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「日本一新運動」の原点―81

日本一新の会・代表 平野 貞夫

 

○西岡武夫参議院議長の逝去に思う

10月5日(土)午前2時24分、西岡武夫参議院議長が急逝した。

 同日早朝のテレビ報道で知り、私は眼と耳を疑った。現在の国会議員の中で、議会民主政治の本質を理解している貴重な人物を、この国家の危機で失ったことは残念でならない。天命さえも狂ったのかと怒りを思う。

 西岡議長は昨年7月就任以来、しばしば菅首相に対して厳しい発言を続けてきた。首相としての資質だけでなく、退陣要求ともいえる発言を行ったことは記憶に新しい。これに対して、議長は「政治的発言を慎むべきだ」とか、「議長の中立性を侵すものだ」との批判が、マスコミを中心に大きな声になっていた。

 国権の最高機関である国会の議長が、政治に影響を与える発言をしたり、与野党が対立している時、中立である立場を離れた言動をすることは謹まねばならない。しかし、それは議会政治が正常に機能しているときの話であり、西岡議長が就任して以来、わが国の議会政治は劣化というより崩壊状態にあることは、何度もこのメルマガで指摘してきた。菅政権を構成した民主党の幹部たちに、議会政治の本質を理解している政治家、理解しようとする人物は皆無だった。

 菅首相は「議会制とは、時間を限定した独裁政治」と放言し、与野党のみならず国会そのものを冒涜する政治を続けた。本来なら与党民主党をはじめ野党議員も、そして有識者もこぞって菅首相を糾弾すべきことである。それがほとんど為すことを為さず放任状態であった。国会の機能がほとんど果たせない事態となったとき、国会の議長は何をなすべきか。

 私は若い頃、衆議院事務局に勤務して、副議長や議長の秘書役を、都合六年間務めたことがある。国会の議長がいかなる事態で、いかなる言動と判断をすべきかを熟知している。

 その立場から言えば、西岡参議院議長の言動は決して批判されるべきではない。むしろ、機能を喪失した議会政治を、かろうじてつなぎ止めた役割をしたと評価すべきことである。糾弾されるべきは菅首相と政権幹部であり、批判されるべきは、国会崩壊を知ってか知らぬか、何の感性も示さなかった与野党の国会議員たちである。西岡参議院議長があらゆる立場を総合的に配慮し、批判されることを承知の上で、日本の民主政治の崩壊をつなぎ止めておくため、あれだけの言動を敢えて実行した心情を国民全体が理解すべきだ。

 3月11日の東日本大震災・津波・原発災害に対して、国会として明確な対応を提言したのは西岡参議院議長だ。それは、国会として『非常事態宣言』行うことだった。これまでの制度の枠では収拾できない歴史的災害に対応するには、国会決議をもって挙国体制をつくることが絶対に必要である。しかし、これに耳を貸す国会議員はほとんどいなかった。

 私も国会決議による「非常事態対策院」の設置を、超党派の国会議員に非公式に提言して、西岡議長をバックアップしたが、菅首相の官僚従属政治により実現しなかった。西岡議長の構想が実現しておれば、大震災対策の展開はまったく異なったものになっていたと思う。わが国の国会が、国難において政治経験の深い指導者の貴重な提言を生かすことができなくなったことは誠に残念でならない。

 

(住専国会での日本版ペコラ委員会設置の西岡構想)

 
 西岡参議院議長の半世紀に近い政治生活の中で、私が補佐役として関わり国政を改革しようとした問題は幾つもある。これが成功していれば日本の政治だけでなく財政・税制・金融・経済などが、現在の混乱とはならなかったと確信する思い出をひとつだけ紹介する。

 平成8年の第136回通常国会は「住専問題国会」といわれた。「住専問題」とは、1970年代の住宅ブームで、都市銀行などを母体行にした、〝住宅ローン専門の金融会社〟(住専)が起こした不詳事件である。バブル時代、市中銀行や農林中央金庫、農協の上部団体である県信連などが、だぶついた巨額の資金を「住専」に湯水のように融資した。特に農協=県信連から住専へは杜撰な手続で行われた。1990年代になって、バブルが崩壊するや巨額の不良債権が発生し、日本経済の足かせとなり、住専処理は日本の金融システムの最重要問題であった。

