「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―365

            日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

 国内では「共謀罪」の導入による平成の治安維持法への謀略、北朝鮮問題に関係した敵地先制攻撃論の台頭、更にその背景にある「教育勅語」の復活。そして、アベノミクスの失政による差別化と弱者の生存権破壊が蔓延してきた。戦争に突き進んだ、昭和初期以上に混迷する現在の日本、桜の花に浮かれる気にはとてもならない。

 日頃、私の書生論を我慢して読んでいただいている会員の皆さんに感謝しつつ、本号から構成を再考して、前半ではトピック的なものを中心に論評し、後半では『国会つれづれ』と題して私が体験した日本政治の実相を、思いつくままに綴ってみたい。

 

〇 時局妙観

 4月8日から2泊3日で四万十市で始まる「市長選挙」の野党協力候補応援と、ポスト「森友問題」と言われる、今治市での、「加計学園問題」現地調査のため四国路を駆け巡ってきた。

 

(四万十市・市長選挙の状況)

 四万十市とは旧中村市のことで、応仁の乱を避けて時の右大臣一条教房が都落ちし、四万十流域の中村に約百年「京都文化」を残し、戦国時代に、長宗我部一族に滅ぼされた歴史を持つ地だ。明治維新後、土佐の自由民権運動で幡多地域(四国西南)の中心となったところだ。大逆事件で知られる、幸徳秋水の出生地でもある。明治21年、秋水は上京し林有造(自由民権運動の指導者・自由党幹部)の秘書となる。中江兆民に師事し、自由党左派から社会主義者として活動した人物だ。保守と革新の思想を知り尽くし、反戦運動が原因で冤罪となり、死刑された人物である。私の故郷の天才であり、保革の本流の人間が手を取り合い日本の危機をどう乗り切るか、その地で市長と市議選挙が行われるというので、野党協力の提唱者として応援に出かけたわけだ。

 

 野党協力を前提に市長選に立候補したのは、共産党の幡多地区委員長などを歴任した「大西まさすけ」という人物である。大叔父が自民党リベラル派で活躍した大西正男、先祖は昭和初期に民政党で活躍した大西正幹という保守リベラルの家系である。私が参議院を引退した直後「四万十地域政党をつくらないか」と話を持ちかけた共産党では異色の存在だった。現在の野党協力の提唱者でもある。

 四万十市に着いたのが8日(土)正午過ぎ、その足で市内の四ヶ所で小雨の中の街頭演説を行った。市議候補の川渕せいし氏の応援も一緒に、香川県議の白川よう子氏が駆けつけてくれた。市長選には社民・新社会が協力、田中全元市長もリベラル派の立場で顔を出してくれた。民進党の協力が見えてこないことに問題がある。ここは25年前に、私が保守系無所属で参議院選挙に臨んだ所で自民党支持者のリベラル派をどれだけ引き寄せるか、自由民権運動の発祥地で小さなテストケースとなる。投票日は23日。

 

(今治市での加計学園問題調査)

 ポスト「森友学園問題」と言われ今治市に設立される加計学園の岡山大学獣医学部新設の実情を調査のため10日(月)今治市を訪ねた。ごく少数の市民運動家や有識者と懇談し、現地も視察し大変参考になった。

 今治市では、昭和50年代から地域振興の流れの中で丘陵地を開発して大学の誘致や企業誘致を計画していた。時代に遅れたり構想に問題があったりしてすべて不調に終わっていた。小泉政権の「構造改革特区」で大学新設を陳情したものの、15回も採用されず今治市も諦めていたとのこと。

 第2次安倍政権で「国家戦略特区」がスタートし昨年8月石破地方創生大臣と森山農水大臣が辞め、安倍首相の意向を〝忖度〟する閣僚に交代した途端、加計学園の構想である今治市での獣医学部新設構想が突然に動き出し市当局も政治の動きに巻き込まれ、宿願の大学誘致を目前にして、それに応じる行政手続を進めているところである。そのため市民への情報開示が遅れまた安倍首相の親友が加計学園理事長であることから権力の私物化として国会の議論となっている。

 善意の市民や市職員は、設立計画が廃案となると大変なことだと危惧すると同時に、準備不足でスタートして、将来、運営不能となると、より大変なことになると困っている。

 

