「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―60

日本一新の会・代表 平野 貞夫

 

○ 北辰会の役割について 

 6月9日(木)、小沢グループの衆議院当選一回生議員でつくった『北辰会』で話をする機会があった。北辰という思想体系はきわめて重要であり、要旨を整理して掲載しておく。

 

(北辰会誕生の意義)

 国民の生命より政権の延命を優先させ、大震災、ことに福島第一原発事故さえ自らの延命に利用した菅首相を、退陣の流れに追い込んだ最大の力は「北辰会」の団結にあった。菅内閣不信任決議案の否決で、私もむなしさと虚脱感を感じたし、日本一新の会事務局にも同じような意見が殺到したという。一方では批判する国民もいたが、「北辰」の思想からいえば、退陣要求は当然のことで、大きな歴史的役割を果たしたものと評価したい。

 私は一昨年から「北辰・妙見思想」について学び始め、昨年暮『坂本龍馬と謎の北極星信仰』(小学館)を刊行したが、時を同じくして「北辰会」は発足した。マスコミは、私が命名し関与したと報道し、事務局をはじめ周辺の人たちもそのように思い込み、小沢一郎さんでさえ疑ったくらいだ。しかし、その実は京野公子衆議院議員が「論語」から引用して命名し、女性議員がバックアップして全会一致で決めたのが経過だ。異なる場所にいる人間が同じ発想で政治を考えるということだが、「偶然の中の必然」という天命の指示といえる。

 「北辰」という言葉と思想は、孔子の論語を発展させたものがあり、早い機会に「北辰会」で話ができたらと思っていたところで、この日の出会いに心から感謝する。

 

(千葉歴史学会で北辰・妙見が研究発表される)

 
朝日新聞の6月4日(土)の「ちば東葛版」を見て驚いた。県文化財センターの西野雅人上席研究員が五月の千葉歴史学会で、市原・稲荷台古墳が北斗七星の配列であるとし「星(北辰・妙見)信仰の聖地」であったのではないかとの学説を発表したということだ。

http://mytown.asahi.com/areanews/chiba/TKY201106030412.html

 市原市といえば、小沢グループの幹部・岡島一正衆議院議員の選挙区だ。記事の中で私が注目したのは、①稲荷台で盛んに祭祀が行われた時期に東日本で災害が相次いでいた。今年の東日本大震災に匹敵すると注目される貞観の大津波(貞観11年=869年)をはじめ、天変地異が連続し社会が動揺した。②10世紀前半に活躍した平将門には妙見(北辰)の力で危機を脱したとの逸話があり、中世には千葉氏が妙見を氏神とした。その信仰はいまも受け継がれている。

 ここからが大事だが、③妙見(北辰)信仰は方向を見失うと命に関わる遊牧民(海洋民族)の間で生まれたとされる。方向性を見いだせない現代に、突然舞い降りてきた新たな仮説、と朝日記事は結論づけていた。

 まさに「北辰会」の役割はここにある。すなわち「方向性を見いだせない現代に」、方向性を示すのが「北辰会」という政治グループの歴史的役割であるということだ。

 

(北辰・妙見信仰とは)

 いろいろな説があるが、私の理解では「北辰」とは北極星と北斗七星を一体として考える。また「妙見」とは真実を知るという意味だと思う。何故、「北辰・妙見」が信仰の対象となったのか。このことが大事だ。

 古代に、アフリカの大地で出現した人類は、移動を本能とする動物であった。移動を成功させるには正確に「方向」を知らねばならない。夜の移動には天空の星の中で不動の北極星がその基点となる。また、北極星の周りを回る北斗七星の位置が、「時」を知る基準となる。この「方向と時」を認識することで、人類は移動だけではなく文化や文明の発展の源とする。そこで人類は北辰を神や菩薩とし、信仰の対象とするようになった。

 日本に北辰・妙見信仰が宗教として入ってきたのは、6~7世紀に道教を通じてといわれている。星信仰としては、日本列島に人類が住みはじめた旧石器時代から存在していた。太平洋の海洋民族が、また大陸の遊牧民族などが日本列島に移動して信仰を定着させたのだ。星信仰は、古神道をはじめ道教、仏教の宗教の中に古くから入っており、全国の民間信仰として馴染んでいる。仏教の各宗派でそれぞれ尊重され、北辰宗とか妙見宗という形はとっていない。天台宗の「天台」とは天空の中心、北極星のことである。

 

