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「日本一新運動」の原点―397

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観 

(朝日新聞「ロシア革命100年・不破哲三氏インタビュー」を読んで!)

 

 11月8日(水)茅ヶ崎市民連合の「政治講座」で私が何気なく「今年はロシア革命から100年、来年は明治維新から150年。この二つを世界史でどう位置づけるか、今の政治劣化を考えるには参考になる」と話した。不破さんが「ロシア革命」について、どんな評価をしているか関心があったからだ。

 それに応える記事で面白かった。そのポイントは、

 

◇レーニンとスターリン 

 レーニンが革命直後に指導した短期間を「ソ連が世界史的役割を果たしていた」と評価。スターリンがそれをどんでん返しをしたと批判。またスターリンの指揮でソ連が日本共産党に内部干渉して、党を一時分裂させた歴史の苦しみから「自主独立路線」が出た歴史を語っている。昭和30年代になって、フルシチョフによるスターリン批判が「自主独立路線」の契機となる。その方向が固まる昭和34年に、私は共産党入党寸前で吉田茂元首相の説教を受けたことがある。「西欧ではスターリン主義は失敗で共産党は消えていく。日本共産党は変わって定着していくだろう。君が知っている共産党の理論や政策もどんどん変わっていくよ。その内、ついて行けなくなるよ」と。この話が切っ掛けで入党しないことになった。

 

◇資本主義論 

 マルクスの理論が長く誤解されていたと論じている。私は資本主義の分析はマルクスが最も優れていると思う。 しかし資本主義にとって代わる社会がいかなるものになるのか、それが生産力や生産手段など、経済要件を中心とした論理であったがために誤解されたと考えるべきだ。誤解というよりマルクスの限界といえよう。それは唯物論の限界ともいえる。人間という不思議な動物に対する認識不足だ。私の師・前尾衆議院議長は、「唯物弁証法では、資本主義は分析できても変革することはできない」と語っていた。

たしか昭和50年前後、議長公邸で共産党幹部を招待した会食の席で酒の入った前尾議長がしきりに「唯物弁証法には問題がある」と、議論を吹っかけていたのを思い出す。

「資本主義にとって代わる社会像に向けての変革の運動と、その成功の条件は、資本主義自体の中から生み出される」と不破氏はインタビューで論じている。その条件を現代資本主義で見つけることができるだろうか。

 

◇現代資本主義をどう歴史認識するか 

 私は21世紀の現代資本主義の情況を「人類破滅主義」と認識している。各地に結成されている野党協力を推進する「市民連合」の多くの人々の感性も同じである。マネーゲーム資本主義がミリタリーゲームにより「新軍事資本主義」に変質し、核兵器はじめ先端軍事兵器の大量生産を経済成長の糧にするようになった。国家の規制が効かなくなった戦争の変質。デモクラシーの名だけでつくられた国家の代表たちが、軍産共同体の手先となって戦争を始めたり戦争を煽る事態を、早急に止めなければ人類の破滅は目前である。

 憲法9条を持つ日本はこの事態を止める責任があるはずだ。ところが安倍自公政権は維新の党とともに戦争を煽り、軍事国家を目指している。野党の情況に説明の必要はなかろう。日本が人類に対する責任を果たすためには、まず、安倍自公政権にとって代わる政権をつくることだ。そのためには野党協力の実現しか他に道はない。

 野党各党には、それぞれの事情を抱えている。共産党の理念や政策と組織力、そして小沢自由党代表の政治的見識と体験を活用すれば、政権交代が実現できることは先の総選挙で自明のとおり。問題は「共産党へのアレルギー」だ。不破氏がインタビューで述べている「綱領」や「党名」問題だ。不破氏はマルクスに対する誤解を除くため、新しい社会像への変革を成功させる条件は「資本主義自体の中から生み出される」と述べている。まさしく、ミリタリーゲームによる「新軍事資本主義」という情況はそのことではないか。日本で安倍政権に代わる平和推進の政権が樹立できれば、新軍事資本主義を阻止し、新しい社会を創造するスタートとなる。共産党は選挙協力だけではなく政権に入り日本での「新しい社会像」を創造する歴史的役割を果たすべきではないか。そのため「綱領」や「党名」等を弁証法的に発展させることになれば、泉下のマルクス先生も大喜びすると思う。

 

 

〇 国会つれづれ  19 (副議長秘書再任内示拒否騒動の顛末!)

