「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―387

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観 (前原新民進党代表に伝えたいこと)

 

 民進党代表に前原誠司氏が決まり「山尾問題」でマスメディアが出端をくじく日が続いたが、ようやく冷静になった。「山尾問題」が、前原代表のこれからの活動にダメージを与えるかどうかは、前原代表自身の人生観による。この問題は「天が前原代表に与えた試練」で、就任祝いと思ってはどうか。

 野党第一党の代表となって、順風満帆の船出より苦労の船出の方が、大義に生きようとする人間にとっては有り難い苦労といえよう。「人間の未熟さ」を、「天」が教えてくれたと思うことが大事だ。 平成18年秋に民主党代表に初当選したときの雰囲気とは相当に違うが「発展途上人間」という点では変わっていない。人間は棺桶に入るまで「発展途上動物」だ。

 代表選挙の4日前小沢一郎さんと世間話をした時「前原誠司氏」が話題となった。どんな話をしたか、ここでバラスわけにはいかないが、その時、私が思い出したのは、小沢さんが47歳で歴代最年少の自民党幹事長に就任した直後、最初にあった話は「僕は大学を出て大学院で司法試験の勉強中に親父が亡くなり、社会で働くことなく国会議員になった。社会活動がないので人を見る眼がない。その点をカバーして欲しい」ということだった。

 

「自分を知る」とはこれだと思った。平成元年8月、私が衆議院事務局職員時代だった。7つ年上とはいえ、一介の公務員への腹を割った話に驚いた。私は「社会活動がなくとも貴方が東大受験と司法試験とに失敗したことが若き与党幹事長をつくった。学歴とキャリアで人間を判断しないことが、政治の鉄則」と話したことを記憶している。小沢さんは七十五歳を過ぎても、すべての人から学ぼうという姿勢を変えていない。学ぶべきだ。

 

(「野党協力」の歴史的意義を自覚すべし)

 民進党の代表選を通じてこれまで妙見できなかった「野党協力」の難しかった奥底がみえてきた。それは「共産党との関係」だ。前原候補の「共産党との選挙協力合意を見直す」との言葉尻をつかまえて枝野陣営がいかにも選挙協力を破棄するとばかりネットで攻撃した。前原氏も大人の言葉で発信すべきで、ここら辺は、「松下政治塾の尻尾」が残っている。

 前原氏のいう「見直し論」は、私は論理として当然だと思う。安保法制を廃止するため政権交代を目指す合意で三年前の話だ。現下の東アジア情勢は戦時体制と言っても良い。それに原発問題も、このままでは市民連合は納得しない。破棄はあり得ないのが常識であるはず。危機感を煽る枝野陣営は、本気で政権交代を考えているのか疑わしい。

 問題は細川・鳩山両元首相が、この枝野陣営の策謀にのって、枝野候補を熱心に応援したことも理解できない。前原氏への批判は普通ではなかった。民主党政権崩壊の責任はこの元首相にあるとの論をあえてこの機会にしておこう。まず鳩山元首相だが引退を決めていた藤井裕久氏を平成21年の総選挙に無理に出馬させ、鳩山政権で財務大臣の起用したことである。ここで消費増税が固められたのだ。菅・野田両元首相は使われただけだ。

 菅首相退陣の後、細川元首相から「野田佳彦氏が適切なので、小沢さんを説得して欲しい」と電話があったので「野田氏を総理にすると民主党を壊すだけでなく日本をおかしくする」と断った。お二人には政治の洞察力なし。

 

 今回の民進党の代表選挙で、政権交代の実現を絶対に必要とする理由を前原・枝野両候補は提示しなかったのは残念だ。当選後、前原代表は「国民が安心する国づくり」を社会保障や生活の問題で提示していたが、それも大切なことだ。しかし、現在の国民の「安心」の根本は「北朝鮮危機」の国際情況である。その原因をつくったのは、日本国の安倍自公政権であることを何故いわないのか。憲法9条の解釈改憲から共謀罪の成立は「戦時国家体制づくり」であったとの歴史観が必要だ。野党協力で安倍政権と政権交代することが、絶体絶命の東アジア危機回避の第一歩となる。「理念と政策の一致が選挙協力の条件」とは、松下政治塾ゼミの話だけにしてもらいたい。それが可能ならひとつの政党だ。政治の理想と現実の弁証法的調整を、小沢さんから学ぶべきだ。

 

 

〇 国会つれづれ  15 (「国会牛年会」の話)

 

 昭和41年という時期には、前年の「日韓国会」の与野党激突への国民の批判を受け、国会改革による正常化の体制ができる。ところが国会議員個人の犯罪や不祥事が続発し佐藤首相は与野党の国会議員個々人と接触する機会を望むようになった。この相談を受けた園田副議長は「何か考えろ」と、話を下ろしてくる。

 園田副議長はこういう人の和をつくるのが得意で官邸から竹下登内閣官房副長官を連絡役とし、園田・竹下・平野で何回か相談したが、中々に難しい問題だった。与党議員と接触することなら簡単だが、野党を入れるとなると大義名分というか、世間が納得する理由が要る。3回目の打合せだったと思うが、当時「干支による政治家の行動」というとんでもない方法で政治を茶化していた私は、軽い世間話で「河野参議院副議長と園田副議長は相性が合うようですが、干支ははなんですか」と聞くと「僕は牛年だ」

とのこと。念のために河野参議院副議長を調べると、一廻り上の「牛年」だった。 すると竹下副長官が「佐藤総理も橋本登美三郎官房長官も牛年ですよ」と話をつなぐ。そこで園田副議長が立ち上り「牛年の国会議員を与野党にかけて集めて〝国会牛年会〟をつくろう。月に1回くらい会食して、天下を語る会にしよう」となった。

