「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―87

日本一新の会・代表 平野 貞夫

 

○ 続・『平野貞夫』の消費税制度物語!


 前回の「消費税制度物語」には多数の会員からご意見をいただいた。

 憲法違反の「小沢裁判」が、次々と新しい展開をみて、司法の不条理さが国民の前に現れているが、まずは「消費税制度物語」を続けたい。

 

(消費税導入論議の始まりを知ろう)


 昭和40年代になって学会や専門家の中で、EC型付加価値税(消費税)をめぐって論議が行われるようになる。昭和41年3月、福田赳夫大蔵大臣が「直接税を軽減し、財政需要に応ずるという二つの側面から間接税を増税したい」と発言した。この年に「新経済社会発展計画」が閣議決定され、その中に「消費支出と経済取引につき、広範囲・低率の負担を求める一般売上税、ないしは付加価値税の適否」を検討すべきとの方針があり、政府税制調査会で議論されるようになる。

 私が消費税問題に関わるようになったのは、昭和48年5月、前尾繁三郎氏が衆議院議長に就任し、議長秘書を務めるようになってからである。前尾議長は大蔵官僚で、敗戦から占領時代に大蔵省主税局長を勤めた人だ。衆議院議長に就任したものの、肝心の国会運営に関心を持ってくれないので苦労した私は〝戯歌〟(ざれうた)をつくった。「1に酒、2に書物、3に消費税、4・5がなくて、6に国会」と・・・・。

 とにかく、毎日消費税の必要性について聞かされた。占領軍から進駐費を賄うための増税を強要され、それに抵抗したために造幣局長に飛ばされた人で、『税金の神様』といわれた人物である。「一般消費税導入論者」で、議長公邸に、「キャッシュレジスター」(=スパーなどのレジー)を持ち込んでテストをするぐらいの熱心さであった。

 昭和48年秋、与野党国対委員長を伴って、西欧諸国の議会制度や国会運営の調査に行った。前尾議長が最も熱心に調査したのは〝消費税の実態〟であった。スウエーデンの首都、ストックフォルムを訪問中、国会の前でデモをやっている集団に出くわした。聞いてみると、チョコレートの消費税20%を23%に上げることに反対するデモであった。よく調べてみると、スウエーデンの消費税は複数税率でビスケットは15%とのこと。それより高級で美味しいチョコレートは20%で、それをさらに3%あげるということだった。要するに、贅沢品や高級品・嗜好品の消費には高い税率を負担して貰おうという思想である。

 大平首相は、昭和54年9月に行われた衆議院総選挙で「消費税の導入」を自民党の公約としたが、これには裏話がある。前尾元議長と大平首相は、ともに池田勇人元首相と深い関係で、宏池会という自民党派閥に属していた。池田さんの参謀というか、相談役が前尾さんで、池田大蔵大臣の秘書官が大平さんで、いわば弟子であった。宏池会の初代会長が池田さん、二代目が前尾さん、そして三代目が大平さんとなるが、前尾さんから大平さんに交代するとき、必ずしもスムーズなものでなく、クーデター的なものであった。

 前尾議長と大平首相の軋轢を正常にすることが、周囲の人たちの念願であった。さまざまな根回しが行われ、最終的には昭和54年8月の末、二人が会談し、前尾さんの要請で「一般消費税の導入」を総選挙の公約とすることになる。会談の直後、前尾元議長が私に話してくれたことは、

①法人所得税による財源確保が、国際化によるタックスヘイブン(税避難)で困難になっている。
②社会保障費が増大しており、直接税による増収は限界である。
③日本の税制の基本は占領下のシャープ勧告にあり、豊かな社会になり個人消費が経済に大きなウエイトを占めるようになった。
 
ことなどを挙げ、早い機会に消費税を導入すべきだということで合意し、総選挙の公約となった。

 ところが、総選挙が始まるや「消費税の導入」はきわめて評判が悪く、大平首相が遊説先で「消費税導入」の公約を撤回することになる。それは同年9月26日のことだった。前尾さんは「それでも政治家か」と怒り、自分は公約を撤回しないとして、京都の選挙区で「消費税導入」の必要性を訴えた。結果は落選で、わずか120票の差であった。大平首相率いる自民党は振るわず、かろうじて過半数を維持したものの、〝40日抗爭〟といわれる党内抗争が起きる。大平首相の続投を阻止するグループは、福田前首相を首班に擁立した。第89回特別国会では自民党から二人の首相候補を出して衆・参両議院で決選投票まで行った。大平首相が勝ったものの、自民党の対応は議会政党といえるものではなく、厳しい批判を受けたが、これも消費税導入論がもたらした混乱であった。

