「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―392

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観

 (安倍内閣の解散権の乱用は憲法53条違反であり、

国会を破滅させる行為だ!)

 

 メルマガ391号(前回号)の『緊急提言』について詳論しておきたい。小西洋之参議院議員(民進党)は、9月28日の審議なき冒頭解散について「党利党略による解散権の乱用である」と、3種類の質問主意書を提出した。それに対して、安倍内閣は10月6日答弁書を閣議決定した。その要旨は次の通りである。

 

1)衆議院解散をいかなる場合に行うかは、内閣が政治責任で決すべきものだ。

2)憲法7条は、内閣の助言と承認に基づく天皇の国事行為として衆議院の解散を挙げている。それは実質的に衆議院の解散を決定する権限を有するのは内閣であり憲法上の制約はない。

3)内閣が国政上の重大な局面等において主権者たる国民の意志を確かめる必要がある場合に、国民に訴えて判定を求める。

 

1)憲法7条解散の問題点

 この安倍内閣の答弁書は、憲法7条の解散の手続の運用を乱用して「実質的に衆議院の解散権を決定する権限を有するのは内閣であり、憲法上の制約はない」と開き直っている。

「所謂7条解散」は、憲法先例となっており、一般論として違憲でないことは私も承知している。だからといって何時でも、どんな情況でも、「憲法上の制約はない」という性格のものではない。

「7条解散」は不幸な歴史があり、それを超えて確立した憲法先例である。私は衆議院事務局に勤務して33年間で、11回解散の現場にいた。その中で昭和41年12月、同47年12月、同54年9月、同55年5月、同58年11月、同61年6月、平成2年1月の7回の解散は、実際の解散の事務を行った。この中で数回は、憲法運営上如何かと思われるシナリオを当時の自民党政権から強要されたが、歯を食い縛って抵抗し、違憲と指摘されることがないように努力した。その際留意したことは「7条解散」が、どういう経緯で憲法先例となったか、という問題であった。

 

「7条解散」を先例化したのは昭和27年8月26日に召集した第14回常会であった。(当時の国会法は、議員の任期満了との関係でこの時期に常会招集が可能であった)当時の政局は、日本が独立し追放解除など旧政党人の政界復帰により、早期解散の要望が高まり、内閣の解散権をめぐり国会、学会等で解散権論争が盛んに行われていた。新憲法下では、占領下は占領軍の指導で、「憲法69条の場合のみの解散」が行われていた。

 国会両院法規委員会は、同年6月17日に解散権問題について次のように両院議長に勧告していた。                     (両院法規委員会会議録11号)

 

『衆議院の解散制度に関する勧告』

「憲法解釈としては衆議院の解散は第69条の場合に限らないと解すべきである。但し、内閣がみだりに解散権を濫用しないよう、例えば衆議院が解散決議を成立させた場合に、内閣がそれを尊重して、第7条による解散の助言と承認を行うというふうな慣例を樹立し、運用上において規制を加えるべきである」

 

吉田内閣は講和独立後の諸制度整備を行っていたが、戦前への「逆コース派」と「民主政治推進派」の混乱の中で、政権与党の自由党も、鳩山一郎や岸信介の影響を受けて混迷していた。

 第14回国会召集日には衆議院議長が交代し、大野伴睦が就任した。3日目の8月28日、大野議長が那須で静養中の昭和天皇に就任挨拶に参上した日、緊急閣議で突然衆議院の解散を決定、大野議長に通告し解散となった。これが悪名高い「抜打ち解散」だ。憲法7条のみによる解散で、解散論争が再燃した。

 総選挙は10月1日に行われ、同月4日苫米地義三(落選した改進党所属)が、第14回国会の抜打ち解散は憲法違反であり、無効であると最高裁に提訴した。経過は次のとおり。

 

1)昭和28・4・15 最高裁は違憲審査を固有の権限とする憲法裁判所たる性格をもつものでなく、不適法な訴えとして却下。

2)苫米地氏は、改めて衆議院議員資格確認並びに歳費請求事件として、東京地裁提訴。(昭和28・10・19 東京地裁は本件衆議院解散は憲法7条違反とし、「無効の解散」と判決。吉田内閣は控訴。昭和29・9・22 東京地裁は本件衆議院の解散について原審判決を取消し、解散は有効と判決)