園田副議長が佐藤総理に会って報告。喜んだ佐藤総理が「会長は私、副会長は河野・園田両副議長、事務局は竹下副長官と平野君」と、その場で決めてしまった。「総理から誉められたよ」と機嫌良く国会に帰った園田副議長は「竹下副長官と平野君が事務局だ。会食にも出席するよう総理はいっていたよ」とのこと。「竹下さんと私は牛年ではないですよ。事務局はやりますが役人の私ひとりが国会議員の会食の席に出るのはまずいですよ」と、文句を言うと「文句を言うな。誰も君のことを役人とは思ってな

いよ。君の干支の話が元なんだ。責任を持て」と逆効果となる。準備が始まり「牛年」の衆参両院の議員が、何と83名もいた。

 明治22年生まれの元貴族院議員・戦前の大蔵大臣の青木一男参議院議員(77歳)が最年長で、最年少は昭和12年生まれ、小渕恵三・橋本龍太郎(29歳)であった。「国会牛年会」の、会則もつくり、1年に4回ぐらいで会費制・一人2万円とし日時場所は事務局で調整するということで始まった。

 第1回は梅雨時で6月末の記憶がある。新橋の『小蝶』という高級料亭だった。自民・社会・民社の与野党の両院議員30名が参加した。共産党の参加はなかったが、公明は衆議院進出前で参議院では牛年の議員はいなかった。座敷の入口に小机を置き竹下副長官と私で受付をやり参加議員から2万円づつ会費を徴収した。この料亭は最低でもひとり5万円はかかる。竹下さんにどうするのか問うと、「会費の2万円は平野君が管理してくれ。全額内閣機密費で払う」とのこと。

この会食の余興に橋本官房長官の提案で水前寺清子とバンドを呼び「懐メロ」を唄わせたところ大好評で、みやげに「牛乳石鹸」の詰め合わせを用意したところ喜ばれ、大成功だった。

 第2回目の「牛年会」は、私が佐藤総理から大目玉を食らうことになる。1回目の成功に気をよくした佐藤総理は直接私に「2回目は『金田中』、余興は講釈師を呼べ、牛の講談をさせろ」とのこと。竹下さんに連絡すると「問題が山積して楽しみは〝牛年会〟しかない。頼りにしているから、よろしく」とのこと。9月末、一人8万円の超高級料亭の『金田中』を予約し、余興の講談のことを政治好きの宝井馬琴師匠に相談した。師匠は「講談に牛の話はない・曲垣平九郎の〝寛永三馬術〟をやる」と譲らない。

 竹下さんと相談して佐藤総理には事前に説明せず牛年会で「馬」の講談を強行した。牛年会の当日、牛の講談を楽しみにしていた佐藤総理の怒ること、怒ること。40名くらいの参加者は喜んでくれた。会食が終わると私をつかまえて「どうしたことか」と怒鳴り出す。「牛の講談はないので馬の話にした」と答えると「天神さんの牛の話がある」と言い捨てて帰宅した。

 翌日、「牛年会で馬の講談を聞いた」と参加者が面白がって話を拡げた。「佐藤総理も味なことをする」と、永田町では話題となった。数日後、佐藤総理から「天神さんの話は、講談ではなく説話だったよ。悪かった」と電話があった。     

(続く)

「日本一新運動」の原点―386

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観 (北朝鮮の水爆実験の暴挙を抑える方策)

 

 最近、私は機会ある度に北朝鮮危機を踏まえて、「人類史最悪の新軍事資本主義が始まっている」と発言している。9月3日の北朝鮮の「水爆実験」は人類の危機へと一歩踏み出したといえる。これ以上の危機を絶対に阻止すべきだ。方法はただ一つしかない。「米国と北朝鮮の話合い」だ。但し問題はその仲立ちをするのは、どの国の誰かが課題だ。

 これまでの歴史的経緯と地政学的事情からすればそれは「日本」に責任がある。しかし北朝鮮は安倍首相がトランプ大統領の盟友として「圧力派」である限り拒否するだろう。わが国は平成14年9月17日、小泉首相が訪朝し金正日総書記と『日朝平壌宣言』を合意した実績がある。この宣言が合意され、そして放置された経緯を調べ、困難な問題の解決に活用しなければならない。

『日朝平壌宣言』の要点は、日本側が幅広い経済支援をする代わりに、北朝鮮はミサイル・核開発問題などで関係諸国間の対話を促進して問題解決を図ること、ミサイル発射モラトリアムを延長する、と合意して「拉致問題解決を最優先」させるため5人の拉致被害者を一時帰国させることを約束した。

 ところが一時帰国させた5人を、約束したとおり、一旦北朝鮮に帰すか、約束を破って日本に残すかが大きな問題となる。福田康夫官房長官は「約束は守るべし」と主張し、安倍晋三官房副長官は国民の人気を得ようと帰すことに反対し、小泉首相は安倍氏の意見を採用した。これが小泉政権の支持率を上げるだけでなく、安倍氏が首相への道を走る原点となった。

 

 この時、私は参議院外交防衛委員会の集中審議で「5人の国籍はどこか」と政府を追及した。「わからない。本人の意思だ」との答弁に対して「国際約束は一旦帰すことだ。その代わり日本人としてパスポートを持たせろ」と提案した。政府は5人に日本人である意思を確認しパスポートを渡した。ところが、安倍官房副長官の国際約束を破棄する意見で、日朝両国の関係正常化が実現できなくなった。従ってその後の問題の種は安倍首相がまいたといえる。拉致問題解決が遠のいたのも、要因は同じである。あの

