「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―319

 日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇『誰が・田中角栄を葬ったのか』の出版について!


 昨年、憲法や安保問題をテーマに二度も出版を予告して、原稿も出来上がっていたのだが、安保法制問題や、野党協力の政局の大激変に翻弄され保留となっていた。

 その間に、世の中はすっかり「角栄ブーム」となった。そこで10年前に講談社から刊行し、故あって初版で絶版に追い込まれていた『ロッキード事件―葬られた真実』を現代の立場から再考して「K&Kプレス」から出版することになった。

7月初旬には刊行の予定だが、「プロローグ」(案)の要旨を本号に掲載するので、改めて世に問う理由を理解して欲しい。

 

 (プロローグ)要旨            


 
『角栄ブーム』が止むことを知らない。原因は、「安倍自公政治」の異常性だけではない。与野党すべての政治家に対する民衆の、「不信感」と「不安感」によるものだ。

 田中角栄を「天才」と呼ぶのもよいだろう。「卓越したリーダーシップ」を政治に求めるのも結構。より大事なことは何故田中角栄の悲劇が起こったか。日本人なら、まずこの要因を知るべきではないか。


 「ロッキード事件」の本質は、米国の〝虎の尾を踏んだ〟田中政治にあると論じることは正しい。しかし、私はこれを具体的に証明する能力を持たない。私にできることは、対米従属シンドロームを持つ日本の権力者たちが、憲法や刑事法規などを冒涜して、田中元首相を断罪した「国家の犯罪」であったことを論証することだ。本書は『小説』ではない。現場で見聞きした真実の記録であることを、ことさらに強調しておきたい。


 刊行の第一の理由は、ロッキード国会時代に私は前尾衆議院議長秘書を勤めていた。当時の政治の動きについて膨大なメモを残している。最重要証人の児玉誉士夫が政治権力者の指示で重度な意識障害を起こす注射で国会証言が不能になった経緯などである。また、三木武夫首相が事件を利用して、田中元首相を政界から葬ろうとした執念、中曽根康弘幹事長が疑惑から逃げようと、悪あがきを繰り返した言動、これが、田中元首相逮捕の道をつくることになったことなどだ。


 さらに、三木・中曽根政権は民社党と談合して、田中元首相をロッキード事件の主役という疑惑をタネに、衆議院を解散し総選挙で連立政権をつくろうとする。衆議院の解散を政治生命を懸けて阻止したい前尾議長は、河野参議院議長の協力で、「両院議長裁定」により国会正常化を成功させた。

 この国会正常化を利用して、三木首相は検察と米国司法関係者、そしてフォード大統領の協力で、ロッキード社の関係者に違憲の「嘱託尋問」を行い、田中元首相を逮捕していく。この時、万が一衆議院が解散していたなら田中元首相の逮捕は避けられていたであろう。前尾議長が国会正常化に拘ったのは、昭和天皇から、「核不拡散条約」の国会承認を強く要請されていたからである。(仔細は『昭和天皇の「極秘指令」・講談社』)前尾議長は自分が田中逮捕の環境づくりをしたと、後悔していた。

 第二の理由は、私が10年前に『ロッキード事件―葬られた真実』を刊行した際、政治権力が某マスコミに圧力をかけて、真相究明を妨害した傍証を公開することである。児玉証人の国会証言を不能にした経緯を「特ダネ」とした予定稿が、報道予定の前夜、上層部の指示でボツになったことだ。マスメディアのあり方を国民的に議論してもらうためである。


 さて泉下の角栄さんは、現下の異常な「角栄ブーム」をどう思っているだろうか。「今さらワシを、天才とか誉め殺しをするな!。21世紀になっても『角栄の悲劇』を繰り返している日本の政治に問題があるんだ」と嘆いていると私は思う。

 ロッキード事件以来、我が国の『権力の犯罪』は悪質化・複雑化し増大している。その典型的事例が「小沢一郎陸山会事件」である。「陸山会事件」は、麻生政権が政権交代を妨害するために捏造したことから始まる。それを民主党政権の狭量な一部指導者が、司法権力者を利用して起訴・裁判化したものだ。何故にこのような『権力の犯罪』が繰り返されるのか十分検証されなければならない。

