「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―385

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観 (社会医療法人社団蛍水会 

名戸ヶ谷病院主催時局講演会の報告)

 

 8月27日(日)、名戸ヶ谷病院講堂で「平野貞夫・時局講演会」が山崎誠理事長の肝煎りで開かれた。日曜日の午前中という時間帯にもかかわらず、病院関係者だけではなく、近郊の政治に関心のある人たちや東京からも青木愛参議院議員と一緒に高齢者十数人が参加してくれた。講堂が百数十名の人々で溢れた。

 

 講演会は高野副理事長の挨拶と司会で始まった。私の講演のテーマは「日本の議会政治の問題点と改善策」であった。主要なポイントは、⑴の「激動する政治情況で北朝鮮危機を踏まえて「人類最悪の新軍事資本主義が始まっている」ことを認識すべしと論じ、安倍自公政権の不都合を指摘、野党協力による政権交代は日本だけでなく、世界の安定のためにも必要であると指摘した。

 

⑵では、「日本の議会政治のどこが問題か」について、

①政権交代の意義を考えない日本人、

②多数決原理の限界を理解しない日本人、の二点について論じた。

⑶では、「健全な議会民主政治を実現するための改善策」について、

①明治時代から続く統治原理の二重構造の改善(明治憲法と教育勅語意識、日本国憲法と対米従属意識)、

②憲法原理を骨肉とする議会デモクラシー教育の促進

を論じた。

 

 質疑応答の時間を多くして、貴重な質問や意見を聞く良い機会となった。参加者の関心が高かったのは「北朝鮮問題」だった。ミリタリーゲームの「新軍事資本主義」が根本原因にあり、安倍自公政権の憲法九条解釈改憲が地球をリンクさせ、拡大させたのである。早急に政権交代して、米韓中ロに対し、東アジアの安全保障確立には日本がイニシアティブを握るべし、との説明に参加者の賛同を得た。

「民主党代表選挙」への関心も強かった。「前原氏が代表になれば共産党との協力が見直されるのか」との質問があった。前原氏は民進党保守派用の戦術論で、誰もが共産党との協力なくして政権交代ができないと思っている。共産党も前原代表で選挙協力が壊れるとは思っていない。枝野派が前原氏の言葉尻をつかまえて選挙戦に利用しているだけだ、と説明しておいた。

 

(小沢事務所で韓国学者らと懇談)


 翌28日(月)午前10時から、小沢事務所で韓国の慶南大学・金容福教授と韓国議会発展研究会・伊光一氏と懇談した。小沢一郎氏からの要請で、日本の政治情況や東アジアの安全保障、歴史問題等について約2時間、意見交換した。韓国の新大統領・文在寅を支持している政治学者のグループのようだった。「新軍事資本主義」形成に日韓がどう対応すべきか、韓国には、しっかりした人物が大統領に就任したので、後は日本で政権交代して人類史的難題を解決できるリーダーが必要だ、で意見一致。

 韓国の学者グループとの懇談を終えてひと休みしていると小沢さんが入室してきた。久しぶりにゆっくり懇談したが前日の名戸ヶ谷病院の講演会の報告をし、レジュメを見せると「人類史上最悪の〝新軍事資本主義〟が始まった」の項に強い関心を持った。民進党の代表選で最大の問題がこれだとし、「早急に国連中心の東アジア安全保障の確立」が話題となった。

 

 平成元年~3年、小沢自民党幹事長の頃、米ソ冷戦終結から湾岸戦争終了の時代だった。高知県西南部の国有地に「ジョン万次郎記念国際貢献・国連PKOセンター」を設置する政策を構想したことがある。小沢さんはこれを記憶していて突然話題となった。私の参議院選挙の公約にして、宮沢内閣では自社公民が衆議院予算委員会で賛成し、細川連立政権に交代して取り組むことになっていたが、時代の移り変わりで実現しなかった。

 この国連中心の東アジア安全保障政策は、政治改革と一体となって細川・羽田改革政権の目玉であった。政治改革といえば羽田・小沢両氏の政治生命だが、その経緯は小沢幹事長が羽田氏に自民党の選挙制度調査会長の就任を懇請して基盤をつくった。

 その根回しや説得に、当時衆議院事務局委員部長の私が扱き使われた記憶がある。30年ほど昔の懐かしい話を二人でしている時間帯に羽田孜同志は天国に逝った。羽田氏と私は同じ昭和10年生まれで、何でも言い合える友人であった。

 


〇 国会つれづれ  13 (河野一郎死去の後始末余談)

 

 昭和40年7月に急死した河野一郎氏の後始末で難問題の「東京資材・背任横領事件」は、大阪の金融業・大堀省三氏が8億円(現在時価約30億円)を出してくれたことで、河野一郎一族は救われた。しかし、私にとってはこれで終わりではなかった。

 昭和41年6月、通常国会を乗り切って、ほっとしている佐藤政権に真夏になってから自民党議員を中心に疑惑事件が噴出する。世に「黒い霧事件」といわれ、佐藤政権が追い込まれていく。これについては次の機会に述べるが、この一環として、河野家後始末に関わる問題が発生する。東京資材事件が解決して二ヵ月ほどして、園田副議長が困り果てた顔でとんでもない話をもってきた。

 

(ポッカレモン事件への関与)


「ポッカレモン事件」とは、日本が豊かな社会になり食品や飲料水も水も、新しい商品が開発された。中でも飲料として有名になったのが「ポッカレモン」で、レモンから健康に効果のある天然の素材というイメージで売り出された。多くの国民に愛飲されたが、従来のオレンジジュースとか、サイダー類の売れ行きに影響が出た。他社の分析で、「ポッカレモン」に天然素材は活用されてなく「クエン酸」が原料となっていることが判明して、競合各社は「商品の不正表示」として公正取引委員会に提訴した。 

