「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

<岩手からの報告>

 岩手には希望がある。「岩手のちから みんなのちから」(達増知事のキャッチフレーズ)

9月11日(日)に岩手県知事・県議、の投開票日が有り、関係する事をまとめて見ました。

岩手県議選 各党議席  定員 48

      候補  当選              選挙
党派    者数  当確  現  元  新   前
民主     31  22  18   0   4  23
自民     14  12   8   0   4  11
いわて     7   4   4   0   0   5
社民      4   3   3   0   0   3
共産      3   2   1   0   1   1
公明      1   1   1   1   0   1
無所属    12   4   0   0   4   2
合計     72  48  35   0  13  46
                          (2名欠員)


 9月2日(金)に染谷会員と二人で岩手に入った。実は台風が近づいていたこともあり「今回は回避しようよ」と染谷氏に提案したのだが一蹴されて、シブシブ出かけたものだ。福岡から羽田に飛び、都内で合流して車で岩手に向かったが、70に手が届こうかというジサマが、140~160㎞/時でぶっ飛ばすのだから生きた心地はしない。普通、高速道路を走る時は左側の走行車線で、他車を追い越す時だけ追越し車線を使う。ところが染谷車はそのことを知ってか知らずか、走行車線を使うことなく、ひたすら追越し車線のみを走る。そして時には、高速道路上の御法度である急ブレーキと、暴走族顔負けの走りっぷりである。
 都心部から水沢市内までの約500㎞を、タダ一回のトイレタイムを含んで、4時間と少しで走り抜けたのだから、その暴走ぶりがご理解いただけるだろう。

 さて、岩手県下では大震災により繰り延べされていた地方選挙が戦われている。福島・宮城県下の選挙も同様に繰り延べされているが、岩手県下は選挙ができるまで復旧が進んでいる証だろう。
大槌町では町長・町議選が一足早く終わり、新体制が確立して、災害復興への準備も整った。
 私たちは3日・4日と達増県知事候補選車の後尾につき、県北から津波の被災地である釜石市・大槌町を駆け巡ってきたが、ご関係の皆さんには大変ご迷惑なことであったと思う。この渦中で様々なことを目にし、耳で聞いて、日本一新運動への確信を大にした次第。
 11日(日)の投開票日に向け、知事・県議、そして釜石では市議選も同時並行で繰り広げられている。当然のこととして「日本一新の会」はこの選挙に関心を持ちその行く末を注視している。
理由はいうまでもなく「日本一新」「国民の生活が第一」を岩手で成し遂げ、その体験を全国に拡げるためである。
 たっそ候補からは「日本一新は必ず岩手で成し遂げ、その経験を全国に紹介します」との確約も得ている。既に事情を察知いただいた会員からは「岩手在住の教え子に、支援依頼をしました」とか「取引先へお願いしました」などのメールも届いているが、この輪を数倍、数十倍に拡げて、日本一新のお仲間議員を一人でも多く確保したいと思う。

 3日(土)の知事選車は県南部出発と事前に聞いており、水沢に宿をとった。ところが宿に届いていた遊説計画(案)は県北発となっている。そんなことから、朝早く飛び起きて最初の合流点に直行したが、そこは北上川の上流域で、西には日本名山百選に選ばれている、標高2038メートルの岩手山を臨む、道の駅だった。二人して土地勘がないのだから、およそ県北と言うことはわかるが、ひたすら先行車の尻を追う。道の両側には休耕田や耕作放棄地も目につき、一部には酪農も混在しているようだが、総じて戦後農政の不始末が手に取るようにみえ、我が町にも随所に見られる同じような寒村が拡がっている。10時には浄法寺駅前とあり、ナビで確認するとそこは青森県境に近い。
 行く先々で、大勢の歓迎・出迎えを受けるたっそ候補・地域選出県議候補だったから、さぞや期待値も大きいのだろう。大更という地名に入り、何と読むのだろうと首を傾げていたが「オオブケ」とあり、固有名詞の難読に改めて感心しきりだった。
 この日は選挙用に仕組んだものではないだろうが、各地で地域のお祭りが開催されており、少し纏まった集落はあちこちで賑わっていた。昼食時間は岩手町だったが、ここもお祭りで、飛び込みに対応する食堂は見当たらず、お祭りの出店で「豆腐田楽」とおにぎり一個を確保し「戦場食」で凌いだ次第。
 午後は盛岡市内に移動し繁華街で歩行挨拶だったが、その一画の民工芸店に我が町の産品である「小鹿田焼」(おんたやき)が多数展示してあり少し驚いた。この前からたっそ候補の立居振舞に注視していたが、改めてその人柄は「真面目に手足を付けた人」との印象を強くした。
            
