「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―139

                                   日本一新の会・代表 平野貞夫妙観

○戦後日本のエネルギー問題を考える!

 12月1日で、齢77歳と後期高齢者になった私の人生を振り返ると、国会運営とか、政治制度などが専門なはずなのに、結構、エネルギー問題に関わっていたことが不思議である。

 まず、昭和36年頃には衆議院事務局で「石炭対策特別委員会」の担当者だった。石炭合理化による石油へのエネルギー革命を目の当たりに見てきた。次に、昭和48年秋の石油危機の頃、前尾衆議院議長の秘書時代だった。産油国との国会議員交流が必要ということで、前尾議長の随行で中東諸国を訪問したり、中東諸国の議員を招待してお世話をした。石油問題を勉強できた。

 昭和50年代になると、石油資源の枯渇や公害問題で、他のエネルギー資源の開発が国策となる。原発神話がつくられる一方で、太陽光発電や風力発電などが研究開発されるようになる。昭和55年に、「衆議院科学技術委員会」担当課長になった私は、原発問題について専門家や政治家から話を聞いたり、現地視察などで勉強をする機会が多くなる。その後、委員部総務課長や委員部長で、各委員会全体の仕事をしたが、もっとも関心があったのは「エネルギー問題」であった。

 平成4年に参議院高知地方区で国政選挙に挑戦したとき、清水建設の友人のアドバイスで、海洋深層水の温度差発電や海流活用発電などの研究開発を選挙公約としたことがある。参議院議員となってから、風力発電の設置について友人の経営する企業に協力したことがある。平成10年頃になるとウラン原発から出るプルトニウムを焼却できる「トリウム溶融塩炉」についての勉強会を起ち上げた。

 平成15年2月、参議院本会議の代表質問で、日本近海に埋蔵する「メタンハイドレート」のガス化による資源活用について採り上げた。平沼通産大臣が「7年後に実用化する」と答弁し話題となった。私が参議院議員を引退後、平沼氏らが郵政改革問題で自民党を離党したことをきっかけに「国産エネルギー問題資源研究会」を起ち上げ、現職・元職国会議員八名の平沼勉強会を発足させた。資源エネルギー庁の協力もあって、外国に依存しないエネルギー資源の確保の諸施策を議論した。こんな経緯があり、現在でもエネルギー資源については、50年来の人間関係で貴重な情報に接することができる。

(戦後の復興は石炭 繁栄は石油!) 

 昭和21年、政府は傾斜生産方式を採用し、石炭産業は異常な資材の投入と大量の復興金融公庫の融資により戦後復興の中核となった。政府の調整にもかかわらず、やがて石炭の高炭価が他の産業から批判されるようになる。昭和25年の朝鮮戦争期になると、重油進出の影響を受ける。さらに頻発する労働ストによる供給不安も石炭離れを促進した。

 昭和30年前後になると、国内炭を取り巻く環境が変化する。エネルギー政策の重点が電力に移り、高炭価供給体制から脱しきれなくなる。そして石炭産業を合理化する嵐が吹き荒れるようになる。その背景には、石油化学工業の発展があった。技術の進歩と経営の合理化によりコストダウンを可能にした石油産業が世界経済を謳歌するようになる。昭和40年代にかけて成功したわが国の高度経済成長は、石油に支えられていたといえる。

 石炭から石油への資源・エネルギーの転換は革命といえるものであった。昭和36年に国会で議論された「石炭合理化論争」は苛烈をきわめた。私はそこでエネルギー革命の恐ろしさを知るとともに、そこに係る「政・官・業」の談合と癒着を垣間見たものだ。昭和30年代後期からの石油産業の展開は、人類、とりわけ先進国にとっては生活革命をもたらした。

 先進諸国の、安価な石油を搾取する経済成長はアラブの神によって攻撃を受けることになる。中東諸国の反乱といえるものだ。第1次石油ショック(昭和48年)と、第2次石油ショック(昭和53年)の2回にわたる石油危機は、20世紀の文明が石油という有限の化石エネルギーの大量消費に支えられていたことを思い知らされた。油価の高騰だけでなく、地球規模の環境問題が人類存在の鍵となり、二酸化炭素の削減が石油消費抑制の流れとなった。

(原子力エネルギーの展開と問題点)

 原子力開発は原爆製造として始まるが、平和利用とする方針が出されたのは昭和28年、アイゼンハワー米大統領の国連での演説からであった。わが国では昭和30年に「原子力基本法」が制定され、平和利用の三原則(公開・自主・民主)を基本として、資源小国の商業利用の立場から積極的に活用されることになる。しかし、平和利用と軍事利用の境界はきわめて曖昧である。原子炉は核兵器に活用できるプルトニウムを産出することから、日本の核武装を懸念する米国、原発技術で一体化している日米企業など、複雑な問題をかかえている。

 原発の開発は技術面でも経済面でも問題が多く、わが国では政府の保護で、昭和30年代後半から本格的に開発されることになる。昭和40年代の後半、石油危機を契機として石油に対する代替エネルギーとして、原発建設が積極的に推進されるようになった。平成元年現在、37基の商業用原発が建設された。この間、重大な原発事故はスリーマイル島(米・昭和54年)、チェルノブイリ(ソ・昭和61年)などが発生し、放射能汚染が世界中を震撼させた。これらを契機に原発反対の声が世界世論となり、原発離れをする国が増加するようになる。

(福島第一原発事故と代替エネルギー)

 平成23年3月31日の東日本大震災と福島第一原発事故の悲惨さについて、私が改めて論じるつもりはない。言っておきたいのは、何故、原発稼働を国家として停止することができないか、ということだ。原発推進、原発維持・反原発・脱原発・卒原発などなどいろいろな対応が論じられている。「推進」や「維持」は論外として、「反」と「脱」については具体案がない。「卒」についてはカリキュラムが発表され、具体的工程について議論されることになろう。

 もっとも問題なのは、代替エネルギーの生産である。自然・再生可能エネルギーですべてを代替することは不可能である。代替エネルギーについて知られているのは「石炭ガス化複合発電技術」である。これがどこまで完成しているかについては、ほとんど知られていない。情報によれば、昨年の3・11事故までは情報を封印することはなかったようだが、その後は封印しているようだ。

 私の知るところでは、この技術のモデル機に福島第一原発の近くにある電源開発(株)の研究所に「高効率型石炭ガス化発電」(コンバイン発電機)と呼ばれるものがあり、テストを繰り返し、実用化できる目途もたったとのことである。三菱重工で製作されたといわれ、二酸化炭素の排出も少なく、震災前にはドイツからの視察団も見えたとのこと。出力も原発に遜色なく、国内炭を利用でき、外国の高価な資源に依存することもない。技術面では問題ない。
「脱」にせよ「卒」にせよ、原発を停止することは、「原子力村」や「原発利権の政・官・業」の解体につながる。石炭から石油へのエネルギー革命でも類似の構造があったが、この時期は高度経済成長期であり、混乱のレベルは石炭労働者に限られていた。原発停止となると、20世紀型資本主義=原発資本主義の解体につながる問題となる。

 原発資本主義を続けることは、マネーゲームによる戦争への道に向かうことになる。原発を停止し、国民の生命と暮らしを守るために、二一世紀にふさわしいエネルギー供給システムを創造しなければならない、技術面ではそれが完成しているのに、既得権益者による社会構造がそれを妨害しているのが、日本の現実である。

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