 

 昭和42年1月の「黒い霧選挙」をどうにか乗り切ったものの、衆議院に公明党が一挙に25名で進出したことに、佐藤首相は新しい問題を抱えることになる。まず衆議院の議長・副議長の人選問題だ。政治不信が払拭されない時で自民党長老の石井光次郎氏が選ばれる。官僚から朝日新聞に転出し専務取締役から政界入り。吉田政権で自由党幹事長や閣僚を歴任し、総理候補のひとりで、穏健な政治家で知られていた。国会の権威と信頼を保つための人事であった。副議長に留任することになった園田直氏について、佐藤首相は日韓国会での混乱収拾や黒い霧国会の政権危機に対処できたことに、万全の信頼感を持つようになっていた。石井議長が国会の象徴として園田副議長に公明党が進出して不透明となった国会運営をすべて任せる人事体制であった。

 園田副議長が留任することで本人は無論、事務局幹部も当然に私が秘書役を続けることを承知するものと思い込んでいた。私にとってこの1年の苦しみは仕事の上でも生活の上でも最悪の状況であった。ひとつひとつを説明すると私の品格にもかかわるので、内示を拒否した主な理由を述べておく。

 前年12月の議長・副議長の交代で、私が副議長秘書になったのは、官庁での順当な人事ではなかった。まず副議長は国務大臣と同格で各省の秘書官は四〇歳前後で起用され、退任後は本省の課長級に就任するのが慣例であった。衆議院事務局の場合「安保国会」まで、議長・副議長の秘書業務は、就任する議員側の秘書がやっていた。事務局側からは旧帝大卒など背景は立派だが頭が良くて社会的適用性を喪失した職員に電話番をさせていた。

 私の前任者から普通の官庁並みに改善し、議長・副議長秘書に国会運営を理解する職員を充てるようになる。それでも人材不足で適齢者がなく前任者は35歳で副議長秘書となった。国務大臣秘書官より平均5歳若く他官庁から不安視されていた。私の場合さらに5歳若く、係長になったのが3年前で、仕事のキャリアもなかった。事務局が私を起用した理由は、園田直という政治家の評判にあった。政界一と言われるものが三つあった。「策士」、「女性関係」そして「秘書への虐待」であった。その上、趣味が多く剣道・合気道・ラジコン等々。さらに大学の通信教育まで受けていた。約1年間、ほとんど毎日朝六時から深夜までの勤務だった。妻の協力があったので勤めることができたが、3歳の長女は私の顔を忘れるような生活であった。それに事務局が私を起用した真意は「私大出の学生運動上がり、園田に潰されても仕方がない」こんな事情と聞いていた。要するに人間扱いをしていない。私の怒りはこんなことだった。

 

(吉田茂家の家老職・依岡顯知氏に説得される)

 依岡顯知氏といえば、土佐の同郷で私の恩人である。私の父が開業医で依岡さんの父の主治医で命の恩人とのことで、私の東京の親代わりであった。敗戦直後の第一次吉田内閣の林譲治書記官長(現在の官房長官)秘書官から吉田政権の裏方として知られた人物である。林書記官長と吉田首相の父親が従兄弟で、明治初期の国会開設運動で盛岡刑務所に入っていた関係である。

 昭和30年代になって、依岡さんは大磯の吉田茂家の家老職を勤めていた。その手当を吉田家と池田勇人事務所・佐藤栄作事務所から貰っていたというから保守本流の真ん中にいた人物である。共産党入党直前の私を、衆議院事務局に入れるシナリオをつくった人物だ。その恩人の訪問を受け、園田副議長の秘書を引き続き勤めるよう説得を受けることになる。「君を衆議院事務局に就職させるについて吉田さんも林さんも考えた末のことだ。二人の父親たちが監獄まで入ってつくった国会の先行きを心配してのこと。マルクスや毛沢東を勉強した男を事務局に入れておくことが役立つことが必ずくる、と話していた。異常な抜擢をしたり、無茶なことをさせているのはそのためだ。逃げるな、死ぬつもりで挑戦しろ!」依岡さんの話で私は目を覚ました。     