 その理由は、日本人に染みついた「御上意識」を利用した「官僚権力」の支配ノウハウにある。戦前の御上は「天皇」であったが、戦後は米国だ。「対米従属シンドローム」をもつ権力者が原因だ。これを改善しなければならない。そして何よりも必要なことは、国民一人、一人の「自立心の向上」であろう。

 

 

〇 私の「日本共産党物語」 5

(議会政治の体制内政党化に苦悩する共産党)

 

 昭和48年7月末、第71回特別国会は、会期再延長で史上初の130日の延長となる。野党は激怒したが前尾議長への同情もあり収拾した。共産党の松本国対委員長が「平野秘書の処分」を要求したが、宮本顕治共産党委員長の鶴の一声で私の首はつながった。国会正常化が本格化するに当たって、前尾議長が与野党国対委員長に約束したのは、「時代遅れとなった国会の諸制度と慣例の抜本的見直し」であった。

 

 この国会の抜本改革については、7年前の昭和41年、園田直氏が副議長の時「議会制度協議会」を設置して、国会改革に着手したことがある。その時、知野虎男事務次長と平野貞夫副議長秘書が中心となって構想した案があった。これを整備することになり、その作業が終了した会期末で、知野事務総長が円満退職することを前尾議長が了承する。そして再開した「議会制度協議会」では、共産党が参加し、国会改革に対し論陣を張ることになる。

 

 共産党が公式に、初めて参加した国会改革で、前尾議長が最初に提案したのが、議長と与野党国対委員長がヨーロッパの議会政治先進国を訪問することであった。目的は、時代の変化に議会政治先進国がどのような議会改革を行ってきたか、さらに、高度経済成長を成功させた日本が、これから如何にあるべきか外国から党派を超えて考えようというものであった。

 この前尾議長の構想を共産党も理解し、松本国対委員長が同行することになった。ところが議員団が出発直前に、松本国対委員長が入院し、参加しないことになる。前尾議長は共産党が議会政治体制内政党化する絶好の機会と期待していただけにとても残念がった。それに加えて、前尾議長は会期再延長問題の正常化の際、宮本委員長から叱責を受けた松本国対委員長に同情して、何かと気を遣っていた。

 

 前尾議長から「何か記念になる土産を買って届けてくれ」と言われてロンドンで背広の生地を買った。それが日本円で20万円ほどの高価なものであった。私にしてみれば、松本国対委員長を困らせようという下心があった。議員団が帰国後、松本国対委員長の夫人、画家で岩崎ちひろさんが死去した。またまた前尾議長から私に、いやらしい命令がある。「葬儀に私の代理で参列して、香典を届けてくれ」。私が「それは公務としてですか?」と質すと、「私用だ」とのこと。「それなら議員会館の秘書に指示して下さい」と断ると、怒った前尾議長が「君と松本君の関係が正常になってくれないと私が困る」とまで言いだす。

 

 仕方なく、渋谷区幡ヶ谷の葬儀所に香典10万円を持ち、前尾議長の「お悔やみ」を伝えて用件を済ませた。私としては、個人とはいえ、10万円の香典を共産党国会議員が貰い、どうするのだろうか。口外するつもりはないが、前尾議長の香典袋を葬儀関係者は知ることになる。他人事ながら心配になった。

 ところが1週間経って松本国対委員長が前尾議長にお礼の挨拶に来た。驚いたことに記念ということで故人となった岩崎ちひろ夫人の画を持参し前尾議長も喜んで受け取った。後になって価格を調べたところ、30万円ほどだった。となると、ロンドン土産の背広の生地代と香典代でお相子となった。前尾議長と松本国対委員長は親交を深めていくことになる。

 

 しかし、世の中はそう旨くいくものではない。第72通常国会が昭和48年12月1日に召集された。共産党が松本国対委員長を更迭して、後任に村上弘氏を起用したのだ。村上氏は、共産党の国会対策の責任者で、松本国対委員長の上司にあたり監督する立場だった。松本氏更迭原因のひとつは、「平野秘書問題」があったようだ。

 村上国対委員長は就任するや、直ちに前尾議長に挨拶に来た。その直後、議長秘書の私をつかまえて、「僕は、松本君とは違って必要があれば、君を通さず直接押しかけるからな」といささか脅し気味。「その方が、私も手間が省けて結構ですよ!」と言い返す。「こいつ!」と、笑いながら握手して退室した。前尾議長には悪いが私はこんなタイプの政治家と気が合うのだ。

(続く)

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