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「日本一新運動」の原点―397

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観 

(朝日新聞「ロシア革命100年・不破哲三氏インタビュー」を読んで!)

 

 11月8日(水)茅ヶ崎市民連合の「政治講座」で私が何気なく「今年はロシア革命から100年、来年は明治維新から150年。この二つを世界史でどう位置づけるか、今の政治劣化を考えるには参考になる」と話した。不破さんが「ロシア革命」について、どんな評価をしているか関心があったからだ。

 それに応える記事で面白かった。そのポイントは、

 

◇レーニンとスターリン 

 レーニンが革命直後に指導した短期間を「ソ連が世界史的役割を果たしていた」と評価。スターリンがそれをどんでん返しをしたと批判。またスターリンの指揮でソ連が日本共産党に内部干渉して、党を一時分裂させた歴史の苦しみから「自主独立路線」が出た歴史を語っている。昭和30年代になって、フルシチョフによるスターリン批判が「自主独立路線」の契機となる。その方向が固まる昭和34年に、私は共産党入党寸前で吉田茂元首相の説教を受けたことがある。「西欧ではスターリン主義は失敗で共産党は消えていく。日本共産党は変わって定着していくだろう。君が知っている共産党の理論や政策もどんどん変わっていくよ。その内、ついて行けなくなるよ」と。この話が切っ掛けで入党しないことになった。

 

◇資本主義論 

 マルクスの理論が長く誤解されていたと論じている。私は資本主義の分析はマルクスが最も優れていると思う。 しかし資本主義にとって代わる社会がいかなるものになるのか、それが生産力や生産手段など、経済要件を中心とした論理であったがために誤解されたと考えるべきだ。誤解というよりマルクスの限界といえよう。それは唯物論の限界ともいえる。人間という不思議な動物に対する認識不足だ。私の師・前尾衆議院議長は、「唯物弁証法では、資本主義は分析できても変革することはできない」と語っていた。

たしか昭和50年前後、議長公邸で共産党幹部を招待した会食の席で酒の入った前尾議長がしきりに「唯物弁証法には問題がある」と、議論を吹っかけていたのを思い出す。

「資本主義にとって代わる社会像に向けての変革の運動と、その成功の条件は、資本主義自体の中から生み出される」と不破氏はインタビューで論じている。その条件を現代資本主義で見つけることができるだろうか。

 

◇現代資本主義をどう歴史認識するか 

 私は21世紀の現代資本主義の情況を「人類破滅主義」と認識している。各地に結成されている野党協力を推進する「市民連合」の多くの人々の感性も同じである。マネーゲーム資本主義がミリタリーゲームにより「新軍事資本主義」に変質し、核兵器はじめ先端軍事兵器の大量生産を経済成長の糧にするようになった。国家の規制が効かなくなった戦争の変質。デモクラシーの名だけでつくられた国家の代表たちが、軍産共同体の手先となって戦争を始めたり戦争を煽る事態を、早急に止めなければ人類の破滅は目前である。

 憲法9条を持つ日本はこの事態を止める責任があるはずだ。ところが安倍自公政権は維新の党とともに戦争を煽り、軍事国家を目指している。野党の情況に説明の必要はなかろう。日本が人類に対する責任を果たすためには、まず、安倍自公政権にとって代わる政権をつくることだ。そのためには野党協力の実現しか他に道はない。

 野党各党には、それぞれの事情を抱えている。共産党の理念や政策と組織力、そして小沢自由党代表の政治的見識と体験を活用すれば、政権交代が実現できることは先の総選挙で自明のとおり。問題は「共産党へのアレルギー」だ。不破氏がインタビューで述べている「綱領」や「党名」問題だ。不破氏はマルクスに対する誤解を除くため、新しい社会像への変革を成功させる条件は「資本主義自体の中から生み出される」と述べている。まさしく、ミリタリーゲームによる「新軍事資本主義」という情況はそのことではないか。日本で安倍政権に代わる平和推進の政権が樹立できれば、新軍事資本主義を阻止し、新しい社会を創造するスタートとなる。共産党は選挙協力だけではなく政権に入り日本での「新しい社会像」を創造する歴史的役割を果たすべきではないか。そのため「綱領」や「党名」等を弁証法的に発展させることになれば、泉下のマルクス先生も大喜びすると思う。

 

 

〇 国会つれづれ  19 (副議長秘書再任内示拒否騒動の顛末!)

