「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―377

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観 (いわき市の市民集会にて)(続)

  非自民細川連立政権以後の状況


 海部―小沢自民政権が政治改革に着手した矢先「湾岸紛争」が勃発する。国連協力への課題を残し紛争終了直後、小沢幹事長は東京都知事選敗北の責任をとって辞め、時を置かず心臓病で長期入院する。海部首相は政治改革に挑戦したが与党内の反対で失敗し総辞職する。後継の宮沢喜一政権も、政治改革を国民に公約したが、与党内の抵抗で失敗する。平成5年6月の野党提出の内閣不信任案に、自民党内の羽田―小沢グループが賛成し可決、解散総選挙となり、自民党永久政権は38年で終わります。 

 平成5年8月9日に成立した「非自民細川八党派連立政権」は、衆議院に「小選挙区比例代表制」を導入する政治改革を一応実現し、政権交代を容易としました。しかし、自民党と社会党左派の抵抗で、当初意図した内容を骨抜きにするものとなります。その後、自民党の政権奪回戦略に社会党や新党さきがけが同調し細川→羽田と続いた「政治改革政権」は11ヵ月で崩壊し、村山富市自社さ連立政権に交代することになります。

 その後、橋本(自社さ)、小渕(自)(自自)(自自公)、森(自公保)、小泉(自公保)(自公)、安倍(自公)、福田(自公)麻生(自公)、鳩山(民社国)、菅(民国)、野田(民)、安倍(自公)と連立政権が続いています。細川連立政権後、21年間に13人の首相による政権交代が行われました。

 この中で平成21年九月の鳩山民主党を中心とする政権が国民が選んだ、日本で初めての国民主権による政権といえます。確かに、政権交代が容易になったことは事実ですが、小泉政権の5年5ヵ月と第2次安倍政権の4年7ヵ月を除けばきわめて不安定な政治状況でした。この原因を「小選挙区制」の導入との批判が与野党に強く残っています。

 現在の選挙制度が完全なものとは思いませんが、かつての中選挙区制より議会民主政治を機能させることができるものです。問題は政治家を含め国民全体にわたって議会民主政治の基本に理解が不十分なことに問題があると私は思います。日本は国政選挙の投票率が異常に低いこと、野党間の感情的もつれなどで、得票率が低くても自公連合が多数の議席を得るという逆転現象が続いています。これが政治不信を与えています。

 

3)安倍政権の「安保法制強行成立」等で目覚めた四野党共闘

 

 憲法9条の解釈改憲で「集団的自衛権の容認」を閣議決定した安倍自公政権は、翌平成27年9月「安保法制」を強行成立させました。憲法違反で立憲主義を冒涜したもので、保守リベラルから共産党支持者まで一致して安倍政権の打倒を要求し60年安保以来の10万人を超える国会デモを出現しました。

 志位共産党委員長は、これを機に歴史的大転換の方針を提案しました。「戦争法廃止の国民連合政府で一致する野党が国政選挙で選挙協力を行おう」というものです。自由党と社民党は時を置かずに賛同しましたが、民主党(現民進党)は5ヵ月遅れの、翌28年2月に同意します。民主・自由・社民四党の選挙協力は、同年7月の参議院選挙で実施され結果は新潟県を入れた東北7県(1人区)で、秋田を除き6県で勝利しました。しかし全体としては、与党に議席の3分の2を与えて、憲法改正の発議を可能としたのです。結果は4野党協力に重大な問題を残しました。

 民進党は蓮舫代表に交代し、4野党の選挙協力は継承することになりましたが、安倍政権が衆議院解散を煽るなか選挙共闘の協議は進展しませんでした。問題は安倍政権やその支援マスコミによる「野合批判」で、民進党や国民の中にある「小沢一郎と共産党に対するアレルギー」の増大でした。その対応として私は昨年12月に『野党協力の深層』―共産党の大転換・自由党の再起動(詩想社新書)を出版しました。

 一般のマスコミには無視されましたが、知られていない共産党の国会秘話や、小沢自由党代表が30年にわたって日本の改革にどう尽力してきたか、などが内容で、リベラルな市民層にはそれなりに面白がられました。そのせいで年明けから始まった「4野党協力市民連合結成会」に呼び出されて、千葉県を中心に15回ぐらい挨拶をしました。参加した市民の熱情に感動したのは4月頃までで、通常国会で「共謀罪法案」の審議が、与党ペースで進むにつれ、市民連合に結集する人々から「国会で協力できなくて選挙で勝てるか」との声が出るようになり、期待するほど野党共闘の行方は甘くないというのが私の実感です。

 

4)議会民主政治に対する日本人の意識改革が必要だ!

 

 6月15日(木)、安倍政権は憲法上の疑義を残し、国会法の中間報告の規定に違反して「共謀罪法」を強行成立させました。この暴挙を許すことは断じてできません。同時に4野党の責任も追及せざるを得ません。森友・加計問題、憲法をめぐる安倍首相の暴言が続く中で、4野党が「共謀罪法案」に対する厳しい認識を共有していれば廃案にできました。成立直後の蓮舫民進、志位共産党両党首のコメントが「監視社会化・思想良心の侵害」という弁護士感覚には驚かされました。国民と共にあると自認する政治家なら「治安維持法の再来で、戦時体制の総仕上げだ」と国民に訴えて抗議すべきです。憲法学者なども同様で、私は彼らが強く主張する「立憲主義の確立」の実現にも疑問を持ちました。

