「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―77

日本一新の会・代表 平野 貞夫

 

(小沢氏の初公判での主張について)

 10月6日(木)の小沢氏の初公判での主張は、日本の議会民主主義と基本的人権を踏みにじった国家権力に対する、有為な政治指導者の痛烈な警告であった。司法権がこれにどう対応するのか。わが国は暗黒の「司法ファシズム」を深めていくのか、それとも真の民主主義や、議会民主政治を確立できるのか、その瀬戸際に立たされている。これまでも繰り返し警告してきたが、おかれている状況はきわめて重要な事態を迎えているので、小沢氏の主張を中心に、憲法上の問題を整理しておく。

 第1点は、憲法14条の「法の下の平等など」の問題である。小沢氏は主張の中で、「政治資金規正法が制定されて以来、数え切れない報告間違いなどがあっても、実質的犯罪を伴わないものは、例外なく収支報告を訂正することで処理されてきた。陸山会事件が立件された後もそのような処理で済まされている。唯一、私と私の資金団体、政治団体、政党支部だけが、一昨年の3月以来、一年余りにわたり、実質犯罪を犯した証拠もないのに東京地検特捜部によって強制捜査をうけた。何故、私のケースだけが単純な虚偽記載で何の説明もなく、突然現行法の精神と原則を無視して強制捜査を受けなければならないのか。公正で厳格な法の執行とはいえない」と述べ、捜査の違憲性と不当性を指摘した。

 第2点は、憲法第11条の「基本的人権」の問題である。小沢氏は、公正で厳格な法の執行が行われていないことを指摘したうえで、「この捜査は、まさに検察という国家権力機関が政治家・小沢一郎を標的に行ったものとしか考えようがない。私を政治的・社会的に抹殺するのが目的だったと推認できるが、明確な犯罪事実と根拠が何にもなく、特定の政治家を対象に強制捜査を行ったことは、明白な国家権力の濫用であり、民主主義国家、法治国家では到底許されない暴力行為であると述べ、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏が論ずる「人物破壊」(キャラクター・アサシネーション)を引用して、人物破壊とはその人物の評価を徹底的に破壊することで、表舞台から永久に抹殺する社会的暗殺、アサシネーションであり、生命を奪う殺人以上に残酷な暴力だ」と、暴力化したわが国の国家権力を糾弾している。

 第3点は、憲法前文の「国民主権」、「代表制民主主義」を具現している諸規定との問題である。小沢氏は、わが国で民主主義が崩壊している状況について、本件で特に許せないのは、主権者たる国民から何も負託されていない検察、法務官僚が土足で議会制民主主義を踏みにじり、それを破壊し、公然と国民の主権を冒涜・侵害したことである。一昨年の衆院総選挙の直前に、証拠もないのに検察当局は捜査・逮捕権という国家権力を濫用して、私を狙って強制捜査を開始したのである。衆議院総選挙は国民が自ら主権を行使して、直接、政権を選択することのできる唯一の機会に他ならない。とりわけ、2年前の総選挙は、戦後半世紀ぶりの本格的な政権交代が十分予想された特別なものであった。そのような時に、総選挙の行方を左右しかねない、権力の行使が許されるならば、日本はもはや民主主義国家とはいえない」と述べている。これら、小沢氏の主張は現在のわが国の立法・行政・司法のかかえる問題点を鋭く指摘したものである。

 この小沢氏の主張を、巨大メディアが意図的に、悪意をもって小沢排除に利用していることが残念である。さらに悲劇的なことは、一部の良識ある国会議員しか小沢氏の主張を理解できていないことである。多くの国会議員は、現在の日本を議会民主政治の危機と考えない無感性派である。加えて問題なのは、小沢問題を政治的に利用して、自らの権勢を拡大しようとしている国会議員が多数いることだ。