 

 昭和42年1月の「黒い霧選挙」をどうにか乗り切ったものの、衆議院に公明党が一挙に25名で進出したことに、佐藤首相は新しい問題を抱えることになる。まず衆議院の議長・副議長の人選問題だ。政治不信が払拭されない時で自民党長老の石井光次郎氏が選ばれる。官僚から朝日新聞に転出し専務取締役から政界入り。吉田政権で自由党幹事長や閣僚を歴任し、総理候補のひとりで、穏健な政治家で知られていた。国会の権威と信頼を保つための人事であった。副議長に留任することになった園田直氏について、佐藤首相は日韓国会での混乱収拾や黒い霧国会の政権危機に対処できたことに、万全の信頼感を持つようになっていた。石井議長が国会の象徴として園田副議長に公明党が進出して不透明となった国会運営をすべて任せる人事体制であった。

 園田副議長が留任することで本人は無論、事務局幹部も当然に私が秘書役を続けることを承知するものと思い込んでいた。私にとってこの1年の苦しみは仕事の上でも生活の上でも最悪の状況であった。ひとつひとつを説明すると私の品格にもかかわるので、内示を拒否した主な理由を述べておく。

 前年12月の議長・副議長の交代で、私が副議長秘書になったのは、官庁での順当な人事ではなかった。まず副議長は国務大臣と同格で各省の秘書官は四〇歳前後で起用され、退任後は本省の課長級に就任するのが慣例であった。衆議院事務局の場合「安保国会」まで、議長・副議長の秘書業務は、就任する議員側の秘書がやっていた。事務局側からは旧帝大卒など背景は立派だが頭が良くて社会的適用性を喪失した職員に電話番をさせていた。

 私の前任者から普通の官庁並みに改善し、議長・副議長秘書に国会運営を理解する職員を充てるようになる。それでも人材不足で適齢者がなく前任者は35歳で副議長秘書となった。国務大臣秘書官より平均5歳若く他官庁から不安視されていた。私の場合さらに5歳若く、係長になったのが3年前で、仕事のキャリアもなかった。事務局が私を起用した理由は、園田直という政治家の評判にあった。政界一と言われるものが三つあった。「策士」、「女性関係」そして「秘書への虐待」であった。その上、趣味が多く剣道・合気道・ラジコン等々。さらに大学の通信教育まで受けていた。約1年間、ほとんど毎日朝六時から深夜までの勤務だった。妻の協力があったので勤めることができたが、3歳の長女は私の顔を忘れるような生活であった。それに事務局が私を起用した真意は「私大出の学生運動上がり、園田に潰されても仕方がない」こんな事情と聞いていた。要するに人間扱いをしていない。私の怒りはこんなことだった。

 

(吉田茂家の家老職・依岡顯知氏に説得される)

 依岡顯知氏といえば、土佐の同郷で私の恩人である。私の父が開業医で依岡さんの父の主治医で命の恩人とのことで、私の東京の親代わりであった。敗戦直後の第一次吉田内閣の林譲治書記官長(現在の官房長官)秘書官から吉田政権の裏方として知られた人物である。林書記官長と吉田首相の父親が従兄弟で、明治初期の国会開設運動で盛岡刑務所に入っていた関係である。

 昭和30年代になって、依岡さんは大磯の吉田茂家の家老職を勤めていた。その手当を吉田家と池田勇人事務所・佐藤栄作事務所から貰っていたというから保守本流の真ん中にいた人物である。共産党入党直前の私を、衆議院事務局に入れるシナリオをつくった人物だ。その恩人の訪問を受け、園田副議長の秘書を引き続き勤めるよう説得を受けることになる。「君を衆議院事務局に就職させるについて吉田さんも林さんも考えた末のことだ。二人の父親たちが監獄まで入ってつくった国会の先行きを心配してのこと。マルクスや毛沢東を勉強した男を事務局に入れておくことが役立つことが必ずくる、と話していた。異常な抜擢をしたり、無茶なことをさせているのはそのためだ。逃げるな、死ぬつもりで挑戦しろ!」依岡さんの話で私は目を覚ました。     

(続く)

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