 政治家や有識者を含め、立憲デモクラシーに対する意識改革が必要だと痛感し悩んでいた私に解決のヒントを与えてくれたのが、三谷太一郎東大名誉教授の、『日本の近代とは何であったのか』(岩波新書)でした。そこには、「明治以降の統治原理は〝明治憲法〟と〝教育勅語〟のダブルスタンダードだった。昭和に入って教育勅語の〝天皇現人神原理〟が明治憲法の〝立憲君主原理〟の上位となり、軍部や官僚たちによって乱用され戦時体制となった」(要旨)との記述がありました。この論を私なりに発展させると、戦前の日本人は「天皇制従属症候群」という心理状態で、教育勅語から発信された現人神システムにより統治されたといえます。戦後日本の統治原理を考えるに、新憲法の三原理(平和・国民主権・基本的人権)と日米安保体制というダブルスタンダードでありました。米ソ冷戦中はやむを得ないこともありましたが、冷戦終結後は当然一定の自立が必要でした。

 それなのに、平成13年の小泉自公政権以降「対米従属症候群」が多くの日本人を犯すようになり、第2次安倍政権になって憲法9条を改憲解釈し、安保法制を強行成立させ、そして戦時体制化に抵抗する人々を弾圧するための「共謀罪法」を違法な方法で成立させたのです。これは憲法の3原理の上位に、日米安保体制という統治原理が強化されて機能しているからです。

 この構造は戦前の「天皇制従属症候群」と同じもので、その原因は、何かの権威に依存して支配を甘受するという「教育勅語の呪縛」にあると思います。

 そこで何をすべきかという問題です。日本の近代化と戦後民主主義のあり方を総括するため、第2回国会昭和23年6月に衆参両院で「教育勅語の排除・失効決議」を全会一致で行っていますが、これを再確認する国会決議を行う国会請願運動を私は提案しております。

ご協力をよろしくお願い申し上げす。                     (終)

 

(松久寛氏・著者進呈本『楽しい縮小社会』(筑摩書房)を読んで!)

 

 久しぶりに感動した著書に出合い、心から御礼申し上げます。私の人生の師・前尾繁三郎元衆議院議長(京都出身)は、逝去の5日前(昭和56年7月18日)の講演で「経済が低成長時代にならざるを得ない時代にどうするかの認識と対策を採るべきかを、いろんなところで提言しているのに、指導者たちにその認識ができていない」と嘆きながら他界しました。

 松久・森女史両氏の対談は、私にとって今は亡き、前尾先生への回答だと受けとめました。前尾氏は「経済が成長しなくても人間の精神(質)が成長すれば、社会は活性化できる」と語っています。「縮小・活性社会」の実現を、私の『終活』のテーマとします。

 

(東京都議会選挙にひと言)


「都民ファースト」の圧勝、「自民党の惨敗」というマスコミの大騒ぎで終わった都議選だが、「しかし皆さん、何か政治的にはもっと大事なことをお忘れではありませんか」と関係者には問いたい。それは戦線離脱脱走兵続出による「民進党」の衰退である。要するに、その本質は「第2自民党」の旅立ちといえる。小池知事がバーチャル政治家であるだけに、将来の日本がソフト・ファシズム化する傾向が妙観できます。

 現象はフランスの新しい流れに類似して見えますが、彼の地の、地に着いた「反既成政党化」とは異なっていることが、時とともに明らかになるのではないでしょうか。 

「国会つれづれ」は休みました。

「日本一新運動」の原点―376

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観 (いわき市の市民集会にて)

 6月25日(日)「ミナセン浜通り結成集会」に招かれ〝戦後国会の生き字引が語る「立憲主義の危機・左右を超えた野党共闘の意義」〟という演題を与えられ話をしてきた。

 いわき市との縁は昭和36年に衆議院に「石炭対策委員会」が設置され運営事務の仕事をしたことから始まった。半世紀以上昔の話だ。4年後、園田直衆議院副議長秘書役となった時常磐炭鉱(株)の木山専務が園田さんと熊本の旧制天草中学校の同級生で、石炭企業合理化のなか地域や企業の再生策を手伝ったことがある。観光の名所となった「ハワイアンセンター」の開園式に、園田副議長夫妻と3人で招待され参加したことが懐かしい。

 

 時が過ぎ平成七年の参議院選挙で、いわき市出身の戸田邦司氏が運輸省海洋安全局長から新進党所属の参議院議員に転身し、以後、政治的同志として活動を続けているし、「日本一新の会」も戸田氏を顧問として発足した。さらに平成11年から4年間いわき市の東日本国際大学(学校法人昌平黌)で、国会閉会中の毎土曜日に、「現代政治を論語の精神で再生する」を講義していた。会場の「いわき市文化センター」に着くと驚いたことに園田直氏に縁の深い高齢の婦人が顔を見せており、集会のチラシを見て駆けつけてきたとのことで、昔話に花が咲いた。もうひとり、、民進党の増子輝彦参議院議員が集会に出席し挨拶をした。昨年の参議院選挙で福島地方区で野党統一候補として勝利した人物だ。私と同時に自民党を離党し、一貫して自民党政治を批判してきた政治家だ。15年ぶりの再開で、これからの四野党協力の成功を誓い合った。

 

 集会は呼びかけ人の広田次男弁護士の挨拶で始まった。「ミナセン」とは〝皆んで選挙に行こう〟の意味だと理解し、4野党の選挙協力による安倍自公政権を打倒して政権交代を実現しようと呼びかけた。来賓の増子参議院議員が挨拶した後、呼びかけ人の佐藤健一元県議会議員が講師紹介として、私を招いた経過を説明してくれた。佐藤氏は本会の維持会員で、この種の会合としては初めて「日本一新の会」の活動を適切にPRしてくれた。

