「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

◎「日本一新運動」の原点―173

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇憲法夜話 ③ 明治憲法の制定と開明官僚の見識!

 

 7月21日の参議院選挙後、憲法問題で異常なことが2件も発生している。ひとつは、麻生副総理の「憲法はある日気がついたら、ワイマール憲法がかわって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気がつかないでかわった。あの手口に学んだらどうかね」(要旨)の発言である。

 

 麻生氏は「例えが適切でなかった」とし、部分的に発言を撤回した。撤回で済む問題ではない。戦後の政治家で最大の妄論・暴言で、人類と歴史に対して謝罪すべき問題と思う。日本国と日本人が、麻生氏にこれを実行させることができなければ、日本は世界に禍根を残すことになる。

 

 もう一つの問題は、安倍首相が内閣法制局長官に、集団的自衛権容認派の外交官を起用することを固めたことである。憲法解釈の変更を狙いとするもので、「憲法解釈の変更を人事で行う」という暴挙である。年初に主張した「憲法96条の抜き出し改正」より悪質な問題である。

 安倍自公政権は、「憲政の常道」即ち、立憲政治の自己抑制力を急速に失っていく。いよいよ、明治憲法を創った先人達の苦悩を知ることが大切だと思う。

 

(伊藤博文の欧州での調査)

 

 訪欧した伊藤は、ドイツ(当時のプロシア)を中心に調査した。ベルリンで公法学者、ルドルフ・フォン・グナイストやアルバート・モッセらについて、ウィーンで公法学者、ロレンツ・フォン・スタインらについて、プロシア憲法を調査した。調査というより教えてもらったというのが正確である。

 

 この訪欧で伊藤は憲法制定の方向について考え方を変えることになる。どんな国会をつくるかより、ドイツを参考に天皇制の強化について、強い信念を持った。山口顕義に宛てた伊藤の手紙によれば、自由民権運動に対して「わが国の現状は政党に非ずして徒党を結び、衆力を以て君主制を削弱又は破却せんとするの意を含蓄する者なり。・・・故に憲法を立て国会を開くも、君権を分割するに非ず、君主は憲法の上に在り」とのことが書かれている。

 

(明治憲法の起草)

 

 明治16年8月4日、伊藤らは1年余りの調査を終えて帰国する。翌17年3月には天皇の下に「制度取調局」を設け、伊藤が長官に任命される。伊藤が目指したのは、国会開設に先だって天皇を中心とした体制固めであった。まず、華族令を同年7月に発布して「公・侯・伯・子・男」五等の爵位を設けた。国会の開設にあたって国民から選挙される衆議院に対抗する貴族院をつくる準備である。さらに、明治18年12月に「大政官」を廃止し、天皇に直属する「内閣」を設置した。

 

 初代の内閣総理大臣に就任した伊藤が、憲法の起草に当たることになる。伊藤の考えは議論百出させるのではなく、井上毅、伊東巳代治・金子堅太郎の三名に起草させること。方針として、
1)皇室典範を制定して憲法と分離する。
2)日本の国体と歴史に基づき起草する。
3)政治に関する大綱目のみとし、簡単明瞭にし、
4)議院法、衆議院議員選挙法は法律とする。
5)貴族院の組織は勅令とする。
6)日本の領土区域は法律で定める。
7)大臣弾劾の件を廃し上奏権を議院に付与する、
を指示した。

 また、これらの作業を行うために、ドイツから、コスレルとモッセの公法学者を顧問として招いた。伊藤はこの5人と明治20年6月から神奈川県の金沢にある夏島の別荘にこもり、憲法草案の起草にかかった。草案は8月に脱稿し、「夏島草案」といわれた。

 

(自由民権論者と国粋主義者の動き)

 

 伊藤の手によって憲法制定の準備が進んでいる頃、政府が内密で進めていた「不平等条約改正内容」が暴露された。自由民権論者だけではなく国粋主義者も政府攻撃を始め、政局問題となる。まとまった案には、治外法権廃止は名ばかりで日本の裁判権を外国に支配下に置くだけだとの批判が起きた。内閣法律顧問のボアソナードは「亡国条約で日本の高官に愛国はないのか」と廃棄を勧告した。農商務大臣の谷干城は、秘密専制外交を批判し、内政の根本改革を主張して辞職し、条約改正交渉は中止となる。

 

 自由民権論側では、板垣退助が天皇に意見書を奏上した。その内容は「専制政治をやめ、国約憲法(天皇欽定ではなく国民の意志による憲法制定論)を定める」こと等であった。また、植木枝盛の起草による「言論の自由」、「地租軽減」、「外交の挽回」の「三大事建白運動」を、中江兆民の指導により全国で展開した。

