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「日本一新運動」の原点―352

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 日本一新の会事務局


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            日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 『田中角栄―凄みと弱さの実像―』の執筆を終えて!

 

 1月7日(土)、老骨に鞭打って晩秋から執筆していた『田中角栄―凄みと弱さの実像』がまとまり、2月末の刊行を目指して最終作業に入った。

 年末年始、その重点整理をしたが、ポイントはわが国における「金権政治の実態」であった。そこで自民党を中心に、保守政治はどのような方法で政治資金を集めてきたか、その特徴をパターン化した。

 

 第1が岸信介型、第2が河野一郎型、第3が田中角栄型と3つに類型化してみた。第2と第3については、私自身、直接・間接に関わったことがあり執筆のタネに事欠かなかった。第1の「岸信介型」については戦前・戦後を跨いでおり、それなりの調査が必要であった。その中のひとつに佐野眞一氏が重大な決意で執筆した『阿片王―満州の夜と霧―』(平成20年8月刊行・新潮文庫)に驚いた。若干の話は知ってはいたが岸信介という官僚政治家がここまで非人間的であったとは知らなかった。

 安倍首相の祖父で、彼が最も敬愛し政治の理念や行動の師としている「岸信介」という人物の実像についてこのメルマガで整理しておこう。

 佐野眞一氏の『阿片王』というノンフィクション作品は中国人(戦前の満州を含む)数十万人をアヘンで廃人とした日本の民間特務機関財閥のトップ「里見甫(はじめ)」という人物の記録である。この中で「岸信介」について15回にわたって記述がある。そこには「阿片王・里見甫」がいかに岸信介と関わりがあったかを、関係者からの証言や裁判記録、関係資料から執筆している。

 昭和56年6月に刊行された『岸信介の回想』によれば「私が満州にいた頃は里見は上海で相当阿片の問題にタッチしていて、金も手に入れたでしょうが満州には来ていないから私は知らない。里見を知ったのは帰国後で、満映にいた茂木久平の紹介です」と語っている。佐野氏は長期にわたる調査で、この証言が嘘言であることを証明しようとしている。

 里見が満州に入ったのが昭和6年で甘粕正彦と共にアヘン販売を行う。同11年9月に上海に移り中国と満州をかけて活躍する。満州国官僚・関東軍や特務機関の機密活動費をつくるためアヘン販売による独占的利益を上納する隠れたシステムの元締めとなる。

岸が満州国幹部官僚として就任したのが昭和11年10月である。確かに岸が証言するように満州国での記録に残る直接の関わりはないかも知れない。それだけで里見を知ったのは帰国後だ、という岸の証言は信用できない。岸は昭和14年に満州国総務庁次長という満州国官僚のトップに就くが、れまでに先輩の古海忠之が総務庁次長として、満州国でのアヘン工作を財源として機密費とする計画に参画しているのだ。その古海は「満州国は、関東軍の機密費づくりの巨大な装置」とさえ語っている。岸はその後継者として「満州国は私の作品」と豪語している。偽装国家・満州国を使って中国侵略を企む関東軍の活動と岸の活動が裏では一体だ。575頁にわたる『阿片王』の中から、私が最も注目したのは次の情報である。

 里見が阿片で稼いだ資金を目あてに、小遣いをたかりにくる輩は後を絶たなかった。(中略)・・憲兵、特務機関から大陸浪人に至るまで、いつも気前よくくれてやった。

 昭和17年(1942年)4月の翼賛選挙に立候補して念願の政治家となった岸信介もその一人だった。前出の伊達(里見の秘書)によれば、の時里見は岸に2百万円提供したという。「鉄道省から上海の華中鉄道に出向していた弟の佐藤栄作が運び屋になって岸に渡したんだ。これは里見自身から聞いた話だから間違いない」

 この情報の真偽に議論はあるだろうが、私は当時の情勢と話の具体性から事実と思う。当時の2百万円といえば、現在の価値で約50億円である。この資金は、翼賛会の推薦候補資金に使われ、岸信介本人も当選している。翼賛選挙がわが国の議会政治を崩壊させただけでなく、日本を破滅させたのである。戦後の岸の政治資金が、CIA工作資金やインドネシアなどの賠償金のピンハネなど話題は多い。戦前の日本が破滅した原因のひとつが「アヘン」にあったと私は論じたい。21世紀で日本を破滅させるのは、もしかして、アベノミクスによる「国債」というアヘンといえる。