 こんな雰囲気で私の話が始まったものの準備した堅めの「レジュメ」をそのまま活用できず、思いつきの話をする羽目となった。

 

(終活第一号の講演要旨)

1)東日本国際大学での講義の思い出

 田久理事長から「現代政治を論語の精神で再生」という講義要請を一旦は断ったが、しつこく要請され応じることになったのは、高校生時代に日教組(社会党左派)の指導者の美馬先生から教えられた『忠恕』(ちゅうじょ)という論語からの言葉を思い出したからでした。偶然ですが昭和48年に私の人生の師となる保守本流の前尾繁三郎衆議院議長から『忠恕』についてたびたび説明を聞いていたのです。「忠」は、自己の内なる真心に背かぬこと。「恕」は、その真心による他人への思いやり、ということでした。

美馬先生は「これが教育者の道である」と。前尾議長は「これは政治家の道だ」と。私はこの2人の教えの中で生きてきました。

80歳を過ぎた人生を振り返り、昭和時代というのは、保守とか革新とか対立した立場にいても、虚言や不誠実を嫌う本流に生きる人間は、活動の根底に共通した哲学を持っている時代で、そんな時代に生きて幸せでした。平成時代になって、こういうことが顧みられなくなり、これが混迷の原因のひとつかも知れません。

 

2)日本人が〝政権交代政治〟に馴染めない理由

 立憲デモクラシー・議会民主政治では政権交代が絶対に必要なものです。日本ではその教育ができてなくその実体を知っておくことが必要です。

 

Ⅰ)明治憲法下の状況 天皇主権ですから憲法上の義務はありません。しかし「天皇機関説」という憲法運用で、英国を参考にして大正デモクラシーを経て大正14年から9年間、先進国並みの政権交代政党政治が実現しました。5つの政権で4人の首相によるものでしたが、4人のうち、浜口雄幸(民政)と犬養毅(政友)の2人が暗殺されていることが深刻です。2人とも軍部の全体主義を嫌い民主政治の発展を指向したことで知られています。

 犬養首相の場合昭和7年5月15日に陸海軍の過激分子が首相官邸を襲撃したもので、政権交代政治が幕を降ろし、ファシズム政治に入り戦時体制となって行きます。日本人の中には立憲デモクラシーを本能的に嫌うDNAをもつ人たちが絶えないようです。昨今でも、安倍首相の支持者や、支援団体は、その動きを積極的に行っているといえます。

 

Ⅱ)日本国憲法下の状況 

 国民主権の原理にもとづき議院内閣制による政権交代を機能させる規定が整備されます(第67条・第69条等)。

 

イ)新憲法発足時の状況 

 最初の総選挙(昭和22年4月25日)で単独過半数を獲得する政党がなく、第1党の社会党、第3党の民主党、第4党の国民協同党で、片山哲社会党委員長を首相として連立政権をつくります。ところが片山内閣が社会党内の抗爭で9ヵ月で崩壊し、芦田均民主党委員長を首相として連立政権を続けます。これが疑獄事件で8ヵ月で崩壊します。そこで政権が交代し第2次吉田内閣が、民主自由党の単独少数政権で成立します。1年半で3人目の首相に代わる事態に国民は政治不信となり政権交代に不安を持ちます。

 吉田首相は翌24年1月の衆議院総選挙で単独過半数の第3次吉田内閣を成立させます。政権が安定した直後、吉田首相は講演で「社会党を教育して、英国のように〝保守対革新〟の2大政党が政権交代できる議会政治を実現したい」と発言します。第2党の民主党は「侮辱された」と怒り、第3党の社会党は「ワンマン吉田首相からは言われたくない」と抗議、与党民自党からは「社会主義政党との政権交代なんか論外」と批判の渦となる。こんな風潮が健全な政権交代への国民意識を妨げることになりました。

 

ロ)半世紀続いた保守独裁政権の状況 

 吉田内閣は復興・講和・日米安保などを実現し昭和29年に鳩山民主党政権に交代します。翌年には、社会党の左右両派が統一します。その影響で保守合同が行われ「自由民主党」が結成されます。

 この自由民主党は平成5年8月宮沢喜一内閣が総辞職するまで、38年間の長期独裁政権を続けました。政権交代なく自民党が政権を続けた理由を知ることがきわめて大事なことです。

 第1は、米ソ冷戦という国際情勢が決定的要因です。米国かソ連かの選択で国内では激論が続きましたが、国民の多数は敗戦→占領→講和の歴史の流れで米国を選択しました。これが自民党長期政権の基盤でした。

 第2は、自民党に〝米国に従属した憲法改正再軍備派〟と〝米国を利用しながら国民生活向上派〟の対立がありました。60年安保改定を実現した岸首相が退陣してから後者の経済・生活優先の政治が続きます。社会党を中心に公明や民社の野党が、事実上協力することになります。 

 昭和54年の特別国会(40日抗争)では、自民党から2人の首相候補者が衆議院本会議で決選投票を行います。社会党の「憲法に禁止規定がないから」のひと言が議会政治の条理を狂わせました。これは〝野党は政権交代を望まない〟という宣言に等しいものでした。実は「自社55年体制」というのは、自民党派閥による「疑似政権交代」による議会政治でした。そして自民党派閥政治には莫大な政治資金を要しロッキード事件やリクルート事件など構造汚職が日常化し、国民の政治不信が増大します。

 

