「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

文庫版(小沢一郎完全無罪)まえがき全文

☆本文は「「20人の識者が見た『小沢事件』の真実」(鳥越俊太郎・木村朗編、日本文芸社)」のまえがきで引用された、文庫版のまえがき全文である。

 世上では「新しいファシズム」が着々と形づくられている。まさに、麻生副総理の発言のとおり「ナチに学べ」が、21世紀のこの日本で実践されている。
 原点―175号の「歴史を知らざる者
は本当の人間では無い!―金子堅太郎」である。

 

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文庫版(小沢一郎完全無罪―「特高検察」が犯した7つの大罪)

まえがき―小沢問題に見る国家機能のメルトダウン

 

「裏切られ、騙されたとはいえ、菅政権をつくった責任は私にある。困ったことになつた・・・・」

 2011年2月7日、政治家小沢一郎は事務所で懇談中の私に、しんみりとこう語った。原口一博衆議院議員が、菅首相の様子や与野党の動きの説明を済ませた直後であった。この日は、陸山会事件における石川知裕衆議院議員らの第1回公判が、東京地方裁判所で始まった日でもあった。

 原口氏の話は、「菅首相の様子がおかしい。党内事情などで適切な判断ができなくなっている。これなら破れかぶれ解散の可能性もある」など、官邸の雰囲気が異常である旨の内容であった。

 すべてが自分の責任といわんばかりの小沢に、私が、「昨年6月の菅政権づくりは失敗だが、その責任は9月の代表選挙の出馬で明確に果たしていますよ。もはや菅政権は民主党政権ではありません。政権交代の原点にどう戻すか、これを考えましょう」というと、小沢はここ数年の苦難の日々を思い起こすかのように黙り込んでしまった。

 

 2009年3月3日の西松事件で小沢事務所の大久保隆規秘書逮捕から始まった「小沢の政治と金問題」は3年以上の歳月を経た。この西松事件は2010年1月13日第2回公判(東京地裁)で、なんと検察側証人の西松建設元総務部長が、「西松側の政治団体はダミーではない」と、検察側立件を否定し、事実上裁判を終了させることになった。

 この事件での検察敗北の恨みを晴らすかのように、東京地検特捜部によって、当日の午後4時頃から、石川知裕衆議院議員事務所や陸山会事務所などの強制捜査が行われた。陸山会事件の始まりである。そして同月15日、民主党大会の前夜、石川議員は逮捕されることになる。政権交代後初の通常国会の召集日の3日前だった。検察は大手マスメディアを利用して、小沢一郎という政治家を政界からどうしても排除したかったのだ。

 大久保秘書の逮捕や石川議員の問題について、大手マスコミの報道や検察側の主張は事実に反していた。自民党政権による政治捜査であり、「検察ファッショ」であることを確信していた私は、同年4月、講談社から『小沢一郎完全無罪「特高検察」が犯した7つの大罪』を刊行し、検察とマスコミのあり方に警錙を鳴らした。そして1年以上が過ぎた。

 検察は西松事件から始まり陸山会事件にかけて、専門家の推定で約30億円という税金を浪費し。社会心理的暴力装置となり下がった大手マスコミを総動員して、小沢一郎の政治的追放を企んだが、小沢本人を起訴することはできなかった。

 しかし、驚くべきことに、民主党の菅直人政権になって、検察審査会という憲法違反の疑いのある機関を使って、小沢排除の謀略は続けられた。検察審査会を利用した「人民リンチ」で、小沢を強制的に起訴するに至ったのだ。大手マスコミが「小沢問題」を異常なほどに取り上げても、陸山会事件で検察が狙った「水谷建設からの裏金」は虚偽であったことを、国民の多くは理解するようになった。「小沢問題」が政治謀略であることが知られるようになったのである(彼らがなぜ小沢一郎を恐れるかは、本書のなかで詳しく述べている)。

 そして2011年5月24日、陸山会事件の公判で二人の証人の重要な証言が行われた。しかし、ほとんど目立った報道はなく、多くの国民は知らされていない。それは水谷建設から小沢事務所に裏ガネは渡されていないことを証言したものだ。

 午前中の証人は、裏ガネを渡すため、赤坂のホテルまで川村尚元社長を送ったとされる元運転手で、「記憶も記録もない」とし、サインを強要された供述書の訂正を求めたが、応じてくれなかった、と証言した。午後は事件のキーマン、水谷建設の元会長、水谷功が、検察が主張する裏ガネのシナリオについて、「裏ガネの管理は厳格で、裏ガネ心得があり、これまで教示してきたことと今回は違い、考えにくい」、また「自分は現場に立ち合っていないし、不明朗な点が多々ある。実際に裏ガネが渡ったかは分からない」と証言した。

 これで検察側が多数の証人を公判へくり出し、小沢一郎という政治家を政界から排除しようと、東日本大震災復旧の最中まで展開したあの手この手の謀略が消滅し、検察の欺瞞性が明確になった。思えば2009年3月の西松事件での大久保秘書逮捕以降、検察が仕組みメディアが協力した「小沢の政治と金問題」は、事実上、幕を閉じた。