 (続く)


子供たちにも歓迎される達増候補

子供たちにも歓迎される達増候補

仮設住宅で遊説中の達増候補

仮設住宅で遊説中の達増候補

雨の中「前よりも安全、前よりも安心、前よりも豊に」と訴える。

雨の中「前よりも安全、前よりも安心、前よりも豊に」と訴える。

釜石の高台で熱心に聞き入る市民の皆さん

釜石の高台で熱心に聞き入る市民の皆さん



釜石で再選を果たした小野候補と二人

釜石で再選を果たした小野候補と二人


       <岩手からの報告>その2

 さて、私たち弥次喜多の2日目は大槌町、釜石の被災地入りである。そこで釜石市内に宿をとることにしたが、泊まるところがないのではとの情報。染谷氏が調べているとただ一件、泊まることはできるが冷房が効かない、飯がないとのこと。飯は道路沿いの食堂に飛び込めば何とでもなるが、耐性がなくなっているボケ年寄りに冷房なしはチトきついとは思ったがここに決めた。

 このホテルは1階部分を津波に流され改修工事中だった。夜になって釜石市内に入ったから、車のライトに照らされる被災の状況はおぼろげにしかわからなかった。だが、翌朝ホテルの窓から見たその有り様には息を呑んだ。釜石港には未だに大型船が岸壁に乗り上げたままであり、自然の力の大きさは計り知れない。

 震災発生後、その映像は繰り返し、くどいほどテレビで見ている。しかし、我が眼で見るその映像はテレビ画面の比ではない。目の前に拡がる光景は戦場跡地そのものであり、地震による火災発生と津波に洗われたその様は、映像やことばでは伝わらないことを改めて知らされた。

 プレハブの医院・薬局、商店など急づくりではあるが、生活に必要な最低の施設は整いつつあるようだ。そんな中を知事候補選車と地域選出県議候補者は仮設住宅を練り歩く。その数ヶ所では車を止めて街頭演説だが、そこにお集まりの方々の真剣な顔、顔、そして顔。皆さん候補者のことばを一言半句聞き逃すまいとするお気持ちがひしひしと伝わる。「真面目に手足を付けた」候補者は相変わらず、力まず叫ばず坦々とこれからの岩手を語っている。

 帰参してのことだが、平野代表にその感想を伝えると「四国と九州の選挙は不真面目でうるさい。東北の選挙は真面目で静かで坦々としているが、その根には熱い思いがこもっている」とのこと、痛く得心した次第。

 仮設団地は様々な用地を活用して建てられていた。休耕田や公共施設の空地、学校内の広場、そして公園の一画など工夫の跡が随所に見られた。日曜日だから、子供たちは団地内の狭い広場で遊んでいたが、一日も早く元の生活を取り戻すには、国政の力が今こそ必要であると痛感する。この無益な数ヶ月を取り戻すには政権与党の大胆な発想が必要であるし、蛮勇を振るって欲しいと心から希望する。

 ただ一つ気に掛かったのは、釜石駅前や大槌町内の交差点に、交通整理に立つ警察官の姿である。理由は信号機が稼働しておらず、車の量が多いこともあって事故防止のためだろう。付近はと見ると電気は回復しているのだ。