 

 マスメディアは大々的に報道、社会問題となり「ポッカレモン」への批判が盛り上がった。たまたまというか、大堀省三氏がポッカレモン社の大株主で莫大な損害を被った。大堀氏は困り果て最も関係の深い佐藤首相事務所に対応策を持ち込むことになる。

 当然佐藤首相に話は報告され指示が出る。その指示は「近いとこでは河野の後始末に大堀省三氏は8億円も世話した。直(園田副議長)のところで対応してもらえ・・・・」ということになる。

 園田副議長から私への話は、「佐藤首相のためにも、この問題はなんとか解決してやらないと・・。総理から公正取引委員会に持ち込める話ではない。総理から電話があったので引き受けた。提訴され罰される話を止める話だ。会館の秘書でできる話ではない。君を見込んでの話だ。何とか顔の立つ方策を公取側と相談して解決してくれ」というもので、無茶苦茶だ。

 

 大堀氏と何度も会ったうえで、私が問題を持ち込んだのは公取委の商品不正表示を監視している担当課長のA氏を訪ねた。当時「ポッカレモン事件」といえば経済界全体が注目し、「公取委」の面目に関わる話題となっていた。A課長は初対面の私に政治権力で提訴を却下させるためかと身構えていた。大堀氏から詳しい説明を受け「提訴の却下を政治圧力でやることは問題を悪化させる」と説得して、それ以外の方法を考えるとあらかじめ伝えて、ポッカレモンの成分や効用を教えてもらっていた。それによると天然のレモンより、人工の「クエン酸」が健康に効果があるとの情報を得ていた。

 公取委のA課長に、「私は提訴を却下してくれとはいわない」と、冒頭に宣言しておいて「国民の健康のためには、天然のレモンより効果があるとの説明は持参した資料の通りだ。ポッカレモンを世の中から消さない方策で問題を解決することを二人で考えようではないか」と提案した。これにはA課長も私の真意を理解してくれ、「案があれば提示してください」となった。

 それから一週間、必死に調べたところ、提訴した企業の商品に、公取委が問題とすべきことが多数あることが判明した。再びA課長に会い、「他社にも提訴すべき問題が多々ある。これを精査し、ポッカレモンと同時に処分することをプレス発表することでどうか」と提案した。これを公取委側は理解し、大堀氏も了承。難問は解決した。

 ところが当時の「黒い霧国会」の中で、関西の大手企業が公取委の対応を不満とし、大阪府選出の社会党亀田徳治参議院議員を使って、参議院予算委員会で、平野貞夫の名を出して追求するとの情報を、NHK記者がもってきた。        

(続く)

「日本一新運動」の原点―384

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観 (愛知私教連「夏期組合学校」講演要旨)


8月22日(火)、愛知県蒲郡市で開かれた愛知私教連の夏期組合学校での講演を依頼され、「政権交代への道を探る―『日本の議会政治』にはどんな問題があるか」を話してきた。その中で「挨拶に代えて」が、今回の講演依頼に応じた心境を吐露しているので全文を載せることにしたい。

 

 「挨拶に代えて」

 最初に、横田委員長からのお声がかりで、こちらに参上しました私の心境を申し上げてから、本題に入ることをお許しいただきたいと思います。

 私は、故人となった二人の人生の恩師からの宿題をそのままにしていまして、それがふたつの悔みとなっていました。

 第一の悔みは、高校時代の恩師で同和問題の研究で全国に知られていた美馬敏雄先生の影響で教師になりたかったのですが、その志を叶えることができませんでした。法政大学政治学修士コースのとき「60年安保」の前哨戦で、〝警職法反対闘争〟の時代でした。大学院自治会委員長として「デートを邪魔する警職法」という、今でいうキャッチコピーをつくったり、東京駅に〝特急つばめ〟などを止めに行ったりしました。

 高知県出身で警察庁の溝渕次長のブラックリストに載り、高知県の教職者には採用されない状況を自分でつくったのです。その後、郷里選出の大物政治家に大迷惑をかけたり、説教されたり、騙されたりして衆議院事務局に勤務するようになりました。

 第二の悔みは、衆議院事務局に勤めて13年程して、前尾繁三郎衆議院議長の事務秘書となります。前尾先生が議長に就任したときに『政の心』という本を毎日新聞社から出版し、調査やゲラの校正を担当しました。『政』という文字を語源学から分析して「政治は、現実と権力の上に立たなければならない。しかし理想と正義を忘れた政治は、もはや政治ではない」と論じています。

前尾先生はこの『政の心』で「人間性と政治」という項を設け、政治を良くするためには、「人づくりしかない」と述べています。そこでスイスの生物学者・アドルフ・ポルトマンの著書『人間はどこまで動物か』にある「人間の生理的早産」の理論を応用して、「人間は何故教育が必要か。人間的成長とは何か」と、教育論を展開しています。

 残念なことにこの本は難しい文章で書かれていまして、あまり売れませんでした。前尾先生は、ご自分の主張が世に拡がらないことを気にして、「中学生や高校生にわかる本に書きかえてくれ」と私に難題を出されたのです。国会が大混乱の時代でとても対応できませんでした。

 前尾先生は、議長を辞めて五年後の昭和五十六年に急死します。偶然でしたが二週間ぐらい前に神田の料亭に呼ばれ、前尾先生の後継者や政治理念などについて相談を受けたとき、『政の心』の中学生・高校生版を執筆して欲しいと、改めて話がありこれが私への遺言となっていました。私は〝自社55年体制〟の風雨に扱き使われてそのままになっていました。