ハ)米ソ冷戦終結で始まる政治改革 

 昭和の終わりの「リクルート事件」は、自民だけではなく社公民も関わる構造汚職でした。竹下首相は退陣と引替に、自民党に対し、選挙制度・国会運営・政治資金などの政治改革を提示しました。狙いは衆議院の中選挙区制度を改革し、派閥金権政治をやめ、政権交代が健全に行える「小選挙区比例制」を導入することでした。与野党の反対論が強いなか、平成元年7月の参議院選挙で与野党が逆転し、自民党は海部首相―小沢幹事長体制となり、後藤田正晴・伊東正義の長老が相談役でした。党内説得を始めた矢先の12月3日、米ソ冷戦が終結したのです。

 冷戦の終結は、それに続く湾岸紛争とともに、日米安保体制で、一国平和主義と一国繁栄主義、それに政権交代しない議会政治を続けてきた日本人を驚かせました。世論のほとんどは、自民派閥金権政治がつくった「自社五五年体制」の改革を迫るものでした。

(続く)

「国会つれづれ」は休みました

「日本一新運動」の原点―375

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観 (「共謀罪法」成立の七不思議)  

 

 突然、共謀罪法をこの国会で成立させようとした安倍政権の謀略は結果として成功した。これで、日本が戦前の戦争国家体制に戻ると、繰り返し論じてきたのは国内では『メルマガ・日本一新』だけだった。案の定成立後をみていると外国のマスメディアから「日本からデモクラシーが去り、戦前の全体主義の悪夢を危惧する」との論調が出始めた。

 まずは安倍政権を厳しく批判しなくてはならないが、より以上に4野党、とりわけ民進党と共産党に対して、審議未了なり継続審査に何故持ち込めなかったのか、7つの摩訶不思議として問題提起をしておきたい。

 

1)4野党が「共謀罪法」を、戦時体制の総仕上げの〝戦争法〟と認識しない不思議。

2)「安保法制の廃止」で選挙協力すると合意した4野党が共謀罪法・森友・加計問題等の国会活動では共闘しなかった不思議。

3)民進党と共産党が「共謀罪法」の審議で、違憲性という基本を追求しなかった不思議。

4)民進党と共産党が「議会民主政治の存立に関わる暴挙」と認識し、徹底的な抵抗権(物理的を含む)を行使しない不思議。

5)参議院民進党国対委員長が、自民党国対委員長から「中間報告の通告」を受けるまで「信頼関係にあった」と発言した不思議。

6)「共謀罪法案」を参議院本会議で中間報告をし、可決したことは、国会法56条3に違反(「特に緊急を要する」の要件)するとの主張を、4野党がしない不思議。

7)参議院で、議長不信任決議案・安倍首相問責決議案を4野党が提出し、会期延長に持ち込まなかった不思議。

 以上の7不思議についてコメントしておきたい。

 

第1に、4野党が「共謀罪法」を戦時体制への総仕上げと何故認識しなかったかという問題である。それは4野党指導者に歴史認識が欠けていたからである。安保法制の審議でも、吉田内閣時代には「集団的自衛権」を国際法上正当性がないと主張した事例や、国連に報告された行使の実例が国連憲章を無視した自国の侵略の言い逃れがすべてであったことを『メルマガ・日本一新』で発言するのみならず、審議で取り上げるよう野党に進言したが無視された。社民・生活の党にはその意識はあったが、如何せん少数のため、発言の機会がなかった。その意味で民進・共産両党指導者の責任は重大だ。

 

第2は、この民進党や共産党の問題と併せ、安保法制であれだけ立憲デモクラシーを叫んだ憲法・政治学者などにもこの問題意識がなかったことによる。弁護士などの「監視社会化・内心の自由の侵害」という、専門用語がマスメディアで踊っていたが、一般庶民がどれほど理解できたか。その先の国家社会がどうなるのか、それを指し示すのが政治家であり、有識者と言われる人たちの責任である。要するに、法理論として違憲性のある「共謀罪法」の本質を妙観(真実を見抜く)する力がないことがこの悪法を成立させた根本原因だ。

 この点についてマスメディアの論調にも責任がある。私が知る限り、報道で「戦時体制の総仕上げ論」をまともに取り上げたのは、東京新聞の一社だけだ。「こちら報道部」であり、転載しておく。

 

「元参議院議員の平野貞夫氏は『現憲法下では、委員会で細かい実質的な議論をする委員会中心主義が不文律となってきた』と、中間報告の適用は国会が議論の場としての体裁をかなぐり捨てたと指摘。『戦時体制の総仕上げとなる共謀罪を成立させた国会は崩壊している。憲政の常道から外れている』と批判した」

 

 安倍政権に対する欧米メディアの批判は、歴史認識問題から特定秘密保護法・新安保法制・共謀罪制定への動きを通じ、加速してきた。論調の核は先進性が共有する『民主主義』からの逸脱だ。戦前の全体主義への回帰を案じるニュアンスが込められている。

 事が終わってからの後追い論調とはいえ、ここ数ヶ月私が機会ある度に論じてきたことであり、政治家諸氏もこの認識を十分に学んで今後の参考にしていただきたい。

 

第3は、最悪の共謀罪法を成立させた上で権力の犯罪としか形容できない〝加計問題〟に幕を引くことになった通常国会に対して、国民は厳しい批判を発信している。これからどのような政治展開になるだろうか。まず、4野党協力にひび割れが入ったことは間違いない。私のところには共産党の大転換を評価して支持者となった人たちから「共産党は結局、選挙協力を有利にするため民進党の弱腰国会対策に乗ってしまった。国や国民のための大転換ではなかった」との抗議が多数届く。「一部の幹部にそう言う気があったようだが、議会政治に不慣れなのが原因だ」と説明しておいたが、自由・社民・沖縄の風の七名が牛歩投票で抗議した姿勢が、国民から高い評価を受けている。共産党は議会政治の本質を学ぶことが急務となろう。