(続く)

「日本一新運動」の原点―396

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観

 トランプ米大統領が来日、日本がすっかり米国従属の新軍事資本主義の植民地化したことを見せつけられた。9月から10月に至る日本国の異常政治を考えるに、9月28日の衆議院の憲法違反解散は「森友・加計隠し」だけではなかった。重大なことを見落としていたことに気がついた。

 今回の安倍首相による「違憲解散」の狙いは、トランプ大統領が来日する時期11月5日に、安倍晋三という政治家が日本国の内閣総理大臣であることを、絶対条件とすることであった。日本の議会民主主義を崩壊させても、野党に政権交代をさせてはならないという「日米の暗黙の合意」があったと推定できる。謀略史観と言われるかも知れないが「アラビアの魔法のランプを見抜けない前原氏」の失敗といい「突然のポリティカル・スター枝野氏」の出現といい、結果論からいえば、すべて「安倍自公政権継続」のためのドラマに過ぎなかった。

 本来、協力すべき反安倍側が冷静さを失って、寸前までの仲間を誹謗し、冷静さを失って足を引っ張りあうだけでなく頭を叩き割ろうとした結果に何が起こったか。わずか33%の得票率(比例)で、70%の3分の2を超える自公両党の議席である。某テレビの有名コメンテーターが「小選挙区制のせいだ」と吐き捨てたが、野党がこのざまではどんな選挙制度であろうと同じこと。自己の主張に陶酔し、味方になりうる小さな敵を叩いて、本来倒すべき大きな敵をさらに巨大化させ、国民の生活を悪くし、国家の危機を増大させる政治が平成時代になってから続いている。全野党が猛省して日本政治の幼児性から早く脱して欲しい。

 

(「憲法原理の危機」元法制局長との合意!)

 昭和40年代から平成4年2月頃まで、私が衆議院事務局に在職していた頃の同志に内田正文という人物がいた。自社55年体制で不正常な憲法運用を企む自民党政権に、二人でしばしば挑戦した思い出がある。内田氏は衆議院法制局長まで上りつめ、私は事務局委員部長で参議院議員に転出し、その後も日本の政治の健全化に二人で努力してきた。

 今回の憲法53条の「少数者の権利」を抹殺した「審議なき冒頭解散」についても、その情報が出はじめた頃から「最悪の事態」を避けるために、意見を交換し関係者に伝えてきたが、想定を超える議会民主主義否定という事態となった。その後の二人の議論は「議会民主政治を喪失した国会」の修復・蘇生の方策であった。枝野立憲民主党代表は「憲法改正で解散権の制限を行うべき」との意見であるが、それには時間を要する。また自民党の憲法改正

の動きに巻き込まれる可能性もある、とのことで、必要最小限の解散権制約を行う措置について二人の意見は一致した。

 それは「国会法による解散権の制約」だ。憲法に規定されている要件とか、憲法先例として確立している事項は憲法改正が必要とすることは当然であるが、憲法の基本原理に明確に反する解散権の行使は、国会法で制約すべきである、というのが二人の一致した考えである。内田元法制局長は「重大な問題です。議院運営委員会などで意見を述べる機会があれば応じます」とのこと。

「先ずは問題を市民に知ってもらうことだ」となり、トランプ大統領が日本から韓国に到着した七日午後二時、次のツイッターを発信した。

◇120秒間の臨時会。「審議なき冒頭解散」は憲法違反どころか議会政治原理の抹殺。これを放置すれば先例となり議会民主主義を否定する異常事態。これを放置したまま195回国会が始まった。議会正常化のための「解散権乱用規制」の国会法改正の検討を大島衆議院議長に要請する市民運動を始めよう。

(13日午前六時現在・21・897インプレッションあり)

 

(「茅ヶ崎市民連合」政治講座にて)

