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「日本一新運動」の原点―68

日本一新の会・代表 平野 貞夫

 

○ 「原発議論」に欠落している問題

 8月6日(土)に広島・原爆の日66年目の式典が行われた。福島第一原発事故の後初めてのことで、菅首相の挨拶が注目された。式典を政権延命に利用するのではないかとの見方があったが、それが無い代わりに、当たりさわりのない内容であった。

 それに比べ、松井広島市長は平和宣言の中で「核と人類は共存できるのか、できないか」という重大な問題を世界に提起した。まことに見事であった。まさに原子爆弾と原子力発電の問題は、この感性なくしては解決できない。

 

(原発問題の背後に核武装問題あり)
 
 
私は昭和31年~34年にかけて、原水爆禁止運動をやっていた。法政大学在学中で、指導教授の安井郁先生が原水爆禁止署名活動からスタートさせ、原水爆禁止日本協議会理事長に就任した頃であった。特に大学院修士課程では原水禁運動に専念していた。原水爆をはじめ全核兵器を全面廃止すべきだとの心情はこの時に学んだものだ。

 衆議院事務局に就職してから、原水爆禁止運動には直接参加しなかったが、昭和51年に「核拡散防止条約の国会承認」問題で、直接に関わることになる。この時の苦労話は『昭和天皇の「極秘指令」』(講談社プラスアルファ文庫)に詳しく書いているので、機会があれば参照願いたい。当時の私は、前尾繁三衆議院議長秘書をやっていた。

 「核防条約」とは、核武装する国を増やさない条約で、逆に言えば核武装をする国を限定することであり問題のある条約であった。昭和43年(1968)7月、米ソを含む62カ国で発足し、日本も昭和45年(1970)佐藤内閣で調印している。ところが佐藤・田中・三木内閣と、国会での承認、条約の批准を行わず放置していた。

 その理由は、自民党内で「日本は核武装すべきだ」という意見が多数であったこと。当時の自社・55年体制の一方である社会党内でも、米ソ冷戦中であり「共産圏内の軍事力低下になる」との発想で、条約の不平等性に批判があり、左派を中心に強い反対があった。中曽根康弘氏を中心に自民党の右派は、「昭和天皇は核兵器に理解がある」といった無責任な情報を流していた時代であった。

 日本が「核防条約」の承認を放棄している時期に、わが国の原子力発電の安全性の管理がルーズになったと私は推測している。それは核武装に必要な物質は、ウラン原発の燃えかすである「プルトニウム」であるからだ。当時から「もんじゅ」や「プルサーマル」計画が、プルトニウムを活用した「夢の原発」と、もてはやされることになる。

 ところが、昭和天皇は核兵器に対して極めて厳しい目を向けられていた。世界唯一の被爆国となった責任は、ご自身にあるという悔恨の情も、胸に持ち続けられていた。さらに、諸外国の元首の来訪が増え、昭和天皇との会見の席で、「被爆国の日本が核防条約を承認・批准していない」ことが、しばしば話題となり心を痛められていたようであった。

 前尾繁三氏が衆議院議長に就任すると、国会審議の奏上で二人きりになる時、「前尾、被爆国として放置すべきでないぞ」との話題が、度々出されたと前尾議長から聞かされたことがある。その最後の機会が衆議院の任期満了を年末に控えた、昭和51年の第77回通常国会であった。この国会は「ロッキード国会」といわれ、戦後最大の政治スキャンダルが取り上げられ、検察の暴挙は閉会直後、田中元首相を逮捕することになる。前尾議長が昭和天皇の指示による「核防条約」の国会承認にこだわらず、衆議院解散の道を選んでいたなら、田中元首相の逮捕はなかったと思う。

 「核防条約」は、前尾議長の異常とも思える強引な国会運営で承認・批准される。それから35年という歳月が流れた。政界は大きく変わり、社会党は消え民主党が政権交代で政権を担当する時代となった。そして自民党にも民主党も、「核武装」を容認する政治家がいるようになった。そこに発生したのが東日本大震災での福島第一原発事故である。「減原発」であれ「脱原発」であれ、私は「日本は核武装しない」という覚悟があってこそ、論じる資格があると思う。

 

(核分裂技術から核融合技術へ)

 人類は核分裂によるエネルギーを発明することで、経済を発展させた。しかし、最初の狙いは、原発ではなくて原子爆弾という大量殺戮兵器による世界支配の道具であった。それが東西冷戦の中で、人類を破滅させる最終兵器であることがわかって、「核防条約」が必要となった。しかし、世界、否、この日本にも核兵器にこだわり国家の覇権を考えている非人間がいる。心ある常識人なら、人類の叡智は「核分裂技術」の扉を早く閉め、「核融合技術」を成功させることにあることを知っている。菅首相が「原発に依存しない社会」をと、さも画期的な政策方針をいっているように巨大メディアは報道しているが、こんなことは当然のことで、こと新たな政策方針になることではない。このことは繰り返し書いているので、メルマガのバックナンバーを参照して欲しい。

 問題は、核融合によるエネルギー確保が、何時になって実現するか、その間のエネルギー確保をどうするかということである。その基本方針と方策を提示しない「脱原発論」は何の意味もない。エネルギー確保には様々な方法があり、それぞれに異なったリスクがある。風力発電には「低周波問題」、水力発電には「ダム問題」や、流域の河川汚濁などがあり、近代技術にはリスクを伴わないものはない。地熱発電・ソーラー発電であれ、まだ端緒についたばかりであり解決すべき課題は多い。

 その中で、どう考えても原発ほどリスクの高いものはない。可能なら直ちに廃止すべきだ。しかし、日本人が半世紀以上、原発を活用してきたことも事実である。その間、「もしかして日本も核武装」という思いの中で、プルトニウムという人類がつくった最悪といわれる「悪魔の物質」を大量に持ってしまったことからも目をそらすことはできない。

 IAEA(国際原子力機関)のエルバラダイ氏が事務局長時代「日本は核の倫理を語る責任が唯一の被爆国としてある。もし日本が核兵器を求めれば、それは文明の終わりの始まりだろう」と語っている。(平成18年)

 

 日本で「反原発」とか「脱原発」というなら、その意図はともあれ、大量に保有してしまい、最終処理技術が確立していない「プルトニウム」を、自国の責任でどう処理するかを議論しなければならない。これほど危険なプルトニウムの処理可能な技術は、私がしばしば指摘してきた「トリウム溶融塩炉」といい、プルトニウムを再生産するウラニウム原発とは、本質的に違った構造の原発の研究を再開するしかない。しかし、これもまったくリスクがないとは言わない。ただ、ウラニウム原発のような致命的なリスクがなく、危険なプルトニウムを焼却(消滅)しながら発電できるのだ。しかも、これからの研究開発でさらなる安全性が期待できるものだ。再生エネルギーの開発も重要なことだが、「持ってしまった」プルトニウムを、どういう手順で消滅させるかもより以上に重要であることを、ここでは強調しておきたい。

 菅首相がいくらねばろうとも、政権の先行きは見えている。次期政権にどの党の誰が就こうとも、「脱原発」というのなら、「日本は核武装をしない」ことと、危険なプルトニウムを消滅させる「トリウム溶融塩炉の研究開発」を、国民と世界に宣言すべきである。

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