 問題は民進党の行方だ。都議選では当選予想1名だとか、議席ゼロなどと最悪事態だとの論もあるが、通常国会では数々のチャンスがありながらも何一つも成果を挙げられなかった責任は重い。その影響は民進党の改革論では収まらず、分裂というよりも分解・崩壊現象となる可能性もある。

「4野党共闘」の再編というか、既成野党の解消現象が生じその結果新しい政治グループ結集の動きが出てくる。そのグループが、既成与党と総選挙を戦うということになると、フランスの新しいデモクラシー日本版が起こることも予想できる。先の国会で共謀罪を強行成立させ、加計問題を逃げ切った安倍政権を待っているのは、厳しい「天命」からのペナルティーではないかと妙観する。

 

 

〇 国会つれづれ  6 

(日韓国会(昭和40年)で憲法冒涜の本会議を体験)

 

 東京オリンピック大会の前半(昭和38年)、衆議院議院運営委員会という国会で最も不条理で不浄な事務担当となる。しかも、先輩職員の頭を越えて係長というポストで異常な人事だった。

 東京オリンピック大会が終わると池田首相が喉頭癌で総辞職し、後継に佐藤栄作首相が誕生する。池田内閣が実現できなかった与野党対決問題の処理を積極的に進め、国会運営は大混乱に陥る。その最大事件は日本と韓国との国交を正常化するための「日韓基本条約等」の審議であった。

 第50回臨時国会が昭和40年10月5日に召集され、これが悪名高い「日韓国会」である。衆議院に日韓基本条約と国内関係4法案が提出され、10月19日に「日韓特別委員会」が設置され審議が始まる。社会党は条約の内容が韓国に有利すぎ、当時友好国関係であった北朝鮮にとって不利な条件として強く抵抗した。審議妨害や拒否などを尽くし、政府自民党は困惑し「連日審議の動議」を提出可決するなど強行した。当時、この種の動議提出者に「ご苦労代」をだす習慣が自民党にはあり通常30万円の相場を50万円に上げたことが話題になったことを記憶している。

 佐藤政権は特別委員会でも本会議でも強行採決することを決断しその準備に入る。当時衆議院議員に当選したばかりの金丸信氏が自民党議運理事の末席にいて強行採決体制になった日に、議運委係長の私を密かに呼びだし、相談があるという話が傑作だった。

「佐藤首相から厳命をうけた。議長がどうしても本会議のベルを押さないとき君がベルを押す役だ。日韓条約にはわしの政治生命が掛かっていると言っていた。ベルの場所を君なら教えてくれると思っての相談だ」。

 本会議開会のベルは事務局の厳重な管理下にあり、議長の指示がなければ絶対に押さない。佐藤首相はそれがわかっていて、敢えて金丸理事に役を振り気分を高揚させるためだと理解した私は事務的な扱いはできないと思い、議長室の隣の秘書室の壁の隅にあるヒーター用のスイッチを「これがベルです」と教えた。金丸理事は大真面目に「これで僕は責任を果たせる」となった。以来、金丸議員は死去するまで私を信用し、何かにつけて相談を持ち込まれた。金丸議員との交遊はマンガの世界だった。

 日韓基本条約は特別委員会で混乱の内に強行採決となる。社会党は本会議で議事引き延ばしをやり、徹夜国会が続き、4日目に自民党は強行採決を行う。そのやり方が憲法違反どころか、議会政治を冒涜するものだった。議事妨害とは野党の抵抗でフィリバスターといって議事法規上認められている。先議案件というのは、日韓基本条約の本案の審議に先だって審議を必要とする議長不信任決議案や質疑討論のことだ。これらの先議日程を全部後回しにして、日韓基本条約等を先に強行採決したのだ。その直後、私が議運委員長室に行くと、社会党の柳田国対委員長が自民党の坪川議運委員長に「これでよかったですか」と握手しているのに出合った。憲法違反の強行採決は〝自社談合〟の成果だった。

(続く

「日本一新運動」の原点―374

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観 (「市民連合ちば十区」発足集会にて)  


 6月11日(日)、千葉県下で最後の「市民連合発足会」ということで、香取市の佐原中央公民館に出かけた。常磐線柏駅から成田駅に行き、久しぶりに成田山山門付近を散策して、総武本線で佐原駅に着くという小旅行であった。40年前千葉の北総地域で大集中豪雨が発生し、江戸時代に大原幽学が教えた農業立地の指導が、ことごとく通用しなかった大災害があり、衆議院災害対策委員会担当で調査に来たことがある懐かしいところだ。

 発足集会では、元農林水産大臣の山田正彦氏が「命と農を守り抜く」と題して記念講演をした。珍しく民進党の代表が出席して、千葉県下の政党会派が全部そろった集会となった。山田元農水大臣は、TPP反対運動で国際的に知られている人物だけに日本人の命と農漁業を護るため、米国資本が狙う「対米従属」を排除すべきだと、わかりやすく話をした。面白かったのは最近の北朝鮮問題で、故郷が長崎県五島列島だけに「北朝鮮を刺激し攻撃してくれと言っているのは安倍首相ではないか」と、一刻も早く安倍政権を打倒して外交で解決すべきだと訴えていた。

 

 私は例によって3分間の挨拶だ。

「山田先生とは、平成5年の細川政権以来の同志だ。民主党がおかしくなったのは小沢さんや山田さんを排除したからだ。(ここで大拍手。民進党の野田幹事長の弟分と自称する、谷田川・元衆議院議員が出席していたので、その当て付けの雰囲気があった)