 その後、私は小沢一郎という政治家に煽てられ、参議院議員を2期12年勤めることになります。引退して13年になりますが、政界という俗界から足を洗うことができず前尾先生の遺言の実現を諦めていました。

 美馬先生は、私が教職に就かず衆議院事務局に勤務してからも、教育問題に関心を持て、教職者と会えと言ってくれましたが、殆ど実行しませんでした。前尾・美馬という二人の恩師は保守本流と革新本流という対立関係でしたが、この二人から偶然、ある同じ言葉を大事にせよと教わっていました。それは、論語からのもので『忠恕』(ちゅうじょ)です。「忠は内なるまごころに背かぬこと。恕はまごころにより他人への思いやり」です。前尾先生は、これを「政治家のあるべき道」と語り、美馬先生は「教育者の道」と語っていましたが、保守でも革新でも、本流に位置する人間は共通の哲学を持っていたのが昭和の時代でした。

 私は、教職者になりたくてその準備をしましたが、政治の道に紛れ込んでしまい、恩師との約束を果たせなかったと申しました。しかし私は、政治を良くするためにどうすればよいか、いつも考えて行動してきました。その結果が、今日の政治の劣化です。今後どうするかという重大問題に対し、前尾先生のいう「政治を良くするためには人づくりしかない」と思います。そのためには、教育者のお力を拝借するしか道はありません。私は〝終活〟として、この場で前尾先生の遺言を実現する決意をいたしました。

 この機会をつくって頂いた方々に、心から感謝しましてご挨拶といたします。

 

○ 講演のポイント

1)激動が始まった政治状況

 安倍内閣改造の前日(8月2日)、自民党内では同じ派閥に属する福田康夫元首相は共同通信のインタビューで安倍首相の最近の政治に関し「国家の破滅に近づいている」と警告した。私も同様の認識である。

 今回の改造について感想を言えば、史上初がふたつあった。ひとつは記者会見で、冒頭の十数秒間お詫びと称して頭を下げたが、何を誰に対して詫びたのか、追求する記者がひとりもいなかった。「数々の嘘を国会でついたお詫び」なら総辞職すべきだ。もうひとつは閣僚・党五役25人の内15人の6割が世襲議員だ。自民党では世襲議員でないと出世しない文化か。平安末期の腐敗公家政治を連想する。

 

(改造の狙いはなにか) 私は防衛省の〝日報隠蔽問題の処理〟だったと思う。私見だが、隠蔽を指示したのは安倍首相だと推測する。稲田防衛大臣が辞任直後、滅多に見せない〝笑顔〟で心境を記者団に語った深層心理を読むと「私は安倍首相を助けたのよ」となる。今回のことは重大問題だ。軍事機密の不祥事をシビリアンコントロールで、国会や国民に公開すべき責任者が、隠蔽を促すという、アンチ・シビリアンコントロールとは・・・・。これだけでも総辞職ものである。


(解散・総選挙など政局の見通し) 次の臨時国会の冒頭に安倍首相は解散を断行したい気持ちだが、自民党内には福田元首相の指摘のように、安倍首相への不信が拡がっており、30%程度の可能性だ。加計問題で新しい情報が出始めており、これが解散を止める要因となる。解散できないとなれば安倍退陣の動きも加速し、政局は激動しよう。

 

2)北朝鮮危機から読めるミリタリーゲームの新資本主義

 連休直前から始まった北朝鮮危機は、8月20日現在の情況で、日本が米国から北朝鮮のミサイル攻撃に対処して、「イージス・アシュラー」などを爆買いするのが結論となった。8月17日の2+2協議で新迎撃システムを導入するため、当面1兆4千億円の防衛費が必要とのこと。世界のミリタリー・ゲームマフィアたちは、国家の枠を超えて闇の世界で何をやっているかわからない。間違いなくマネーゲームで経済成長を企む守銭奴たちは、ミリタリーゲームに足場を移した。北朝鮮のミサイルにウクライナが関わった報道があるが、先進国の技術もどんな流れ方をしているか、想定を超えたことが起こっている。ミリタリーゲームは、何時どんな切っ掛けで、国家がコントロールできない戦争となるか、誰

も読めない。日本国憲法第9条が集団的自衛権容認の解釈改憲によって、新軍事資本主義が地球をリンクさせることになったといえる。安倍政権の犯罪的行為だ。一日も早く退陣に追い込み、ミリタリーゲームを止める政権交代を実現すべきだ。野党側の認識が不十分であり、民進党の猛省を要請する。

 

3)その他の講演のレジュメは次の通り

○ 国会劣化の根本原因を考える

① 議会民主政治の基本である政権交代を理解しない日本人

② 議会選先進国での常識(嘘は御法度、多数決に限界あり等)

③ 健全な「議会政治教育」が急務

 

○日本人が健全な議会政治に馴染めない原因

①明治時代から続く、統治原理の二重構造(戦前=明治憲法と教育勅語による「天皇制従属症候群)。(戦後=新憲法と日米安保体制による「対米従属症候群)

②日本人の自立を妨げた「現人神」を利用した「教育勅語の呪縛」が原因

 

 以上が「愛知私教連・夏期組合学校」での講演概要だが、いずれ整理した上で「メルマガ・日本一新」紙上で紹介したいと考えている。結論として申し上げたことは、「日本人の〝自立心〟の養成が、政権交代ができる第一歩です。

もうひとつ重要なことは「新軍事資本主義」という認識は、現在、私だけですが、異常な資本主義となったのです。戦争は絶対にやってはなりません。そのためには人類の「共生」という理念を共有すべきです。「自立と共生」、これがこれからの日本人が希求すべき国家社会です。

                (了)

☆国会つれづれは休みました。

「日本一新運動」の原点―383

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観 (民進党内の「小沢アレルギー」を考える!)  

