「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―144

                                   日本一新の会・代表 平野貞夫妙観

 ○ 民主党政権崩壊にみる「戦後議会政治」の反省

 平成21年8月30日の衆議院総選挙で、民主党に政権が交代した。マスコミが好んでつける名は「政権交代解散」、「政権選択解散」と称され、これはわが国の有史以来の出来事で、多くの国民に政治の刷新を期待させた。また、政治に係わる研究者・メディア・評論家などの有識者の多くは、日本の議会民主政治が進化したと評価した。私も国民の選択を高く評価し、政権運営に不慣れな鳩山民主党政権の不安定さを心配しながらも、健全な政権交代政治のスタートと期待した。

 しかし、民主党政権は3年3ヶ月で崩壊することになる。自公連立政権に政権交代したわけだが、総選挙による民意の結果である。「選挙管理の不正」など、さまざまな問題も指摘されているが、「民主党政治」を有権者が拒否したことは間違いのない事実である。それにしても「民主党政権の崩壊」は、議会民主政治の常識では想定できないものであった。昨年の衆議院解散は「野田首相の自爆テロ」と揶揄されているが、そんなところに問題の本質はない。

 「メルマガ・日本一新」は、民主党政権が鳩山前首相から菅首相に交代し、政権交代の本旨が変質したことを契機に、初期の「日本一新運動」を再開する形で活動を始めた。従って、菅・野田政権に厳しい批判を繰り返してきた。きわめてドラスティックな民主党政権の崩壊は、民主党という政党固有の問題だけを批判しても解決にはならない。むしろ、私自身の議会政治に対する考え方を反省すべきではないかという思いである。

 率直にいって、私自身の心の中に「自分は議会政治の専門家であり、私の理念や知識を読者(国民)は理解すべきだ」という驕りがあったのだ。それを押し付けてきたのではないか、という反省である。その反省を踏まえて民主党政権崩壊の原因はどこにあったのか、わが国の議会政治の歴史の中から振り返ってみたい。


(明治憲法と昭和憲法における日本人の議会政治に対する感性の差)

 明治憲法は当時の天皇制官僚が、天皇の名で制定したものであった。一方の昭和憲法は、敗戦を経て占領軍の指導でつくられたものである。勿論、手続きとして明治憲法下の帝国議会で審議し制定しているが、占領下でもあり、基本的なことで反対できる状況ではなかった。ふたつの憲法が根本的に異なる性格であることは誰もが知っている。しかし、明治の政治家と、戦後の政治家では、議会民主政治を受けとめる感性において大きな差があることに気がついている人は少ない。


★追記
 2012年9月度より、会員用発行記事については、3割レベルの転載に成りました。
 情報掲示としては、少なく成りますが、ブログとして一部転載を継続して行きます。
 尚、会員には、会員用ブログと全文のPDF、事務局コメントがメール配信されております。

コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

nipponissin1

Author:nipponissin1
   代    表 : 平野 貞夫
   顧    問 : 戸田 邦司
   事 務 局 : 大島 楯臣

カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
動画
 
最新記事
リンク
一新のトランク
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
RSSリンクの表示
Translation Tools
QRコード
QR
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!
Powered By FC2ブログ