時に生じた混乱が戦国時代から秀吉に至ったのが、徳川はそれに終止符を打った。その基礎にあったのが「徳川的尊皇」で「象徴天皇」即ち、天皇の非政治化だ。

 第2は、全般的な非軍事化で大砲など武器の開発が禁止された。武士は帯刀する権利を持つが刀を抜くことは少なく、刀は「象徴」にすぎなかった。武士の非戦士化である。

 これらの徳川の基本国家体制は憲法の基本原則ともいえるもので、戦後憲法第1条(象徴天皇制)と、第9条(戦争放棄)は、徳川体制に先行形態があった、ということだ。

 私は、この柄谷氏の見解に大きな刺激を受けている。昨年暮れに刊行した『野党協力の深層』(詩想社新書)で、安保法制闘争の衰退について「これまでの〝護憲運動〟や〝安保法制廃止運動〟のままでよいのか十分な検証が必要である。従来の〝欧米の形式論理を中心とする価値観〟による憲法の文理解釈に基づく運動では対応できない」と論じたことと同趣旨である。

 1月12日のメルマガ352号で小野梓の『国憲汎論』から、「本邦古代の民権を遡源す」を紹介したが、明治初期には同様な考え方が他にもあった。その代表例は中江兆民で『民約訳解』(明治15年、ルソーの『社会契約論』の漢訳)では「民権自由は欧米の占有に非ず」と論じ「仁者敵無し」など孟子の「民本主義」を評価している。

 さて私が強い関心を持ったのは、「徳川体制が憲法第1条と、第9条の先行形態」という歴史観に敬意を表しながら、そのような徳川体制を形成させる根源的思想と経緯に何があったか。日本は古代以来どのような展開をしてきたかを検証することである。小野梓のいう「歴史顕微鏡」的発想をもって、その思想の根源を求めていきたい。

 

(刺激・感激・時代劇)

 ここ数年、あまりにも巨大テレビ局の発信する番組、特に報道番組などで政治・経済・社会報道の解説のレベルが低い。安倍官邸の代弁者がぞろぞろいて、バカバカしい解説を聞く気になれない。何十年も「ながら族」を続けている私は、最近時代劇の虜になっている。CATVで「時代劇専門チャンネル」があり、ここを視聴する機会が楽しみになった。

 時代劇にも色とりどりだが、私の好みのドラマは『水戸黄門』と『暴れん坊将軍』だ。いずれも徳川時代初期の物語で徳川家康に直結する子孫が民衆を救済し、私利私欲の権力者をやっつける話である。昭和30年代につくられた「テレビドラマ」など、半世紀以上前からの作品を毎日のように放映して、なかなかの人気である。もちろん話のほとんどはフィクションであるが、現代でも「水戸黄門」や「将軍吉宗」などの生き方を民衆の心底が評価する何かがあると感じている。

 そんなとき、平成22年に執筆した『坂本龍馬の十人の女と謎の信仰』(幻冬新書)を思い出した。その時、大きな示唆を受けたのは『妙見信仰の史的考察』(中西用康著)であった。そこには、徳川家康は側室「お万の方」の日蓮法華経・妙見信仰を徳川政治に活用したとの趣旨の記載があった。

 そういえば、家康の最高ブレーンは天台宗の天海僧正であり、妙見・星信仰を代表する人物である。徳川体制の思想的原点の匂いを感じている。                

 (続く)

「日本一新運動」の原点―352

◇予備会員(会費切会員を含む)への配信は周回遅れで配信します。

  当ブログも同様に周回遅れで掲載しています。 

 日本一新の会事務局


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            日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 『田中角栄―凄みと弱さの実像―』の執筆を終えて!