 自民党が一段と悪くなったのは、森喜朗清和会政権ができた時からだ。平成12年に解散総選挙があり、私は山田先生の選挙区で朝鮮半島に最も近い『壱岐対馬』の『壱岐』に応援に行った。この地域の落ち込みが激しく人口減が止まらない時期だった。その対策を訴えられたので、『壱岐対馬地域』は独立して北朝鮮の大使館を置き〝日本は神の国〟という森政権を揺さぶるようにしてはどうか。日本政府は気を遣うようになるし、北朝鮮も今のようにミサイル実験なんかしないと思う』・・、そんなこともありました。(会場、大失笑となる)

 

 一点だけ4野党の国会運営について言っておきたい。私は『共謀罪法案』の、民進党と共産党の国会運営について怒っています。衆議院をスンナリ通過させたとき、蓮舫民進党代表も、志位共産党委員長もコメントで『監視社会をつくるとか、内心の自由を侵害する』といった、弁護士国会議員のいう程度しか言わない。『共謀罪法案』の本質がわかっていない。政治家ならそれから先の日本を語るべきだ。

 『一昨年の安保法制強行採決で、廃止のため4野党で選挙協力して安倍政権を打倒しようということで合意したはずだ。『共謀罪法案』は安保法制と同じ戦争法という認識の質問が一回も出ていないが、どういうことですか。戦争は『安保法制』というハードウェアだけではできません。『国家の秘密』を国民に知らせないことと、戦争に反対する国民を弾圧して協力させるソフトウェアがいるのです。前者は一番先に成立しています。その意味で、『共謀罪法案』は戦争に向かっての総仕上げなのです。『テロ対策』という名を付けていますが、憲法9条を死守すると国会で決めることが一番効果がありますよ。

 こういう認識で国会活動をやれば、国民は盛り上がりますよ。審議未了にするタネはいくらでもあるじゃないですか。私は衆議院事務局に33年勤めていて、強行採決や対決法案を廃案にする仕事をやっていました。4野党がその気になれば廃案に出来ないはずはない。国会は悪法を成立させないための抵抗権を持っているのですよ。今の国会議員たちは、与党も野党も国会の基本機能を理解していない。野党の一部はマスコミを気にしているが『審議拒否』や『物理的抵抗』も、議会民主政治の存立に関わることには徹底してやるべきです。自信をもって国民に説明すればわかってくれます。

 この原理がわからない国会議員ばかりになったので国会を国民・市民の手に取り戻すため『国会議員の総入れ替え』をやるという精神で、四野党協力は行うべきだと思います」

 

 と過激な挨拶をしたところ、集会が終わって会場出たところで5人ぐらいの参加者につかまった。その中の初老の紳士から「平野さん、今日の話は小沢一郎さんと決別するということですか」と心配そうな顔で話しかけてきた。「決別なんかしません。4日前に小沢さんと話してきたばかりです。4野党協力が、現職中心の生き残りのための話し合いになっている。4野党協力の根本戦略を取り戻すべきだ、ということでしたよ」と伝えると安心した顔になった。言葉には気をつけるべきだと反省した。

 

(「戦争法の廃止を求める宗教者の会」にて)


 6月12日(月)、ユニテリアン協会の要請で「国政を変えるカギはどこにあるのか」の学習会に参加してきた。新宿の日蓮宗・常圓寺で開かれ、法大名誉教授の五十嵐仁氏の講演の後、簡単な挨拶を行った。要旨は「市民連合ちば10区」での後半の話と同じである。宗教者との出合いには成果があったが、五十嵐氏の話には気になるところがあった。

「ちば10区」の集会でも呼びかけ人代表挨拶にあったこと。現在の政治不安の原因に「小選挙区導入」の衆議院選挙制度にあるとの発言だ。四野党が協力して政権交代をしようという運動で、どうしてかつての「中選挙区制」を評価するのか理解できない。「中選挙区制」が自民党と社会党の談合による住み分けで、腐敗・無責任政治を展開してきた戦後政治の歴史を知らないようだ。多くを語るつもりはないが、フランスの選挙結果を見れば小選挙区制の特長が見えるのではないか。日本でうまく行かないのは国政

に参加する人間の「責任感」の欠如が混迷の原因である。

 

 現行の選挙制度が完全とは思わないが、政権交代のための小選挙区制と、民意を生かす比例区制の適切な組み合わせは現代デモクラシーの基本だ。これを理解しないと四野党協力は成功しない。

 

〇 国会つれづれ  5 (東京オリンピックで、生涯に一回だけ親孝行した話)


 今回は、多少私ごとになるがご勘弁をお願いしたい。

 石炭合理化問題に見通しがつくと、昭和39年10月に予定されている「東京オリンピック」の準備に国は総力を挙げることになる。衆参に「東京オリンピック準備特別委員会」を設置する。衆議院の特別委員長は島村一郎という東京は江戸川区生まれの、戦前派当選9回のベテラン議員が就任する。国務大臣になることを嫌がり、平議員を通した人物で、東京オリンピックだけは国会の責任者となることを生き甲斐としていた。

 オリンピック特別委員会担当者の末席にいた私は、島村委員長のオリンピック担当秘書役のような仕事であった。現在の東京オリンピック準備と違って、東京都も国もそして隣接自治体もスポーツ団体も、全力を挙げて活動した。スポーツ選手強化費に企業資金を使うことに抵抗のあった時代で、「オリンピック」という巻タバコをつくる法律をつくった思い出がある。

