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「日本一新運動」の原点・番外編―1

 ◎「日本一新運動」の原点・番外編―1

                                      (文責)日本一新の会事務局

 (結 語) (議会政治100年 徳間書店より)

 やがて100年を迎えるわが国の議会政治を駆け足で観察してきた。明治・大正・昭和と三代にわたって、国家・国民のため、議会政治に生命を賭けた先人の魂を可能なかぎり記録したつもりである。わが国における議会政治の役割は、決して諸外国に劣るものではなく、立派に機能してきたことを、まず、理解しておくべきである。同時に、現在わが国の議会政治がさまざまな問題をかかえ、各方面からいろいろと批判され、改革を求められていることも事実である。

「保守したくば、改革せよ!」

 これは、19世紀の英国保守党の指導者エドモンド・バークの言葉である。わが国では保守主義思想の権化といわれている人物であるが、現状を維持するだけでもつねに改革が必要との考え方である。まして、日進月歩めまぐるしく変化する現代社会において、変化に対応していかに改革するかという課題は、機関や組織の存立にかかわることである。

 国会という国民の意思を統一させ、国家の意思を決める機関の改革は、きわめて重要な問題である。現実の変化に順応できないことは、国家社会を混乱させる原因になるし、現実を無視した行き過ぎた改革もまた同様である。その機関の存在理由に見合った適切な改革でなければならない。

 議会政治は国民の意思を民主的に統一するシステムである。異なった意見の存在を前提として討議と説得によって、最後には、「多数決原理」で国家意思を決定するという機能をもっている。そのためには民主的手続きを必要とし、時間をかけて合意を形成する制度となっている。ところが、現代社会は高度工業化社会となり、国民の価値観は多様化し、予想を超えて複雑な社会となった。したがって、国民の意思を統一することに時間を要する反面、問題の処理は迅速を要するようになった。すなわち、民主的手続きを強化することと、審議を効率化することの矛盾した要件を共存させることが必要になった。現代の議会政治の課題は「民主的手続きと効率的運営」をいかに調和させるかということにほかならない。

 国会改革については、社会経済国民会議をはじめとして、学者、ジャーナリズムなどからいろいろな提言や指摘を受けているが、現実や実態を抜きにした批判や抽象的な制度の改正論だけでは実現できるものではない。まず何よりも必要なことは、議会政治にかかわる人間の見識である。その意味で、昨今のわが国の議会政治の実態を考えるに、原理に対する認識の点で、きわめて危機的状況と憂慮せざるを得ない問題点がいくつかある。それらについての所見を述べて本書の結びとしたい。

 第一は、新憲法下の国会の権限と機能が、明治憲法下の帝国議会と質的に違うものであるとの認識が不足していることである。
 「唯一の立法権」をもつ国会が機能しなければ、国家社会の運営だけでなく国民生活のすべてが機能しない仕組みになっていることをよく承知しておくべきである。明治憲法の勅令や予算の前年度執行などの制度はない。国家の秩序と国民の安全のすべてを国会がにぎっているという事実を忘却した出来事が、しばしば見受けられる。言葉では「国権の最高機関」として自己の権限を主張するが、国会が憲法上課せられている義務、すなわち国家と国民を安全に守っていかなければならないということを忘れ、国民生活に欠かせない日切れ法案を人質に取ったり、総予算の審議を労使交渉のスケジュール闘争化し、暫定予算にさえも審議拒否を主張する発想は、国家の存在そのものを否定するものといえよう。
国会対策の戦術としてこのような発想が出るのは、いかなる状態にあってもかつてなかったことである。国会議員といえども国家社会を混乱させ、国民生活を混迷させる権利はもっていない。

 第二は、議会政治の原理に対する認識が弛緩していることである。
 議会政治の原理は、政治的相対主義、すなわち異なった意見の存在を相互に認め合うという考え方である。自己の意見しか存在しないという発想では議会政治は機能できない。異なった意見が多数意見と少数意見に集約され、国家の意思を決定していくのが議会政治である。わが国のように議院内閣制を採る国は、多数党が政権を担当し、行政権を機能させていくというシステムをもつ。
そして、少数党は国会の場でさまざまな提案や意見を表示し、選挙を通じて多数意見を構成し多数党となって政権を交代させていくという仕組みである。少数意見が将来多数意見となる可能性を保障することで、「多数決原理」が適用できる。

 昨今、政党間の意見が対立した際、議案などの審議を拒否する事例が続出している。審議拒否をする側からいわせれば、少数党の意見を多数党が理解せず、一方的に多数党の意向を押しつけることに原因があるという。多数党が憲法を無視し、議会政治の原理を犯すような場合、少数党のやむを得ない抵抗権として認められようが、常識的にみてさほど重要でない政策上の問題で日常的に審議拒否を行うのは、少数意見の表示権を放棄するものであり、主体性をもった責任ある政党のやるべきことではない。国会を労使交渉の場とし、主張を入れられないならストライキという発想は政治的相対主義に反する。

 また、議会政治の原理の重要なポイントは「頭を殴る」ことではなく、「言論で競う」ことである。これは、国会の本会議や委員会において、質疑や討論や意見を表示することなどによって行われるものである。国会における言論の保障は、少数意見を多数意見に交代させるための絶対要件なのである。かつて、議会における名演説で政権が倒れた事例もあった。鋭い論理で重要政策を変更させた名質問もあった。国会になってからも、例えば講和問題、安保問題、経済財政問題、公害問題等々、国家国民のため、鋭く国会質問を展開した野党議員の活躍があったからこそ、政府・与党はそれに影響され、また、それを対外的に活用し、今日のわが国の発展がもたらされた。言論の放棄は議会政治の自殺行為である。