 小沢はかねてから、政権交代と電波オークションや記者クラブ廃止を含むメディア改革を政治目的としていた。それを阻止するため、当時の自民党政権、検察、そしてメディアは、小沢に政治権力を持たせないことを至上目的とした。そのための「検察ファッショ」であり、「メディアファッショ」であった。本来なら民主党はこれらと闘うべきであった。が、なぜかそれを行わなかった。そこに民主党の限界と悲劇がある。

 

 それでも国民は政権交代を選択した。その功績は小沢の政治戦略と戦術の勝利であったことを国民は知っていた。

 ところが、次に起こったことは民主党内の小沢排除であった。政権交代による小沢の本格改革を恐れた「反小沢グループ」、それは日本中に生息する「既得権吸血人間」たちのことであった。西松事件の公判で失敗したその日、東京地検は陸山会事件をでっち上げるため石川議員と大久保・池田秘書の3人を逮捕し、小沢を攻め立てた。

 鳩山政権から代わった菅政権は、こともあろうに指導を受け同志であった小沢を攻撃し排除することを政権浮揚の方策とした。東京地検が一年数力月総力を挙げて捜査しても起訴できなかった案件を、菅政権の工作もあり、検察審査会が憲法を踏みにじり意図的に強制起訴した。

 2009年3月から日本社会を挙げて「小沢排除」を行った結果が、今日の日本の劣化を招いた。その原因は、小沢の「政治と金」をめぐる虚実の捏造、すなわち「嘘」の展開にある。「小沢排除」を政権維持の基本戦略とした菅首相のやったことは、政権交代の原点を放棄した政治運営と基本政策の変更で、自民党政治より悪い政治を行った。

 すると、日本政治の悪政に警鐘を鳴らすがごとく、突然に発生したのが東日本大震災であった。「あらゆる協力をする。何でもいってくれ」と、挙国挙党体制を主張する小沢の要請を、菅首相は拒んだ。未曾有の大震災と原発事故は国難となり、それに対応できない菅政権の機能不全は第二の国難を生ぜしめた。原発事故の情報隠蔽工作は、放射性物質の大量放出と住民の被曝という悲劇を生み、福島県浪江町では「耳なしウサギ」まで生まれた。数十万人もの直接的な犠牲者が出ていたが、菅首相は保身延命のため日本列島を放射能で汚染した。彼は「政治犯罪人」である。しかしメディアはそれをいわない。

 2011年6月2日、衆議院に「菅内閣不信任決議案」が提出され、可決確実と追い込まれた菅首相が選んだのは、鳩山前首相を取り込んだ茶番とペテンの「籠抜け詐欺」であった。不信任案が否決された首相が辞任に追い込まれるという世界の議会史にない珍事が起こったのだ。菅・鳩山確認書には、冒頭に「民主党を壊さない」「自民党政権に逆戻りさせない」とある。大震災で困窮する人々、放射能の恐怖で立ち往している人々を無視して、二人ともそんなに民主党が大事なのか。国民の生命を守るために必要なら、政党など壊してもいい。そんな発想のない政治家は直ちに引退すべきだ。

 一方、小沢一郎はというと、事あるごとに「お天道様は見ている」と呟いている。

 このような状況のなかで『小沢一郎完全無罪』が文庫本として刊行されることは、きわめて意義のあることである。私の主張が、司法・検察の問題点を摘出したものであることをよく理解してもらいたい。

 実は私も反省しなけれぱならないことがある。それは、本書では検察批判が中心であったが、日本の社会を蝕んでいるのは検察だけではないことに、「小沢問題」を通じて気がついたからである。日本社会の基本問題について私の見方に大きな欠陥があったのだ。

 「小沢問題」を通じて私に見えてきたものとは、いま日本に「新しいファシズム」が展開しはじめたということである。「ファシズム」の教科書的定義は、「資本主義が危機的状況となると。権力が暴力装置を活用して議会制民主主義による政治の機能を失わせ、独裁的政治を展開する」ということだ。

 驚くべきことはそれだけではない。民主党執行部が、強制起訴される小沢に、政治倫理審査会に出頭するよう強要したのだ。

 弁護団の意見もあり、裁判過程に入ってからの出頭に時期的注文をつけた小沢を、こともあろうに「党員資格停止」とし、その期間を党規約に違反して「裁判終了まで」と強硬決定した。党として事実関係を調査したうえならともかく、大手マスメディアの捏造報道だけを根拠にである。その狙いは菅首相が退陣した場合、党代表選挙に出馬できないようにするためであった。野党の多くは不見識にも国会での証人喚問を要求した。

 このわが国の議会制民主主義の実態を、なんと考えるべきであろうか。これを私は「新しいファシズム」と定義づけたい。「小沢問題」は、社会心理的な暴力装置となった大手マスメディアを、当初は検察が、次に菅政権が、そして与党民主党、さらに国会全体が利用して、議会制民主主義の基本である国民の代表である国会議員の基本権を奪い取ったのだ。

 「新しいファシズム」は、本来、独裁的権力に抵抗すべき政党や議会が、率先して議会制民主主義の基本原理を侵していることを特徴としているのだ。それにほとんどの国会議員や有識者が気づいていない。東北地方を襲った巨大地震と同じような恐ろしことが、日本の社会で起こっている―。

 

2011年7月

平野 貞夫

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