 

 総辞職すべき「安倍内閣」が、内閣改造で支持率急減に歯止めをかけた。本来ならば、安倍政権を追い込んだと評価されるべき民進党の蓮舫代表と野田幹事長が共に辞職を表明した。理由は、「党内をまとめることができなかった責任」という「締まらない」話だ。内外で緊急問題が山積する中、国会議員だけの選挙でも代表選を行い早急に執行部を構成して諸課題に対処すべきなのだが、代表・幹事長が居座るように、代表選挙を仕切るべくして暗躍しているようだ。これは民主党時代からの伝統で、彼らの病根は見えるところでは公平さを装いながら、裏では犯罪的行為で不正を行ってきた。

 平成22年秋の「菅対小沢」代表選挙で話題となったからご記憶の方も多いだろう。その根っ子に安倍政権の「虚言と隠蔽政治」を批判できない体質がある。早急に、辞意を表明した蓮舫・野田両氏が関わらない機関をつくって代表選挙を管理していくべきだ。

 

 さて、蓮舫・野田執行部が退陣理由とする「党内をまとめることができなかった」とは何のことだろうか。私の見方は「次の総選挙での四野党協力で〝共産党アレルギー〟と〝小沢アレルギー〟にどう対応するか」で、党内をまとめることができない、ということである。ところで、このふたつのアレルギーで「共産党アレルギー」の方は問題が少ない。共産党排除は「新軍事資本主義マフィア」の影響を受けている幹部に多く、一般の国会議員は総選挙での〝当選担保〟というリアリズムを考えると、いざとなれば話はつく。

問題は「小沢アレルギー」の方だ。四野党協力で政権交代を実現するためには、生まれ変わる民進と自由・社民、そして市民組織で新党をつくり、共産党と小選挙区での協力体制をつくることがベストであることは選挙の常識だ。少なくとも民進・自由・社民などで「オリーブの木」をつくり、小選挙区での協力体制をつくることだ。

 この四野党協力の仕組みをつくれる政治家として、国民の多くは小沢自由党代表しかいないと理解しており、そのことについては共産党も社民党も異存はない。民進党内に小沢代表による調整に強く反対する輩がいることが問題である。漏れ聞くところによれば野田代表と枝野氏(代表選候補予定者)だ。そしてその影響を受けている連中だ。大事なことはその理由や背景である。これまで種々議論されてきたが、私は、これまで民主党や民進党を指導してきた「学識経験者」に原因があると最近思うようになった。

 

(山口二郎法政大学教授の論調に見る問題点)


 山口教授とは北海道大学教授時代に、放送大学を担当しており、私が政治改革のひとつの教材として使われたことがあり、その時から知り合いである。彼と宮本太郎氏で討論した『日本の政治を変える』―これまでとこれから―(岩波書店平成27年版)が参考になると思い、読んでみて驚いた。

 そこには看過できない事実の誤認と誤解があり、これらが「小沢アレルギー」の背景になっていると確信した。間違いは多数あるが、重要な二点に絞って報告しておく。

 

1)小沢一郎らが政治的生き残りを賭けて政治改革のシナリオをつくったのは、スキャンダルの温床であった人たちがそれを逆手にとって生き残りを賭けたのだ(宮本氏)。

  山口氏は「そうですね」と同調(同書21頁)。

 

 田中派・竹下派がスキャンダルの温床であったことは事実だが、小沢氏についてはマスコミの捏造。国民のため真摯に政治改革に臨んだことは、衆議院事務局で協力していた私が証明できる。四野党協力を纏めねばならない時代の要請に、指導すべき立場にある人物がこんな発想では何とも・・・。

 

2)細川連立政権の崩壊は、小沢氏が朝鮮半島危機に対応するため「集団的自衛権」の行使に踏み出すことに、社会党側が反発した等(40頁)。

 

 小沢氏の構想は国連の「集団安全保障」に自衛隊とは別組織で、国連の指示で行動すること。所謂「集団的自衛権の行使容認」とはまったく別の発想であったが、この二つの概念を区別できない政治家や有識者が多数いた。土井社会党委員長はこれを理解していた。湾岸紛争の「国連協力合意」協議で土井委員長は合意原案を作成中の私にメモを届け、「これなら党内を説得する」とのことだったが、不調となった。

 この他に山口教授は「自社さ政権」の成立に尽力し、ブレーンとして活躍したことを自画・自賛している。この自社さ政権が、日本のデモクラシーの発展を妨げたことについて、是非とも論争してみたい。


 

〇 国会つれづれ  12 (河野一郎死去の後始末に扱き使われた顛末)

 

 日韓国会の大混乱で国民から信頼を失ったのは、佐藤栄作首相だけではなく、国会全体が信頼を失った。園田直を衆議院副議長に起用した佐藤人事は成功した。当時は平成も30年近く過ぎた現代と違い、正副議長は自民党が独占し、遣り手の副議長が国会全体の、事実上の国対委員長のような役割を担っていた。

 第51回通常国会が昭和40年12月20日に召集され、年の暮に対立法案の「赤字国債特例法」の混乱を避ける合意を与野党に了承させた園田副議長は翌41年1月4日に「議会制度協議会」の設置で、本格的国会改革の構想を発表した。さらに「建国記念日法案」という、野党がこぞって反対する懸案問題も決着させた。秘書役を務めた私への誤解や悪評も減少し、ほっとしているところに持ち込まれたのが前年7月に死去した大物政治家・河野一郎の後始末であった。

