「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

私たちの国が危ない!―3

日本一新の会・河上 満栄

(元衆議院議員)

 

 今日で、あの日から丸3ヶ月を迎える。が、例の辞める辞める騒動でまんまと鴨議員を手玉にとったペテン師が、今度は国民相手のやるやる詐欺で日本国家滅亡最終章のクライマックスを画策しているようだ。

 自らの身の危険を感じると、動物的な生存本能で察知し、これ見よがしな偽善政治主導の不意打ちで奇襲するのが常套手段である。

 福島原発爆発事故を決定付けた発災翌日の空中原発視察、中部電力への唐突な浜岡原発停止要請、経済産業大臣も知らなかったG8での太陽光住宅1000万戸計画発表、不信任議決前日の党首討論での通年国会実現発言など、・・・・毎度の奇行妄言に辟易し、今日も幻滅と絶望、溜息の連続である。被災地で復旧に取り組む自衛隊諸君、自治体職員、原発処理に当たる人々、未だ避難所暮らしを強いられている被災者のみなさんの気持ちと努力に思いを馳せれば、更に暗澹たる思いである。

 ある意味、政界のストリーキングとも賞賛すべき彼の数々の奇行の中で、私が一番衝撃を受けたのは、葬儀の参列を終えた喪服姿の彼と妻が、とあるスーパーに記者を引き連れ、これ見よがしにカートを押しての買い物風景を撮影させているのを目の当たりにした時だった。ことばを失った。葬儀の帰りにスーパーに行く自由は何ら制限されることでも問題でもない。理屈ではなく感情の問題である。この方の行動は一事が万事、ある野党議員や党内閣僚らがご指摘の通り、心が全く感じられない。倫理観を著しく欠いた非情且つ非常識極まりない不気味さに慄くばかりである。

 この方は正真正銘の権力亡者である。

 この場に及んでまた例の、一発逆転奇襲攻撃を企んでいるように思えてならない。内から外から噴出する辞めろコールに、ならばと消費税増税を盾に伝家の宝刀を抜くタイミングを虎視眈々と狙っている、不気味な胸騒ぎがするのは私だけであろうか。

 昔、政治経済の閉塞感に苛まされた今とよく似た時代があった。その時、力尽くの2・26事件が起こった。時代がよりよく進歩したと信じたい今、合理的な無血クーデターを起こす唯一の手段であった内閣不信任案は姑息なペテンの策略に嵌り封殺された。

 やはりいつの世も、残る手段は一つなのかと、ふと先月末、フランス帰りに羽田に降り立つあの人の不意を突いておけばよかったと、妄想を諦めた後悔が今日も胸を去来する。

 政治が迷走する中、被災地の復旧・国の復興は遅々として進んでおらず、未だ約10万人の方々が避難し、被災地は瓦礫だらけ、放射能は上下からの駄々漏れが止められず、福島はもとより、遠くは地球を一周し、スペインやアイルランドでも福島原発に由来すると思われる放射能物質が検出され、他国民までが健康被害に多大な懸念を抱いている。放射能の拡散を一向に阻止できない日本は、国際社会において地球環境破壊犯罪大国のレッテルを貼られているに等しく、今後国内だけでなく国外からも莫大な補償を要求されるであろうことは明白である。さらに国民の気持ちは暗くなる。とにもかくにも、権力亡者の菅総理を交代させなければ何事も前には進まない。


 ふと書棚にあった『国富論』に目が留まり、久々に読み返してみた。

 経済学の父と呼ばれる、イギリスの哲学者アダム・スミスの著書である。『見えざる手』と言えば思い出す方も多いだろう。

 『見えざる手』とは、個人による自分自身の利益の追求が、その意図せざる結果として社会公共の利益をはるかに有効に増進させるという近代経済の全体を表す例えである。

 戦後右肩上がりの日本経済がそのよい例であったろう。

 しかし臨界点に達した個人の利益追求が水泡と化し、バブルが弾けた。少子高齢社会の悩みを抱え、従来型の大量生産・大量消費に不釣合いな現代日本社会は、あらゆるパラダイムの大転換を強いられたフェーズに入りつつも、政治が停滞し、彷徨っている最中に大震災が起こった。

 今、私たちは、放射能と言う『見えざる敵』との戦いを強いられている。そして、安全を定義する基準もデータも情報も、誰かの保身の為の隠蔽・改竄により原型を留めず、『信ずるものが見えざる』恐怖と戦っている。

 更に今一番の敵は、皮肉にもアダム・スミスの理論とは逆説の、社会公共の利益を、個人による自分自身の利益増進のために巣食う既得権益と言う名の『見えざる手』だということである。 

 火事場の混乱をいいことに、消費税増税・TPP加盟推進・コンピューター監視法など、十分な議論もなく、強引に法制化しようという動きがある。これらは現代の『見えざる手』による利権温存意識が深層にあることを忘れず、その手を断固阻止せねばならない。

 アダム・スミスは経済学者でありながら、同時にモラルセンス学派であり、『道徳情操論』を著している。

 『道徳情操論』によると、人間は他者の視線を意識し、他者に同感を感じたり、他者から同感を得られるように行動する。この同感という感情を基に人は、具体的な誰かの視線ではなく、「公平な観察者」の視線を意識、「公平な観察者」の視線から見て問題がないよう行動し、社会がある種の秩序としてまとまっていることが述べられる。

 現代において、「公平な観察者」の大役を担うべきはマスメディアであり、正誤情報が錯綜する中、マスメディアが社会における「公平な観察者」としてのその使命と正義を新たに報道すべきではなかろうか。またメディアの多様化により、最早個々人がメディアそのものであるとも言える中、ひとりひとりが社会の公平な観察者としての自覚を新たにすべきである。

 スミスは、「常識(良心)とは、第三者の目で見るということで、自己規制しつつ相互行為するものである。そして、内なる道徳を持つフェアプレイの世界である社会が形成される」と述べている。

 今、何よりも日本の舵取りを行う政治に求められているのはこの常識(良心)ではなかろうか。内なる道徳を持つフェアプレイの社会を築くことのできる常識(良心)あるリーダーに一刻も早く交代して頂き、難破寸前の日本丸の軌道修正を行って頂くことをただただ祈るばかりである。

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