「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―362

◇予備会員(会費切会員を含む)への配信は周回遅れで配信します。 当ブログも同様に周回遅れで掲載しています。

 

日本一新の会事務局


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

            日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

 今年は年明けから多忙を極めている。80才を過ぎて、こうも引っ張り回されるのはよほど時代が悪いからだ。ほとんどの会合で、世のお偉方や権力者の悪口を言うのが主な仕事となった。

 それでも、真面目に暮らしている方々から喜ばれると、生きていて良かったとも思う。

 

(千葉県知事選挙、すみや候補応援活動)

 

 3月18日(土)JR柏駅ロータリーで「すみや候補」(新しい知事をつくる会・自由党・共産党など応援)の街頭演説で自由党を代表して応援演説をした。千葉県は財政規模で全国第4位であるが保育・教育・社会福祉・医療整備などでは40位台である。

ところが第1位のものがある。それは安倍政権ベッタリ度だ。永田町の政治ジャーナリストの評判である。安倍政治にベッタリの県政を進めると、県民のいのちと暮らしの政策は40位台になるのだ。それを「せめてベストテンに上げるよう、すみや候補には頑張ってもらいたい」と話すと、約600人の聴衆に結構うけた。

 そこでもっとも大事なのは教育だといって、森友学園の「教育勅語」問題を批判しようと思った矢先、進行係が「時間切れ」の札を出したので、中途半端な終わりとなった。演説会が終わり、街路を歩いていると知人から声をかけられた。「平野さんの話の続きを聞きたかった。話が一番短いのは手を抜いたのだなど文句を言う人がいましたよ」と注意を受けた。演説者が多かったので遠慮したが、民衆の目は中々に厳しいものだ。

 

(「森友学園」問題の本質は何か!)

 

 翌19日(日)、国会議事堂前で「でん話勝手連」の声がけで、市民団体の「森友学園の権力犯罪の真相究明しよう」という集会に顔を出した。午前11時という早い時間で、300人くらいの市民が集まっていたが、午後には1500人ぐらいになったとのこと。午後は別の会合に出る予定があったので、早めに顔を出すとトップバッターで挨拶した。丁度、前回の千葉県知事選挙応援の反省もあって、十分に話すことができた。要旨は次の通り。

 

1)教育勅語を暗誦させられた経験者として

 私は太平洋戦争中の昭和19年、国民学校3年生で「教育勅語」を暗誦させられた。6月の梅雨時、修身の時間に学級全員で暗誦した直後先生が「勉強は誰のためにするのですか」と全員に質問した。私が一番で「ハイ」と手を挙げ、「自分のためにします」と答えた。ところが先生は「平野君は間違っています」と怒る。2番目に手を挙げた中野君が「勉強は天皇陛下のためにします」と答えた。

 先生が「それが正しい答です。立派です」と誉めた。その後、全員で「勉強は天皇陛下のためにします」と暗誦し先生が「平野君、わかりましたか」というので、「わかりません」と答えると、カンカンに怒った先生は「廊下に立っていなさい」と、水を入れたバケツを持たされて修身の時間が終わるまで立たされた。この話は夕方になると村中に拡がる。「平野のお医者さんの家もとうとうクズが出た」と言われるようになった。

 

2)教育勅語のどこに問題があるのか

 教育勅語の中には。仏教・神道・儒教・キリスト教などの教え方が使われていて、それらを評価する人もいる。政治的かつ社会的役割は「一旦緩󠄁󠄁アレハ義勇󠄁󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」というところである。これは戦場で戦死するときは、「天皇陛下バンザイ」と叫んで死ねという教育である。この様に叫んで戦死した日本の戦士は百万人を超えると思う。

 これは「天皇の人間宣言」や「民主憲法」など、新しい日本の統治原理で否定されたものである。これを新設する小学校の基本理念とし、それを時の内閣総理大臣夫妻らがこぞって支援するとは教育基本法はもちろん、憲法以前の統治原理に対するテロ行為に等しい。その権力者の意思を「忖度」して国有地をただ同然に売買する手続を行う官僚たちは人間とはいえない。ここまで公務員の質が悪いとは・・・・・・。

 東京オリンピックのためとの名目で、テロ対策として「共謀罪」が制定されそうだが悪質なテロ・組織犯罪を増やすだけだ。それより「公務員忖度共謀罪」を制定し、権力に拘る人間の犯罪行動を防止すべきだ。

 

 

〇 日本人と『憲法九条』 8

(「慶長の法難」がもたらしたもの)

 