 河野一郎が率いる派閥「春秋会」は政界で「宏池会」(前尾派)や周山会(佐藤派)に並ぶ影響力をもっていた。本来は中曽根康弘と森清(千葉県選出)の後継者候補が後始末をすべきだが中曽根氏は体よく逃げ、森氏は病気のため対応できなかった。結局、実弟の河野謙三参議院副議長と園田副議長の二人が、宇野宗佑衆議院議員に手伝ってもらうことで始まった。

 河野氏の残した遺産は当時百億円ともいわれ、女性関係も複雑で、公にできない利権がらみの関係先が、もつれた凧糸のように絡み合っていた。私に後始末を手伝えとの要請があったのは河野氏の同族会社に「東京資材株式会社」があり、ここで親族間のトラブルが「背任横領事件」に発展しそうになり、それに対処するためであった。園田副議長から「関係者と相談したところ、口の堅い役人に事務をやってもらおうとなった。弟さんの河野副議長からも説得してくれとのことだ」といわれ、断れなかった。

 

「東京資材株式会社」とは、食糧庁が管理する「米穀」を入れる麻袋を独占的に納入している特種な企業である。河野一郎氏は農林省の利権で資産や政治資金をつくることで広く知られていた。当時は「コメ」が配給の時代で、このビジネスは「濡れ手に粟」ならぬ「濡れ手にコメ」のいわば河野家のトンネル企業であった。

 問題を整理し、話し合いを進めると8億円(現在では約30億円?)の資金があれば事件にはしないとの見通しがついた。難問は8億円をどう調達するかということになった。経緯から宇野宗佑氏が故郷滋賀県の出身で江商の生き残りといわれる大阪の金融企業「日証」のオーナー・大堀省三氏が拠出する話をつけてきた。大堀氏は、佐藤首相や中曽根氏ほか、大物政治家に裏・表の資金を出していることで、その筋の人たちは知っていた。

 問題は大堀氏が出した資金が、政治資金か個人的に貸したのか、返済すべき資金か否か、まったく不明であった。実際の金の受け渡しは宇野氏と大堀氏が現金でやったが、連絡や調整は私の担当だった。大堀氏の気持ちとしては8億円を返してもらうつもりはないと、私は理解していた。その理由は「8億円を出したことは、佐藤首相にも話してある。佐藤政権の安定に役立てばと・・。何かあれば相談しますよ」と私に話があったからだ。政治的に活用するつもりで、私が証人のような役回りであった。

 東京資材事件は「地獄の沙汰もカネ次第」のことわざ通り、検察・警察筋には園田副議長が話をつけ河野一族で刑事事件を準備していた人たちには、宇野氏が資金で説得し、一件落着となった。この話には幾つかの後日談がある。まず、大堀氏が出してくれた資金が残ったのだ。詳細は個人の名誉のためにいわないが、河野・園田・宇野の3人で3等分した。

 その中で園田副議長の使途の一部に、私が関わったことについて報告しておこう。赤坂の花街で若い芸者を「3百万円で身請け」した。念のために「身請け」を広辞苑で見ると「年季を定めて身を売った芸妓・娼妓などの身代金を払って、その商売から身をひかせること」だ。園田氏は、その女性を勝海舟で知られる赤坂氷川町のマンションに住まわせることになる。引っ越しの日が決まると「済まないが、彼女と一緒に秋葉原に行って、テレビ・冷蔵庫・洗濯機などを、新婚さんのようにして買ってきてくれないか」と私に懇願してくる。私は怒る気にもならず、「いよいよ女好きの勝海舟の心境ですか」と皮肉を言って園田副議長の愛人と数時間のデートを楽しんだ。これが半世紀前の日本政治の裏側である。

 河野一郎という政治家を、私は〝亡国の政治家〟と思っている。後継者の孫・太郎は当時3歳だった。8月3日の内閣改造で安倍内閣の外務大臣に抜擢されたが、祖父の生き方をどう考えているのだろうか。 

                  (続く)

「日本一新運動」の原点―382

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観 (8月3日の安倍内閣改造などに思うこと)  

 

 安倍首相が内閣改造直後に行った記者会見の異常さに驚かされた。「おわび」と称して冒頭の8秒間頭を下げた。衆議院事務局勤務33年、加えて参議院議員としての12年を、合わせておよそ半世紀、永田町に巣くってきたが初見のできごとだった。

 何に謝罪するための8秒間か、本来は記者団が追及すべきこと。安倍首相本人は、強引な答弁態度や不十分な説明に、総理らしからぬ議場での〝ヤジ〟など、自身の〝驕り〟を反省してのことと説明しているが二重人格者特有の言い訳だ。国会で虚勢を張って嘘をついたことを言い換えているにすぎない。

 戦後間もなく長谷川一夫主演で「小判鮫」という映画があった。主題歌の出だしに子どもながら関心を持ち、憶えている。

 

    「流す涙が お芝居ならば

             何の苦労もあるまいに・・・・・・・・」

 

 要するに、安倍首相の猿芝居にすぎないのだ。その役者が新閣僚だ。個々の閣僚について論評するつもりはないが、これまでにない異常な構成なので、後世のために指摘しておく。

 

(改造内閣は「子宮外胎児内閣」だ!)