時、日朝関係が正常化していたなら今のような危機にはなっていない。

 安倍首相は、日本国政府が『平壌宣言』に違反したことを謝罪したうえで、「米朝話合い」の仲立ちを申し入れてみてはどうか。このような時期に北朝鮮が応じるとは思わないが、日本としてはケジメを付けておくべき問題だと思う。その前に安倍首相が謝罪する度量のある人物とは思わないが・・・・。

しかし、せめてトランプ路線に無条件にのって、米朝の対立や日本国内の恐怖を煽ることはやめて欲しい。自民党内にも反省を求める声が出ている。

昭和25年6月に始まった「朝鮮戦争」はその実態は現在も休戦協定のままである。これを平和条約とするのは国連全体の責任でもある。さらに日本人だけでなく、人類すべてが願うのは戦争ではなく平和だ。

 

(民進党の前原新代表に望むこと)

 

「民進党は解党的反省から始めよ」と私が論じたのは、昨年7月24日号の「サンデー毎日」誌上であった。参議院選挙の直後で、同党所属の国会議員諸氏には相当に嫌われた記憶がある。先の代表選挙中に民主党時代の幹部・仙谷由人氏が朝日新聞で同趣旨の発言をしていたので驚いた。現在、私は機会あるごとに「民進党の弁証法的自己否定」こそ、政権交代が可能な政治構造ができるスタートだと論じている。前原新代表には、是非ともこの意味を理解してもらいたい。

 政党の発展は情況に応じた自己否定という思考がなければならない。「得るは棄つるにあり」という倫理法人会の格言がある。「安倍政治は日本を破滅させる」(福田康夫元首相)といわれる国家の危機に、「己を捨ててこそ、本当の己が生きる」のである。国家の危機を救う政権交代という大目的のため、それを可能とする政治集団を民進党が中心となって創造することこそ、民進党の歴史的役割である。前原新代表の責任はそこにある。

 

 重ねていうが「北朝鮮危機」は人類最悪の事態となる局面に入った。安倍自公政権が憲法九条の解釈改憲で地球をリンクさせた「新軍事資本主義」が北朝鮮危機を深刻にしたのである。民進党が自己を捨て、新党結成に生きた時、日本の安定と発展が展望できることを前原新代表は知っているはずだ。新たに選任される執行部もその歴史観を共有すべきである。

 

〇 国会つれづれ  14 (河野一郎死去の後始末余談)

 

「ポッカレモン社」の不当商品表示事件が社会問題となって大手飲料メーカーの商品の販売が復活し始めた頃、大手メーカの商品にも不当表示があるとして公取委は同時に処分を発表した。

 ポッカレモン社は損害をそれなりに抑えることができた。大手飲料メーカーとしては怒り狂った。いろんな手を使って事情を調べることになる。

 政界の裏筋では知られている金融業の大塚省三氏が佐藤首相に持ち込み、そこから園田副議長サイドが動いた経緯ということまで判明した。多分、これには公取委筋から情報が漏れたと思う。大手飲料メーカーは確証を整えて社会党の大物政治家・亀田得治参議院議員に、国会での追求を要請することになる。ポイントは、佐藤首相から園田副議長に工作をさせたことである。亀田参議院議員は、故河野一郎の後始末に大堀氏が暗躍したのでないか、これを狙いとしていた。

 昭和41年という年は第51回通常国会で国会正常化が成功し、佐藤政権にとって長期政権の見通しがつき始めた7月、自民党所属議員の疑惑問題が続出した。同月に召集された第52回臨時国会から11月に召集された第53回臨時国会までを「黒い霧国会」と呼ばれ、佐藤政権は窮地に追い込まれる。こんな情況の中で、「ポッカレモン事件」が問題となった。

 園田副議長と親しいNHKのB記者は、たまたま法政大学で私と同級生で、参議院記者クラブの所属だった。彼は周到に情報を集め対策を立ててくれた。自民党側でも亀田参議院議員に説得を試みたが不調であった。質問の日程が決まった前日、園田副議長から「申し訳ない」と話があったので「参議院予算委員会で私の名が出れば、衆議院事務局職員を辞めます。政治問題にならないようベストを尽くします」と、腹を決めたことを伝えた。

 当日を楽しみにしていたわけではないが、国会職員とは別の生き方も人生とさっぱりした気持ちで副議長室に出勤すると、NHKのB記者が待っていて「亀田議員がポッカレモンの質問をとりやめた」とのこと。B記者の話によると「河野謙三参議院副議長が説得したようだ」との情報だった。その裏で佐藤首相から官邸機密費が配慮されたのは間違いでないと思う。当時の自社55年体制の典型的パターンである。

「ポッカレモン事件」騒ぎはこんなことで収拾していくが、大堀省三氏にとってはその後の河野・園田両院副議長の姿勢に不満を持つようになる。都合した8億円を返してもらう気はないものの、政治家の誠実さに疑問があるとして、上京するとしばしば愚痴を聞かされた。

 河野一郎の後始末にはさまざまな難問があったが、もうひとつだけ笑うに笑えない話がある。それは、数年後、稀代の政商と言われた「小針歴二・那須国有地払い下げ問題」である。

 昭和40年前後小針氏がまだ一介の不動産屋の頃と思う。河野一郎の口利きで那須の国有林を不正に払い下げるという事件があった。検察・警察が内偵し、事件として立証し始めていた。その中心人物が若き小針歴二氏であった。ホテルの建設など観光開発のためで、ここでの成功が「政商」の基盤となる。

