「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―302

 日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 甘利経済再生大臣問題について -1

 

『週刊文春』1月28日号は「甘利明大臣事務所に賄賂1200万円を渡した」という見出しで、実名告発の政界を激震させると報道した。しかも、「口利きの見返りに大臣室で現金授受」とのサブタイトルがあるというサプライズである。「とうとう来たか」これが私の実感であった。

 運が良いのか悪いのか、通常国会は1月4日の異常召集中で、安倍政権や甘利大臣側は何の対応も準備もできないまま、野党の追及にさらされることになる。甘利大臣は、1月21日の参議院決算委員会で大臣室での現金受取を「否定」できず「記憶をたどっている」と釈明した。20日の記者会見では、「調査した上で説明責任を果たしたい」と平静を装っていた。

 

 永田町の情報通によれば、週刊文春は16日に甘利大臣に確認のため取材している。翌17日と18日の2日間、記事をモミ消す工作をしたが不調で、19日に官邸に駆け込んだとのこと。『日刊ゲンダイ』(22日付)に同趣旨の記事が出ているが、まずは正確な情報であろう。とすれば20日の記者会見も、21日の参議院決算委員会での甘利大臣の発言は、わかっていて明らかに嘘をついているといえる。

 さすが自民党と公明党の与党からの「説明責任を果たせ」との合唱に「一週間以内に説明する」と期限を切ったが、これも悪質な智恵である。一週間以内に「逃げ道」とか「辞任した後の政権への悪影響回避策」を、菅官房長官を中心に悩みに悩んでいるだろう。野党、特に民主党は突然の敵失に小躍りしているが、この問題を単純な政争や個人プレーにしてはならない。安倍政権の、「甘利問題」は自民党政治の宿痾であり、決して「古典的資金集め」ではない。この宿痾を治療しない限り、我が国に真のデモクラシーは期待できない。

 

(類は友を呼ぶ安倍政治!)

 

 小泉純一郎という政治家に対する評価はいろいろあるが、最大の歴史的ミスは安倍晋三という政治家を後継者として自民党総裁・内閣総理大臣として指名したことだと思う。それを、自民党という政治集団が追認したことは、あと十年もすれば「政治的大ミス」であったことを歴史が証明すると確信している。

 第一次安倍内閣で、安倍首相が盟友の甘利明を経産大臣として入閣させたとき、私は「類は友を呼ぶ」という格言を思い出した。説明の必要はないと思うが、「知性・性格・思想・人格等々」が似ている人間は「友」となるという意味である。立派な人は立派な人で集まり、ダメな人はダメな人で類(む)れるということだ。別に安倍首相と甘利大臣のことを言っているのではない。一般論でいっているだけだ。

 

 議会デモクラシーという政治システムは、大前提に「善良な有権者が、良識ある代表者を選び、健全な政治を行う」といえるだろう。安倍首相の人格・品格・知性力・学力・思想・性格等々について語るつもりはない。第一次安倍内閣を、安倍首相の腹痛が原因で崩壊させた時、国民世論は政治家・安倍晋三を批判したが、政治家としては批判されても、人間として批判されるべきことではない。首相として健康が保持できなければ辞任するのが政治の常道である。その頃までの自民党はそれなりの保守党であった。

 5年を経て第二次安倍内閣が成立するという奇跡が発生する。これから、安倍晋三という政治家は運命的豹変をする。俗な表現をすれば、「背後霊」が入れ替わったとも言えるし、精神医学的に言えば、「人格移動」という専門家もいる。第二次、第三次と政権を続ける間に自民党という政党の悪い面が目立つようになる。かくして、保守政治の良質な部分がなくなり「安倍一強体制」ができあがった。その最大の功労者が甘利明である。

 

(甘利明の資質を心配していた父・甘利正!)