 午後1時半から、第一部「野党共闘~これからどうなる」との演題で私が話し、第2部は自由党神奈川県連顧問の鈴木たけし氏が参加、元自民党調査局勤務の経験から「永田町裏話」というテーマで、かつての自民党がどう変わったかとの対談だった。

 私の話は総選挙の総括で野党間がたたき合いをする中、数ヶ所で野党協力を成功させ、優れた人材を当選させた。「勝負に勝って試合に負けた」面がある。小目的に拘り、大目的の安倍退陣に失敗し巨大化させた野党責任者の責任大。正義のため小池を説得する大物政治家を活用しない民進党系の「政治知らず」が反省すれば、次の総選挙で政権交代可能なり。

 

(「千葉二区市民連合」―総選挙の結果とこれからの日本―

平野貞夫にみんなで質問の会)

  約50分私が話をして活発な質疑を行った。最初の話は総選挙の総括で茅ヶ崎での話と同じもの。「これからの日本」について、次の総選挙で野党が政権に就かないと、日本の安全保障と国民の生活は崩壊する。そのために野党の共闘が絶対に必要だ。となると理念や政策の一致ができないと選挙協力はできない、といった議論がいまでも残っていることが心配だ。政治の本質と現実を知らない人たちの話。政治に対する基本的取り組みを共有しておれば十分で、政治における「正義とは人間の平等を目指す理論をつくり、そのための活動である」との考え方を共有すればよいこと。これは保守本流で私の師・前尾議長の意見。共産党の考えとどこが違うのか。自分が目立つための理屈だけでは政権交代はできない。野党協力が日本のこれからを決める。

「茅ヶ崎」でも「千葉」でも、質問の多くは「立憲民主党は信頼できるのか」にあった。私自身、千葉で二人、四国で一人比例区から立憲民主党候補者を応援して当選に努力した。何とか立憲民主党が中心に野党をまとめるべきで、「大人の常識」をもつ政党になってもらいたい。護憲政党でないとか、単独政権を目指すという幹部は、各地の市民連合の野党協力の真意に耳を傾けるべきだと、意見を述べておいた。

 


〇 国会つれづれ  18  

(「黒い霧総選挙」の勝利で長期政権となる佐藤首相)

 昭和41年後半の「黒い霧国会」、そして12月27日の常会召集日冒頭の「黒い霧解散」。そして年明け1月29日の「黒い霧総選挙」は佐藤政権にとって最悪の政治情況で行われた。何しろ、自民党国会議員10数名が様々な疑惑を国民に持たれ、自民党全体が「黒い霧」に覆われていたわけだ。

 解散中の衆議院事務局というのは、何年目かに出現する「我が世の春」だ。総選挙が終わるとその準備で地獄となる。年の暮に副議長室の整理を済ませ、年が明けてようやく人間らしい生活に戻れた私は、一年間の政界の裏仕事を清浄化するため、1月4日から三週間休暇をとり土佐の故郷・足摺岬で三日間休養し、その後まったく予定をつくらず全国をあてのない漫遊旅行としてしゃれた。丁度、妻が二人目の妊娠八ヵ月で予定日が2月末であった。

出発のとき「もし早産で旅行中に出産すれば、男だったらすぐ知らせろ。女だったら知らせるな」と暴言を残して江戸を後にした。

 ところが故郷の実家で休養を終え連絡不通にして漫遊中の1月10日に次女が出生という想定外のことが発生した。在京の親族や知人が「すぐ知らせろ」というなか、妻は「女だったら知らせるな」の私の暴言を本当にして「知らせないでくれ」と頼む。

 都内で歯科医を開業している兄が「何をいっているのか、探して直ちに帰宅させろ」となるもなかなか連絡が採れず、京都の友人宅で連絡が採れ帰宅したのが1月22日の夜だった。

 24日までに出生届が必要で、名前をつけないといけない。女の子の名を考えていなかった。仕方なく義母に心配と苦労をかけたので、その名を、そのまま次女の名にもらった。その年の大河ドラマ「北条政子」の政子だ。この名が、総選挙を終え特別国会が召集され衆議院の構成ができた直後、私が批判の的になる大問題が発生するから世の中は恐ろしい。