 突然に意味不明のことを言いだしてお許しを。簡単に解説しておきたい。スイスの生物学者・アドルフ・ポルトマンに『人間はどこまで動物か』という著書がある。そこには「人間は生理的に早産である。本来の胎児期を子宮外に出るために、特別の保護や教育が必要だ・・」という趣旨のことが書かれている。

 安倍首相を含め、新内閣の20名を検証してみると、まず過半数の11名が二世か三世か、それに準ずる人物で構成されている。自民党四役をみると3人が二世議員だ。これだけ政治家の世襲が多数を占めた政権は、現憲法下で初めてである。この傾向は自民党の政権が続くかぎり拡大すると思う。私の知るところでは福田康夫・小沢一郎両氏ぐらいが、二世議員とはいえ自立心と社会的正義を理解しているぐらいだ。他は全部とはいわないが、自立性・判断力・調整力・人生観・歴史観等々について、幼児ならまだしも、胎児期の国会議員ばかりだ。故に「子宮外胎児内閣」と命名した。

 ほとんどが、先祖の社会的・経済的遺産が背景にあり、これが一見、公平に見える選挙を正常に機能させなくするなど、日本の政治文化の欠陥を代表しているといえる。この輩で構成する内閣を、安倍首相は「仕事人内閣」というのだから、開いた口がふさがらない。

 

(「改憲姿勢の修正」を評価する有識者と野党の間抜けさ)


 安倍首相が記者会見で国民に低姿勢ぶりを見せたポイントは、「九条改憲にスケジュールありきではない。党主導で進める」として改憲姿勢を修正したことである。いずれのメディアもトップで報道、野党も評価した。改造で支持率がほんの少し戻る原因になった。このまやかしを有識者や野党が見抜けないようではどうしようもない。

 安倍首相が憲法記念日に「九条に三項を設け、自衛隊を規定する」と、日本会議と読売新聞を背景に、猿芝居の政治効果について検証がなされていない。憲法論からみて安倍構想は実現できない。絶対という形容詞を付けてもよい。憲法の論理からも不可能な思いつきだ。如何に憲法を知らないかの確証となる恥ずかしい構想である。しかし、憲法論理として愚劣な言動が、政治的には重大な影響を与えていることに、気がついている人は何人いるだろうか。ひと言でいえば、安倍首相の「九条三項論」の馬鹿騒ぎで、平成26年の「九条解釈改憲」が、国民の関心から忘れ去られたことだ。

 大事なことは安倍首相にとっては「九条改正」は終わっているのだ。九条三項を設けようがどうしようが、理屈をつけて自衛隊を海外派遣できるし、「戦闘」という文字を隠しておけば、何でもできるのが日本国の現実だ。今回の改造劇で最大の関心は南スーダンのPKO日報問題だ。稲田防衛大臣が退陣して謝罪もせず、笑顔で心境を「空です」と言い残した映像を見るに、「色即是空」の般若心経を思い出した。官邸という「色」(隠蔽の元凶)を護ったことを語ったものだ。閉会中審査に出席しないとなればその証明となろう。

 もうひとつ重大な問題は、保守本流の「宏池会」が消滅したことだ。創設者・池田勇人・前尾繁三郎から直接の薫陶をうけた私からすれば、岸信介の世襲に取り込まれ「戦時体制」の仕事人になることは看過できない。泉下で二人は嘆いている。

 


〇 国会つれづれ  11 (「人事の佐藤」が政界支配のノウハウ)

 

 昭和40年春、佐藤内閣の最重要法案「赤字国債特例法案」は、園田副議長の知恵で年内成立を強行させず、民社党を説得して衆議院を年内に通過させ、翌年の1月に参院で審議成立させることで社会党も審議に参加して強行採決を避けることができた。国会正常化はかろうじて守られたわけだ。驚いたのは、園田副議長が民社党との交渉経過を、佐藤首相に電話で報告していたことについて、佐藤首相は竹下官房副長官を使って、私に「総理の命令」として確認をとることである。

 暮れの御用納めの日、副議長室に訪れた竹下官房副長官に「こんなことは困る」と苦情を言うと、「佐藤首相は平野君の氏素性を全部知っているよ。ご自分が世話になった吉田元首相や林副総理の関係者で、面倒掛けたそうではないか。身内のように思っていて、副長官の僕より信頼しているよ」とのこと。これは抵抗しても駄目だ、運命だと思うことにした。

 

(「議会制度協議会」の発足)


 大晦日になって大騒ぎとなったのは、年明けの昭和41年1月4日に、山口・園田正副議長が伊勢神宮を参拝し、記者会見をするとのこと。これまでにない画期的な国会正常化の構想を準備せよ、との指示が園田副議長から出たからだ。正月休みも返上で、知野事務次長を中心にまとめたのは、衆議院議長の元に『議会制度協議会』を設置するという構想であった。

 趣旨は「国民の信頼を失った国会の信頼を回復するため、国会運営の責任者である各党の議院運営委員会理事が、党派を離れて国民に信頼される国会として生まれ変わる改革を、正副議長の元で協議しようというものであった。国民はこの記者会見を歓迎し、抜本的な国会改革が国民的話題となった。この「議会制度協議会」は協議項目などを整理し3月9日に発足する。それは現在も存続し51年目となる。

 協議会の発足から私が参加しており事務局での私の仕事の8割は「議会制度協議会」であった。特に目立った成果は「沖縄復帰に伴う国政参加法」、前尾議長時代の「少数意見尊重の運営」や「議長権威の向上」等で実績を挙げた。事務局幹部の反対を説得して改革したのは「常会の1月召集の国会法改正」などであった。この協議会の評価は発足時の意図がほとんど生かされず自社55年体制で対立する問題の「棚上げ機関」であった。現在ではまったく機能していない。それが国会劣化の原因のひとつだ。

 

(「建国記念日法」を成立させた園田副議長)


「議会制度協議会」の発足で得意になった園田副議長に佐藤首相が出した宿題が厳しかった。自民党内のタカ派を掌握するため、「紀元節の復活」と批判された建国記念日を、「国民の祝日法改正案」で成立させて欲しいということ。昭和30年代から自民党内タカ派の悲願であった「紀元節」(神武天皇建国記念日の2月11日)を国民の祝日にする議員立法は、毎国会自民党有志から提出されていたが、野党の猛反対で審査未了となっていた。