 

 私が何故に「甘利明」にこだわったことをいうのか。それは、父・正と親しい関係があったこと。そして彼が政治家となったことに、責任の一端が私にもあるからだ。説明しておこう。

「父・正」は神奈川県の足柄地方の出身だ。農家の救済活動などで「昭和の二宮金次郎」といわれた苦労人だった。政界の実力者・河野一郎も一目を置く人物であった。昭和51年12月の衆議院総選挙(ロッキード選挙)で、新自由クラブから当選した。河野洋平氏らが、「政治とカネ」の自民党体質を批判し離党して結成したものだ。この総選挙で18名を当選させてブームとなった。甘利正氏は河野一郎の長男・洋平氏の後見人という役割であった。

 

 新しい政党で国会運営に慣れていない「新自由クラブ」は甘利正議員を議院運営委員会に所属させ「政治改革」を担当することになる。当時、私は議院運営委員会の担当で甘利議員のさまざまな問い合わせの窓口であった。甘利議員からは信頼されいろいろな話を聞き相談を受けた。甘利家の祖先は武田信玄の重臣・甘利虎泰だ。その子孫で「甘利の会」をつくりたいとの相談を受けたことを憶えている。

 父・正の心配の種は息子「明」の政治家としての資質であった。昭和54年4月、衆参両院が『中国全国人民大会』(日本の国会にあたる)の鄧頴超常務委員会副委員長(周恩来元首相未亡人)を団長とする代表団を招待したときであった。東京から東海道の要所を視察することになり、一泊目が箱根の椿山荘で、甘利議員の地元であった。私は衆議院事務局からの案内担当で、このとき甘利議員から変わった申し出があった。

 

「息子が慶應大学に在学中だ。親として恥ずかしい話だが、甘えて育てたので政治家にしてよいか悩んでいる。その資質があるかどうか箱根に呼ぶので検分してくれないか」ということで、宿泊した機会に短時間面談することになった。印象は思ったより「ボンボン」で自民党著名政治家の息子がよく入学する、慶応の法学部の代表的タイプだった。後日、父親から聞かれたので「少し苦労させてからだと大丈夫、後継者となれますよ」と回答しておいた。「その時はよく指導してくれ、頼んだよ」と言われたことも記憶している。

 

 甘利明氏は大学を出てソニーに入社した後父親の秘書となった。昭和58年12月の総選挙で衆議院議員に当選する。後継者といえばいろいろ問題があるが、若手として順調な国政参加であった。この時期、私は衆議院事務局委員部総務課長だった。国会運営で与野党の騒動で苦労していたが、甘利明議員とも昵懇な付き合いをしていた。

 ある時期から甘利議員の態度が急変した。それは、私が参議院議員となって平成5年6月に自民党を離党し、小沢一郎氏の側近として非自民細川連立政権の樹立に活動した頃からであった。国会の廊下ですれちがっても、顔をそむけるようになった。私は、甘利議員から誉められようとは思わないが憎しみを持たれる筋合いもない。私の信条に基づく政治活動を批判されても良いが、あまりにも幼児っぽい態度に呆れ果てていた。

 平成16年7月の参議院選挙に出馬せず、「国会議員は引退するが政治からは引退しない」といって、「日本一新の会」を設立して市民運動を始めた。首都圏での業界などの講演や、懇談会で甘利明議員の支援者等から、さまざまな聞くに堪えない話をうけていた。いずれ問題になると危惧していたところであった。

 

(甘利問題は安倍政治への「天命の仕掛け」)

 

 甘利大臣口利き事件で悩む安倍政権は、これから、より凶暴性を増していくだろう。乱暴な国会運営だけでなく、検察・警察に圧力をかけて甘利問題をウヤムヤにしていくであろうことは眼に見えている。さらに、それをマスメディアが共謀して国民の目を逸らしていくことになろう。しかしこれまでのように、安倍政権の思いのままになるかどうかが「安保法制問題」と同様に、立憲主義確立につながる重大な問題だ。

 思えば「小沢一郎陸山会問題」は行政権力と司法権力が、立憲主義を冒涜したものだ。政府与党幹部から『甘利大臣口利き事件』は「ワナをしかけられたもの」との声が出ている。それは、甘利大臣個人や事務所のあり方に「ワナを仕掛けても」追及すべき問題があった証しでもある。

 この問題は、安倍政治に天誅を下すために放たれた「天命の仕掛け」といえる。何故、自公政治に「天命の仕掛け」が放たれたのか、自公政治の本質を検証しなければならない。  

(続く)

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   顧    問 : 戸田 邦司
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