 第31回総選挙の結果は、定数が486に増員していて、自民党は保守系無所属を入れて285人を当選させ前回より10人減とした。過半数を得て黒い霧総選挙を乗り切り、第二次佐藤政権が発足できた。野党側の動きで公明党が衆議院に進出し、一挙に25人を当選させた。野党の多党化時代となる。佐藤政権は、黒い霧問題で国民の不信が残る中、衆議院に進出しないと公言していた公明党の出現という新しい政治情況に困惑する。

 佐藤首相は不透明な国会運営の責任者として、議長に石井光次郎、副議長に園田直の留任を固める。衆議院事務局幹部は議長・副議長秘書の人選を始め副議長秘書に私の再起用を指名してきた。私は「あんな苦労は一年で結構。どうしてもというなら事務局を辞める」と上司に伝えた。

                          (続く

「日本一新運動」の原点―395

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観 (「議会民主主義を喪失した国会」が出現!)


 11月1日(水)第195回特別国会が始まった。9月28日の憲法53条に違反した解散にもとづいて、10月22日に行われた総選挙によって、憲法54条1項によって召集される国会である。この異常な政治に当事者の国会議員はもとより、憲法学者・マスコミ有識者から、何の異議も出ないとはどういうことか。

 解散後から特別国会召集日までの約一ヵ月の間に、政治家から出た発言で私が注目したのは次の1人であった。

 

1)志位共産党委員長 「この解散は憲法53条違反である」

   (しばしば、テレビ討論などで発言)

2)小沢自由党代表 「安倍首相は議会民主主義を否定した」 

 (岩手で選挙事務所の挨拶)

 

 この発想でわが国の異常政治を警告している政治家が2人しかいないことは、国家の危機、即ち「国難」としかいえない。 とはいうものの「議会民主主義を喪失した国会」が出現したことに、心ある人々が気づき始めたことを紹介したい。

 メルマガ393号で述べたように、超アナログ老人の私が総選挙中の10月15日から18日にかけて4件のツイッターを発信した。その内容は、憲法53条に違反した「審議なき冒頭解散」は、議会民主主義の原点である「少数者の権利」を抹殺したものだ、から始まって、安倍首相が党首討論で「冒頭解散の先例が3件あり問題ない」との発言を私が衆議院事務局の実務経験の立場から、「根本的に違う違憲解散」と証言したこと。さらに「神無月 立憲主義の声は消え」に至るまで、総選挙が終わって2週間過ぎてもインプレッションが増え続け11月4日午後6時現在35万人を超えた。多数の返信が寄せられており、ほとんどが怒りに溢れている。「憲法53条にそんなに重い意味があったのか」とか、「安倍首相の偽つき発言を、何故、野党は究明して追求しないのか」とか、「憲法学者やマスコミは、気がつかないのか」等々の返信が多い。11月になって、国際的な拡がりが始まっている。

 

(「議会民主主義を否定」する安倍首相の言動は続く!)

 

 こうして始まった「議会民主主義を喪失した第195回特別国会」で、あろうことか最初に出た問題が「野党の国会での発言時間を削減する」と、政権与党自民党から信じられない話。ことの起こりは総選挙の議席圧勝に気をよくした安倍首相が「民意は、自民党に議席に応じて発言して欲しいということだ。野党の発言時間を削減することを検討して欲しい」と、萩生田幹事長代理に指示したからだ。

 この問題は「憲法53条に違反の審議なき冒頭解散」に勝るとも劣らない重大問題だ。議会政治の原点中の原点である「少数者の発言権」の否定につながることである。こんな政治感覚だから、「審議なき冒頭解散」についても、反省はもとよりなく、正当なことだと妄信しているのだ。問題は自民党内に、この反デモクラチストを説得する人材がいないことだ。それどころか二階幹事長に至っては本気で安倍首相の指示を実現するようだ。こうなると、

先に小沢自由党代表が総選挙中に発言した見解を修正しなければならない。議会民主主義を否定するのは安倍首相だけではなく、「自民党」そのものだということになる。

 さらに深刻な問題がある。これに対する野党各党の対応だ。森山自民党国対委員長が、与野党国対委員長会談で「野党の発言時間の削減」を検討したいと提案したとき、各野党がこぞって反対の意向を示した。これは当然のことだが、問題はその理由である。各野党とも、与党より野党に発言時間が多いことを「国会の慣行」だから反対するということだ。