 これを受けた園田副議長、頭かかえて「なんとか知恵がないか」と、知野事務次長と私に問題を持ち込む。「打開できそうな先例を調べましょう」と、まずは調査を始めた。たまたま園田副議長が地方行政委員長時代に、野党が反対する「災害対策基本法」を成立させた時の方法が参考になると気がついた。野党が反対する「自衛隊出動の緊急事態条項」を削除して成立させ、その条項については次の国会までに協議し、野党の意見を入れて追加改正させた事例があった。

 園田副議長に「災害対策基本法のことを憶えていますか。これの応用で社会党を説得できませんか」と報告した。「あの時は苦労したよ。しかし基本法に野党は協力的だったのでできたんだよ。よし、池田内閣時代に親交を深めた社会党の横路元国対委員長を説得してみる」となった。それから連夜、隅田川沿いの高級料亭『稲垣』に横路元国対委員長と石橋政嗣国対委員長を招いて説得した。「建国記念日」の項を国会で定めず、審議会で決めることで一致したが、その修正に社会党は賛成できないとなり、園田副議長は困ってしまう。そこで出た知恵が、原案を強行採決して、議長が与野党を調停する形で社会党も応じることになる。法案が成立すると審議会の会長に菅原通斉という粋人を起用して、国民的反対も少なく、現在の「建国記念日」が法制化できた。園田副議長は、佐藤首相からの信頼を深めていく。となると園田副議長は秘書の私を信頼し、いろいろな難題を持ち込んできた。

 

(河野一郎死去後の後始末に扱き使われた話!)


 昭和40年7月8日、園田直の親分・河野一郎が急死する。派閥の春秋会は分裂、河野家の後始末を弟の河野謙三参議院副議長と園田副議長が対応することになる。重大な問題が発覚、園田副議長から後始末の事務を勤めてくれと懇願される。 詳しい話は次号から・・・・。          

(続く

「日本一新運動」の原点―381

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観 (不思議な国の「政権受皿物語―

TBS「風をよむ」事前VTRの現場にて)

 

 7月28日(金)、TBS「風をよむ」の事前インタビューに協力してくれとの要請があり、翌29日(土)にTBS放送センターに出かけた。2週間前にも同じ番組で「国会劣化の原因」についてインタビューを受けたばかりで顔見知りのスタッフだった。

 例によって約1時間いろいろ質問に答えても、番組に使うのは2分~3分だ。実は番組に使わなかった部分が面白いというか、急所を突いた話が多いのだ。テレビ局によっては録画を別の機会に使うこともあるが、私はスタッフの勉強になるので、文句をいわないことにしている。

 

 それにしても、7月23日(日)のフジテレビ「報道2001」は酷かった、というよりも報道機関としての常識・良識をわきまえていないことを改めて見せつけられた。

 というのも事前VTRで約2時間も話をさせたうえ、極秘の政界裏話のメモも持してくれというので「平野貞夫衆議院事務局日記」(全五冊)の原本ノートも抱えて出かけ、それも撮影した。ところが肝心の番組では2~3秒にひとことで何を喋ったのか私自身にも分からず、義理で出して、私のイメージを失墜させた。

 事務局からは「人権問題として抗議せよ」と言われているが、これが安倍反動政権にベッタリの「フジテレビ」の真の姿だ。迂闊に出かけた私も反省だが、既に経営に問題が出ている。

 これに比べてTBSテレビは現在の日本政治の真実を掘り下げて報道する姿勢だった。そこで7月30日のTBS「風をよむ」から、未放映部分を中心に紹介する。

 

1)民進党で野田幹事長と蓮舫代表が辞め、

安倍政権で稲田防衛大臣が辞め政界が激動しているが、どう思っているか。

 

平野 本来、安倍政権が総辞職すべき重大事件が続出している。議会政治先進国では、安倍政権を追い込んだ野党第一党の代表と幹事長が辞める日本は「不思議な議会政治国家」だと受け取っているよ。野党が機能しない議会政治は民主政治ではない。従って民進党は政党とはいえない。単なる「国会議員の烏合の衆」に過ぎないのだ。

 

2)防衛相の日報問題と加計学園問題をどうみるか

 

平野 「日報問題」は安倍首相の稲田防衛大臣任命責任だけではない。自衛隊総覧者としての直接の責任者だ。この問題は官邸指示で隠蔽との情報あり。「加計学園問題」は記録や記憶のあるなしではなく国家戦略政策そのものが問題だ。戦前の満州国が日本の国家戦略でつくったのと同じ構図だ。特定企業に特権を与え、資金づくりをして特定の政治戦略に悪用した。それを地方振興と称して国内につくり、経済成長の機動力にしようというものだ。

 加計学園問題に関係するほとんどが、日本会議の有力会員であることを見落としてはならない。制度の中で法外な助成金などを与え、それをキックバックすることがみそで、官僚の記憶になければ犯罪にはなりにくい。

 

3)戦後の政権受皿づくりといえば、細川非自民連立政権ですが、

小沢さんが考えたと言われている。どんなことがあったのか。

 