 第三は、「多数決原理」にも少数派の抵抗権にも限界がある点を認識しておくべきである。
 昭和30年代のわが国では「野党の物理的抵抗と与党の強行採決」のくりかえしで、「卵が先か、鶏が先か」という論議が国会改革のテーマであった。今日ではほとんど姿を消した。短絡した「多数決原理」の適用もまれになった。少数派の物理的抵抗も少なくなっている。しかし、昭和62年4月の売上税問題をめぐって紛糾した衆議院本会議は、野党の牛歩戦術で一回の記名投票に4時間27分かかった。かつて、牛歩戦術には一回を2時間程度で終わらせるという暗黙の了解が与野党にあった。記名投票という議場を閉鎖した状況を4時間以上つづけるのは、人権問題にかかわることであり、抵抗権の限界を超えるものである。

 多数決や抵抗権の限界を理論的に説明するのは容易であるが、現実の国会運営でこれを適用するのはきわめて困難。成熟した議会政治というものは長い歴史のなかで、抵抗してもこの範囲、強行採決してもこれが限度ということが、与野党で慣行として合意されていなければならない。この点、率直にいって、わが国の議会政治はかなりな問題を残している。

 第四は、議会政治におけるマスメディアの機能を、正確に認識する必要があることである。
 現代の議会政治はマスメディアを抜きにして機能することはできない。国会の各機関の状況や政党・議員の活動は新聞・テレビ・ラジオなどによって国民に知らされ、国民が国政に対する関心を深め、それが政治に反映されるのである。マスメディアの報道のあり方によって政治は大きな影響を受ける。高度情報化時代にはマスメディアが政治を動かすといっても過言ではない。議会政治の健全な発展のためには、まず、報道にたずさわる関係者の自覚が必要である。そして、議会政治についての正確な知識と見識により、公平で公正な報道が行われなければならない。

 第五は、わが国では議会政治が百年近く機能しているにもかかわらず、何故か、議会法学、議会政治学、議会史といった学問が、あまり発達していないことである。

 わが国の法律学や政治学の学界の体質によるかもしれないが、今まで、議会政治について「かくあるべし」との立場からの研究は多くなされているが、現実の議会政治の分析は多くは行われていない。欧米の議会政治をモデルとし、それを理想化して物指し(価値基準)をつくり、日本の議会政治をそれで測り、批判するという立場がほとんどであった。この方法では、わが国の議会政治の特性を正確に抽出することはできない。わが国の議会政治の「生理現象」を「病理」だと誤診をしたケースがしばしばあった。
学者のなかには、わが国の政治の土着性が学問の対象にならないと考えていたきらいもあった。最近ようやく、日本の政治の実態に正面から取り組もうとする動きが出てきたことは喜ばしい。国会図書館、衆参両院事務局も含めて、わが国の議会政治にかかわる学問的体系の確立に努力すべきではなかろうか。

 最後に、「国会は、政治家や政党のためにあるのではない。国民のためにあるのだ」という金丸信前副総理の言葉をかみしめながら筆を置く。

                                   昭和63年(1988)9月30日・初版
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 事務局雑話

「メルマガ・日本一新」は、この4月から定期号の合間に、不定期ではあるが「番外編」を発行することにした。その目的は、過去の平野語録を再録することで、本人が「タチの悪い」と自認する「平野思想」について皆さんに知って欲しいと思う、事務局の独り合点である。

その第1回は、昭和63年(1988)に刊行された「議会政治100年」(徳間書店)に所収されている「結語」である。同著には、著者として「政党政治研究会 三塚博監修」とあるが、ゴーストライターは平野代表である。そのことは、この本を底本として改編・追加記述した「議会政治の誕生と国会」(信山社)のまえがきに「本書は、私が昭和63年に政党政治研究会の名で刊行した」と書いている。

当時の平野代表は衆議院事務局の要職にあり、特定政党に偏することを禁じた「国家公務員法」に反することになる。もっとも、そのことは本人が百も承知の上でのことだから確信犯であり、捉えようによってはタチが悪い。これ等のことを総じて「野生の古狸」と事務局は命名した。

 余談はさて置き、肝心なことはこれほどの議会史を書ける人材がいなかったという事実である。同書は本文700ページ余もあり、枕代わりにもなる分厚さである。事務局が感心するのは、その内容もさることながら、衆議院事務局要職という激務にありながら、「よくもまぁ、こんな大量の文章が書けるものだ」ということだ。
 それは「メモ魔」として知られているから、その時々の事象を丹念に書き留めたことと並行して、議会内のもめ事を解決するのに、過去の出来事と照らすことと、憲法との整合性や政治判断を探る技も会得していたのだろう。

 昨今は、国会運営で「おかしいな」と思うこともしばしばだが、国会議員の見識以上に、議会事務局の能力にも疑問符がある、とするのが事務局の意見である。

 「番外編」は、維持会員・予備会員の隔てなくお読みいただき、平野代表が提唱する「真の議会民主政治」の片鱗をご理解願うとともに、予備会員の皆さんにも、維持会員として日本一新運動に加わって頂きたいとの思いである。

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