「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―263

             日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 南海大地震と海底遺跡! 

 

 4月19日(日)午後4時、喪中の拙宅に珍客が大勢で押しかけてきた。海洋研究所開発機構 (JAMSTEC)・高知コア研究所・断層物性研究グループ・谷川亘主任研究員(理学博士)ら一行である。同行者の中にはNHK高知放送局ディレクターの堀本剛史氏や森山睦雄記者に加え、カメラマンが2名もいて、手狭な拙宅で3時間にも及ぶ大取材となった。

 谷川博士一行の取材来訪目的は、「高知県生まれの〝古老〟として、大地震・津波・地層変化など、古代からの伝説や縄文遺跡研究家としての情報を取材したい」とのこと。「古老とはあんまりじゃないか」と文句を言うと、「高知では郷土史研究家が、良くいうとアカデミックすぎること。悪くいえば頭が固すぎて口伝や伝説を大事にしない」とのこと。「最近、各地で伝説が実証される遺跡などが発見され、口伝・伝説は大事と主張されてきた、〝古老〟に、話を聞きに来た」とのこと。

 

(波打ち際の砂中から出た海底遺跡の謎?)

 

 谷川博士の研究の動機は、私が子供の頃遊んだ海水浴場から海底遺跡が見つかったとの報道(高知新聞・平成25年8月5日)であった。「土佐清水市瓜白、白鳳地震のため陥落、海底に眠る石柱群」という見出しだ。谷川博士が地震断層研究の立場から、研究対象にするという話を聞き、私が手紙で「高知新聞や高知大学の見方を信用するな。縄文期の国際的人々の動きを前提に研究するように」とアドバイスをした経緯がある。

 実はこの海底遺跡は、平成10年に地元で漁業をやっていた、龍本譲氏から知らされ、「足摺縄文研究会」で調査を始めていた。発見できたのは、昭和末期に公共事業の砂利が不足して、漁業組合が非公然で海岸沖合の海砂利を大量に採り売っていた。海岸の波打ち際が大きく(2~3メートル)削り取られ、そこに埋もれていた遺跡が顔を出すようになったのだ。波打ち際から10メートルぐらいの海中に幅15メートル、長さ五〇メートルにわたり、円形や四角の石柱などが散乱しているのだ。神殿など、宗教的建造物が地震で倒壊したことはわかるが、仏教寺院とか神道建造物とは思えない。また高知新聞がいうように「白鳳地震での崩落」とも断言できない。きわめて不思議な石材建造物である。

 

 古代遺跡や海底遺跡の国際的研究で知られる元京都造形大学教授の渡辺豊和氏に写真を見せたところ、「インドネシアのポナペ付近の島に、類似の石材の神殿がある。スンダーランド文明の北限として、足摺岬付近が位置づけられる歴史的遺跡の可能性がある」とのこと。

 

(縄文の歴史に無知な行政・学会など!)

 

 渡辺豊和先生のアドバイスで、調査研究することになる。まず、海中カメラで精密な撮影をとのことで、NHK高知放送局に話したところ相手にされず、関心を持った某記者が年休をとって参加してくれたが、数日前の集中豪雨で、撮影が数ヶ月も不可能となった。仕方なく既存の写真を英国のグラハム・ハンコック氏(縄文研究者)に送り、氏のホームページに載せてもらって、世界の話題にした。

 一方、私が土佐清水市や高知県庁に働きかけ、歴史文化観光にすると世界的な場所になると進言したり、高知新聞などに話した。口の悪い連中が「瓜白の石材は、平野が放り込んだ産業廃棄物だ。キャツなら、その程度のことはやりかねない!」とまで言われる始末になる。いやはや、人徳のなさがこんなところに現れる。

 (維持会員統合版PDFファイルに海底遺跡のカラー写真有り)

 

 平成17年正月のTBSのBS番組で専門家によって研究成果が報道されたが、高知県庁も土佐清水市の行政も素知らぬ顔。高知新聞に至っては平成25年になって初めて発見したような報道である。日本各地には驚くような古代遺跡が散在している。これらが地方創生のカギになる可能性がある。そんな気持ちで、それぞれの故郷を見直しては如何ですか。