「慶長の法難」で日蓮宗を弾圧し、日遠上人の磔を命じて「駿府の法難」を引き起こした家康は自分の生命より大事な愛児・長福丸と鶴千代から母・お万の方の覚悟を訴えられ、これまでの自分の生涯を顧みて、このままでは徳川体制が続かないと考え込んだ。

 明くる日、慶長14年(1609年)5月12日、お万の方は「主君家康公を諌め、上人様をお救いすることをできない心残りを、最後の一筆、御法のために死ぬ操の明かし」を書き置きした。侍女から「書き置き」を知らされた家康は「身延日遠処刑の儀、仔細あって取り止めとする。早馬をもって刑場に急げ。遅れては一大事ぞ」と命令を発した。

 一方、死装束に身を固めた「お万の方」は刑場に着くや刑場の中に押し入り、「この度のこと、吾が君をお諌め申すこと度々、なれど力及ばず翻すことができませんでした。不甲斐なさをお許しください。いさぎよく、ここで自害して死出のお供をつかまつります」と日遠上人に伝え、懐刀を抜きはなったとき、あわただしい蹄の音「御上意なるぞ、その処刑とどまれ」と、家康の日遠上人磔刑取り止めの上意が寸前のところで届いた。

 この情景を『女心仏心―養珠院お万の方の生涯』の著者・戸田七郎氏は、次のように述べている。

 

 この不惜身命、鬼人も哭くお万の方の信行と、極刑に遭いな  がら露いささかの私情もなく、あくまで法を思い国を思う日遠  上人の心情は、お万の方や「宝子」「おつる」の願いも「天下  の政道、表向きのことは」として断固として耳を貸さなかった 家康をして「天下の政道、権力の根本」にはつと気付かしめた  のであります・・・・・・・・・・・・

 (家康は)権力の座に坐った為政者がおのれの権力を無上のも  のと信じ切って「人間の権力以上に尊く強いものがある」とい  うことを忘れていたことを家康は今やはっきりと思い知ったの であります。

 

 私はこの戸田論に接し目からウロコが落ちた思いがした。それは哲学者・柄谷行人が『憲法の無意識』(岩波新書)で論破した、「戦後憲法の先行形態は徳川体制にあり」を思い出したからだ。「慶長の法難」に続く「駿府の法難」という、政治と宗教の葛藤から「お万の方」が〝不惜身命〟で、「生命の大切さ」と「信仰の本質」について家康を諭したことなどから例証できると確信したからである。

 ここで家康の宗教観について簡単にふれておきたい。家康に限らず戦国の武将は、おのれの勝利を願って神仏に祈願した。家康は「厭離穢土、欣求浄土」を旗印として戦った。これは浄土宗に帰依していたことによろう。ただ家康は特定の宗派にこだわった宗教観はもたず、臨済宗や日蓮宗、そして天台宗などの高僧との交流も深く、寄進などの配慮も行っている。

 一方、家康は宗派の対立となる宗論や法論問答を嫌った。門徒一揆などが天下動乱になることを恐れたためである。宗派を対立させずに自分の政治勢力の拡大や安定に活用しようとする意図があった。ただ、日蓮宗に対しては強い団結力や非妥協性、国家諌言を建て前とするところが問題で、始末が悪く勢力を抑圧したいとする時期もあったといわれている。

「慶長の法難・駿府の法難」を経て、晩年の家康はお万の方の、「不惜身命」の報恩行為によって、幕府の権威の押しつけを反省するという「宗教観の退化」があったと戸田七郎氏は論じているが、卓見である。「宗教観の進化」ということは、人間観・人生観・政治観の進化ということになる。これらの進化が「お万の方」の信仰の源である「法華経」の信条によるものといえる。

 そこで「法華経の信条」とは何かこれが重要なポイントとなる。残念ながら私は「法華経」について、まったく無知である。戸田説を証明するためには「法華経信仰」の基本を知る必要がある。そのため、私は創価学会の元幹部の友人に、法華経を知るための適切な書物を教えてもらった。万書といわれる法華経の書物から、最新の注目されるものとして九州大学大学院理学研究科修士課程を修了して、仏教研究家として知られている植木雅俊氏の著書である。サンスクリット語の法華経原典を、初めて日本語に翻訳した人物だ。

  

(続く)

プロフィール

nipponissin1

Author:nipponissin1
   代    表 : 平野 貞夫
   顧    問 : 戸田 邦司
   事 務 局 : 大島 楯臣

カレンダー
02 | 2017/03 | 04
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
動画
 
最新記事
リンク
一新のトランク
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
RSSリンクの表示
Translation Tools
QRコード
QR
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!
Powered By FC2ブログ