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「日本一新運動」の原点―23

「日本一新運動」の原点―23                  日本一新の会・代表 平野 貞夫


○民主党三長老よ、晩節を汚すな!

 月刊「文藝春秋」11月号は、民主党の渡部恒三・石井一・藤井裕久の三長老を登場させて「本音座談会」なる記事を掲載している。
 「小沢クン あんたの時代は終わった」というテーマであり、小見出しでは「かつての同志、盟友、知恵袋」と謳われているが、とんでもない間違いである。三長老と私は衆議院事務局以来の長い縁があり、あえて本当のことを世間に晒すことを避けてきたが、そこまでいうなら私も直言させてもらうことにしよう。

 まず指摘しておきたいことは三長老には歴史観がなく、菅―仙谷政権の正体を見抜いていないことだ。政権交代の原点を裏切り、自民党政権より悪質な、旧体制官僚政治を復活させたことがわかっていない。というより三長老とも菅政権を支え、官僚政治復活を推進したともいえる。
 10月12日、久しぶりに永田町に顔を出し、親しい国会議員やジャーナリストに会った。これからの政治の展開について貴重な情報を聞いた。 まとめてみると、仙谷官房長官は、

1、菅首相の弱点を(女性問題?)を握っており、いつでも首をすげ替えることができる。
2、時期を見て前原を首相にする腹で、前原にしばらく静かにしていろと指示している。
3、時間を稼ぐ必要があり、小沢前幹事長の政治活動を封じ込めるために、検察審査会が不可解な動きをした。
  というもの。

 ネット上には同様の見方も流布されているし、私が聞いたのは、政局を見通す専門家だから当たらずとも遠からずであろう。私もこの流れが軸になっていると見ている。
 三長老が「小沢は9月の代表選に出馬したことは間違いであった」とか、「小沢の時代は終わった」などと、マスコミで盛んに放言しているが、政局の流れは、野中元自民党幹事長の指導のもと、仙谷官房長官が見事に「小沢排除」の道を成功させるかの動きである。

 そうなると、菅政権の崩壊どころか、民主党自体がバラバラになる可能性が出てくる。菅政権が政権交代の意義のほとんどを裏切った状況で、九月の代表選挙が菅代表の信任投票ということになっていたなら、民主党への信頼は地に墜ち、取り返しのつかない事態になっていた。

 小沢一郎という政治家は、代表選に出馬するという英断で、国のあり方と国民の生活を護るため、自己の思いを天下に指し示し、民主党という政党に生命を与えたのである。
 「世代交代」はきわめて大事なことだが、現在の与野党国会議員に危機の日本に対応しうる人間力のある政治家は残念ながらいない。誰かが仕組んだ可能性のある第五検察審査会の「起訴議決」があっても、この国の国民と民主主義を護るため、「小沢クンの新しい時代が始まった」のである。三長老の思考は政治的痴呆症候群というものでなく、国会議員なった時から政治の本質が何かを知らない政治家であり。もっと早い時期に、国民に知らせておくべきだったと反省している。

(政治判断ができない藤井裕久)

 この人は政策には当代一流だが、政治判断はほとんど駄目な政治家で、要するに大蔵官僚としてのエリートで官僚的発想しかできなかった。
 自由党が民主党と合流し、藤井氏が70才と老齢化するにつれ、官僚意識が強くなり、岡田克也幹事長と共通した「役人性思考硬直症候群」を患ってしまったようだ。
 私とは昭和40年代の田中内閣頃からの付合いである。自民党を出たときも一緒で、自由党時代は藤井幹事長―平野副幹事長のコンビで通したが、藤井氏は小沢党首に言いにくいことは、全部を平野に言わせるというやり方で、小沢党首もそれを承知で「藤井は平野と相談してやっているので、僕に報告がなくてもよい」という毎日だった。
 平成12年4月、自由党から保守党が分裂するとき、私は小沢党首に呼ばれ「藤井さんは保守党に行く。あなたは古い付合いなので怒るだろうが、自由にさせておいて欲しい。あんたはこんな時、ネジを締め切るので、そっとしてやってくれ」と頼まれた。
 「わかった」と返事をしたものの腹の虫は収まらず、クライマックスの前夜、藤井さんの親友である鈴木淑夫衆議院議員に参加してもらい、藤井さんを交えた五~六人の飲み会を開いた。中締めを鈴木さんに頼み「小沢党首バンザイ」をやってもらったが、これで藤井さんは保守党に行けなくなった。この話は本邦初公開である。

 藤井さんは自由党時代から「アルコール依存症」で、私は時間のある時、昼間からの飲酒にしばしば付き合わされたから、私が参議院議員を引退した頃には相当ひどくなっていた。平成18年9月の郵政総選挙で落選して引退を表明し、その後比例補欠で復活するときに世代交代を奨めたが、結局は官僚の地位欲が出たまでのこと。昨年の総選挙でも引退を表明していたが、鳩山代表の懇願で、またもや地位欲しさの官僚根性が芽を吹き、政権交代で財務大臣に就任した。

 私はこの時、何度か反対した。理由はアルコール依存症が相当程度進行し、時々認知症の前段症状が出ていたからだ。麻生政権時代の中川財務大臣の二の舞を恐れたからであるが、案の定「円高容認発言」が出た。優秀な官僚で政策の説明は秀逸ではあるが、その精神の根底に大蔵官僚の「形式論理発想」が抜けなかった。
 晩節を汚すことにならないように心配はしていたが、所詮は自民党55年体制の官僚政治家であり、小沢一郎はその辺を知っていたのだ。

(ポスト怨霊の渡部と石井)

 平成5年に羽田・小沢の「改革フォーラム」が自民党を飛び出し、新生党を創ったとき、渡部恒三氏は政治改革の何たるかをまったく知らないのに驚いた。また、自民党時代の消費税国会で国対委員長をやったが、これほど役に立たず政権の足を引っ張った政治家も珍しく、衆議院事務局という役目柄、ずいぶんと無駄骨を折らされてことは記憶に新しい。

 石井一氏とは、議院運営委員会の海外旅行に同行したが、訪問国での行状は、「在外公館の担当者を困らせるベスト5」に選ばれるという、「優れた栄誉」の持ち主でもある。新進党結成の際、二人の参加は自民党の雰囲気を持ちこむ感じで、小沢氏との間はどっちかというと敵対的としか思えなかった。
 渡部氏が、衆議院副議長に再選されたときは自民党の野中氏の協力を得て自民党の票で当選し、民主党推薦の石井一氏は落選した。渡部氏は昨年、衆議院議長になることを邪魔したのが小沢氏だと恨んで、怨霊となっている。石井氏は西岡参議院議長の後を狙っての最近の行動と思えるが、ご両人とも自分を知って欲しい。国のためにも、国民のためにも。

(三長老の本音!)

 巷間では文芸春秋に類似した記事を散見するが、「メルマガ・日本一新」の読者諸兄はこれらをどう読み取るか、ご意見を掲示板に寄せて欲しい。
 経緯はどうであろうとも、ある時期は同志として同じ釜の飯を食ったのだから、心底から「小沢は終わった」と理解する平均的日本人ならば、静かに見守るのが礼儀であると私は思う。
 しかし、敢えて足を引っ張るのは、「小沢は終わっていない」が彼らの本音であり、小沢氏の再登場でもっとも困るのは彼らなのである。

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   代    表 : 平野 貞夫
   顧    問 : 戸田 邦司
   事 務 局 : 大島 楯臣

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