「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―59

日本一新の会・代表 平野 貞夫

 

   梅雨入りや 籠脱け詐欺の 菅政治

 

 (国民の生命を守るより政党を守りたいという政治であってよいのか)

 綺麗事ではすまされない政治の世界でも、こんなに国民を馬鹿にしたことを、現職の総理大臣と前職を務めた2人が合意するとは、まさに想定外であった。菅内閣不信任決議案が可決確実といわれた本会議の3時間前に、「確認事項」に合意した内容だ。政治家同士だから何を合意しようと干渉をするつもりはないが、政治の原点や議会民主政治の条理を否定するものがあれば、見逃すことはできない。

 まず、茶番といわれた確認書の第1項の問題だ。「民主党を壊さない」という文言で、これは政治の根幹に関わることだ。政治は何のためにあるのか。それは「国民の生命と財産を守るため」に存在するのだ。この基本をわかっていないことが残念だ。東日本大震災の非常事態は続いている。福島第1原発事故による放射能被曝が日本列島に拡大し、10万人が未だに避難所生活を強いられ、災害関連死が増大している現状を、現・前総理大臣二人はどう認識しているのか。極論すれば、国民の生命を守ることを最優先にできない政権や政党は存在を許されない。政党とは国民の生命と幸福を守る道具である。

 次に、第2項の問題だ。「自民党政権に逆戻りさせない」とは、議会政治の根本原理をまったく知らない政治家たちだとあきれるばかりだ。政権を交代させる権限を持つのは国民有権者である。民主党政権を続けたいならば、その努力を尽くすと表現すべきで、現職と前職の首相2人が政権交代を否定するかのような文意は、民主政治に無知な独裁主義者となる。さらに、東日本大震災の非常事態が続くなかで挙国体制で対応しなければならないとき、野党第一党の自民党の協力が必要である。その自民党に暴言となる合意をするとは、政治の現実を知らなさすぎる。

 

(菅内閣不信任決議案提出への批判は間違いだ!)

 5月6日(土)の連休中、菅首相は「浜岡原発の全面停止」を記者会見で発表した。脱原発の世論を集め政権浮揚を成功させた。仏ドービル・サミットにも無事に参加でき、政局のイニシアチブを握るかに見えたが、お天道様はそれを許さなかった。政府部内や東電内部から原発事故に対する初動ミスが、菅政権、特に菅首相の判断ミスにあったという情報が出はじめた。

 仏ドービル・サミットから帰国後、政権が浮揚するどころか国会の追及も厳しくなり、世論も、菅首相では東日本大震災復旧は後手後手で、とりわけ原発事故への責任問題も出て退陣論が強くなる。自民党執行部内には慎重論もあったが、早期に菅内閣不信任決議案を提出する方針を固める。すると、大新聞やテレビを中心に早期退陣の報道姿勢が変わり、「大震災復旧の最中に、内閣を倒すとは何事か」のキャンペーンが始まった。テレビ局には政府権力からの圧力が、相当に効くようだ。菅内閣不信任決議案提出の二日前ごろには、菅首相退陣を肯定する報道は異常なほど少なかった。被災地の不信任案反対の声を重点的に取り上げ、お上に弱い日本の民衆を惑わせた。「急流で馬を乗り換えてはならぬ」を合言葉にしたが、非常事態という認識があれば「藪医者の脳手術で患者が危ない。医者を交代させなきゃ死んでしまう」ことがわかるはずだ。

 また、菅内閣不信任決議案を提出するなら、可決した後の政権構想を示すべきだ。それがないのはおかしい、と政治コメンテーターどもが吠えていた。憲政の常道という議会政治の原理を知らない大馬鹿どもだ。内閣不信任案を提出した第一党の代表者を首班候補として、賛成した会派やグループで協議することは常識として決まっている道理だ。詳らかなことは可決した後でなければ、方針を出せないのは当たり前のことである。議会政治の運び方について、政治家も有識者もあまりにも無知すぎる。もっと基本を勉強すべきだ。

 

(内閣不信任決議案否決で首相辞任の大珍事!)

 そもそも、憲法上最大事項の内閣不信任決議案を上程する衆議院本会議開会の3時間前、現・前職の首相が、密室で談合して民主党所属議員の表決権に影響を与え、可決が予定された議案を否決するという国会運営は化物の世界の話である。菅首相は直前の代議士会で退陣を匂わせ、賛成の意志を固めていた議員は、猫騙しにあった形で大多数が反対投票し、否決となる。騙されたことがわかったのは、その夜の菅首相の記者会見だ。代議士会での「一定のメド」発言を巡って混乱した。聞きようによっては任期まで続けそうな会見であった。この茶番とペテンが政治家・菅直人にとって、最悪の選択であったと私は思う。菅内閣不信任決議案が否決された直後、「菅直人の勝利」との見方が流れた。夜の続投・延命宣言記者会見から翌日にかけての菅首相の笑顔は、災害時に不謹慎と指摘されるほど目立っていた。

 政治的パラドックスという言葉がある。してやったりと策略に成功したと思った瞬間、闇の中に突き落とされることだ。菅首相は地位にこだわり居座るほど、地獄の苦しみとなろう。政治の世界で策略は日常茶飯事ではあるが、正義のない策略は天命が許さないこと知らなかったようだ。あの菅内閣不信任決議案は、菅首相のペテンがあってもなくても、退陣しなければならないお天道様の仕掛けであったといえる。政治の深層にあるのは天命である。

 

(日本の政治文化の欠点を知るべし)

 菅首相と鳩山前首相の茶番とペテン劇で、政治不信が原発放射能のごとく、瞬く間に全国に拡散した。しかし、よく考えてみると古代から続く、わが国の政治文化の断層が東日本大震災によって露呈させたといえる。多くの国民がこれを理解すると、これからの政治の健全化に役立つと思う。6月5日(日)午後9時からNHKで放映された「原発危機・事故はなぜ深刻化したのか」を見た人は理解されると思う。菅政権、ことに菅首相が、人間・政治家として真っ当でなかったことを証明するものであった。大事なことは、菅首相を個人として批判して済まされるものではないことだ。彼を、内閣総理大臣まで押し上げた日本の政治文化を検証しなければならない。

 私の人生の師・前尾繁三元衆議院議長に教わったことだが、「人間には本流と亜流がある」として、「本流の人間は自分が不利になっても嘘をつかない」、「亜流の人間は自分が不利になったら嘘をつく」。「亜流の人間にはなるな」ということであった。

 日本の政治文化は古代より「真実を拠り所にしている勢力」と「嘘とペテンを拠り所にしている勢力」との対立で行われてきた。昭和時代までもいろいろあったが、政治の納めは前者で行ってきた。ところが平成時代の情報化社会になって狂ってくる。新しい社会に真実の政治を求めてきたのが、小沢一郎で、永年私はそれを補佐してきた。私たちには、その突破口が政治改革、議会民主政治の確立だった。

 小沢氏は「嘘とペテンを拠り所にした勢力」から攻撃を受けた。それが約2年半にわたる「政治とカネ」の捏造事件であった。麻生自民党政権から続く「虚構の政治」を、菅民主党政権が拡大させた。東日本大震災により菅首相の化けの皮が剥がれたのである。

 菅首相が退陣しても、菅政治を支えた政治文化はしつこく残ろうとするだろう。大新聞とテレビも、所詮は「虚の世界」の存在である。「真実を拠り所」にする政治の実現にはまだまだ妨害がある。菅首相とその周辺が仕掛けた「茶番とペテン」が、政治不信となるだけではあまりにも悲劇だ。せめて日本の政治文化の欠点を知る機会となって欲しい。

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