「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―78

日本一新の会・代表 平野 貞夫

 

○ロッキード事件の捜査と裁判の不条理

 平成21年3月3日、西松事件で大久保秘書が逮捕された一週間後、私は小沢一郎氏に会いにいった。その時、この事件は「ロッキード事件」のように小沢氏が狙われていると確信して、私の著書『ロッキード事件「葬られた真実」』(講談社)を手渡した。小沢氏は「参考にさせてもらう」と受け取り、その後、乗用車の後部座席に同書が置いてあるのが、テレビに撮されていたのを、憶えている方があるかも知れない。

 この著書は平成18年7月、「ロッキード事件」から30年が過ぎて、何故、田中元首相が逮捕されたか。三木首相や中曽根自民党幹事長が、何を企んでいたのか、そして当時の検察や裁判所が、田中元首相逮捕にわが国の憲法以下の法令に違反してまで拘った理由は何か。何故、前尾繁三衆議院議長は衆議院の解散を阻止することに政治生命を懸けたのか、などを執筆したものである。

 何でこのような出版をしたのか。私は「ロッキード国会」の頃、衆議院事務局から出向して、前尾議長の秘書を務めていた。前尾議長は議長就任10ヶ月前まで法務大臣であった。衆議院議長になっても、法務・検察の関係者が指導を求めてしばしば来訪していた。三木首相は「椎名・前尾」ラインで政権に就いた関係で、前尾議長に頭が上がらなかった。

 「ロッキード事件」が発覚するや、「ロッキード国会」といわれる大混乱となった。法務省や検察関係者は、前尾議長を利用すべく非公式に接触してくる。三木首相は、私恨を「キレイゴト」で糊塗し「田中排除」という権力闘争を仕掛けてきた。野党は事件を政治的に利用して国会審議に応じない。私は、こんなことで国家が維持できるのかと思い立ち、「ロッキード国会覚書」というメモをつけていた。この覚書を中心に、ロッキード事件で田中元首相の鎮魂のため、逮捕されて30年という時が流れた平成18年7月に刊行したわけだ。

 この本には、事件当時にはわからなかった重大な新情報を書き込んでおいた。児玉誉士夫証人が何故国会に出頭できなかったのか、という問題である。児玉証人の国会証言が実現していれば、田中元首相への捜査も大きく変わったと思う。児玉証人を廃人同様にして、国会に出頭させないようにした大きな政治権力の動きがあったことを具体的に書いた。

 朝日新聞社会部がそれを知り、出版予定日に特ダネで報道するといい、前夜、確認のため私に記事のゲラをファックスで送ってきた。ところが、深夜になって担当記者から「上からの指示で、報道しないことになった」と連絡があった。
 この時既に、朝日新聞には問題があったのだ。

 著書では、2つの側面から田中元首相は無罪であったと主張している。ひとつは、憲法を始めとして刑事法上の「無罪」であること、もうひとつは政治的・社会的にも「無罪」であること、である。

 この本を講談社は廃刊にしているが、「小沢問題」の真相解明にもなることから、文庫本で再刊するよう「メルマガ・日本一新」の読者の皆さんから働きかけていただきたい。

 

(田中元首相を逮捕する証拠はなかった)

 「ロッキード事件」とは、全日空ルートで5億円、児玉ルート(対戦哨戒機P3C)で約21億円のワイロが、日本の政界に流れたというものだった。全日空ルートで田中元首相が逮捕されたわけだ。児玉ルートでは当時の中曽根幹事長に疑惑があったが、児玉氏が国会に証人として出頭できない状態となり、このルートでの捜査は脱税で終わった。