 村山・自社さ政権は、大蔵省を中心に解決策をつくった。ところが農林系金融機関が負担に文句をつけ、6800億円が宙に浮いた。これを解決するため、農林族として知られている政治家、加藤紘一・自民党幹事長が暗躍して、武村正義大蔵大臣を通じて不足分の「6800億円」を、平成8年度一般会計から支出するよう圧力をかけた。これは民間金融機関の救済に税金を使うことになり、大蔵省は強く抵抗したが押し切った。

 結局、債権回収のために国が50億円を出資して「住宅金融債権管理機構」をつくり、合計6850億円が、「緊急金融制度安定化基金」として予算に計上された。これに抵抗して篠沢恭助大蔵事務次官は辞任し、問題の拡大を恐れた武村大蔵大臣は村山首相を道づれに、平成8年1月に突然退陣する。

 当時、野党第一党の新進党は、小沢一郎党首、西岡武夫国会対策委員長、私は党首補佐役で国会運営を担当していた。住専問題という純民間問題に税金を使うことは、憲法違反であると国民の大勢が批判、これを削除する修正要求が国会でも大勢となった。しかし、村山後継の橋本龍太郎首相は、国民の要求に応じなかった。そこで、西岡国対委員長が考えた作戦は、衆議院の予算委員会で総予算が採決される直前の平成8年3月4日、新進党の国会議員と秘書で予算委員会の開会を阻止するピケを、委員室の入り口二個所に張った。ピケは一週間ぐらいまでは世論の支持を得たが、長期間になると批判が出始めた。

 そこで全体の正常化を実現するため、小沢党首と西岡国対委員長と私で協議した。結論は、「住専予算」の削除を条件にして、日本の金融危機や財政・税制問題を解決するために、昭和初期の大恐慌の際、米国議会でつくった「ペコラ委員会」を参考にして、「日本版ペコラ委員会」を設置しようという構想だった。

 この構想は小沢党首が梶山官房長官に説明、西岡国対委員長が宮沢元首相を説得し、竹下元首相が理解し、西岡国対委員長を中心に具体案を作成することになった。私が事務方として「日本版ペコラ委員会」で、バブル崩壊で苦慮する日本の財政と経済の抜本改革を行う準備が進んでいた。

 肝心の平成8年度一般会計予算の住専関係6850億円の取扱については協議が難航したが、4月12日深夜、西岡・村岡両国対委員長が会談して合意した。

     予算書の総則に第16条を追加し、緊急金融安定化資金の6850億円については、制度を整備した上で措置する。

     現行の金融、税制、財政制度及び経済構造全般にわたる改革を行い、併せて金融機関などの諸問題について協議するための特別委員会を設置するなど。

 予算総則の修正はわが国の議会史上初めてであった。「日本版ペコラ委員会」の設置を前提として、取り敢えず衆議院に特別委員会を設けて活動のテーマを検討しようというものであった。西岡・村岡両国対委員長の合意をうけて総予算は4月13日に衆議院を通過した。翌14日には、橋本内閣は政局を一段落させ、米国のクリントン大統領を迎えることができた。

 しかし、「日本版ペコラ委員会」設置の与野党合意は、橋本首相と加藤紘一自民党の裏切りで反故にされる。同年5月20日、梶山官房長官は記者懇談会で「住専関係法案の抜本修正と、日本版ペコラ委員会設置」について発言した。しかし、翌21日、橋本首相と加藤幹事長、佐藤観樹社民党幹事長らの会談で、与野党合意を反故にして、住専関係法案の原案成立を確認した。

 平成時代になって、西岡武夫という政治家は日本の改革に全身全霊を懸けていた。しかし、自民党の守旧政治家たちは日本の置かれた立場を理解しないどころか、自分たちの保身しか考えていなかったのだ。橋本首相と加藤幹事長が与野党合意を反故にした理由は、両者のプライベートな疑惑が表面に出ることを避けるためであった。竹下元首相も宮沢元首相もそれを反省させる意志はなかったし、当時の社民党と新党さきがけはこの悪行に手を貸したのである。これが日本政治の実態であり、政治家・西岡武夫はその中で必死に生きてきたのである。                     

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