 交通整理に立つ警察官は他府県からの派遣らしく、その関係であろうパトカーやバスが目に付いた。信号機が稼働しない理由を確かめる暇はなかったが、震災から半年にもなるのだから、その気にさえなればどうにかなるはずで、役目とはいえ酷暑のなかで路上に立ち続ける警察官に思わず頭を下げた。
       (続く)


       <岩手からの報告>その3
 「(震災)前よりも安全・安心・ゆたかに!」と知事候補は訴えている。加えて、私たち「日本一新の会」は東日本大震災を期に、単なる復興ではなく、この国の形を変えるための議論を起こしたい、というのがその立ち位置である。

 この度の和歌山・奈良の水害と、新潟・福島豪雨災害も同じである。異常気象として片付けるのではなく、被害を最小化することも政治の役割であることを、岩手の地にたって改めて痛感した。
関東大震災は、その後の復興対策を誤ったことで未曽有の国難へと国民を導いたが、東日本大震災の復興は同じ轍を踏んではならないと痛切に思う。

 さても、随所に拡がる休耕田や耕作放棄地は岩手だけのことではない。田や畑が遊んでいる一方で、6~7割もの食糧を外国に頼っているのだから、食糧安全保障は無防備に等しいといわざるを得ない。私たちの食卓にのる国内産野菜も、その種苗の多くは外国資本に抑えられているが、これも要検討である。また、放射能に汚染された稲藁を与えたいわゆる汚染牛が、東北から、我が大分の田舎町のスーパーで販売されてることに驚愕した。

 大分には「豊後牛」というブランドがあり、それは東北まで行っているのだろうか?。地方主権とは「地産地消」が原則である。これ一つでも、流通に広い意味の無駄がある。これらは、私たち自身の「価値観」を代えなければならない。

 さて今回、知事候補は無論のこと、民主党公認・推薦の32名の県議候補者の皆さんには、日本一新の会から平野代表署名の、「必勝為書」をお贈りし、たいへん喜んでいただいた。

 ある現職候補事務所の責任者は「平野御大からの為書が届くなど、想定外でした。候補者本人も大いに勇気づけられたと言ってます」とのことばも頂いた。すべての事務所を訪ねることは適わなかったが、ささやかなりとも「日本一新の会」に集う皆さんの思いは代弁したつもりである。

 釜石では寺から、鎮魂の鐘の音が響き一際の思いにふけったし、被災地では道路一本、段ひとつで直接の被災を免れた家もあった。
目の前を流れていく家、車、そして人、どのようなお気持ちであったろう。直接的被害はなくとも、同胞としての気持ちをくみ取ることも大切にせねばならない。

 短い時間ではあったが、私たちは帰参のために、お昼を期して戦列を離れることにした。昼食を前にした達増候補に「これで帰ります。天候不順でもあり、身体に気をつけて頑張るよう平野代表からの言伝てです」をお別れのことばに、後ろ髪を引かれる思いで釜石を後にした。

 とここまでは万全(とも言えないが?)だったが、羽田でアクシデントがあった。私は空路で移動する時、ANAのシニア空割を利用する。自動券売機が使えることから、羽田~福岡便(日田は福岡空港が最短)を買った、つもりだった。搭乗口がいつもと違うな?、待機している飛行機がやけに小さいな?、と言う思いが片方にあったものの、搭乗券を確かめることもなく、いつものように座席に座り、週刊誌を読み始めた。

 すると、「この飛行機は、ただ今から佐賀空港へ向けて・・」とのアナウンス。「ちょっと待った」はすでに遅い。飛行機は扉が締まったら全てがあとの祭り。CAさんが心配をしてくれるがどうすることもできない。「大丈夫、地面がつながっているのだから」とビールを飲んで開き直り、佐賀空港に降り立った。

 空港連絡バスや、深夜の高速バスを乗り継いで、日田のど田舎まで帰り着くのみ・・。深夜に無事とも言えないが帰り着いた。

 山手線の内・外回りの乗り間違いは間々あるが、飛行機の乗り間違いは初めてで、札幌でなくてよかった、よかった。
       (了)

「岩手から、日本一新!」「岩手から、国民の生活が第一を!」
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