 この事件は米国上院多国籍企業小委員会で火がついたもので、証拠資料に類するものはほとんど米国側にあった。日本の国会は真相究明のため国会決議までして、米国上院に資料の提供を要請した。三木首相は政敵・田中角栄を倒すべく、フォード大統領に親書まで送り資料の提供を要望した。その結果、米国司法省と日本の法務省で「日米司法取決め」が行われ、米国の捜査資料が日本の捜査当局に提供されることになる。これは田中首相を逮捕するための国家間の条約であったが、三木首相と検察当局は「法執行について相互援助のための手続」と主張した。本来なら国会の承認が必要であり、憲法違反の行為であった。大量の捜査資料が米国側から提供され、必死の捜査を行ったが、田中元首相を逮捕する証拠となる捜査資料は何ひとつなかった。

 

(最高裁のマッチポンプ。刑事免責の嘱託尋問問題)

 米国側から提供された捜査資料には、田中元首相を逮捕する証拠がなく、捜査は壁に突き当たる。そこで検察がしぼった謀略は、ロッキード社のコーチャン副社長らに刑事免責(起訴しない)を与えて、米国連邦地裁に尋問を嘱託して、その調書を証拠に田中元首相を逮捕することであった。これは日本の憲法と刑事法規で容認されていないやり方だ。

 これが実行されるまでの動きを時系列でみると問題の所在がわかる。

     昭和51年6月3日 ワシントンで三木・フォード日米首脳会談。(堀田検事らのシナリオで嘱託尋問実現に利用したもの)

     同年7月2日 米国連邦高裁が、嘱託尋問は非公開で行うが、証言調書は日本の最高裁がルールなどによって「刑事免責」を保証するまで引き渡さないことを決める。

     同年7月6日 ロサンゼルスの連邦地裁で、コーチャンの嘱託尋問が始まる。翌七日の尋問で、初めて田中角栄との関係を証言。

     同年7月24日 日本の最高裁裁判官会議で、コーチャンらに対して、「不起訴の宣明書」を発出することを決める。直ちにロサンゼルスの連邦地裁に提出され、同日、コーチャンらの証言調書が日本の捜査などで使用できることになる。

     同年7月27日 東京地検は田中角栄前首相を外為法違反で逮捕。

     同年8月16日 田中前首相、外為法違反と受託収賄の容疑で起訴。

 かくして、「ロッキード事件」は企てられて「ロッキード裁判」となった。逮捕から7年と3ヶ月過ぎた昭和58年10月12日、東京地裁は「懲役4年、追徴金5億円」の実刑判決を下す。直ちに控訴するも、昭和62年7月、東京高裁は一審判決を支持。この間、田中元首相は昭和60年2月27日脳梗塞で倒れ、長い闘病生活に入り、平成5年12月16日死去。

 田中元首相の死から1年2ヶ月過ぎた平成7年2月22日、最高裁はロッキード裁判「丸紅ルート」で、元丸紅役員の桧山・榎本両被告の上告を棄却した。がしかし、最高裁はここで重大な決定をした。それはコーチャンおよびクラッターへの刑事免責した嘱託尋問調書には「証拠能力がない」と判決したのだ。

 この時期、私は参議院議員になり法務委員会の理事であった。最高裁の判決に「法の支配の崩壊」と「司法権の不条理」を感じ、参議院法務委員会で法務省当局を追及した。質問の趣旨は、最高裁の裁判官会議が「刑事免責で証拠として使うこと」を容認しておいて、最高裁の最終判決で、その証拠とされた調書を「証拠能力を否定」するという矛盾をどう考えるか、というものであった。

 法務省当局は、「相当な智恵を出した捜査手法で得た調書の証拠能力が否定されたことに、いささか戸惑いを覚えている」との答弁だった。私は「嘱託尋問調書に証拠能力を与えたり、その一方では否定するという最高裁の異なった判断は、日本の司法制度そのものの信頼性、根本問題に関わるものだ」と糾弾しておいた。

 小沢氏の陸山会事件と問題の内容は違うが、検察や裁判所の発想や、手法は当時と同根・同質である。自由主義世界では、司法の基本である「推定無罪」が、ロッキード事件において冒瀆されていたのだ。


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