平野 総選挙で自民党が過半数を割った。翌日小沢さんから野党幹部に「非自民政権をつくる努力をするから自民少数政権を了承する発言をするな」との要請が出たが誰も本気にはしなかった。しかし、武村新党さきがけ代表は総選挙中から自民党との連立工作をしていた。小沢さんの動きに誰を首相にする気か、腹を読めず困惑していた。民間政治臨調副会長の内田健三法大教授からの問合せに「もめて話がつかない時は、年の順でも良い」と私が無責任な説明をした。内田氏がこの話をすぐ武村氏に伝えたので、自分が首相になれると思い込み自民党との連立協議に難問を提示し決裂させた。小沢さんは、最初から受皿政権首相に細川さんを考えていて必死に関係者の説得に当たった。ようやく本人も了承し細川日本新党と新党さきがけは共同会派をつくるなど、親密な関係にあり最後の説得は武村さんのみとなった。小沢―武村会談が深夜にわたって続き、ようやく説得した後、小沢さんはホテルで待機する私に「武村氏は自分がなりたかったようだ。最後まで細川首相を了承しなかった」と、疲れ切って経過を話した。内田氏への私の無責任な話があったので、細川首相が実現できたが、武村氏の権力欲に火を付ける結果となる。

 

 細川政権は8ヵ月、羽田政権は2ヵ月と、改革政権の命は短く、平成6年6月自社さ政権に交代する。その策略は武村氏だった。細川首相が退陣した直後「武村氏は官房長官だったが、細川政権成立の日から倒閣運動をやっていた」と私に語った。理想と正義のない政治は地獄だ。

 

〇 国会つれづれ 10  (佐藤長期政権の基盤をつくる園田副議長)

 

 大磯の吉田ワンマン邸で挨拶を済ませた山口・園田衆議院正副議長は、午前11時に開会される議院運営委員会理事会に間に合うように、ワンマン道路を都内の国会議事堂に向かって専用車を走らせていく。副議長車内で、園田副議長が機嫌良く「吉田さんの選挙区は高知だった。昨日、知野事務次長が君の履歴書を持ってきたが、出身が高知だった。吉田さんとどんな関係だったのか」との話。

 明治時代の国会開設運動から、土佐の幡多地域で先祖が同志として活動した。土佐自由党から政友会への発展し戦後も吉田自由党を支援してきた。吉田さんや又従兄弟の林譲治(元衆議院議長)さんとは親戚付き合いだった・・・・・など。学生運動で親を怒らせていた私が、吉田さんや林さん世話になり、衆議院事務局に勤めるようになったのも二人の意向だった、と説明した。

 黙って話を聞いていた園田副議長は「佐藤総理から、日韓国会で野党から信頼を失った。国民は国会不信だ。単なる正常化ではなく、国会の信頼回復を目指してくれ」と指示されていると語り、「君は事務局派遣の秘書という考えを捨ててくれ。私の政治活動全体の秘書として活動してくれ」と注文をつけられた。

 

(最初の仕事は、某社会党議運理事の「オネダリ」処理だった)

 

 当時通常国会は国会法で12月に召集されることになっていた。第51回通常国会召集日の翌日の12月21日、師走の慌ただしさのうえに常会スタートの多忙な1日が終わろうとする午後5時頃、園田副議長から相談があるとのこと。話を聞いてみると社会党議運理事の某氏から「娘がピアノを習い始めてピアノを欲しがっている」とのこと。

野党第一党の議運理事といえば自社55年体制談合政治でもっとも大事なポストだ。「対応してやることが国会対策だ。自分には手持ち20万円しかない。それなりのものが買えるかどうかだ。軍隊時代の部下が日本楽器の銀座支店長をやっている。明日にでも会って二人で知恵を出してくれ」とのこと。これが野党対策の最初の仕事だった。

翌日、日本楽器銀座支店長に会い相談すると「免税処置ならそれなりピアノを購入できます」との返事。個人の所有物なら免税になるはずはない。違法な手続が必要となろう。「詳細な手続は私の方でします。貴方は届け先と現金を〝極秘〟に私に渡してください。それ以上は知らないことでやりましょう」

と対応してくれた。これが「自社55年体制」を裏で動かすことかと実感した。

 

(国会運営の最初は「赤字国債発行法案」の成立見通しをつけたこと)

 

 第51回国家冒頭の最大の難問は、日韓国会で遅れていた不況対策や公務員の給与の対応で昭和40年度第2次補正予算とその財源法を年内に成立させることであった。野党は補正予算に賛成しても財源法案にはこぞって反対した。理由は「税収不足を補填するため公債を発行」するもので、昭和40年度に限定して財政法4条の特例として「赤字国債」を発行しようとするものである。平成時代の今日まで続く「赤字国債」の元凶のスタートである。野党は防衛費の削減を要求した。

 佐藤首相は、自民党国対に「大晦日になっても成立させよ」と指示した。ようやく正常化となって1週間も経たずに強行採決とは、園田副議長は苦悩する。そこで民社党(社会党から分裂し、自民党に近い政党)に働きかけることになる。私に指示して親友の春日一幸民社党委員長に福田赳夫大蔵大臣を院内の密室で会談させて協力要請した。

 その上で、園田副議長が副議長公邸に、同じ民社党で犬猿の仲の春日委員長と池田禎二国対委員長を別々に呼び、首相官邸から届いた〝白封筒〟を渡し、対応策を伝えた。全野党が審議拒否との態度だったが民社党は大蔵委員会に〝出席して反対する〟との態度に変更したため、他の野党も同じ対応となった。「赤字国債法案」は12月28日の御用納めの日に衆議院を通過した。参議院で翌年の1月中旬に成立させるという園田副議長の知恵が成功した。

 この交渉の中で困ったことがあった。園田副議長が民社党との交渉を佐藤首相に報告する度に、竹下官房副長官から電話があるので、「副議長に代わります」というと、「君に用事があるんだ。佐藤総理が『園田直から報告があったが、確かかどうか、平野君に聞いてくれ』とのことだ」。

 どうして佐藤首相が私のことを知っていて、園田副議長の言動の裏取りをするのか、政界が恐ろしくなった。     

(続く)

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   顧    問 : 戸田 邦司
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