 

 1月7日(土)、老骨に鞭打って晩秋から執筆していた『田中角栄―凄みと弱さの実像』がまとまり、2月末の刊行を目指して最終作業に入った。

 年末年始、その重点整理をしたが、ポイントはわが国における「金権政治の実態」であった。そこで自民党を中心に、保守政治はどのような方法で政治資金を集めてきたか、その特徴をパターン化した。

 

 第1が岸信介型、第2が河野一郎型、第3が田中角栄型と3つに類型化してみた。第2と第3については、私自身、直接・間接に関わったことがあり執筆のタネに事欠かなかった。第1の「岸信介型」については戦前・戦後を跨いでおり、それなりの調査が必要であった。その中のひとつに佐野眞一氏が重大な決意で執筆した『阿片王―満州の夜と霧―』(平成20年8月刊行・新潮文庫)に驚いた。若干の話は知ってはいたが岸信介という官僚政治家がここまで非人間的であったとは知らなかった。

 安倍首相の祖父で、彼が最も敬愛し政治の理念や行動の師としている「岸信介」という人物の実像についてこのメルマガで整理しておこう。

 佐野眞一氏の『阿片王』というノンフィクション作品は中国人(戦前の満州を含む)数十万人をアヘンで廃人とした日本の民間特務機関財閥のトップ「里見甫(はじめ)」という人物の記録である。この中で「岸信介」について15回にわたって記述がある。そこには「阿片王・里見甫」がいかに岸信介と関わりがあったかを、関係者からの証言や裁判記録、関係資料から執筆している。

 昭和56年6月に刊行された『岸信介の回想』によれば「私が満州にいた頃は里見は上海で相当阿片の問題にタッチしていて、金も手に入れたでしょうが満州には来ていないから私は知らない。里見を知ったのは帰国後で、満映にいた茂木久平の紹介です」と語っている。佐野氏は長期にわたる調査で、この証言が嘘言であることを証明しようとしている。

 里見が満州に入ったのが昭和6年で甘粕正彦と共にアヘン販売を行う。同11年9月に上海に移り中国と満州をかけて活躍する。満州国官僚・関東軍や特務機関の機密活動費をつくるためアヘン販売による独占的利益を上納する隠れたシステムの元締めとなる。

岸が満州国幹部官僚として就任したのが昭和11年10月である。確かに岸が証言するように満州国での記録に残る直接の関わりはないかも知れない。それだけで里見を知ったのは帰国後だ、という岸の証言は信用できない。岸は昭和14年に満州国総務庁次長という満州国官僚のトップに就くが、れまでに先輩の古海忠之が総務庁次長として、満州国でのアヘン工作を財源として機密費とする計画に参画しているのだ。その古海は「満州国は、関東軍の機密費づくりの巨大な装置」とさえ語っている。岸はその後継者として「満州国は私の作品」と豪語している。偽装国家・満州国を使って中国侵略を企む関東軍の活動と岸の活動が裏では一体だ。575頁にわたる『阿片王』の中から、私が最も注目したのは次の情報である。

 里見が阿片で稼いだ資金を目あてに、小遣いをたかりにくる輩は後を絶たなかった。(中略)・・憲兵、特務機関から大陸浪人に至るまで、いつも気前よくくれてやった。

 昭和17年(1942年)4月の翼賛選挙に立候補して念願の政治家となった岸信介もその一人だった。前出の伊達(里見の秘書)によれば、の時里見は岸に2百万円提供したという。「鉄道省から上海の華中鉄道に出向していた弟の佐藤栄作が運び屋になって岸に渡したんだ。これは里見自身から聞いた話だから間違いない」

 この情報の真偽に議論はあるだろうが、私は当時の情勢と話の具体性から事実と思う。当時の2百万円といえば、現在の価値で約50億円である。この資金は、翼賛会の推薦候補資金に使われ、岸信介本人も当選している。翼賛選挙がわが国の議会政治を崩壊させただけでなく、日本を破滅させたのである。戦後の岸の政治資金が、CIA工作資金やインドネシアなどの賠償金のピンハネなど話題は多い。戦前の日本が破滅した原因のひとつが「アヘン」にあったと私は論じたい。21世紀で日本を破滅させるのは、もしかして、アベノミクスによる「国債」というアヘンといえる。

 

 

