「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―307

 日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 沖縄米軍基地移設問題について (3)

 

 前回に引き続き、沖縄での翁長知事支援の「県民ネット」有志との意見交換会での説明や懇談の要旨を報告しておきたい。

 

2)平成9年の「駐留軍用地特別措置法改正案」の顛末

 

 第140回通常国会で審議された「駐留軍用地特別措置法改正案」(認定土地等の暫定使用等)は、嘉手納・普天間・楚辺通信所等の基地の借用地期限が切れることに対応するための法案であった。米軍が基地を使用するに欠かせない重要な法律で、沖縄の人々に迷惑をかける好ましくない内容のものであった。しかし、これがなければ日米安保体制の基本が崩れ、基地の移設や返還に混乱も起こしかねない問題であった。

 当時の「自社さ政権」で社民党が反対し参議院での成立が見通せなくなった。朝鮮半島の緊張が高まった時期でもあり、橋本政権は窮地に立つことになる。この問題の背景は、平成7年の米兵による少女暴行事件などで反米基地運動が盛り上がり、平成8年には橋本首相とモンデール駐日大使と会談で、「普天間基地の、5年~7年以内の全面返還を米側が了承し、代替として基地移設の話し合い」が非公式に行われていた。モンデール駐日大使は、「県外移設」も想定していた。

 

 沖縄米軍基地問題の解決にもっとも熱心に活動したのは、梶山静六内閣官房長官で、当時、新進党党首であった小沢さんと徹底して話し合った。「駐留軍用地特別措置法改正案」(以下、特措法改正案と略す)を成立させるためには、沖縄米軍基地問題の根本的解決が必要であること。さらに、朝鮮半島危機の中で「自社さ政権」では、日本の安全保障が確立できないので、健全な保守勢力による政党再編が必要であることで認識を共有した。

 

 そのため、平成9年4月2日深夜にかけ、橋本首相と小沢党首との会談が行われた。

小沢党首の主張は、

 

1)安全保障は国の責任との認識を共有すべし。


2)沖縄米軍基地の移設・縮小は法律をもって、国の責任で行うべし。


3)自社さ連立政権では安全保障に国家が責任を持てない。従って連立を解消し
  新進党と連立の政策協議を行うなら協力する。


というものであった。

 

 橋本首相の回答は、1)については了承する。2)の法律の制定は困難だ。3)は自民党内を説得し、次の内閣・党人事で実現したい。ということで、翌3日、改めて再会談することになった。

自民党内は小沢党首の主張をめぐって紛糾したが、事態が事態だけに、2)については応ずべきでないことを条件として、再会談に応じることを了承した。3)については、自民党内で議論せず、

橋本首相個人の認識にとどめた。

 再会談を開くためには、2)についての合意案が必要である。梶山官房長官の希望で、私と与謝野馨官房副長官で案文を作成することになった。合意した案文は次のとおり。

 

1、日米安保条約は我が国の安全保障を確立するという国の根幹にかかわるもの
    であるという共通の認識に立ち、政府が同条約上の義務の履行に最終責任を
  負う。


2、在沖縄米軍基地問題は日米の関係を円滑にし、絆を強化するとともに、沖縄
  県民の負担を全国民が担うという考え方に基づいて解決すべきである。


3、沖縄の基地使用にかかる問題は、県民の意思を生かしながら、基地の整理・
  縮小・移転等を含め、国が最終的に責任を負う仕組みを誠意をもって整備す
  るものとする。

 

「合意案」づくりの手順は与謝野副長官が第1項を提示し「そっち側の要求を提示して欲しい」ということで、小沢党首との打合せどおり、その場で第2項と第3項を書き上げた。基本理念は、「沖縄県民の負担を全国民が担うこと。基地の整理・縮小・移転等は、県民の意思を生かすこと」であった。2人は何の議論もせずに合意して直ちに持ち帰り、再開された橋本・小沢会談で案文通り合意した。この合意により「特措法改正案」は成立した。