 この年の12月には衆・参両議院の本会議で『財政再建に関する決議』が行われ、「財政再建は一般消費税によらず、行財政改革・税負担公平の確保、税制の見直し等を財源とする」という趣旨であった。

 

(中曽根首相の売上税失敗は国民を騙したこと)


 大平内閣の失政で「一般消費税」(間接税)問題は数年足踏みした。中曽根内閣の「売上税問題」として政治の場に出るのは、昭和60年代になってからになる。中曽根首相は昭和61年6月に、憲法違反の疑いのある衆・参同日選挙を断行し両院で過半数を得て、政局のイニシアチブを握る。選挙中には「国民が反対し、党員も反対するような大型間接税と称するものは、やる考えはない」と公約した。ところが選挙で勝利して、総裁任期を一年延長し、年末になって「売上税の導入」方針を決める。

 昭和62年の第108回通常国会に「売上税法案」を中曽根内閣は提出し、国会は大混乱となる。野党各党は「中曽根首相は嘘つきだ」と抵抗し、売上税法案は議長斡旋で廃案となる。そして各党間での「税制改革協議会」で抜本的改革について報告書をまとめる。この年の10月に中曽根首相は退陣し、竹下登氏が自民党総裁・首相となり、竹下首相の手で本格的税制改革に臨むことになる。

 

(竹下首相の消費税に対する真摯な姿勢)


 竹下首相は消費税を国民に理解してもらうため政治生命を懸けた。その代表的な努力は自ら消費税に対する「6つの懸念」を提示したことである。
①逆進性。
②不公平感。
③低所得者への加重負担。
④税率引上げの容易さ。
⑤事務負担の増加。
⑥物価の引上げ(便乗値上げ)
 
について、丁寧に説明した。さらにその後、
⑦商品価格に転嫁できるか。
⑧消費者が負担した税が確実に納付される保証があるのか(益税)。
⑨地方税の減収により地方財政運営に支障が出るのではないか。
 
の3つが増えて「9つの懸念」となった。これらの懸念を解消するため、竹下首相は消費税法案を審議中の昭和63年10月に「行財政改革の推進」について政府の基本方針を決定した。

 竹下首相は平成元年4月1日に消費税制度を施行したが、4月25日、本予算成立を担保にリクルート事件の責任をとって退陣を表明した。

 竹下首相の消費税に対する思いは「9つの懸念」を解消するための「抜本的見直し」と、「財政の赤字を理由に税率を上げる癖がつくと国は潰れるよ」という警告であった。現下の消費税増税論議にはまったく活かされてなく、実に残念である。

 

(野田首相と藤井税制調査会長は反省すべし)


 消費税制度は、税率のありかたも含め、抜本的改革が必要であることは誰よりも私自身が理解している。それは消費税問題の入り口から関わり、関係者の苦悩をよく知っているからだ。

 税制改革は行政ではなく、歴史観に基づく高度な政治判断が必要であり、そのためには次の絶対条件が前提となる。

     西欧諸国で高税率の消費税が実施されているのは、政治や行政がすこぶる健全で、国民の信頼性も高く、特に公正公平の税制が機能しているからだ。我が国では、そのための統治に関わる人たちの姿勢ができていない。政治家も、そして財務官僚もまずそこを改めること。

     国民を騙して大幅に税率を上げることは、絶対に行ってはならない。政権交代の公約をことごとく踏みにじり、先の参議院選挙で否定された、消費税増税を強行することは、消費税制度そのものの信頼性を失わせることになる。

     竹下首相の懸念にもあるように「税率引上げの容易さ」に乗じて、財政赤字の解消というなら国民生活をどん底に落とし、国を潰すことになる。赤字の原因(抜本的行財政改革)を治癒することが先だ。


 野田首相の育ての親は、藤井税制調査会長だ。私とは40年来の知り合いで、内12年は政治的同志だった。行政については優れていたが、政治的見識に欠け、官僚的発想が抜けない人だった。それがクリアーできずに、首相の椅子を逃した人物であった。

コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

nipponissin1

Author:nipponissin1
   代    表 : 平野 貞夫
   顧    問 : 戸田 邦司
   事 務 局 : 大島 楯臣

カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
動画
 
最新記事
リンク
一新のトランク
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
RSSリンクの表示
Translation Tools
QRコード
QR
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!
Powered By FC2ブログ