〇 日本人と『憲法九条』 1

 

 日本国憲法第9条(戦争の放棄)を安倍政権が葬った。それは「集団的自衛権」を容認したことである。一部分の容認で憲法9条の運用解釈の範囲であり「近時の安全保障の変化への現実的対応だ」との主張が、野党第一党民進党の中にさえ混在している。この意見が国民の中にもかなり浸透している。

 一方で多くの世論調査では「憲法9条を改正すべきではない」という護憲論が50~60%を示している。事実、昭和20年の敗戦を機に制定された「日本国憲法」は、70年を過ぎて幾たびか「9条を改正して再軍備を」との試練があった。しかし、日本人はこれを許さなかった。1昨年の「安保法制の強行成立」を機に、日本人の憲法9条への思いが一斉に噴出した。

 ところが、昨年の参議院選挙では野党協力の声にもかかわらず、あれよあれよという間に安倍政権に協力する勢力が3分の2の議席を得てしまった。これで衆参両院で3分の2という「国会の発議」が手続上可能となった。この勢力の全員が「9条改悪」だとは即断できないが、安倍自民党の改悪勢力の予備軍であることには間違いない。

 この矛盾をどう考えるべきか重大な問題だ。日本人は古代から、「生命を大切にする」ことを信条としてきた。人間には知性と区別したというか、知性を動かす「心源」(心のはたらきの出どころ)がある。鈴木大拙師は、これを「霊性」と名づけている。

「日本人の霊性」は「生命を大切にする」ことだといわれている。憲法9条の戦争放棄を占領軍に押し付けられたと、狂信している日本人が存在することも事実である。しかし、日本人の「集団的潜在意識」の中には、この「生命に対する畏敬」が重要な役割を持っている。

 この日本人の「集団的潜在意識」を覚醒させて、政治の場で明示させるのが政治家や政党の仕事だが、それを既存の政党に期待するのは無理だ。その前に憲法学者や政治学者など政治家を指導する有識者たちが、どの程度、この日本人の深層心理を理解しているか疑問である。ほとんどの有識者たちが欧米の社会科学の価値観で、デカルトやカントで教育されて、その方法論を拠り所としているところに限界がある。

 明治18年10月、『国憲汎論』全3巻を刊行して、翌19年に33歳で肺結核で死去した「小野梓」(早稲田大創設者の一人・高知県宿毛市出身)は、同書で「本邦古代の民権を溯源す」として、当時、飛ぶ鳥も落とすと言われた福澤諭吉の『文明論の概略』を批判し、「日本の文明を論じるものは、日本には古来、政府があって国民がない、被治者は主治者の奴隷で、全国の土地・人民は政府の私有物だと言った。しかし、それは本当だろうか。天下の事物には、その状態が微少で見えないため、絶無を疑わせるものが多い。しかし、それは肉眼の力が足りないからだ。何もないように見える水でも、数百倍の顕微鏡で見れば、無数の微生物がいるのがわかる。日本の民権も、この水中の微生物と同じであり、見えないのは見る力が足りないからだ」と喝破している。

「戦争の放棄」(生命を大切にする)を、憲法の原理として日本人が受け入れたのは占領軍から押し付けられたのではない。この小野梓の憲法哲学の発想に学び、「顕微鏡」によって日本人の、「戦争の放棄」観を調べてみたい。これが郷党の先人に対する義務であると思っている。

 この私の発想は、哲学者の柄谷行人氏が『憲法の無意識』(岩波新書)で論じた「憲法9条の先行形態は徳川体制にある」からヒントを受けた。これまでにその論拠は示されていない。私はその論拠を、徳川家康の側室・お万の方の「法華経信仰」と天台宗・天海僧正の「妙見・星信仰」にあるのではと推測している。昨年秋には同志と『寺子屋ルネッサンス』を設立して、調査を始め一定の成果を得ている。

 以上が、今年のテーマを〝〇日本人と憲法9条〟とした理由である。

                       (了)

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   顧    問 : 戸田 邦司
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