「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―72

日本一新の会・代表 平野 貞夫

 

 野田民主党政権が発足した。報道によれば、党内融和を世論が支持してそれなりの評価を受けている。「党内融和」だけで支持率がV字型に上るというのも変な話だ。政治とは本来なら理念や政策で評価されるべきことである。党内融和が日本政治の中心課題ということでは、そのとばっちりは国民に向かう。もう一度いうが、議会民主政治とは政治理念や政策が議論の中心であるべきだ。

 これもメルマガで繰り返し述べてきたことであるが、一昨年8月の民主党への政権交代で、小沢氏を「政策の協議と決定に関わらせない」という条件で幹事長にした時から「小沢排除」が始まっていたことを反省しておかなければならない。民主党内にある「内ゲバイズム」の勢力は、民主党政権発足のスタートから党内融和をまったく考えていなかった。菅首相に至っては、朝日新聞の一部幹部記者が「脱小沢」を進言し、それが菅政権の基本方針となっていたことは公知のことである。

 率直に言って、菅政権から野田政権に代わって、「これが同じ政党か」というのが実感である。これだけを見ても、いかに菅政権の政治運営が異常なものであったかがわかるだろう。それにしても、民主党で何時、内ゲバイズムが息を吹き返すかも知れない。党執行部や閣僚の中にその同調者がいる。彼らが反省して、新しい日本を創ることを望むが、そのためにも「日本一新の会」は引き続き厳しく監視していきたい。

 今回の民主党内政権交代を機会に、民主党政権が、何故失敗したのか検証してみよう。その一つは、「議会民主政治の原点」とは何か、これを指導者たちが知らなかったこと。もう一つは「国民の生活が第一」という、政権交代の歴史的意義を多くの民主党国会議員が理解していなかったことである。

(議会民主政治の原点)

 菅前首相は、しばしば「議会制民主主義というのは期限を切ったあるレベルの独裁」と公言していた。恐らくは、新左翼系の学者か評論家の聞きかじりの話だと思うが、こういう精神で21世紀の政治を行えると思っているところに重大な問題がある。民主党の中にはこの発想の政治家が相当いる。

 議会民主政治をひと言で言えば、「頭を割る代わりに頭を数える政治」といわれている。多数決原理で国や地方自治体の意志を決定していくやり方だ。この「多数決原理」というのが中々の曲者で誤解が多く、特に日本人にはわかりにくいものである。

 組織などの会議で多数決をもって決める時は絶対的で、一般的には、ほぼ何でも決めることができると考えられている。理屈を言えば、国家の意思を決める場合、例えば国会などで多数決を行使するとき、前提があることがあまり知られていない。前提とは「多数決に正当性」が生じる条件である。

 具体的にいうと、まず議会の構成に同質性が必要だということだ。暴力革命論者やテロリストが混在するようでは、多数決は機能しないし、しても正当性はない。総選挙で圧倒的多数を獲れば「期限を切ったあるレベルの独裁」ができるという発想の持ち主では、議会民主制の同質性は期待できない。わが国で1年2ヶ月にわたり、菅直人という異常心理の政治家を、政治のトップリーダーとしたことは、恐ろしいことだったといえる。

 それと多数決を機能させるためには、少数意見者の表示権を認めなければならないことが条件である。それは、現在の少数意見は将来の多数意見となる弁証性を持っているからである。議会政治史の格言に、「真理は少数意見にある」ということがあることぐらいは、政治家なら知っておくべきだ。

 この他にも、人間の価値観や歴史観、少数民族の歴史的に形成された特殊な権利なども多数決を機能させてはならないことなど、いろんな理論があるが、ここではこの程度にしておく。要するに、政治権力をつくり、行使させるということに、人類はさまざまな思考と工夫を重ねて、つくりあげたのが議会民主政治であることを理解して欲しい。

 

(「国民の生活が第一」の歴史的意義)

 平成19年7月の参議院選挙と、平成21年8月の衆議院総選挙で、民主党は小沢一郎という政治家の指導により、「国民の生活が第一」という政治目標と、基本政策をマニフェストに挙げ、選挙に勝利し歴史的政権交代を実現させた。基本政策には、「子ども手当」「農家の所得保障」「高校授業料無償化」「高速道路の無料化」などがあった。

 これらの政策は、野党やマスコミから「選挙目的のバラマキ」と厳しく批判された。政策によっては議論があると思うが、このマニフェストを作成したとき、当時の小沢代表の思考の中には歴史的発想があった。それは21世紀に至る資本主義が変質、ないし崩壊した現実をどう考えるかということであった。

 科学技術の異常な発達とグローバル化で、20世紀の重化学工業社会から情報社会に文明が変化したのが21世紀である。金融資本を中心に、排他的競争を続ける資本主義であってよいものであろうか。

 しかも、所有欲求を満たしたいだけの価値観で、ここに現代資本主義が混迷する原因がある。変質、あるいは崩壊した資本主義にどう対応するか、また新しい資本主義をどう創りあげるか、という小沢一郎の歴史観で「国民の生活が第一」のマニフェストはつくられたのである。

 平成19年の参議院選挙の直前、小沢代表が私に語ったのは「混迷する資本主義に対応する日本でのセーフティーネットを早急につくる必要がある。同時に国民の生活を向上させ消費を増進させ、経済を活性化させるのが基本政策だ。財源はこれまでの予算の総点検と制度の入れ替えで捻出できる」ということであった。

 これをスタートに、早い機会に健全な日本型共生資本主義社会をつくりたいと語っていた。この基本には「基礎的社会保障は国が責任を持つ」「地球環境保全を市場経済原理に優先させる」「国連を改革して国際社会の完全保障を確立する」という国家観になるという、自由党時代の「日本一新十一基本法案」の思いがあった。

 民主党政権となって、この歴史観と国家観をもった小沢元代表を政策の協議決定から排除した。「国民の生活が第一」との基本政策が政権交代の原点である。菅政権は官僚に洗脳され自己否定し崩壊させた。岡田執行部に至っては、菅首相を退陣させるために、民・自・公の三党合意で、基本政策をバラマキとした。

 自民党や公明党の政治家に、変質した資本主義に対する歴史観を持てといっても無理なことだ。せめて民主党の指導者は、多少理解しているだろうと思っていたが、これが全部駄目だった。その結果が菅政権の挫折だ。

 問題は、野田新首相が歴史観と国家観を持っているのかどうかである。口先の言葉だけではなく、変質し崩壊した資本主義から新しい社会をどう構築していくか、この覚悟があるかどうかだ。かつての、日本新党的ファジーさで、これからの日本政治に対応できるだろうか?。

 

 本稿執筆中に、またもや和歌山・奈良県下で災害が発生し、多数の犠牲者が出たと報道されている。この狭い国土の東西で発生する自然災害を完全に止める手立てはない。しかし、避けることのできない災害であっても、可能なかぎり回避するのも政治の仕事である。

 先づは被災された方々の早急な救出を願うとともに、ご関係先に深甚のお見舞いを申し上げたい。

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