 検察・警察が立件をめざして小針氏の事情聴取をする情報が流れ、河野・園田両院副議長は小針氏を隠す必要があった。そこで、またもや私にお鉢が回ってきた。「半年か1年になるかわからんが、小針を行方不明・連絡の採れない状態にすることになった。ついては、極秘の連絡役と場所が必要だ。平野君と副議長秘書宿舎でお願いできないか」となる。

 この役もやむを得ず引受けたが、10ヵ月ほどで検察・警察も諦めたのかあるいは手を打ったのか役目を終わった。この小針氏との縁は、10年経って思わぬところでお返しを頂くことになる。昭和52年暮に福田赳夫内閣が成立する。福田政権を支える柱は、衆議院議院運営委員長の金丸信氏であった。福田政権の資金を支えていたのが小針歴二氏。私が議運委員会の事務担当で、ある時金丸議運委員長に決済をもらいに行くと、丁度小針氏と面談中であった。小針氏が私に気がつき「10年前は大変なお世話になり」と、思い出話となる。金丸議運委員長が驚き、「わしも当選以来世話になっている。これからは平野君の命令はすべて聴く」と、冗談話となる。

 そのせいとは言わないが、与野党伯仲国会で自民党が暴発しそうになると金丸さんのところに〝説教的説明〟に行くと効果があった。政治とは不思議なもので、人と人との関係が基本だ。若い頃の理屈抜きの苦労が役に立つことがある。これだけは「AI」ではできない。

(続く)

「日本一新運動」の原点―385

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観 (社会医療法人社団蛍水会 

名戸ヶ谷病院主催時局講演会の報告)

 

 8月27日(日)、名戸ヶ谷病院講堂で「平野貞夫・時局講演会」が山崎誠理事長の肝煎りで開かれた。日曜日の午前中という時間帯にもかかわらず、病院関係者だけではなく、近郊の政治に関心のある人たちや東京からも青木愛参議院議員と一緒に高齢者十数人が参加してくれた。講堂が百数十名の人々で溢れた。

 

 講演会は高野副理事長の挨拶と司会で始まった。私の講演のテーマは「日本の議会政治の問題点と改善策」であった。主要なポイントは、⑴の「激動する政治情況で北朝鮮危機を踏まえて「人類最悪の新軍事資本主義が始まっている」ことを認識すべしと論じ、安倍自公政権の不都合を指摘、野党協力による政権交代は日本だけでなく、世界の安定のためにも必要であると指摘した。

 

⑵では、「日本の議会政治のどこが問題か」について、

①政権交代の意義を考えない日本人、

②多数決原理の限界を理解しない日本人、の二点について論じた。

⑶では、「健全な議会民主政治を実現するための改善策」について、

①明治時代から続く統治原理の二重構造の改善(明治憲法と教育勅語意識、日本国憲法と対米従属意識)、

②憲法原理を骨肉とする議会デモクラシー教育の促進

を論じた。

 

 質疑応答の時間を多くして、貴重な質問や意見を聞く良い機会となった。参加者の関心が高かったのは「北朝鮮問題」だった。ミリタリーゲームの「新軍事資本主義」が根本原因にあり、安倍自公政権の憲法九条解釈改憲が地球をリンクさせ、拡大させたのである。早急に政権交代して、米韓中ロに対し、東アジアの安全保障確立には日本がイニシアティブを握るべし、との説明に参加者の賛同を得た。

「民主党代表選挙」への関心も強かった。「前原氏が代表になれば共産党との協力が見直されるのか」との質問があった。前原氏は民進党保守派用の戦術論で、誰もが共産党との協力なくして政権交代ができないと思っている。共産党も前原代表で選挙協力が壊れるとは思っていない。枝野派が前原氏の言葉尻をつかまえて選挙戦に利用しているだけだ、と説明しておいた。

 

(小沢事務所で韓国学者らと懇談)


 翌28日(月)午前10時から、小沢事務所で韓国の慶南大学・金容福教授と韓国議会発展研究会・伊光一氏と懇談した。小沢一郎氏からの要請で、日本の政治情況や東アジアの安全保障、歴史問題等について約2時間、意見交換した。韓国の新大統領・文在寅を支持している政治学者のグループのようだった。「新軍事資本主義」形成に日韓がどう対応すべきか、韓国には、しっかりした人物が大統領に就任したので、後は日本で政権交代して人類史的難題を解決できるリーダーが必要だ、で意見一致。

 韓国の学者グループとの懇談を終えてひと休みしていると小沢さんが入室してきた。久しぶりにゆっくり懇談したが前日の名戸ヶ谷病院の講演会の報告をし、レジュメを見せると「人類史上最悪の〝新軍事資本主義〟が始まった」の項に強い関心を持った。民進党の代表選で最大の問題がこれだとし、「早急に国連中心の東アジア安全保障の確立」が話題となった。

 

 平成元年~3年、小沢自民党幹事長の頃、米ソ冷戦終結から湾岸戦争終了の時代だった。高知県西南部の国有地に「ジョン万次郎記念国際貢献・国連PKOセンター」を設置する政策を構想したことがある。小沢さんはこれを記憶していて突然話題となった。私の参議院選挙の公約にして、宮沢内閣では自社公民が衆議院予算委員会で賛成し、細川連立政権に交代して取り組むことになっていたが、時代の移り変わりで実現しなかった。

 この国連中心の東アジア安全保障政策は、政治改革と一体となって細川・羽田改革政権の目玉であった。政治改革といえば羽田・小沢両氏の政治生命だが、その経緯は小沢幹事長が羽田氏に自民党の選挙制度調査会長の就任を懇請して基盤をつくった。