(北辰・妙見は改革と革命の思想)

 北辰・妙見の教えに『妙見(北辰)菩薩陀羅尼経』がある。基本的思想は「国土を守護し災厄を除き、民衆の福寿を増進する」というもので、経文には改革と革命の思想が生き生きと書かれている。わが国の歴史で星信仰として知られている人物を並べると、①聖徳太子(17条憲法、7星剣を守神とした)、②桓武天皇(平安遷都の改革、星信仰を普及)、③平将門(将門の乱は、北辰信仰を信じる関東の民に支えられた貴族政治の改革運動)、④源頼朝(鎌倉幕府の創立、将門の子孫・千葉常胤が北辰思想を再建し頼朝を擁立し将門の夢を実現した)、⑤徳川家康(幕府体制の再編、ブレーンの天海や夫人・お万の方が北辰妙見信仰で大きな影響を与えた)、⑥勝海舟・坂本龍馬(海舟は能勢妙見を信仰し、龍馬は千葉常胤の子孫千葉一族から北辰思想を学び、海舟とともに明治維新を開いた)。

 ところが、明治維新でつくられた明治官僚国家は、星信仰を排除していく。「民衆の福寿の増進」は、富国強兵国家の妨げとなる。民衆の福寿にこだわる国家をつくろうとした龍馬は、官僚権力の邪魔となり、暗殺されたというのが私の見方だ。「廃仏毀釈」のねらいは、星信仰(民衆の幸せ)の弾圧であった。仏教系や民間信仰の星信仰は、神道の体系に国家権力で組み入れられた。

 戦後民主主義体制は、経済的豊かさを実現したかに見えたが、官僚主義と既得権を保身しようとする支配体制を改革できず、半世紀を経て日本は民衆の福寿どころか、格差と犯罪と堕落の国となった。未曽有の東日本大震災は天命の警告かも知れない。

 

(小沢一郎と北辰・妙見思想)

 政治家・小沢一郎は自民党幹事長の体験を踏まえ『日本改造計画』を発表し、政治信条を「自立と責任」とした。その後、自由党党首時代に「共生」を政治目的として『日本一新11基本法案』を策定した。基本理念は「共に生きよう、共に幸せになろう」というものであった。平成18年9月の民主党代表選では「共生を国づくりの理念とし、公正な国・日本をつくる。そのために国民一人ひとりが自立し、国家としても自立することを目指す」と政見を発表し再選された。

 そして平成19年の参議院議員選挙で「国民の生活が第一」を政治目的とした。これこそ「民衆の福寿の増進」という、わが国古来からの星信仰・北辰思想の体現であった。参議院議員選挙の勝利は、平成21年の衆議院議員選挙での歴史的政権交代へと継承・発展する。これらは北辰・妙見思想の政治的展開であった。小沢元代表が、北辰思想で菅首相の退陣を迫ったのは4月13日(水)の「北辰会」での「小沢見解」である。

 『北辰菩薩陀羅尼経』には「国の最高為政者が正法を以て臣下を任用せず、反省もなく暴虐濁乱して群臣・民衆を酷虐するなら、北辰は之を退け、賢能を活用する」(原文は、原点―50号を参照)との経文がある。考えてみれば、小沢元代表の父親は奥州市の生まれ、将門の叔父・平良文が北辰信仰を広めた地だ。母親の出生地は将門の本拠地・千葉県柏市で、先祖の家は将門の定宿であったと伝えられている。北辰・妙見の歴史的DNAを受け継いでいる。

 北辰思想を学んで思い出すのは、「日本の精神史は、鎌倉時代に至りて初めてその真意を発揮した」と説いている鈴木大拙先生の『日本的霊性』(昭和19年刊行)である。そこには、「近代日本の歴史的環境がまたよく鎌倉時代に似ていて、さらに切迫したものがある。国際的政治は言うに及ばず、思想および信仰および技術など、異質性の諸勢力が激しく襲来する。単に主我自尊的および排外的態度でこれに対抗してはならぬ。武力・物力の抗争は有史以来やはり枝末的なものである。畢竟(ひっきょう)霊性発揚と信仰と思想である。日本人の世界における使命に対し十分の認識を持ち、広く、深く思惟するところがあってほしい」との文がある。

 小沢元代表の「自立と共生」は、この鈴木大拙先生の『日本的霊性』の中に、実現のヒントがあるのではないか。北辰会の役割は、これらを政策として世の中に広め実現していくことだ。

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