 野党の幹部がこの程度の議会政治の認識だから、9月28日の「審議なき冒頭解散」が憲法53条違憲の意味を理解できないのだ。議会民主政治における「少数者の権利」について明確な認識をもつ国会議員がほとんどいないことを証明したことになる。

 議会先進国では、与党とか野党の区別はともかく、政府行政権が行うことについて異論がある場合、少数意見を持つ者の発言を保証してこそ多数決に正当性が発生する、という理念が貫かれているのだ。これが議会民主政治なのだ。

 野党の発言時間が与党より多い根拠を「国会の慣行」という認識は、議会民主政治原理に無知・無関心であることが原因である。そもそも行政権を持つ与党は、自己の権勢欲を実現するため、常に憲法の制約を破ろうとする本能を持っている。私が衆議院事務局にいた33年間を振り返ると、「自民党は憲法に違反することが好きな政党」であった。そこで司法権が憲法判断から逃げる状況の中で、私たちは憲法をめぐって自民党との闘いといえる苦悩

を続けてきたのだ。

 当時は自社55年体制といわれる談合政治であったが、こと憲法の原理については野党も必死に対応した。21世紀になって、自民党が憲法運用に問題が多くなったことについて、野党側の責任も私は指摘したい。野党指導者たちの見識が法文の技術的解釈に専念し、基本理念を学ばなくなったからだと思う。9月28日の「審議なき冒頭解散」以降、わが国の国会状況を見るに、末恐ろしくなる毎日である。

 

(「議会民主主義を喪失した国会」を蘇生することができるか)

 

 議会民主主義を喪失したままの国会を続けることはできない。形だけの国会は国民の眼力からすればすぐわかるだろう。国会の機能に正当性がなくなるからだ。このままだと国民の政治不信が暴発するか、無気力な塊となって、「いつか来た道」の全体主義国家になるかだ。早急な修復による蘇生が必要である。

 では、どうすればよいのか?。本来なら大島衆議院議長がこの問題の深刻さに気づくべきだが、その気配はない。そこで野党第一党の立憲民主党に問題を提起する責任があると思う。その手順として参考までに述べておきたい。

 

1)立憲民主党として今回の解散が先例となれば、憲法53条による野党の臨時国会召集要求権は空文化することを確認すること。

2)野党各党とはかり今回の解散で憲法53条が「解釈改憲」されたという認識を共有する。

3)大島議長に問題点と対応を伝え、議院運営委員会に憲法学者や専門家を招聘して意見を聴取し、衆議院としての対応を決める。

4)国会法等で解散権の乱用を規制する方策を検討する。等々

 

 総選挙後、憲法改正への動きがあわただしくなった。現憲法の統治原理を破壊しておいて何が「憲法改正」か。「議会民主主義を喪失した国会」を修復し、蘇生させる責任は、「立憲」を党名の頭とした「立憲民主党」にある。

 

(本当に自民党の圧勝であったのか!)


 数日前、友人から「自民党は楽勝したわけではない。あれだけ野党が足の引っ張り合いをやるという環境で必至になって頑張り、ようやく小選挙区で当選した、という自民党議員が相当いて安倍首相の政治運営に強い不満をもっている。これからの自民党内は簡単ではない」との情報があった。

 念のためにと思い、確定した総選挙の各候補者の得票数を調査してみた。驚いたことに小選挙区で自民党が当選したところで、次点の野党との差が一万票以下の選挙区が44あった。一万五千票以下となると50という数字である。これらの数字は野党協力があればむろんのこと、なくても逆転可能な数字である。友人の話のように、自民党の当事者にとっては、次期総選挙の悪夢を見た思いであろう。

 確かに「希望の党騒動」には問題があったが、多くの有権者は「安倍政治を変えよう」との意向をもっている。今回の総選挙が「勝負に勝って、試合に負けた」面がある。野党の中には「単独政権を目指す」と主張するところもあるが、社会の多様性が進むなか、それは不可能なこと。冷静に分析し、健全な野党協力を再編し、議会民主主義の修復と、戦争ができる国家に進む安倍政治にストップをかけて欲しい。