 この「抜打ち解散」は吉田首相の意向を受けて保利茂官房長官が構想したものであった。衆議院議長を3日間で辞めることになった大野議長は、保利官房長官を「忠臣蔵の敵役・定九郎」だと激しく非難して話題となった。それから26年の歳月が流れ、昭和52年12月に保利氏は衆議院議長に就任する。その時、私は衆議院事務局で議院運営委員会を担当していた。保利議長が就任の際、事務局に指示したのが「7条解散の乱用を許さない」という議長見解であった。当時の岸本議長秘書の相談相手となったことを記憶している。この保利議長の強い意志を受けたのが福田赳夫首相であった。昭和五十三年九月三十日の参議院本会議で、次のように発言している。

「解散権の行使、これは本当に厳正・厳粛な立場においてこれを行うべきでありまして、これを党利党略のために使うとか、ましてや派利派略のためにこれを行使するというが如きは、これは断じて排していかねばならぬ、このように考えています。」

 

2)憲法違反の解散権乱用についての記者説明会報告

 10月13日(金)午前11時から参議院会館会議室で、小西参議院議員と、私の呼びかけによる「憲法違反の解散権乱用についての記者説明会」を開いた。まず平野が呼びかけの理由と情況について説明し、次いで小西議員が内閣への質問主意書提出の理由と答弁書の問題点について説明。最後に参加者からの質問・意見交換を行った。

 

1)平野の説明会呼び掛け理由と状況説明 6月末に4野党が「森友・加計問題の真相究明」を求めて憲法53条による臨時国会召集要求を、安倍内閣は3ヵ月以上放置していた。9月中旬、突然、9月28日に召集して冒頭衆議院解散する政府筋の情報が流れた。審議することもなく冒頭解散となれば、議会民主政治の存立条件である「少数者の権利」が抹殺され

ることになります。私は雑誌やネットテレビなどの機会があるため、日本の民主政治の危機と警告を発してきました。 9月28日、予想通り衆議院本会議で議席指定後、解散となり

ました。小池都知事の「希望の党」の混乱と民進党の分裂という大騒ぎの中で、野党協力は崩壊した結果、政権交代は絶望となったのです。私はこういった政局問題を採りあげるつもりはありません。33年間、衆議院事務局で「異常な解散」の事務を扱ってきた私にとっては看過できない「議会政治の崩壊」を皆さんに訴えたかったからです。幸いなことに、小西参議院議員が奇蹟的に安倍内閣に「違憲の解散権」の質問主意書を提出してくれ「内閣の解散権を憲法上制約する規定はない」との答弁を引き出してくれました。

 憲法53条は議員の4分の1の少数者の権利を明記しており、この答弁書自体が違憲です。また、10月11日のテレビ朝日の「報道ステーション」で安倍首相は「議員要求の臨時国会で2回、常会で1回冒頭解散の先例がある」と発言して正当化しました。実はこの内2件について、私は事務局担当者として直接関わっています。「中曽根死んだふり解散」、参議院自民党有志の要求で53条の乱用です。他の2件は与野党の「話し合い解散」でした。

安倍首相の発言は「自己正当化の虚言」です。野党はこれに反論できない不勉強が問題です。今回の冒頭解散が先例となれば「少数者の権利」が日本では抹殺される重大問題です。

 

2)小西参議院議員の説明 小西議員が内閣に提出した質問主意書は、「法の支配と解散権

の制約に関する件」、「臨時国会を9月28日まで召集しなかったこと及びその同日の解散が憲法違反である件」、「国難突破解散における私利私欲又は党利党略の有無に関する件」の3種類であった。それぞれの質問主意書と答弁書の要点を説明した。

 答弁書が憲法の理念を放棄したことを強く批判し、正常な議会民主政治が期待できないとして、総選挙後に「解散権の乱用による憲法に規定されている〝少数者の権利〟の侵害」について、憲法訴訟を行う予定であるとの方針を述べた。

 なお、この記者説明会には20名の関係者とテレビ朝日の取材がありました。

(「国会つれづれ」は休みました)

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   代    表 : 平野 貞夫
   顧    問 : 戸田 邦司
   事 務 局 : 大島 楯臣

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