 この時期、昭和36年12月1日(私の誕生日)に職場結婚をする。妻・操の親族が東京都交通局長でオリンピック準備の難題を抱えていて相談をもちこまれ、これが大変勉強になった。

 そこで私の結婚の経緯を説明しておきたい。田舎の開業医の父は末弟の私を医者にして跡継ぎにし、一族の娘を物色して嫁にすることが念願だった。私は高校生の頃からそれに抵抗して、無茶苦茶な青春を過ごした。父親は、益谷秀次衆議院議長の関係する都内の某医科大学に、試験の点数不足分に下駄を履かせて(特別枠の寄付金)合格させる話をつけていた。

 

 この話を三男の兄から聞きつけた私は、ひとりで衆議院議長室を訪ね、議長秘書(東京での私の親代わり)を通じて、益谷議長に面談した。そこで「私は、自分の職業と嫁さんは自分で決める」と宣言した。益谷議長は「今時珍しい。その意気でガンバレ」となった。親父には議長秘書から「貞夫君は好きなようにさせた方が良策」との連絡が行くことになった。それから5年を経て衆議院事務局に奉職し、17年後には議長秘書に就くのだから人生とはおもしろいものである。

 そんな事情があって、自分が決めた女性と結婚式ということで、不機嫌な両親が上京することになった。一時は「共産党に入るか」という時もあった親不孝の息子に、結婚式の前夜親父が言ったのは「親のいう嫁をもらったら東京に家を建ててやるつもりだった。親としてできることは、遊んだオンナのことでカネで始末することがあるだろう。嫁が苦労するから・・」。

 私は「オンナのことで親に迷惑をかけることはない」と、カネの入った封筒を突き返した。こんな両親に、生涯一回だけ親孝行したことがある。「東京オリンピックを観たい」という両親を、土佐から東京に同行して、高野山赤松院と伊勢神宮と案内して、開業したばかりの東海道新幹線に乗せたことである。 

(続く)

「日本一新運動」の原点―373

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観 (「安倍一強」の正体について考えよう)

 

 5月29日(月)、朝日新聞の「MONDAY解説」で〝「安倍一強」崩れぬ支持率〟と題した記事を読んだ。24日~25日に実施した緊急世論調査をもとに、相次ぐ閣僚の失言、森友学園や加計学園問題の噴出にもかかわらず、内閣支持率は47%と、ほとんど崩れない。この原因を「他に適当な人がいない」が増えているだけでなく、「若者・労働者層にも拡がり」があるとの傾向を報道している。

 この報道に文句をつけるつもりはない。安倍内閣の支持率は政権復帰後、ほぼ50%前後と、安倍首相に最も厳しい朝日新聞の調査でも続いている現実を率直に認めることがまずは大事なことだ。その上で原因の本質を検証することが必要である。安倍首相は来年の自民党総裁選で三選されると、戦後最悪の首相が、戦後最長の政権を維持することになる。これは「歴史の皮肉」ではなく「歴史の悲劇」だ。歴史の悲劇は既に始まっている。

 年明けから「安倍一強の正体」について、私は考え続けてきた。あまりにも非科学的かつ非論理的、奇想天外な発想でメルマガでは遠慮してきたが、4月に入って国会がほとんど機能しなくなったので、「奇人変人と笑えば笑え」と、越谷市と仙台市の集会でほんの少し話したところ、感動的反応があったので〝雑学老人の寝言〟と思って読み飛ばしてもらいたい。

 

(安倍一強の正体)

 

1)安倍首相は「人間」ではなく「人形」だ。

 普通の「人間」は生活や活動の中で考え・悩み・学びながら、人間としての自己を見つけ強く成長する。「安倍一強」とはそういうプロセスで生まれたものではない。まず「考えず・悩まず・学ばず、人間としての自己を見つけよう」としない性格がある。

その上に権力欲で国民を不幸にした祖父の亡霊に操られている。更には、人類を歴史の節目で狂気にする「謎のシンジケート」に操られた「人形」である。そこに常識では読めない強さがある。

 

2)「謎のシンジケート」は21世紀の資本主義と国家機能を変質させた。

「安倍一強現象」は、日本国内の政局という矮小化したポイントからだけでは本質は妙観できない。資本主義は20世紀の末、米ソ冷戦終結とともに「グローバル・マネーゲーム」が経済成長の主流となる。その過激性は世界中に格差と不公正を生じるようになり、21世紀に入り各地でテロ事件が頻発する。

 例えば、2001年の「ニューヨーク貿易センターテロ事件」である。

 グローバル・マネーゲーム資本主義は、各国の実体経済を崩壊させ国境を無くし、国家の機能を変質させていく。その一方で、米国はニューヨーク貿易センターテロ事件の報復として、アフガン攻撃からイラク戦争へと〝テロ対策〟という口実・屁理屈で世界を分断させ、混乱を深めていく。戦争も紛争も従前の国家機能では対応不能となった。

 グローバル・マネーゲーム資本主義の本家「米国」では、軍事費の増大も原因といわれ、マネーゲームによる経済成長に限界が生じた。サブプライムローン(2006年)の崩壊、そしてリーマン・ショック(2008年)の破綻は世界の経済を大混迷させた。グローバル・マネーゲームを押し進めていた「シンジケート」はマネーゲームに代わる経済成長の方策を模索するようになり、そこで出現したのが「グローバル・ミリタリー資本主義」である。

 

