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「日本一新運動」の原点―185

                              日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

(タヌキの効用!)

 松本市での地域交流「信州 法と政策を考える会」の懇親会で馬刺しを食した後、帰途の特急あずさ号に鹿がぶつかった話に、タヌキをからませたメルマガ(184号)は、各地からの失笑と叱責の反響があった。そのなかに、私とタヌキの関係についての問い合わせもあった。

 四国では、伝説として中秋の名月の夜に阿波(徳島)に全国のタヌキの代表が集まり大会を開くといわれている。言わば「タヌキの国会」だ。そんなことからか、四国では政治家はタヌキと呼ばれている。「他を抜く」ともいい、縁起ものだ。

 私の故郷・土佐清水市には「8文字タヌキ」がいる。腹部の毛が8の字となっているのでそう呼ばれている。土佐では、冬眠中のタヌキの皮下脂肪が大昔から万病の薬として知られている。無医地区の山村では、今でも多くの人が「たぬきの油」で生命を助けてもらっている。抗生物質の薬が効かない病気が増えたが、それにも効果がある。

かつて中国に修学旅行に行った高知学芸高校の生徒が、列車事故に遭い大勢の死者やけが人を出したことがあった。けが人を帰国させ、日本医大病院で治療をしたが効果がない。故郷土佐の伝承医療「たぬきの油」を、医師に懇願して使用したところ、奇跡的に完治した。

 この話を、事故当時県庁の総務部長であった人物から聞いた私は、早速日曜市で売っている「たぬきの油」を取り寄せた。自分で実証してからでないと他人に勧めることはできない。確かに効果がある。その頃、自由党で安全保障の基本政策を作成する仕事をしていた。

50人くらいの国会議員で、どうしても一人だけ私の調整を理解しない政治家がいた。西村真悟氏である。どうすればよいのかと詰め寄ったところ「実は酒を飲み過ぎ、大きな『疣痔』ができて困っている。一発で効く薬を見つけたら、平野さんの調整に応じる」とのこと。早速「たぬきの油」を渡したところ、「完治した。何でもいうことを聞く」ことになった。

 これだけではない。神楽坂の芸者置屋の女将から「帯状疱疹になって困っている。医者に行っても治らない」との電話があり、「たぬきの油」を届けてやると「一晩で治った。油の残りを目皺につけると皺が伸びた」と、大喜びの電話が入った。

 そこで、高知市で開かれた参議院議員就任十周年記念集会で、「たぬきの油」を高知県の特産医療薬品として開発する構想を発表した。出席者の大半は真面目に理解しなかったが、さすがタヌキの本場徳島から出席していた人たちは、大いに賛同してくれた。

 プロジェクトチームができ、難題は「たぬきの油」の安定供給だった。私の意見で自然林を活用して「タヌキ牧場」をつくることになる。ところが私の不徳な一言で構想が潰れることになった。「たぬきの油は土佐清水市か物部村のものがよいので、それにしては!」と知人の情報を紹介したところ、土佐清水市の隣町で、中村市(現四万十市)在住の有力者から「貞夫君の悪い癖だ。清水と中村をいつも差別する。タヌキに戸籍はない。中村と清水の山は続いているのだ」と怒り出した。

 土佐の「いごっそう」は、言いだしたら止まらない。不幸なことに彼がスポンサーの一人だった。かくして「タヌキ牧場」は空中分解した。私はいまでも残念に思っている。最新科学で「たぬきの油」を開発すれば、画期的な医薬品になるはずだ。それにタヌキの毛皮はニューヨークでは最高級品として扱われている。実体経済を活性化するために、伝承技術を見直す発想が必要ではないか。

 ところで、前号のメルマガを読んだ私の親族から叱責の電話があった。「馬や鹿・タヌキの話では、真面目なメルマガの会員に申しわけない。どうせなら、貞夫君が若い頃に薫陶を受けた土佐の大ダヌキの話でもして、今の堕落した日本政治に警鐘でも叩け!」とのこと。


(土佐の大ダヌキこと吉田茂翁の話)