 

 政府は明治20年12月26日夜、突如として「保安条例」を公布施行し、運動家を皇居から3里(約12キロ)以外の地に退去を命じて、同月28日までに星亨・尾崎行雄ら570人を退去させた。内務大臣・山県有朋の意向であった。これにより自由民権運動は大衆運動的性格を変え、後藤象二郎らによる「大同団結」旧自由党、立憲改進党を問わず自由主義勢力を結集させ、来るべき憲法制定、国会開設に対処する政党活動へと進んでいくようになる。

 

 明治20年の政治危機を、保安条例による弾圧で乗り切った政府は、翌21年4月に枢密院官制を公布した。天皇の諮問機関として、内閣の構成員以外の勲功練達の士を顧問官とし、天皇の意思を決める機能を持っていた。憲法及び関係法令の事案は、同年5月25日から枢密院で審議を始めた。皇室典範・憲法・議院法・衆議院議員選挙法・貴族院令の順で審議が行われ、明治22年2月5日に枢密院での審議は終了した。

 

 確定した「大日本帝国憲法」(明治憲法)の特色は、次の通りであった。

1)天皇は独立命令権を有し、憲法改正発議権も専ら勅命で行われ、立法も議会の協賛とし、行政権は国務大臣の輔弼により天皇が総覧し、司法権も天皇の名で裁判所が行う。

2)皇室に関する事項を憲法外に置いた。

3)大権内閣制を採用し、政党内閣を前提せず、大臣の連帯責任も認めず、国務大臣は個別に天皇に対して責任を負担し、議会に対しては責任を持たないことにした。

4)枢密院が天皇の最高顧問として議会の外に存在することにした。

5)議会は貴族院と衆議院の2院政であったが、権限は大臣弾劾権も憲法改正発議権もなく議院法を議会発足の前に勅令で決めた。

 

 かくして、明治22年2月11日、西暦1889年、紀元節の日「大日本帝国憲法」は発布された。ここまでの話は少し調べれば誰でもわかること。実はここから先のことを論じたいため、今週号を執筆した。

 

(学ぶべきは明治開明官僚の立憲精神)

 

 明治憲法発布の翌日、黒田清隆首相は、鹿鳴館に各地方官(官選知事)を集め、次の趣旨の演説を行った。

『政党が社会に存するのは情勢の免れないところである。けれども、政府は超然として政党の外に立ち・・・・、不偏不党の 心をもって人民に のぞみ、もって国家隆盛の治を助けるように努力しなければならない。』

 

 また、2月15日、伊藤博文枢密院議長も浜離宮に地方長官を集め、次の趣旨を演説した。

『君主は臣民の上に位し、政党の外に立つものである。不偏不 党でなければならない。大臣は可否を献言して天皇の職務を補 佐するものであり、政府がつねに党派余論に左右されるなど甚だ容易ではない。』

 

 この2つの演説に当時の権力者の憲法運用の基本姿勢「超然主義」が現れている。

 この黒田と伊藤の演説に対して、強く反発した開明官僚たちがいた。伊藤と憲法起草に関わった井上毅・金子堅太郎・伊東巳代治の3人であった。伊藤の演説後、3人は伊藤を問い詰めたといわれる。

 

〇井上 閣下はビスマルク流の専制政治を日本に施そうとするものか。平素の主張と異にする。

〇伊藤 どこが違うか。

〇伊東 まったく相違する。黒田首相の演説に不安を持っていた。閣下の発言も以外だ。

〇伊藤 決して平素の持論に相違していない。

〇金子 閣下は五ヵ条のご誓文「万機公論に決す」を引いて帝国憲法の根本義だと、常に訓示された。今日、国務大臣は余論に没交渉で天皇に任ずべしと発言するとは何事か。

〇伊藤 大臣は議会に対して責任ありというのか。

〇井上 大臣の責任は法理上は天皇に対して負うとしても、実際上は議会を通じて国民に負わなければならないと信じる。余論と没交渉で、議会から不信任をうけても天皇の信任があれば、進退すべきではないことになれば「万機公論に決す」の聖旨を裏切るものだ。

           (信夫清三郎著『明治憲法史』より要約)

 

 明治の開明官僚には、立憲主義と公議政治に対して、このような見識を持っていたことを平成の日本人はよく知っておくべきだ。

 それに比べて平成の偏差値秀才官僚たちよ、昨年の「消費税増税問題」では無能な政治家を誑かし、世論を無視して民・自・公3党合意をつくり、国民生活を地獄に落とそうとはなにごとか。

 せめて、明治開明官僚のツメの垢でも煎じて飲んで猛省すべきだ。


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