「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―50

日本一新の会・代表 平野 貞夫

 

 平成22年6月の創刊号から始まった「メルマガ・日本一新」で、私が担当した論説が、本号で50回となった。自称、「アナログ人間日本一」の私を支えて頂いている維持会員の皆さんに、心から感謝する。

 

(巨大震災は20世紀文明への警鐘だ!)

 人類はアダムとイヴが蛇に騙され、リンゴを食ってから欲望が生まれた。その欲望が排他的競争となり、人類の歴史はその歴史でもあった。その結果が拝金資本主義の跋扈による我欲の解放であり、そして技術の進歩は、コントロールが困難な原子力の活用を文明の主流に押し上げた。

 いにしえの古代、人間は「太陽と月と星」を三位一体として信仰し、自然の営みに感謝して暮らしていた。「太陽」は繁栄の神として、「月」は変化の神として、「星」は心の癒しの神として。ところがいつしか多くの人間は「月」の変化の無情を忘れ、「星」の人々への平等な優しさを忘れていく。そして「太陽」の繁栄を信仰の中心とするようになる。人々が繁栄を求めることは大事なこと。しかしそれを排他的な競争で求めるなら「欲望という名の電車」に乗り、あてどもない「所有欲求」と、「存在欲求」の旅となる。それが2000年の人類の旅であり歴史であった。

 人類は欲望を達成するため、自然を壊し、人を殺し、戦争を仕掛け、ひたすら便利さと効率を求め、それが文明であると信ずるようになった。20世紀文明、それは人間が2000年かけた欲望を競争させる時間である。その成果が「原子爆弾」の発明であり、それを活用した「原子力」であった。原子力発電によって生じる「プルトニウム」という悪魔の物質は、自然が創ったもではない。それは人類の欲望が創ったものだ。人類は、自己が創った物質によって自己が問われることになった。

 「東日本大震災」という未曾有の大惨事、地震と津波という自然の怒りが、日本の中でもっとも自然を尊ぶ人々の多い地域を襲ったことに、無情を感じるのは私だけではない。衝撃的なのは人類文明・欲望のシンボルである福島原発が襲われたことである。それを人類は防ぐことができなかった。否、正確に言えば、これは人間が引き起こした「人災」である。「想定外」と政府や東京電力が叫ぶ思想に、自然の中に生きる人間の宿命を忘れ、自然への冒涜がある。それが人災といえる。

 

(自然との共生を抜きに人間は生きられない)

 私の故郷・土佐清水市に、津波の恐ろしさを象徴する口伝が残されている。旧三崎村を流れる三崎川川口から約3キロ上流で海抜70メートルぐらいのところに、「あかぼう・とどろ」という場所がある。「あかぼう」とは赤い色の深海魚のことで、「とどろ」とは「轟」のことであり淵(ふち)などが合流して音を立てて流れている場所のことだ。この地名の謂われは「海抜70メートル、川口から3キロぐらいの溝に深海魚が泳いでいた」ということだ。

 口伝によれば、白鳳の大地震(685年)で大津波が起こったことで、いかに自然の猛威が厳しいものであったかわかろう。ちなみに、この南海地方を襲った大地震では、土佐湾の海側にあった黒田郡全体が陥没したといわれている。村人たちはこの自然の猛威を教訓として、自然と共生してきた。農家は台地に家を建て、漁民は浜辺でも津波を避けられる地形を選んで暮らしていた。

 この自然との共生は戦後も昭和30年頃まで続いていた。高度経済成長時代に入り、この地方の人々の暮らし方も変化し、目先の利害と効率性に影響されるようになった。それでも四国88ヶ所の霊場の地だけあって、祖先から続く自然への崇拝の精神は残っている。

 「共生」(ぐしょう)ということばの語源は、仏教の『総願偈』(そうがんげ)というお経の「共生極楽成仏道」からである。この話を小沢一郎さんにしたところ、「共生に生きる社会が極楽か。共生は利他の精神がなければ成り立たない」と語っていた。そういえば、小沢さんが平成18年9月、民主党代表選挙の出馬にあたっての「私の政見」で、「人間と人間、国家と国家、人間と自然との『共生』を国是とする」と宣言し、これを民主党の基本理念にしようとした。

 しかし、政権交代を成功させた民主党は、菅政権になって「共生の理念」を放棄し、「競争の原理」という小泉政策に戻っただけではなく、ウラニウム原発をわが国の恒久エネルギー手段と位置づけたのである。さらにそれを発展途上国に多数売り込むことによって、わが国の経済成長の基軸とする政策を強行するに至った。

 東日本大震災は、「共生」を新しい国づくりにするために政権交代した民主党が、それを裏切ったことに対する神の警鐘と私は理解している。「自然との共生」を抜きに人間は生きていけない真理を知るべきである。

 

(原子力との共生は可能か?)

 昭和56年(1981)秋、衆議院事務局で科学技術委員会の担当課長の職にあった私は、四国で初めて建設された愛媛県伊方原発を視察した。応対してくれた所長に、「原発で事故が起きる場合、どの部分がどういう理由で発生するのですか。それを防ぐために、どういう方策をとっていますか」と質問した。

 所長の答えは「絶対とは言いませんが、技術面では100パーセント近く事故を起こさない自信を持っています。もし事故が発生するなら、人間の傲慢さや過信から生じる事故です。そのため徹底的に人間教育をやっています」ということであった。この所長がいる限り伊方原発からは事故は起こらないと、私は感じたものである。

 30年ぐらい前までは、こういう技術者が日本にはいた。日本の技術はこういう精神で秀でた成果を出していたのだ。この30年間で日本人の精神がすっかり変わった。福島原発災害に対応する東京電力関係者だけでなく、政府の原子力関係者、著名な原子力学者たち、そして政治家たちのコメントを聞くにつけ、原子力技術に対する傲慢さと過信で腐りきった人間を、テレビで見せつけられる毎日である。

