「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―341

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 私の「共産党物語」 26

(野党協力で共産党の位置づけが議論となる)

 

 小沢自由党党首(当時)と私で考えたのは、戦後日本の温泉観光地の建て増し違法建築旅館を一度「新地」(さらち)にし、新しい適切な旅館に建て直すという発想であった。手順としてまず「新地」にするためには共産党の協力が必要である。その後どんな建物にするかは国民の意見を尊重して各党間で協議して合意したものにすればよい。その際、共産党との協力は必ずしも期待しなくてよい、というものであった。

 この構想に対して共産党の反応は反対ではなく検討しても良いとの雰囲気であった。民主党や社民党はとても乗れないとの意向だった。困ったのは自由党で、小沢党首と私の発想に誰も賛成してくれなかった。「あの2人はどうかしている」と、陰口を言う者まで出るほどであった。米ソ冷戦後の共産党の変化を理解する政治家はほとんどいなかった。

 

(「参議院比例区制度改悪法案」の阻止で野党共闘が実現!)

 

 全野党協力構想が頓挫した直後小沢党首はせめて「民主・自由・社民」の3党協力を実現させたいとのこと。新憲法施行50年を契機に発足した両院の「憲法調査会」の活動が始まったことに目を付けた小沢党首が「憲法9条について、土井社民党党首と共有できる理論をつくろうではないか」と言い出し、自由党内で議論することになった。

 その矢先森自公政権は翌13年に迫った参議院選挙対策のため、参議院比例区制度の改悪を策略したのである。その要点は「党名」だけの投票を「党名と氏名」のいずれでも投票してもよいとしたことだ。当時の森政権は「日本は神の国」といった放言癖などで首相の資質が疑われていた。自民党が激しく支持率を減らしていたための対策であった。

 野党は猛反発し審議拒否をしないことを党是としている共産党も激怒して、民主・自由・社民と一緒に法案審議を全部拒否した。4党が共同で街頭抗議活動を連日行った。クライマックスになり、JR新橋駅頭で抗議活動を行ったとき、私が志位共産党書記局長から注意を受けた話が、当時の共産党の事情を物語っている。

 岡田民主党幹事長・志位共産党書記局長・福島社民党書記長・平野自由党副幹事長の4人が大型の街宣車に乗車し、森自公連立政権に対し抗議演説を行い最後に私の番となった。私は選挙制度と選挙のあり方が公正公平でなければ、民主政治は成り立たないと論じ、森政権の暴挙は民主政治の破壊であるとし、わが国では明治時代に自由民権運動で心ある人々は幕藩政治に蜂起して議会を開設させた。この悪法を阻止するために国民は蜂起すべきだ、との趣旨の過激な演説を発信した。

 

 私の演説が終わることを待っていたかのように志位書記局長が緊張して声をかけてきた。「平野さん、私が一緒にいるとき市民に〝蜂起〟を呼びかけるのは絶対止めてください。平野さんがいくら過激でも、元自民党で保守の育ちだと国民は知っているので本気にしないでしょう。しかし共産党は、かつて誤解されていたことを、反共勢力が悪用してくるのです。頼みますよ」と、真剣な注意を受けた。

 当日は興奮気味ではあったが、酒は入っていなかった。共産党のこれまでの苦労を現場で知ることができた。「申し訳ありませんでした。これからはこのような発言はしません」と丁重にお詫びをした。

 

(「憲法観」の共有が、野党協力の前提)

 

 自由党では前述したとおり小沢党首の指示で「憲法問題研究会」を設置して『新しい憲法を創る基本方針』を策定する作業に入っていた。これは憲法改正のための作業ではなく憲法を主たるテーマとして、国家の基本体制をどうするかという、憲法を超えた基本問題を研究しようとするものであった。狙いは共産党の前に、土井社民党委員長と憲法観を共有しようとすることであった。

 この時期、小沢自由党党首と土井社民党委員長が全日空ホテルでワインを飲みながら憲法論議を続けていた。私は毎回小沢党首に同行した。会合では、土井委員長と私が議論し小沢党首は1人でニヤニヤしながらワインを飲んでいた。土井さんとは、衆議院事務局時代から国会関係の憲法問題の論敵であった。土井さんの口癖は「小沢さんの憲法観は健全だが、平野さんが悪くしているのよ」であった。