 その根回しや説得に、当時衆議院事務局委員部長の私が扱き使われた記憶がある。30年ほど昔の懐かしい話を二人でしている時間帯に羽田孜同志は天国に逝った。羽田氏と私は同じ昭和10年生まれで、何でも言い合える友人であった。

 


〇 国会つれづれ  13 (河野一郎死去の後始末余談)

 

 昭和40年7月に急死した河野一郎氏の後始末で難問題の「東京資材・背任横領事件」は、大阪の金融業・大堀省三氏が8億円(現在時価約30億円)を出してくれたことで、河野一郎一族は救われた。しかし、私にとってはこれで終わりではなかった。

 昭和41年6月、通常国会を乗り切って、ほっとしている佐藤政権に真夏になってから自民党議員を中心に疑惑事件が噴出する。世に「黒い霧事件」といわれ、佐藤政権が追い込まれていく。これについては次の機会に述べるが、この一環として、河野家後始末に関わる問題が発生する。東京資材事件が解決して二ヵ月ほどして、園田副議長が困り果てた顔でとんでもない話をもってきた。

 

(ポッカレモン事件への関与)


「ポッカレモン事件」とは、日本が豊かな社会になり食品や飲料水も水も、新しい商品が開発された。中でも飲料として有名になったのが「ポッカレモン」で、レモンから健康に効果のある天然の素材というイメージで売り出された。多くの国民に愛飲されたが、従来のオレンジジュースとか、サイダー類の売れ行きに影響が出た。他社の分析で、「ポッカレモン」に天然素材は活用されてなく「クエン酸」が原料となっていることが判明して、競合各社は「商品の不正表示」として公正取引委員会に提訴した。 

 

 マスメディアは大々的に報道、社会問題となり「ポッカレモン」への批判が盛り上がった。たまたまというか、大堀省三氏がポッカレモン社の大株主で莫大な損害を被った。大堀氏は困り果て最も関係の深い佐藤首相事務所に対応策を持ち込むことになる。

 当然佐藤首相に話は報告され指示が出る。その指示は「近いとこでは河野の後始末に大堀省三氏は8億円も世話した。直(園田副議長)のところで対応してもらえ・・・・」ということになる。

 園田副議長から私への話は、「佐藤首相のためにも、この問題はなんとか解決してやらないと・・。総理から公正取引委員会に持ち込める話ではない。総理から電話があったので引き受けた。提訴され罰される話を止める話だ。会館の秘書でできる話ではない。君を見込んでの話だ。何とか顔の立つ方策を公取側と相談して解決してくれ」というもので、無茶苦茶だ。

 

 大堀氏と何度も会ったうえで、私が問題を持ち込んだのは公取委の商品不正表示を監視している担当課長のA氏を訪ねた。当時「ポッカレモン事件」といえば経済界全体が注目し、「公取委」の面目に関わる話題となっていた。A課長は初対面の私に政治権力で提訴を却下させるためかと身構えていた。大堀氏から詳しい説明を受け「提訴の却下を政治圧力でやることは問題を悪化させる」と説得して、それ以外の方法を考えるとあらかじめ伝えて、ポッカレモンの成分や効用を教えてもらっていた。それによると天然のレモンより、人工の「クエン酸」が健康に効果があるとの情報を得ていた。

 公取委のA課長に、「私は提訴を却下してくれとはいわない」と、冒頭に宣言しておいて「国民の健康のためには、天然のレモンより効果があるとの説明は持参した資料の通りだ。ポッカレモンを世の中から消さない方策で問題を解決することを二人で考えようではないか」と提案した。これにはA課長も私の真意を理解してくれ、「案があれば提示してください」となった。

 それから一週間、必死に調べたところ、提訴した企業の商品に、公取委が問題とすべきことが多数あることが判明した。再びA課長に会い、「他社にも提訴すべき問題が多々ある。これを精査し、ポッカレモンと同時に処分することをプレス発表することでどうか」と提案した。これを公取委側は理解し、大堀氏も了承。難問は解決した。

 ところが当時の「黒い霧国会」の中で、関西の大手企業が公取委の対応を不満とし、大阪府選出の社会党亀田徳治参議院議員を使って、参議院予算委員会で、平野貞夫の名を出して追求するとの情報を、NHK記者がもってきた。        

(続く)

「日本一新運動」の原点―384

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観 (愛知私教連「夏期組合学校」講演要旨)


8月22日(火)、愛知県蒲郡市で開かれた愛知私教連の夏期組合学校での講演を依頼され、「政権交代への道を探る―『日本の議会政治』にはどんな問題があるか」を話してきた。その中で「挨拶に代えて」が、今回の講演依頼に応じた心境を吐露しているので全文を載せることにしたい。

 

 「挨拶に代えて」

 最初に、横田委員長からのお声がかりで、こちらに参上しました私の心境を申し上げてから、本題に入ることをお許しいただきたいと思います。

 私は、故人となった二人の人生の恩師からの宿題をそのままにしていまして、それがふたつの悔みとなっていました。

 第一の悔みは、高校時代の恩師で同和問題の研究で全国に知られていた美馬敏雄先生の影響で教師になりたかったのですが、その志を叶えることができませんでした。法政大学政治学修士コースのとき「60年安保」の前哨戦で、〝警職法反対闘争〟の時代でした。大学院自治会委員長として「デートを邪魔する警職法」という、今でいうキャッチコピーをつくったり、東京駅に〝特急つばめ〟などを止めに行ったりしました。

 高知県出身で警察庁の溝渕次長のブラックリストに載り、高知県の教職者には採用されない状況を自分でつくったのです。その後、郷里選出の大物政治家に大迷惑をかけたり、説教されたり、騙されたりして衆議院事務局に勤務するようになりました。

