「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―80

日本一新の会・代表 平野 貞夫

 

 10月27日(木)から29日(土)までの3日間、我が故郷高知に帰省していた。28日(金)に、民主党四国ブロック地方自治体議員フォーラムが、足摺岬の〝足摺テルメ〟で開かれるということで、高知県連から講師を頼まれてのことであった。

 ここのところ続いた政局や、小沢さん関係の裁判などで、東京の緊張した雰囲気から離れて、冷静に世の中を観る良い機会でもあり出かけた。驚いたのは、地方の人々の方が東京で暮らしている人より、世界の動きや、日本の不況についてきわめて強い関心と危惧を持っていたことだ。

 政局や小沢さん関係の話をなるべくしないつもりで、フォーラムのテーマも『地方振興について』という地味なものにした。しかし、質問が中々に厳しく、TPP問題を始めとする民主党野田政権の行方や、小沢さんの関係の検察・裁判所の姿勢に対する不安、俎上にあがっている選挙制度をどうするのかなど、フォーラムでは厳しい質問攻めに会った。首都圏の話題が「放射性物質汚染問題」にあるのに対して、地方議員たちは、日本の現状と将来に対して不安を感じ、政府や既成政党に強い不信感を持っていた。

 今回の旅は時間的余裕があり、友人や知人など、私の参議院議員時代に支援してくれた人々、お医者さんとか、経営者、自治体の首長など、15人くらいと個別に懇談する機会があった。最近の高知県人の政治意識は、明治・大正・敗戦後と比べて劣化していると思い込んでいたが、誤りであった。最近の政治・経済・社会問題に、厳しい問題提起をしてきた。「お前と会えるのを待っていた」ということで、改めて土佐人の感性の鋭さを学んだ。

 

(小沢・TPP問題にみる日本国家の危機)

 地方議員フォーラムでも質問があったが、TPP問題は、ロッキード事件から小沢問題へと繋がる米国の圧力・仕掛けではないか、という見方を懇談した人々の大半がしてきたことに驚いた。こういう見方は東京でもしばしば聴くが、私はこういう短絡的な話は嫌いなので避けてきた。具体的な証拠もなく、全てを米国のせいにすることは、問題の解決にならない。米国の政府や有識者の中には、田中角栄や小沢一郎、それに、TPPに反対する政治家たちを、「米国に従属しないケシカラン奴らだ」と思っている人たちもいるだろう。私もこれらのことをまったく無視するつもりはない。ロッキード事件の田中問題や、小沢問題でも、米国の権力者の中に「排除すべき人物」と考える人たちがいることは事実であろう。

 しかし一方には、こういう発想に反対する米国人有識者も大勢いるのだ。その一端は国際草の根交流センター(http://www.manjiro.or.jp/)にも紹介されていることから、是非とも見て頂きたい。

 重要なことは、米国でどうしてこんな考え方が出てくるのか、どうして日本の政治家・官僚・メディアなどの中に、この考え方の影響を受ける人たちが大勢いるのか、日本人の問題として、私たち自身が主体的に考えるべきである。こういうことを地方議員や懇談した人たちに話したが、なかなか理解してもらえなかった。

 大きな宿題を抱えた気分で10月29日の深夜帰宅してみると、『月刊日本』11月号が届いていた。この雑誌はきわめて個性が強く、中々一般に普及しないが、時々、時代を鋭く追求する論説を掲載することで知られている。11月号には文藝評論家・山崎行太郎氏の「小沢裁判はドレフェス裁判だ」という、インタビュー記事があった。

 山崎行太郎氏の指摘を要約すると、

     小沢裁判では、ほとんどすべての言論が、検察審査会による強制起訴という制度そのものへの問題提起もされていない。通常の権力闘争、世論のヒステリーを越えた何事かがある。小沢一郎を葬り去らねばならないという、ある種の決意がある。

     それはポスト・コロニアリズムの空気だ(江藤淳「閉ざされた言語空間・占領軍の検閲と戦後日本=文春文庫)。戦後の言論が一見自由を装って、実は占領軍による検閲というトラウマの中で、自ら自由な言論を束縛してきた。奴隷根性であり、これを一旦身につけると抜けない。小沢一郎はこれを改革し、日本の自主・自立を目指そうとした。

     小沢がやり玉に挙げられ始めたのは政権交代直前からで、西松・水谷・陸山会事件と過剰な疑惑報道がされた。小沢が対米自立に舵を切ろうとした時期に重なる。小沢を手段を問わず血祭りにしようとメディアが暴走し、その尻馬に乗った検察・裁判所の暴走なのだ。

     小沢という政治家は、明確に日本の自主・自立を目指した人物だ。中国への接近が問題とされるが、それは政治の場で論議すべきこと。政治手法とは異なる所(司法権力)で、力づくで小沢を排除することを放置すれば、日本の自立はほとんど永遠の彼方に遠ざかろう。

     小沢裁判の本質は、我々は無意識のうちにポスト・コロニアリズム的奴隷根性の命ずるままに小沢叩きに興じているだけなのではないか。日本の自立とは何か、我々の思考の枠組みそのものを問い直すことが、最重要だ。

     思い出すのは、19世紀フランスで起きたドレフェス事件だ。普仏戦争で敗けたフランスでスパイ疑惑が発生し、反ユダヤ主義が吹き荒れるなかで、ユダヤ人のドレフェス陸軍大佐が犯人とされ、有罪となった。作家エミール・ゾラは「私は弾劾する」という論文を発表し、裁判の不当性を糾弾した。これで起きた社会運動によって、冤罪の実態が明らかになりフランス陸軍の権威は失墜し、フランスはさらなる弱体化を招いた。

 

 小沢問題を、日本人のポスト・コロニアリズム的奴隷根性という、社会心理的観点から指摘した山崎氏の意見は見事といえる。TPP問題もこの観点から考えると共通した本質に行きつくことができる。この日本人の、米国に対する「ポスト・コロニアリズム的奴隷根性」は、その後発展した「排他的投機資本主義」によって、さらなる癒着と合体を重ねて21世紀の世界を混乱させている。

 「小沢問題」は、米国が直接手を出さなくとも、日本人でありながら米国に隷属化した人たちの手によって仕掛けられたものに他ならない。メディアにも、官僚にも、そして検事・裁判官にも、日本国籍を持ちながら、心理的・文化的に米国連邦政府職員の意識を持つ人たちが大勢いるのだ。彼らは小沢一郎の主張する「自立と共生―国民の生活が第一」の「共生国家の建設」を許すことができないのである。

 彼らにとっては「狂気化し暴走する排他的米国資本主義」を守るため、小沢一郎という政治家を葬るとともに、TPPという米国資本主義のための「新しい収奪装置」に日本を参加させることに必死なのである。

 彼らはもはやデモクラシーという方法でなく、メディアによる社会心理的暴力装置と、検察・裁判所という物理的暴力装置を使って、「新しいファシズム国家」をつくろうとしているのだ。

 本来であれば、それを阻止すべき議会民主政治が、阻止どころか与野党で協力している国会議員が多数存在しているのだ。これを国家の危機といわなくて、何を危機というのか。

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