吉田元首相は昭和42年10月20日に90歳で大往生する。大磯の自宅で最後の言葉は「富士山を見たい。起こしてくれ」であった。富士山も今や世界遺産となり、吉田さんもさぞかし喜んでいるだろう。

 亡くなる半年くらい前、吉田家の家老職、土佐生まれのいごっそで、私の東京での親代わりの依岡顯知さんが、こんな質問をしている。

「吉田先生は敗戦の翌月、外務大臣になられ、21年5月からは首相としてご苦労された。あの頃、5年経てばこの程度、10年後はここまでと、復興の目標がありましたか。その達成をどう評価していますか」と。

 それに対し「あなたは今だからこそ、そんなノンキなことをいいますがね、あの頃は『餓死者を出すまい』、『恒心を失わすまい』、それだけで頭の中はいっぱいでした。全く無責任な総理でしたよ。・・・・・いまは『恒産』に恵まれたものの、『恒心』は悪者あつかいでしょう。将来が心配ですね」と、暗い顔で語ってくれたとのこと。

 吉田さんは中国の古典に詳しく、孟子の「恒産なきものは恒心なし」の教えから、昭和42年頃の日本のあり方を皮肉ったのである。この時期、わが国は国民総生産が世界第2位となり、80%の国民が中産階級だと思うようになり“金あまり、物あまり”となった。まさに「恒産」は成功したが「恒心」の方はどうなったか。「恒心」とは、親を大切にし、先生を敬い、老人幼児弱い者に親切にすることである。日本が「物で栄えて、心で亡ぶ」ことを予言していたのだ。

 吉田元首相は未来を洞察する力を持っていた。共産主義の将来、中国の将来などは見事に的中していた。これは私が若き日に直接伺った話だ。学生時代の左翼運動が原因で、普通の就職ができず、吉田さんが総理時代に秘書官をやっていた人物が、某テレビ会社の副社長をやっていた関係で、このテレビ会社の入社試験を受けることになった。試験用紙の中に、好きな人物と本という課題があり、マルクス・レーニン・毛沢東と書き、吉田元首相を怒らせてしまった。

 吉田さんの命令により、又従兄弟で吉田内閣の副総理や衆議院議長を務めた親父の友人である林譲治さんに集中的説教を受けて、衆議院事務局に就職した経緯があった。苦労をしたのは親代わりの依岡さんだった。2年を経て、私が左派から転向したのを確認し、高卒資格の臨時職員から院卒採用の衆議院参事となった直後、依岡さんの案内で大磯に挨拶に参上した。

 そこで吉田元首相から、日本の議会政治について話を聞くことができた。要点は「戦前、日本にはデモクラシーなどなく、戦後になって与えられたものだよ。日本人自身の努力で手に入れたものではない。大方の民衆は真意を理解していないよ。日本の議会政治の貧困さがそこにある。といっても、議会政治より他に日本の向かう道はないから、努力して健全な議会政治に向かうべきなんだ」と持論を述べてくれた。

 私が「どうして議会政治がうまく行かないのですか?」と質問すると、「政治家が無能だからだよ」と鋭く言い切った。そして続けて「多少出来の良いのが戦後に追放され、解除された時は呆けていた。新人が無能とは思わないが、政治の訓練と経験が足りんので、国家を背負う力が足りない。しかし、私は失望していない。人間は進歩すると信じているからだ」と、応えてくれた。

 この見識に私の全身は震えた。50年経ての今日、わが国の議会政治を見るに日本人の進歩はあったのだろうか。この問題では吉田元首相の予言は当たらなかった。民主党への政権交代以降現在まで、わが国に議会政治は機能したであろうか。私も責任の一端を感じている。


 しかし、吉田元首相からは次の語りがあった。「議会政治を良くする問題に、すぐ効く薬はない。民衆にデモクラシーの本当の意味を理解させる教育より他はない。学校教育や社会教育によって実現するよう、政治家も識者も努力すべきだ」と。

 大ダヌキの吉田茂翁は「いまの日本の議会政治の状態は、進歩のための苦難の道だ」と彼の世で笑っているのではないか。日本一新の会のやることは山積している。 

                                                  (了)
  



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