 第二の悔みは、衆議院事務局に勤めて13年程して、前尾繁三郎衆議院議長の事務秘書となります。前尾先生が議長に就任したときに『政の心』という本を毎日新聞社から出版し、調査やゲラの校正を担当しました。『政』という文字を語源学から分析して「政治は、現実と権力の上に立たなければならない。しかし理想と正義を忘れた政治は、もはや政治ではない」と論じています。

前尾先生はこの『政の心』で「人間性と政治」という項を設け、政治を良くするためには、「人づくりしかない」と述べています。そこでスイスの生物学者・アドルフ・ポルトマンの著書『人間はどこまで動物か』にある「人間の生理的早産」の理論を応用して、「人間は何故教育が必要か。人間的成長とは何か」と、教育論を展開しています。

 残念なことにこの本は難しい文章で書かれていまして、あまり売れませんでした。前尾先生は、ご自分の主張が世に拡がらないことを気にして、「中学生や高校生にわかる本に書きかえてくれ」と私に難題を出されたのです。国会が大混乱の時代でとても対応できませんでした。

 前尾先生は、議長を辞めて五年後の昭和五十六年に急死します。偶然でしたが二週間ぐらい前に神田の料亭に呼ばれ、前尾先生の後継者や政治理念などについて相談を受けたとき、『政の心』の中学生・高校生版を執筆して欲しいと、改めて話がありこれが私への遺言となっていました。私は〝自社55年体制〟の風雨に扱き使われてそのままになっていました。

 その後、私は小沢一郎という政治家に煽てられ、参議院議員を2期12年勤めることになります。引退して13年になりますが、政界という俗界から足を洗うことができず前尾先生の遺言の実現を諦めていました。

 美馬先生は、私が教職に就かず衆議院事務局に勤務してからも、教育問題に関心を持て、教職者と会えと言ってくれましたが、殆ど実行しませんでした。前尾・美馬という二人の恩師は保守本流と革新本流という対立関係でしたが、この二人から偶然、ある同じ言葉を大事にせよと教わっていました。それは、論語からのもので『忠恕』(ちゅうじょ)です。「忠は内なるまごころに背かぬこと。恕はまごころにより他人への思いやり」です。前尾先生は、これを「政治家のあるべき道」と語り、美馬先生は「教育者の道」と語っていましたが、保守でも革新でも、本流に位置する人間は共通の哲学を持っていたのが昭和の時代でした。

 私は、教職者になりたくてその準備をしましたが、政治の道に紛れ込んでしまい、恩師との約束を果たせなかったと申しました。しかし私は、政治を良くするためにどうすればよいか、いつも考えて行動してきました。その結果が、今日の政治の劣化です。今後どうするかという重大問題に対し、前尾先生のいう「政治を良くするためには人づくりしかない」と思います。そのためには、教育者のお力を拝借するしか道はありません。私は〝終活〟として、この場で前尾先生の遺言を実現する決意をいたしました。

 この機会をつくって頂いた方々に、心から感謝しましてご挨拶といたします。

 

○ 講演のポイント

1)激動が始まった政治状況

 安倍内閣改造の前日(8月2日)、自民党内では同じ派閥に属する福田康夫元首相は共同通信のインタビューで安倍首相の最近の政治に関し「国家の破滅に近づいている」と警告した。私も同様の認識である。

 今回の改造について感想を言えば、史上初がふたつあった。ひとつは記者会見で、冒頭の十数秒間お詫びと称して頭を下げたが、何を誰に対して詫びたのか、追求する記者がひとりもいなかった。「数々の嘘を国会でついたお詫び」なら総辞職すべきだ。もうひとつは閣僚・党五役25人の内15人の6割が世襲議員だ。自民党では世襲議員でないと出世しない文化か。平安末期の腐敗公家政治を連想する。

 

(改造の狙いはなにか) 私は防衛省の〝日報隠蔽問題の処理〟だったと思う。私見だが、隠蔽を指示したのは安倍首相だと推測する。稲田防衛大臣が辞任直後、滅多に見せない〝笑顔〟で心境を記者団に語った深層心理を読むと「私は安倍首相を助けたのよ」となる。今回のことは重大問題だ。軍事機密の不祥事をシビリアンコントロールで、国会や国民に公開すべき責任者が、隠蔽を促すという、アンチ・シビリアンコントロールとは・・・・。これだけでも総辞職ものである。


(解散・総選挙など政局の見通し) 次の臨時国会の冒頭に安倍首相は解散を断行したい気持ちだが、自民党内には福田元首相の指摘のように、安倍首相への不信が拡がっており、30%程度の可能性だ。加計問題で新しい情報が出始めており、これが解散を止める要因となる。解散できないとなれば安倍退陣の動きも加速し、政局は激動しよう。

 

2)北朝鮮危機から読めるミリタリーゲームの新資本主義

 連休直前から始まった北朝鮮危機は、8月20日現在の情況で、日本が米国から北朝鮮のミサイル攻撃に対処して、「イージス・アシュラー」などを爆買いするのが結論となった。8月17日の2+2協議で新迎撃システムを導入するため、当面1兆4千億円の防衛費が必要とのこと。世界のミリタリー・ゲームマフィアたちは、国家の枠を超えて闇の世界で何をやっているかわからない。間違いなくマネーゲームで経済成長を企む守銭奴たちは、ミリタリーゲームに足場を移した。北朝鮮のミサイルにウクライナが関わった報道があるが、先進国の技術もどんな流れ方をしているか、想定を超えたことが起こっている。ミリタリーゲームは、何時どんな切っ掛けで、国家がコントロールできない戦争となるか、誰