 9月26日(月)の、陸山会事件での3人の元秘書への東京地裁判決が、憲法の基本原理を侵害していることは前回のメルマガで述べたとおりだ。こうなると司法府と立法府が結託して、新しい「日本型ファシズム」をつくり、国民生活を脅かしているといえる。

 

(憲法の原理を知らない特捜OBたち)

 小沢氏の初公判の主張に対して、メディアを中心にさまざまな反応がある。その中で目立つのは特捜OBたちが計画的に批判していることだ。前回のメルマガでも、朝日新聞に掲載された河上元東京地検特捜部長の主張を論破しておいたが、同質の主張を8日のフジテレビで、堀田力元特捜部副部長が論じていた。

 その論旨は「検察が証拠を厳格に集め、それに基づいて裁判に持ち込むというやり方ばかりでは問題が生じるので、推認にもとづく証拠で裁判に持ち込み、裁判官が判断するというやり方が司法の新しい流れだ。小沢氏関係の捜査と裁判は、その新しい方法でやっているのだ」という趣旨であった。この論は河上氏が主張する「米国の法廷中心主義」のことである。証拠を厳格に集めるのならまだしも、証拠を改竄するという非道まで陥ったのが村木事件ではなかったか。

 排他的投機資本主義という経済分野だけでなく、司法分野まで米国の悪いやり方が導入されているとすれば大変なことである。「米国式法廷中心主義」の本質は、陪審制という市民の名による「集団リンチ」に他ならない。米国ではこれらの弊害を防ぐため、「基本的人権」を護る厳しい方策を国家権力に求めているのが新しい流れだ。

 河上・堀田氏らの頭の中には、司法試験に合格するために、憲法の言葉だけの定義を形式だけ摘み食いしているのだ。千歩、否、万歩譲って司法の新しい流れを認めるにしても、そのためにはそれに相応しい制度を整備する必要がある。裁判員制度とか、新しい検察審査会がそれだということになろうが、未だその制度が整備されておらず、権力濫用の原因になっている。これは立法府たる国会の責任でもある。

 もっと大事なことは、仮に制度が整備されていても、それに関わる人間―検事・裁判官・弁護士という、法曹関係者の実務教育ができていないことである。文化の違う制度を導入した場合、慎重な対応が必要だ。 

 国民は大きな期待をもったが、旧体制は抵抗する政権交代の総選挙の直前に、こともあろうに、新政権の首相候補を狙い撃ちする捜査をやることは、例え「新しい流れ」という詭弁を弄しても、民主主義国家とはいえない。これは常識ある国民なら「推認」できる。

 それにしても河上氏の頭の中はどうかしている。9日(日)の日本テレビ「バンキシャ」で、小沢氏の初公判での主張を批判し「政治家が司法を批判すべきでない。小沢氏は憲法を知らない」など、ウォルフレン氏が指摘する「人物破壊」発言を繰り返していた。そもそも、巨大メディアが、特捜部長を務めた人物をメイン・コメンテーターに使うことすら重大な問題だ。事実上検察の代弁的広報活動をやっているのだ。小沢氏の、国会での説明責任の話など法曹人としての常識を疑う。

 それ以上に、主権者の代表たる国会議員が、彼らに何ら反論できないことが問題だ。現在の司法府の劣化をどれだけ認識しているのか。「小沢問題」はその象徴であり、これからの、国のあり方を問う重大な案件である。急がれる東北復興と福島第一原発災害への対応とともに、憲法が明記する「国権の最高機関」の自負を持たなければ、主権者である国民を代表する資格はない。

 河上氏も堀田氏も、国民の間に多くの疑問が残ったままのロッキード事件で、特捜検事として大活躍した人物だ。私もロッキード国会では衆議院議長秘書として、三木内閣・中曽根自民党・野党・検察の間で苦労させられた。それだけでなく、私の証言資料について特捜から脅された事実がある。ロッキード事件の捜査と裁判にどんな問題があったか、次回に取り上げよう。

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