 この橋本首相・小沢党首との会談の経緯は、当時の読売新聞の解説記事を添付した資料を参考にと、この項の説明を終えた。すると「県民ネット」のメンバーが「こんな合意があったなんて信じられない」と驚いているので、私が「間もなく小沢さんがこの懇談会に顔を出しますので確認しましょう。第1点に、この合意は現在も政治的に生きているかどうか。第2点は、小沢さんが沖縄基地の移設・縮小を法律で決めると主張したのは事実かどうか。」

 懇談会の冒頭で私から確認したところ、小沢さんは「あの合意があったからこそ特措法改正案が成立し、日米関係も致命的にならず、沖縄の混乱も避けられた。合意は生きており、沖縄米軍基地問題解決の基本理念だ。基地の移設や縮小などを法律で定めろとも主張した。合意文に法律化という言葉はないが、意味は同じだ」とのこと。「県民ネット」の一同は、この時期「法で沖縄米軍基地の縮小・移転を定めよ」と主張する政治家が日本にいたことに、言葉もなかった。

 

 この「合意文」はどうなったか。橋本首相は約束した内閣改造や党人事を実行できず、合意の内容は実現されなかった。このことに怒った梶山官房長官は4ヶ月後の8月に辞任した。この時期、

普天間の代替は「辺野古沖埋立案」が、沖縄や東京のゼネコンの意向との情報が流れていた。私はこの「合意文」に関わったとき、モンデール駐日大使の情報もあり、高知のPKO訓練センターと

の共同使用で、沖縄米軍基地の移設に期待をかけたが、状況は許さなかった。普天間基地の辺野古への移設は、沖縄県と名護市が厳しい条件を付けて了承したのが、平成11年であった。

 

3)鳩山民主党政権の「最低でも県外」の顛末

 

 平成21年9月、歴史的政権交代で鳩山民主党政権が樹立した。「自公政権で決めていた辺野古への移設を最低でも県外」と鳩山首相は叫び、日米安保体制に新しい風を吹き込んだ。当時の内外

の状況からみれば、ひとつの見識であった。しかし、致命的ミスが二つあった。

 ひとつは抵抗する官僚に踊らされた閣僚を罷免してでもという指導者としての覚悟がなかったこと。

 次に根本的問題だが、小沢さんを「政策協議に関与しない幹事長」という、議院内閣制ではあり得ない仕組みをつくったことである。小沢さんが沖縄米軍基地移設について、平成9年の特措法改正案の成立に重要な役割を果たしていたことを、ほとんどの関係者が知らなかった。それ故に、結果として自公政権時代の辺野古移設に戻すことになったわけだ。しかし、米軍基地のあり方について、沖縄のみならず全国民の目を覚ましたことは評価したい。

 

《結び》

 辺野古への移設決定が平成11年11月、それから17年となる。紛糾を続けている根本問題は政治家と官僚とゼネコンの利権争いにある。現在、県と国は3つの訴訟を行っている。安倍政権は「法と行政で決定済」として勝利に自信を見せているが、議会民主政治では民意の支持を得てこそ正当性がある。「辺野古問題」をテーマにした国政・地方選挙で四回とも、辺野古移設反対派が勝利した。法理として「事情変更の原則」により工事を中止し、米国と再交渉すべきである。米国の状況は、日本政府の判断に任せるというのが真意であり、強制移設は期待していない。

 

《沖縄県議会で活用された、意見交換会の話》

 

 2月24日、沖縄県議会の代表質問で「県民ネット」の奥平一夫県議が意見交換会の成果を活用してくれた。

 

〇 先日、那覇でお会いした元参議院議員の平野貞夫氏は「安倍・菅政権は、辺野古の埋立を『法と行政で決まった』ことを根拠にしているが、議会制民主主義では『法と行政』が絶対ではない。『民意』が支えてこそ正当性がある。『事情変更の原則』という法理もある。政治的には過去に決めたことの正当性を吟味し状況を総合的に判断し直す事もある。それが理解できないなら政治家失格だ」と批判した。
 
 と紹介して、基地問題解決に強い姿勢で臨んでいる県当局に見解を質した。

 

   (次回は、「高知勝手連決起大会紀行記」を掲載します

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