も読めない。日本国憲法第9条が集団的自衛権容認の解釈改憲によって、新軍事資本主義が地球をリンクさせることになったといえる。安倍政権の犯罪的行為だ。一日も早く退陣に追い込み、ミリタリーゲームを止める政権交代を実現すべきだ。野党側の認識が不十分であり、民進党の猛省を要請する。

 

3)その他の講演のレジュメは次の通り

○ 国会劣化の根本原因を考える

① 議会民主政治の基本である政権交代を理解しない日本人

② 議会選先進国での常識(嘘は御法度、多数決に限界あり等)

③ 健全な「議会政治教育」が急務

 

○日本人が健全な議会政治に馴染めない原因

①明治時代から続く、統治原理の二重構造(戦前=明治憲法と教育勅語による「天皇制従属症候群)。(戦後=新憲法と日米安保体制による「対米従属症候群)

②日本人の自立を妨げた「現人神」を利用した「教育勅語の呪縛」が原因

 

 以上が「愛知私教連・夏期組合学校」での講演概要だが、いずれ整理した上で「メルマガ・日本一新」紙上で紹介したいと考えている。結論として申し上げたことは、「日本人の〝自立心〟の養成が、政権交代ができる第一歩です。

もうひとつ重要なことは「新軍事資本主義」という認識は、現在、私だけですが、異常な資本主義となったのです。戦争は絶対にやってはなりません。そのためには人類の「共生」という理念を共有すべきです。「自立と共生」、これがこれからの日本人が希求すべき国家社会です。

                (了)

☆国会つれづれは休みました。

「日本一新運動」の原点―383

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観 (民進党内の「小沢アレルギー」を考える!)  

 

 総辞職すべき「安倍内閣」が、内閣改造で支持率急減に歯止めをかけた。本来ならば、安倍政権を追い込んだと評価されるべき民進党の蓮舫代表と野田幹事長が共に辞職を表明した。理由は、「党内をまとめることができなかった責任」という「締まらない」話だ。内外で緊急問題が山積する中、国会議員だけの選挙でも代表選を行い早急に執行部を構成して諸課題に対処すべきなのだが、代表・幹事長が居座るように、代表選挙を仕切るべくして暗躍しているようだ。これは民主党時代からの伝統で、彼らの病根は見えるところでは公平さを装いながら、裏では犯罪的行為で不正を行ってきた。

 平成22年秋の「菅対小沢」代表選挙で話題となったからご記憶の方も多いだろう。その根っ子に安倍政権の「虚言と隠蔽政治」を批判できない体質がある。早急に、辞意を表明した蓮舫・野田両氏が関わらない機関をつくって代表選挙を管理していくべきだ。

 

 さて、蓮舫・野田執行部が退陣理由とする「党内をまとめることができなかった」とは何のことだろうか。私の見方は「次の総選挙での四野党協力で〝共産党アレルギー〟と〝小沢アレルギー〟にどう対応するか」で、党内をまとめることができない、ということである。ところで、このふたつのアレルギーで「共産党アレルギー」の方は問題が少ない。共産党排除は「新軍事資本主義マフィア」の影響を受けている幹部に多く、一般の国会議員は総選挙での〝当選担保〟というリアリズムを考えると、いざとなれば話はつく。

問題は「小沢アレルギー」の方だ。四野党協力で政権交代を実現するためには、生まれ変わる民進と自由・社民、そして市民組織で新党をつくり、共産党と小選挙区での協力体制をつくることがベストであることは選挙の常識だ。少なくとも民進・自由・社民などで「オリーブの木」をつくり、小選挙区での協力体制をつくることだ。

 この四野党協力の仕組みをつくれる政治家として、国民の多くは小沢自由党代表しかいないと理解しており、そのことについては共産党も社民党も異存はない。民進党内に小沢代表による調整に強く反対する輩がいることが問題である。漏れ聞くところによれば野田代表と枝野氏(代表選候補予定者)だ。そしてその影響を受けている連中だ。大事なことはその理由や背景である。これまで種々議論されてきたが、私は、これまで民主党や民進党を指導してきた「学識経験者」に原因があると最近思うようになった。

 

(山口二郎法政大学教授の論調に見る問題点)


 山口教授とは北海道大学教授時代に、放送大学を担当しており、私が政治改革のひとつの教材として使われたことがあり、その時から知り合いである。彼と宮本太郎氏で討論した『日本の政治を変える』―これまでとこれから―(岩波書店平成27年版)が参考になると思い、読んでみて驚いた。

 そこには看過できない事実の誤認と誤解があり、これらが「小沢アレルギー」の背景になっていると確信した。間違いは多数あるが、重要な二点に絞って報告しておく。

 

1)小沢一郎らが政治的生き残りを賭けて政治改革のシナリオをつくったのは、スキャンダルの温床であった人たちがそれを逆手にとって生き残りを賭けたのだ(宮本氏)。

  山口氏は「そうですね」と同調(同書21頁)。

 

 田中派・竹下派がスキャンダルの温床であったことは事実だが、小沢氏についてはマスコミの捏造。国民のため真摯に政治改革に臨んだことは、衆議院事務局で協力していた私が証明できる。四野党協力を纏めねばならない時代の要請に、指導すべき立場にある人物がこんな発想では何とも・・・。

 

2)細川連立政権の崩壊は、小沢氏が朝鮮半島危機に対応するため「集団的自衛権」の行使に踏み出すことに、社会党側が反発した等(40頁)。

 