〇 国会つれづれ  2

 四国路の遅咲き山桜に誘われたように四万十市、土佐清水市、毛市、愛媛県の愛南町、宇和島市から松山市に出て、聖徳太子ゆかりの道後温泉で一泊という一人旅だった。80才を過ぎた私には、若い頃、親や恩師に迷惑や心配をかけたことを思い出すほろ苦い旅でもあった。『国会つれづれ』の書き出しをどうするかという旅でもあった。

 陸の孤島四国西南地域を、幼なじみで同級の沖野吉克氏(元高校教師で保健体育担当)の運転で、維持会員で従兄の平野成泰氏が同乘して「車中花見」となった。途中宿毛市の松田川上流で、山本五十六海軍元帥が、宿毛湾碇泊のたびに鮎釣りを楽しみにしていた場所の近くの有田家に立ち寄った。

 私が国政に出る前からいろいろ支援してくれた旧家で、主人の有田幸雄氏が一昨年になくなり久しぶりに宿毛を通ったので線香でもと立ち寄ったわけだ。未亡人が喜んでくれて茶飲み話となった。『国会つれづれ』の書き出しが話題となり沖野氏から「高知に帰って高校の社会科の先生になると言っていたのに、まったく場違いの衆議院事務局に就職した。事務局に入るに至る運命的な切っ掛けがあるだろう。できれば誰にも話していないようなそんなことを書き出しにしろよ」とのこと。「なるほど考えてみよう」となった。

 

〈英語の誤訳を秀才に間違えられ合格した大学院で、一度は共産主義に憧れる〉

 

 自慢することではないが、私の特徴は「基礎学力が不足している」ことだ。原因は昭和20年8月15日の敗戦の日、天皇陛下の玉音放送が終わった後、父親がカルチャーショックを起こし、「貞夫、学校の勉強をして出世しようと思うな。俳句と般若心経を教えてやる。この二つを勉強しておけば、悪いことをする人間にはならん!」と、今でも耳に残っている。この父親のことばを忠実に守った結果がこれだ。

 国民学校が小学校に変わり、新制中学校から高校まで試験前の勉強も、そして高校や大学の受験勉強をした記憶がない。足摺岬の見える太平洋につながる川や山で、遊んでばかりいた。大学に入って気がついたことは「英語力」が著しく低いことであった。

 法政大学の大学院政治学修士課程の試験を受けることになる。このとき基礎学力の不足をつくづく感じた。少し専門的な学問をしたうえで高知に帰り高校の教師を考えていた。不合格なら大学卒だけで高校教師をやろうという思いでダメ元で受験したわけだ。案の定、英文の試験で大失敗と確信し、故郷に帰る準備をして、念のために発表を見に行ったところ合格に名前があり、この大学はどうなっているのかと驚いた。それが運命で私の今日がある。

 昭和33年3月中旬だった。政治学修士課程の定員10名に、50人が応募し法政大から10名が受験、ほとんど他大学や社会人で8名が合格した。西洋政治史の倉橋教授が試験責任者で出題者だった。クリストア・ヒルの「英国市民革命史」から、A4で3枚ぐらいの英文が配られて、要約せよとの出題。訳本など出てない時期だ。

 そのなかでキーになる文字が「Feudalism」(封建主義)であった。英語力の弱い私は、高校生でも知っている訳語を知らなかったのだ。要するに、「封建主義から市民革命が生まれる」というのが正解であった。こんなことを知らない自分に呆れながら合格を諦めて直感で「絶対主義」と訳して、教科書的には滅茶苦茶な訳文となった。下宿に帰って辞書を見ると、とんでもない間違いとわかり帰郷の準備となったわけだ。ところがそれが合格の切り札になるとは、世の中は喜劇で悲劇の始まりだ。

 

 政治学修士コースの倉橋ゼミの1回目のガイダンスに顔を出すと、倉橋教授から「今年の合格者の中に特異な秀才がいる。英国の政治史の本質を知っている」とのこと。ゼミには青山学院高校で英語を教えている人物がいたのでその人かと思っていた。倉橋ゼミが始まって、教授から私に集中して質問が出るようになる。私も、あの誤解が専門家の中では論争のあったもので倉橋教授はその学説だなと感じるようになり、西洋政治史に暗い私は3回目からゼミに出ないことにした。

 この私の誤訳が切っ掛けで共産党入党寸前の私をつくり、吉田茂・林譲治という故郷の先人の説得で、衆議院事務局への道を歩む運命となる。                  

(続く)

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