 

(参議院憲法調査会での加藤周一参考人との憲法九条論議

―条件付きで私の論を認めた)

 

 その土井委員長が、どんな魂胆かわからないが、加藤周一氏と私が憲法9条について論議する機会をつくってくれた。加藤周一といえば医師で文明評論家で憲法9条を護ることで世界に知られ、政治に対する見識も超一流の有識者である。

 平成12年11月27日、参議院憲法調査会に参考人として出席した加藤氏の発言の中に小沢自由党党首の湾岸戦争時代の「国連中心主義」を前提とし「平成2年の湾岸戦争のとき、憲法9条で国連中心主義が論じられたが、あれは間に合わせ的につくった理論だ」という主旨の指摘があった。誤解を解くため、私は加藤参考人に次のような質問を行い、議論した。要旨は次の通り。

 

〇平野 加藤先生の「憲法を現実に合わせるな。現実を憲法に合わせろ」との指摘はその通りです。しかし、9条の問題は実は憲法をつくった帝国議会で南原東大総長が貴族院で提起しているんです。9条を評価した上で日本が国連に入って活動するときに問題になると論じています。

 日本は国連に入るとき、大平洋戦争を反省しその責任として、国連の機能を整備するために最大の努力をすべきである。そのために国連に警察機能・国連常設軍といったものができたとき、その活動に参加して積極的に世界の平和維持。困った人を助け人道的活動をすべきだ、という意見です。南原東大総長は「国連加盟のとき、憲法を改正するのか、この9条で対応するのか」と吉田首相と金森憲法大臣に質問しています。両者とも明確に答弁していません。

 私たち自由党では普通の国とか、新しい憲法を創るという主張をしていまして誤解されやすいのですが、この南原先生の9条整備論を主張しているのです。確かに国連の機能には限界はあります。しかし国連をよくしていくしか方法はありません。私たちは、憲法9条の精神を変えようということではなく、より整備していこうというものです。

 

〇加藤周一参考人 今のご意見のほとんど賛成なんですが、ただ条件付きでね。その国連軍というものに参加する道を開くべきだとおっしゃっているわけでしょう。それはその通りだと思いますね。ただし、その国連軍が本当に機能するときは、国連が世界政府に近づいているときでしょう。ただ、国連以外に国際的機関はない。だからできるだけよくするより手はないというのも賛成だし、世界政府の方向へ動いていった段階で国連軍ができるとき、日本はそこに軍隊を入れることは大いに考えるべき問題だと、それも賛成です。

 ただ現在の段階としては遙かに遠いですよね。遠い先の話としてはおっしゃっていることはほとんど全部賛成だけれども、現在の段階としてちょっと離れていると思いますよね。

 

〇平野 現在の段階で離れていることもよくわかります。確かに今はそれを早くやると危ないと思います。問題は日本がデモクラシーの国かどうか、そこに危うさがあると思います。日本は普遍的デモクラシーの定着を急ぐべきです。同時に九条の整備の議論もすべきではないかと思います。

 

〇加藤参考人 日本の場合、民主主義的な伝統がそれをバランスすれば、どうにかやっていくわけだが、そのバランスの力が弱ければその危険は大きくなる。だから、その意味でも軍備を急がない方がいいということですね。

 

 この加藤周一氏と私の問答に聞き耳を立てていた政治家がいた。私の隣の席で退屈な質疑のとき2人でヒソヒソ話をしている人物で、共産党の、吉岡吉典長老である。私の質疑が終わると、「私も平野さんの意見に賛成。加藤さんの主張もその通りだと思う。しかし平野さんの理論を実現するにはもうひとつ条件がある。朝鮮半島が落ち着いてから・・・」と囁いていた。共産党にとって貴重な存在だと思った。

 自由党の「憲法問題研究会」は、12月13日これらの議論を参考にして『新しい憲法を創る基本方針』を発表した。この中で「現行第9条の理念を継承する」の部分が各方面で注目された。 (続く)

コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

nipponissin1

Author:nipponissin1
   代    表 : 平野 貞夫
   顧    問 : 戸田 邦司
   事 務 局 : 大島 楯臣

カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
動画
 
最新記事
リンク
一新のトランク
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
RSSリンクの表示
Translation Tools
QRコード
QR
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!
Powered By FC2ブログ