 小沢氏の構想は国連の「集団安全保障」に自衛隊とは別組織で、国連の指示で行動すること。所謂「集団的自衛権の行使容認」とはまったく別の発想であったが、この二つの概念を区別できない政治家や有識者が多数いた。土井社会党委員長はこれを理解していた。湾岸紛争の「国連協力合意」協議で土井委員長は合意原案を作成中の私にメモを届け、「これなら党内を説得する」とのことだったが、不調となった。

 この他に山口教授は「自社さ政権」の成立に尽力し、ブレーンとして活躍したことを自画・自賛している。この自社さ政権が、日本のデモクラシーの発展を妨げたことについて、是非とも論争してみたい。


 

〇 国会つれづれ  12 (河野一郎死去の後始末に扱き使われた顛末)

 

 日韓国会の大混乱で国民から信頼を失ったのは、佐藤栄作首相だけではなく、国会全体が信頼を失った。園田直を衆議院副議長に起用した佐藤人事は成功した。当時は平成も30年近く過ぎた現代と違い、正副議長は自民党が独占し、遣り手の副議長が国会全体の、事実上の国対委員長のような役割を担っていた。

 第51回通常国会が昭和40年12月20日に召集され、年の暮に対立法案の「赤字国債特例法」の混乱を避ける合意を与野党に了承させた園田副議長は翌41年1月4日に「議会制度協議会」の設置で、本格的国会改革の構想を発表した。さらに「建国記念日法案」という、野党がこぞって反対する懸案問題も決着させた。秘書役を務めた私への誤解や悪評も減少し、ほっとしているところに持ち込まれたのが前年7月に死去した大物政治家・河野一郎の後始末であった。

 河野一郎が率いる派閥「春秋会」は政界で「宏池会」(前尾派)や周山会(佐藤派)に並ぶ影響力をもっていた。本来は中曽根康弘と森清(千葉県選出)の後継者候補が後始末をすべきだが中曽根氏は体よく逃げ、森氏は病気のため対応できなかった。結局、実弟の河野謙三参議院副議長と園田副議長の二人が、宇野宗佑衆議院議員に手伝ってもらうことで始まった。

 河野氏の残した遺産は当時百億円ともいわれ、女性関係も複雑で、公にできない利権がらみの関係先が、もつれた凧糸のように絡み合っていた。私に後始末を手伝えとの要請があったのは河野氏の同族会社に「東京資材株式会社」があり、ここで親族間のトラブルが「背任横領事件」に発展しそうになり、それに対処するためであった。園田副議長から「関係者と相談したところ、口の堅い役人に事務をやってもらおうとなった。弟さんの河野副議長からも説得してくれとのことだ」といわれ、断れなかった。

 

「東京資材株式会社」とは、食糧庁が管理する「米穀」を入れる麻袋を独占的に納入している特種な企業である。河野一郎氏は農林省の利権で資産や政治資金をつくることで広く知られていた。当時は「コメ」が配給の時代で、このビジネスは「濡れ手に粟」ならぬ「濡れ手にコメ」のいわば河野家のトンネル企業であった。

 問題を整理し、話し合いを進めると8億円(現在では約30億円?)の資金があれば事件にはしないとの見通しがついた。難問は8億円をどう調達するかということになった。経緯から宇野宗佑氏が故郷滋賀県の出身で江商の生き残りといわれる大阪の金融企業「日証」のオーナー・大堀省三氏が拠出する話をつけてきた。大堀氏は、佐藤首相や中曽根氏ほか、大物政治家に裏・表の資金を出していることで、その筋の人たちは知っていた。

 問題は大堀氏が出した資金が、政治資金か個人的に貸したのか、返済すべき資金か否か、まったく不明であった。実際の金の受け渡しは宇野氏と大堀氏が現金でやったが、連絡や調整は私の担当だった。大堀氏の気持ちとしては8億円を返してもらうつもりはないと、私は理解していた。その理由は「8億円を出したことは、佐藤首相にも話してある。佐藤政権の安定に役立てばと・・。何かあれば相談しますよ」と私に話があったからだ。政治的に活用するつもりで、私が証人のような役回りであった。

 東京資材事件は「地獄の沙汰もカネ次第」のことわざ通り、検察・警察筋には園田副議長が話をつけ河野一族で刑事事件を準備していた人たちには、宇野氏が資金で説得し、一件落着となった。この話には幾つかの後日談がある。まず、大堀氏が出してくれた資金が残ったのだ。詳細は個人の名誉のためにいわないが、河野・園田・宇野の3人で3等分した。

 その中で園田副議長の使途の一部に、私が関わったことについて報告しておこう。赤坂の花街で若い芸者を「3百万円で身請け」した。念のために「身請け」を広辞苑で見ると「年季を定めて身を売った芸妓・娼妓などの身代金を払って、その商売から身をひかせること」だ。園田氏は、その女性を勝海舟で知られる赤坂氷川町のマンションに住まわせることになる。引っ越しの日が決まると「済まないが、彼女と一緒に秋葉原に行って、テレビ・冷蔵庫・洗濯機などを、新婚さんのようにして買ってきてくれないか」と私に懇願してくる。私は怒る気にもならず、「いよいよ女好きの勝海舟の心境ですか」と皮肉を言って園田副議長の愛人と数時間のデートを楽しんだ。これが半世紀前の日本政治の裏側である。

 河野一郎という政治家を、私は〝亡国の政治家〟と思っている。後継者の孫・太郎は当時3歳だった。8月3日の内閣改造で安倍内閣の外務大臣に抜擢されたが、祖父の生き方をどう考えているのだろうか。 

                  (続く)

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   顧    問 : 戸田 邦司
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