 

 

〇 日本人と『憲法九条』 1

 

 日本国憲法第9条(戦争の放棄)を安倍政権が葬った。それは「集団的自衛権」を容認したことである。一部分の容認で憲法9条の運用解釈の範囲であり「近時の安全保障の変化への現実的対応だ」との主張が、野党第一党民進党の中にさえ混在している。この意見が国民の中にもかなり浸透している。

 一方で多くの世論調査では「憲法9条を改正すべきではない」という護憲論が50~60%を示している。事実、昭和20年の敗戦を機に制定された「日本国憲法」は、70年を過ぎて幾たびか「9条を改正して再軍備を」との試練があった。しかし、日本人はこれを許さなかった。1昨年の「安保法制の強行成立」を機に、日本人の憲法9条への思いが一斉に噴出した。

 ところが、昨年の参議院選挙では野党協力の声にもかかわらず、あれよあれよという間に安倍政権に協力する勢力が3分の2の議席を得てしまった。これで衆参両院で3分の2という「国会の発議」が手続上可能となった。この勢力の全員が「9条改悪」だとは即断できないが、安倍自民党の改悪勢力の予備軍であることには間違いない。

 この矛盾をどう考えるべきか重大な問題だ。日本人は古代から、「生命を大切にする」ことを信条としてきた。人間には知性と区別したというか、知性を動かす「心源」(心のはたらきの出どころ)がある。鈴木大拙師は、これを「霊性」と名づけている。

「日本人の霊性」は「生命を大切にする」ことだといわれている。憲法9条の戦争放棄を占領軍に押し付けられたと、狂信している日本人が存在することも事実である。しかし、日本人の「集団的潜在意識」の中には、この「生命に対する畏敬」が重要な役割を持っている。

 この日本人の「集団的潜在意識」を覚醒させて、政治の場で明示させるのが政治家や政党の仕事だが、それを既存の政党に期待するのは無理だ。その前に憲法学者や政治学者など政治家を指導する有識者たちが、どの程度、この日本人の深層心理を理解しているか疑問である。ほとんどの有識者たちが欧米の社会科学の価値観で、デカルトやカントで教育されて、その方法論を拠り所としているところに限界がある。

 明治18年10月、『国憲汎論』全3巻を刊行して、翌19年に33歳で肺結核で死去した「小野梓」(早稲田大創設者の一人・高知県宿毛市出身)は、同書で「本邦古代の民権を溯源す」として、当時、飛ぶ鳥も落とすと言われた福澤諭吉の『文明論の概略』を批判し、「日本の文明を論じるものは、日本には古来、政府があって国民がない、被治者は主治者の奴隷で、全国の土地・人民は政府の私有物だと言った。しかし、それは本当だろうか。天下の事物には、その状態が微少で見えないため、絶無を疑わせるものが多い。しかし、それは肉眼の力が足りないからだ。何もないように見える水でも、数百倍の顕微鏡で見れば、無数の微生物がいるのがわかる。日本の民権も、この水中の微生物と同じであり、見えないのは見る力が足りないからだ」と喝破している。

「戦争の放棄」(生命を大切にする)を、憲法の原理として日本人が受け入れたのは占領軍から押し付けられたのではない。この小野梓の憲法哲学の発想に学び、「顕微鏡」によって日本人の、「戦争の放棄」観を調べてみたい。これが郷党の先人に対する義務であると思っている。

 この私の発想は、哲学者の柄谷行人氏が『憲法の無意識』(岩波新書)で論じた「憲法9条の先行形態は徳川体制にある」からヒントを受けた。これまでにその論拠は示されていない。私はその論拠を、徳川家康の側室・お万の方の「法華経信仰」と天台宗・天海僧正の「妙見・星信仰」にあるのではと推測している。昨年秋には同志と『寺子屋ルネッサンス』を設立して、調査を始め一定の成果を得ている。

 以上が、今年のテーマを〝〇日本人と憲法9条〟とした理由である。

                       (了)

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