 


〇 平成の日本改革の原点 (第8回) (海部・小沢政権、政治改革に着手) (2)

 

 前述したように、平成2年4月20日午後8時、小沢自民党幹事長から呼び出しがあり、23日に海部首相と会って政治改革に着手するかどうか腹を確かめる、との話を聞いた。いよいよ時機到来かと、私の腹も固めた翌々日の22日、海部首相の安藤光男秘書から電話があった。

「明日、海部・小沢会談がある。海部首相に選挙制度改革の意義について勉強させておきたいので、わかりやすいメモが欲しい」。安藤秘書の兄が、前尾事務所で秘書をやっていたことで親しい関係だった。翌23日朝『政治改革問題の展望について』を届けた。内容は、選挙制度・政治資金・政治倫理についてこれまでの経過と展望を述べ、最後を次のことばで結んだ。

 

「以上、ごくおおまかに政治改革の展望について述べましたが、私はロッキード問題以来、政治改革・政治倫理で月給を貰っていたようなものです。考えてみますと、前尾議長秘書時代に海部議運委員長、そして官房副長官として、一体となったり対立したりして、ご指導とご迷惑をかけました。

 海部総理は歴史の中で、政治改革のために生まれたという運命を背負っています。同時にそれを陰で支えるのが私の宿命です。故人となられた三木総理・前尾議長も守護霊となって政治改革の成功に協力してくれるという自信をお持ちください」(平野貞夫衆議院事務局日記・第4巻93~95頁参照)

 

 レポートを届けた4月23日夕刻、海部首相と小沢幹事長の会談が行われた。午後6時過ぎ、安藤秘書から「会談は終わった。小沢幹事長は機嫌が良かった」との電話があった。こうして政権与党である自民党から、政権交代のできる「政治改革」が始まることになる。

 5月10日、第8次選挙制度審議会が「衆議院小選挙区・比例並立制」の答申を行った。それを受けた海部首相は、特別記者会見を行い「政治改革に内閣の命運を懸ける」と表明した。答申の趣旨は、1年前、竹下首相が退陣の際に公約した『政治改革大綱』の政権交代への仕組みづくりを生かしたものであった。

 

 この海部首相の決意表明は、自民党内と社会党左派の反発を強くした。その対応として小沢幹事長が考え出したのは、与野党の幹事長・書記長クラスによる、西欧各国の選挙制度と政治改革の調査であった。そして米ソ冷戦終結と共産主義国家崩壊に、西欧諸国がどのように対応しているのか、日本はこのままでよいのかを考えようという狙いがあった。

 マスコミが「目的は選挙制度調査、土産は政界再編」と揶揄するなか、7月10日、調査団は成田空港から旅だった。メンバーは、名誉団長・田辺誠社会党副委員長、団長・小沢一郎自民党幹事長、副団長・市川雄一公明党書記長、同・米沢隆民社党書記長で、団員に5名の副幹事長・副書記長クラスから編成された。私は事務局として同行した。

 

 約2週間の調査で、仏・英・西独の政党指導者や政府関係者、学識経験者と面談した。またベルリンの壁が崩壊した現場に立ち、国際政治の激動を実感し、戦後一貫して続けてきた、日本の自社55年体制の馴れ合い政治ではやっていけないという認識を調査団一行が共有する成果が生まれた。このメンバーのほとんどが、3年後、平成5年8月の非自民細川連立政権に参加し、政治改革を推進することになる。

 訪欧調査団が7月25日に帰国し、秋に予定されている「政治改革国会」の準備を始めた矢先の8月2日、イラク軍がクエートに侵入し、湾岸紛争が勃発した。米ソ冷戦が終結して9ヶ月を経時期であった。国連が発足以来初めて機能し、イラクに対して安全保障理事会が武力制裁をすることについて決定を行う。自社55年体制が抜けきれない日本は、国連への協力をめぐって政府内部が混乱し、海部政権は立ち往生することになる。流れは「政治改革国会」どころではなくなっていく。

      (続く)

 

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