「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―66

日本一新の会・代表 平野 貞夫

 

    大災害と政治と人間

 

(悪質な虚偽政治を続ける菅首相)

 東日本大震災と原発事故という、有史以来初めてといわれる大災害に、菅政権の対応が国民だけでなく世界中から批判されている。緊急対策のほとんどが失敗し、原発被災は増大、大混乱が続くなかで、政府方針が一つだけ当たったことがある。それは原発爆発に際して、菅首相や枝野官房長官が繰り返し発言していた「直ちに影響はない」という屁理屈だ。

 同時期に原発関係専門家がテレビなどで、きわめて楽観的説明を繰り返したため「直ちに影響はない」という説明を、「心配ない安心しろ」と国民のほとんどが受けとめた。日本に住む欧米の人たちが「直ちに避難を始めた」ことに、私自身違和感を持っていた。しかし、3ヶ月たって欧米の人たちの判断が正しかったことがわかった。

 問題は菅政権の「直ちに影響はない」という、原発事故への基本認識にある。「パニック」を起こさないために真実を隠していたとのことだ。真実を隠すということは「嘘をつく」ことにつながる。日本の文化には「嘘は泥棒の始まり」と、「嘘も方便」という思考が共存している。

 政治の世界では、「嘘も方便」という手法がしばしば使われている。それが許されるにはいくつかの条件がある。但し、事実関係について嘘をつくことは絶対に許されない。政治的妥協のために「嘘も方便」を活用する場合があるが、騙された方に何らかのメリットが予定されていなければ、大変なことになる。

 原発事故のさまざまな事態で、菅政権は「直ちに影響はない」という、弁護士的理屈で形のうえでは「嘘」ではないが、メディアなどの状況を利用した「悪質な虚偽政治」を行った。これは許されないことだ。情報の隠蔽どころの話ではない。当面のパニックを避けて、菅首相延命のための政治謀略だったといえる。原発事故にかかわる事実関係は率直に公表して、それに対応する方針を具体的に示すのが、法制度の基本である。それがさらなるパニックを起こさないようにする唯一の方法である。現在、各地で起こっている放射能をめぐる避難や、汚染牛に代表される食品汚染問題のパニックはすべて政府の責任だ。これだけでも菅内閣は総辞職すべきである。

 議会民主政治とは、国家や国民が直面する問題の事実を明らかにしたうえで、それぞれの立場から意見を主張し、もっとも有益な解決策を見つけることである。その原点をまったく理解しないどころか、否定している政治家が菅直人という人物である。東日本大震災に加えて福島第一原発事故という日本の歴史始まって以来の大災害を、一つの政党、ひとつの政権で対処できるものではないことは繰り返し述べてきた。

 日本の存亡に関わる問題を、菅首相一人で仕切ろうとする理由がわからない。そういえば昨年六月の菅政権発足以来、菅首相が展開する政治は歴史に残る異常の連続であった。同じ政党に属し、政権交代の最大功労者・小沢一郎に対して、「政治と金の虚像」を使って排除することで「国民的人気を上げ」、政権浮揚することを戦略としたことや、数度にわたる憲法の原理と国益を犯す政治を続けてきたことは再々述べてきたし、繰り返し説明する必要もなかろう。退陣表明をした後も、国家の基本に関わる政策を無責任に連発、延命にこだわる政界の悪霊だ。菅首相の進退は、もはや政治の問題ではなく人間のあり方の問題だ。

 

(大災害は国の形を変える)

 天命は、想定外に出来の悪い人間・菅直人が政権に就くや、未曾有の大災害を日本に発生させた。天災と政治の弁証法から推論できることだ。6月23日付の「「日本一新運動」の原点―61」の(人の意識や国の仕組みを変えた大災害)でふれたが、東日本大震災の復興に臨む「政治家の心構え」に、との思いで改めて述べておく。

      わが国で記録にのこる最初の大災害は、白鳳大震災(西暦684)であった。土佐国では黒田郡50万町歩が土佐湾に陥落したといわれる。大化改新(645)で始まった国家の統一・律令制は、さまざまな混乱を経て「大宝令」(702)として完成する。それを促進したのは「白鳳大震災」だった。西日本全体にわたる惨状は、人々の意識を変え大和朝廷を完成させた。

      貞観大津波(869)は、東日本大震災に匹敵する津波が起きるなど、天変地異が連続した。平安時代の貴族政治が腐敗し、朝廷はは打つ手なく混乱し民衆は困窮した。関東で「平将門の乱」、四国で「藤原純友の乱」が起こったのは40年後であった。これらは朝廷への反逆といわれたが、真実は民衆救済の改革運動であったが失敗する。将門らの志が実現したのは約250年後の源頼朝による鎌倉幕府の成立であった。その原動力は将門の子孫・千葉常胤で、思想は妙見菩薩の星信仰による「国土の守護と人々の福寿」であった。(以後、安政元年ごろまで巨大震災は約100年から200年ごとに発生しているが、政治との関わりは省略する)

      安政三大震災(1854~55)は、1854年7月に東海、同12月は南海、1855年11月には江戸直下の大震災である。時代の激変の中で江戸幕府は行き詰まり、新しい国づくりを巡って混迷を深めていた。この時代を引っ張った人物の一人が坂本龍馬であった。龍馬が政治や開国に関心を持つようになったのは、安政元年の南海地震であった。幕政のありかたを疑い、ジョン万次郎からの海外情報を知り、新しい国家社会の創造を夢見た。一連の大震災は龍馬だけではなく、当時の若者や民衆を目覚めさせた。龍馬らは大震災後十四年の時を経て明治維新を成功させた。

      関東大震災(大正12年・1923)。被害は死者9万9千人、行方不明4万3千人、被災世帯は69万におよび、京浜地帯は壊滅的被害を受けた。首都東京の復興と日本の改革を構想したのは元東京市長の後藤新平であった。帝都復興院総裁に就任し、約40億円(当時)の財政支出による復興計画を提唱したが、官僚や一部財閥の抵抗で、実現できたのは約6億円の事業であった。日本改革の構想は幻となった。その結果、日本はどうなったか。不況は一層深刻となり、震災手形などの不詳事件が続出する。政党政治の腐敗と軍部の政治干渉は止めようもなく、昭和時代となってわが国は戦時体制となる。そして関東大震災から22年という時を経て、日本人は歴史上初めて敗戦という悲劇を体験することになる。

 

(大災害の歴史に学ぶべし!)

 歴史を振り返れば、わが国は大災害という悲劇から新しい国づくりを成功させた場合と、大災害への対応を誤り、国政を長期間混乱させた場合がある。東日本大震災の復旧と復興は、大多数にのぼる犠牲者の鎭魂のためにも、新しい国づくりという哲学がなくてはならない。

 菅首相の大震災に対応する最大の失策は、既得権にこだわる財務官僚などに利用され、増税を財源としてその範囲を被害額とする枠を当てはめて復興に当たろうとしていることだ。これは関東大震災時の失敗を繰り返そうとしているのだ。

 人間は、地球規模で資本主義の変質と情報社会の混迷の中で悩み続けている。排他的競争社会を改革し、共に生き、共に幸せとなる「国民の生活が第一」の共生社会をつくらなければ、人間は生き残れなくなることに気がつくべきだ。東日本大震災と福島第一原発災害の悲劇は、人類と日本人に対する「天命」の警鐘ともいえる。

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