3)世界支配を狙うシンジケートが、安倍晋三を支援するに至った経過

 日本では、小泉政権が米国の圧力で「構造改革・新自由主義」を提唱し、マネーゲーム資本主義を本格化させた。すでに世界中に「マネーゲームシンジケート」は活動しており、ジャパン・ハンドラーといわれるグループが、小泉政権を支え「郵政改革」など日本経済の根幹を壊していく。イラク戦争への自衛隊派遣は違憲であり、米国への追随に、「平和国家・日本」の評価を落としていく。時を同じくしてグローバル・マネーゲーム資本主義に限界が見えてくる。

 小泉首相が新自由主義政策の後継者に安倍晋三を選んだことになっているが、グローバル・マネーゲームシンジケートの暗黙の勧めがあったと見るべきだ。安倍晋三とは、「操り人形」として最適の人物である。第一次安倍・福田・麻生と続いた自民党政権は自滅といってよい。日本では初めて国民の意志で選んだ民主党政権が、平成21年9月に発足した。この時期になると世界支配を狙うシンジケートはマネーゲームとミリタリーゲームを融合させて、先進国の政治支配に全力を挙げることになる。日本に出現した民主党政権に対して、シンジケートは、まず理念が対立する小沢一郎を政界から抹殺することであった。

 週刊ポスト(6月16日号)は、「日本政界に漂う〝不気味さの正体〟を特集。「小沢排除を成功させたのは、麻生(自民)・菅(民主)政権の世論操作の詐術によるとし、それに学んだ第二次安倍官邸が情報操作で国民を洗脳して、世界に類を見ない「異常な政治形態」をつくったとしている。その背後でシンジケートの暗躍があることを知るべきだ。

 

4)安倍政権の憲法9条解釈改憲で、

ミリタリーシンジケートは地球をリンクした

 平成24年暮れに発足した第二次安倍内閣は、「アベノミクス」という時代錯誤のマネーゲーム政策に失敗する。この時期、マネーゲームによる世界経済の成長は絶望視され「ミリタリーゲーム」に期待を寄せ移行する。中東の戦火やヨーロッパ各地でのテロ、北朝鮮の核やミサイル開発、アフリカでの民族紛争など世界中で戦火や紛争の波が起こる。

 その原因は植民地時代の歴史的因縁を引きずるものから、民族や宗教争いによるテロもあるだろう。最近の国際情報によれば、「武器ビジネス」で利益を得ようとする、ミリタリーマフィアの暗躍があるといわれているし、それがグローバル化して行われている混迷は想像を超えている。

 かつての〝戦争〟は、国家対国家が基本であった。グローバル・ミリタリーゲームの現在は、国家の支配を超えて複雑怪奇な展開が行われている。そのシンジケートは武器ビジネスだけではなく、経済成長を妄信するマスメディアを巻き込み、権力欲のためだけに生きる政治家や国家官僚を駆使して展開している。

 このミリタリーシンジケートは活動を妨害する最大要因を日本国憲法第9条と、かねてから改正を狙っていた。すぐれた技術力と経済力を持って世界経済を先導している日本国が「戦争放棄」を掲げ、専守防衛を国是とし、海外での武力行使をしないことは、シンジケートが期待する経済成長にとって致命的な障害である。

 米国のジャパン・ハンドラー、即ちミリタリーシンジケートの主人公たちは長い年月を掛け日本のシンジケートに要請してきた「集団的自衛権の容認」を、解釈改憲で行い自衛隊が海外で武力行使することに圧力をかけてきた。平成26年、安倍政権は閣議決定で断行することになる。その手法は国会を無視した有識者と称する、日本のミリタリーシンジケートのメンバーの意見を採用することだった。シンジケートに協力して経営を維持している一部マスメディアは旗振りに狂気を発揮する。

 平和を党是としてきた公明党は、三百代言弁護士の詭弁で難なくシンジケートの中に入った。野党の民主党内でも「部分的容認論」を主張する幹部がいた。民主党政権時代には「部分的容認」「特定秘密保護法」「武器輸出禁止の見直し」等を、官僚たちと研究しており、シンジケートの影響下にあったといえる。現在、民進党と名を変えたが、この問題がその後の4野党協力のブレーキとなっており、民進党の支持団体である連合から離脱する軍事産業も出現するに至っている。

 こうして、グローバル・ミリタリーシンジケートは、安倍首相を「政治的人形化」して操り「安倍一強」をつくり出し憲法9条の解釈改憲でミリタリー資本主義を地球規模でリンクさせることに成功した。

 

5)グローバル・ミリタリーゲームのわかりやすい事例

 2017年のゴールデンウィーク前後の話だが、トランプ大統領が突然シリアをトマホーク60発で攻撃、ミグ戦闘機20機を破壊した。この狙いは北朝鮮の核やミサイル開発に対する威嚇だ。朝鮮半島有事として米国は空母などを半島近くに結集、日本政府はミサイル攻撃対応資料を国民に配布して非常事態を煽った。

 ところが安倍首相は連休中ゴルフなどに集中。その間に米国と北朝鮮は裏交渉をしていた。トランプ大統領の狙いは、北朝鮮のミサイルを迎撃するためと称して韓国と日本に「サード」を買わせることだ。1台1・100億円、韓国に1台配置したが、日本には5台要求しているとして、合計6・6〇〇億円の需要が米国に生まれることになる。これが「安倍一強」が熱心に進めている「グローバル・ミリタリーゲーム」の実体だ。 

               「国会つれづれ」は休みました。

プロフィール

nipponissin1

Author:nipponissin1
   代    表 : 平野 貞夫
   顧    問 : 戸田 邦司
   事 務 局 : 大島 楯臣

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
動画
 
最新記事
リンク
一新のトランク
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
RSSリンクの表示
Translation Tools
QRコード
QR
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!
Powered By FC2ブログ