 「想定外の災害に対応できる設計でなかった」との主張に万歩ゆずって認めるとしても、災害発生後の対応について指導的立場の人たちの傲慢さと過信が被害を拡大したことは間違いない。その結果が世界最大の原発事故といわれるチェルノブイリ原発並の「レベル7」という、深刻な状況となったことを、政府は一ヶ月も遅れて発表せざるを得なかったのである。

 菅内閣の原発対策関係者の中には、「3月15日には『レベル7』の認識であった」と、私の知っている記者に説明しているから、いずれ報道されると思う。要するに菅内閣は福島原発災害について、国民と国際社会を騙していたのである。正確で誠実な情報を開示しなかった責任は重大である。初動対応を誤り、被災者をはじめとして、国民の混迷はもとより、国際社会の菅内閣への不信感は「核臨界」寸前である。原発問題での菅首相の対応は、国際社会を冒涜することに通じ、日本の国益を著しく損失させている。

 菅内閣と政府の原子力関係機関、そして東京電力の傲慢や過信で惨状を拡大した原発、すなはち原子力問題をいかに考えるべきであろうか。

人類は原子力と共生できるか、という問題がある。私の結論は「現在、電力全体の約40パーセントを依存している原発を直ちにゼロにすることは難しい。いまの軽水炉の安全性を確保し、耐久年収に応じて順次廃炉にして、原発依存から脱していくべきだ」というものだ。

 代替案として、平成19年7月の参議院選挙のマニフェストに、中長期エネルギー対策構想を入れるよう当時の小沢民主党代表に進言したことがある。「プルトニウムという核兵器になり、悪魔の物質を発生させるウラニウム原発政策を見直すべきだ。プルトニウムを焼却できて、安全性が高いトリウム溶融塩原子炉の研究開発を復活すべきである」というものだった。

 小沢代表は賛同してくれ「菅代表代行と鳩山幹事長に説明するように」指示された。菅代表代行に説明すると「あなたから原子力の話を聞いても仕方がない」という態度で、驚いたのは「トリウム溶融塩炉なんて知らない」という言葉であった。ウラニウム原発の危険性について政治家としての感性がないと私は思い、鳩山幹事長への説明もやめた。

 民主党では原子力の安全性や、原発政策見直しを論じても仕方がないと諦め、以後この運動を東京電力の豊田元副社長や、朝日新聞の科学部元記者の飯沼氏らと、細々、知人の国会議員に啓蒙活動をやってきた。

 原発は、ウラニウムでもプルトニウムでも、安全性が高くて核兵器に使えず安い経費で済む「トリウム」であっても、できれば活用しない方が良いに決まっている。しかし、現在の文明社会をすべて否定できない以上、安全で環境にやさしいソフトエネルギーですべての電力が賄える時代が来るまでの期間、原子力と共生しなければならない。そのためには、技術の安全研究・開発もさることながら、この項のはじめに書いた、伊方原発所長のことばを忘れてはならないと思う。

「もし事故が発生するなら、人間の傲慢さや過信から生じる事故です。そのため徹底的に人間教育をやっています」

 

 東日本大震災の翌日、菅首相は親しい友人に「これで2年間政権を続けることができる」と語ったという情報が流れている。真偽の程は不明だが、次々と内容が伴わないパフォーマンスを見るにつけ、彼の深層心理は情報の通りとするのが常道だろう。その他にも、思いつき・手続無視の問題発言が続出し、政権内の混迷となり、菅首相の「傲慢と過信」が、第2次、第3次災害を引き起こしている。

 

 4月13日(水)、小沢一郎元民主党代表は、直系の衆議院議員でつくる「北辰会」の会合に出て「小沢氏の見解」を示した。そこには菅政権に対して被災者が強い不安を抱いていること、原発事故の初動対応の遅れをはじめ、菅首相の無責任さが更なる災禍を招きかねないと指摘し、何のための政権交代だったか、先の統一地方選の大敗は菅政権への国民からの警告だとの見解を提示した。小沢氏の見解が民主党内でどれほどの理解を得るのか、野党に、その真意をくみ取る感性があるかどうかは読めない。私は、人間・小沢一郎が「身命を捨てて」世界と日本人に、その覚悟を示したものと思う。

 私には、小沢氏が北辰会でこれを提示したことに特別の思いがある。

 「北辰」は「宇宙を司る不動の北極星と北斗七星」のこと。古代から民衆を護る神といわれている。私の手元に「我れ北辰菩薩、名付けて妙見と曰う」で始まる『妙見菩薩陀羅尼経』がある。そこに重大な文言を見つけたので、ここに紹介しておく。

 

「若し諸々の人王、正法を以て臣下を任用せず、心に慚愧(ざんき)なく、暴虐濁乱(ぼうぎゃくじょくらん)を恣(ほしいまま)にして、諸々の群臣・百姓を酷虐(こくぎゃく)すれば、我れ能く之を退け、賢能(けんのう)を徴召(ちょうしょう)して其の王位に代わらしめん」

 

事務局雑話

 
このところ、会合やメールなどで平野代表の素性に関する問合せが多い。それは政治評論はもとより、坂本龍馬の話に妙見菩薩、あるいは、何をトチ狂ったか、ほとんど売れない演歌のCD(商品です)まで出すものだから、そうなるのだろう。

 そこで、「難しいことは私にもわかりませんが、『少し見栄えの悪い思想家』と理解して下さい」と答えると、皆さんご納得の様子・・。
 そのことを代表に伝えたら、早速訂正要求があり「見栄えの→質(たち)の」とのこと。ご周知をよろしく・・・・。

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