 

(川内博史衆議院議員を囲む会にて)

 11月6日(月)、木村朗鹿児島大学教授の声がけで5年ぶりに見事に国会に復帰した川内氏と品川プリンスホテルで懇談した。鳩山元首相の側近、鹿児島一区で立憲民主党から見事に当選し、これからの野党協力のキーマンとなる人物だ。鹿児島一区の共産党を中心の野党協力の話を聞いたが、非常に参考になった。

 トランプ大統領の来日で都内は戒厳令下の状況のなかで、木村朗教授が編著の『中国・北朝鮮脅威論を超えて』―東アジアの不戦共同の構築―(耕文社)をいただいた。本の帯に「圧力ではなく対話の東アジアへ」とあった。

             (「国会つれづれ」は休みました)

「日本一新運動」の原点―394

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観

 混迷の第48回総選挙の直後、永田町に旋風が吹き荒れている10月25日(水)の夕刻、麻布の「東京さぬき倶楽部」で〝変わった〟というより大事な会合が開かれた。直接「時局」とは関係ないが、戦後の日本にこんな時代があったことを知ってもらいたい。

 

(中国大使館 沈建国参事官歓送会にて)

 日本で2年半の大使館勤務を終えて、交友のあった人たちが開いた会合だ。呼びかけ人は、村山首相談話の会の藤田理事長で、ほとんど中国大使館と付き合いのない私だったが、懇請されて顔を出した。出席者は香山リカ立教大教授、岡本厚岩波書店代表取締役社長、鳥越俊太郎、高野孟、植草一秀氏ら30名程であった。

 藤田理事長の開会挨拶、来賓の挨拶と左派らしい理屈っぽい話が続き、沈参事官が返礼の挨拶を終えたところで突然、私に乾杯を兼ねて何か中国に注文をつけろと藤田理事長から指名があった。驚いたが、たまたま機会があれば40年前にある中国の要人からの手紙を沈参事官にそっと手渡そうと思っていたのでそれをタネにして挨拶をする羽目になる。

 

○平野 藤田理事長のご指示には逆らえませんので乾杯の音頭をとらせていただきます。その前に、先ほど藤田さんの挨拶の中で、沈参事官の生まれた年を1978年といわれたと聞きましたが、確認したいと思います。

 確認できましたので皆さんにお聞きしますが1978年という年はどんなことがあったかご存じでしょうか。(声なし)実はこの年の10月に「日中友好平和条約」が発効しています。沈さんが生まれた年ですから、日中友好のためにこの世に現れたといえます。それから6ヵ月して、昭和54年4月に中国の議会の役割をしている「全国人民代表大会」の議員団が、衆参両院の招待で来日しました。団長は周恩来未亡人の鄧穎超副委員長で、30人の議員で構成されていました。当時、私は衆議院事務局委員部の課長補佐で、全人代一行の日本主要都市への友好訪問の案内役を勤めました。大阪の案内が最終日となり鄧穎超団長主催の事務局職員慰労会を開いてくれました。そこで鄧穎超団長から私に話されたことが大変面白いもので、要点を紹介すると、

 

○鄧団長 ・・・・・(通訳が通訳しない。鄧団長、注意して催促する)

○通 訳 貴方に大変失礼な話なので・・・・・。

○平 野 気にしませんから通訳してください。

○鄧団長 日本に一週間いて貴方の顔や態度を見て、きっと両親か父か母が中国人だと思いますが、如何ですか。

○平 野 私は高知県生まれで日本人です。父は他界しましたが、母は鄧団長と同じ歳で健在です。

○鄧団長 いやどう考えても貴方には中国人の血が流れています。貴方の仕草は中国人です。

○平 野 2千年ぐらい前なら私の両親は間違いなく中国人だったと思います。

○鄧団長 日本人にしては面白いことをいいますね。その発想が大事です。(この後、「全人代」を近代議会制を参考にして改革したいとの意向があった)

○平 野 全人代議員団が帰国直後の4月26日の日付で、鄭重な手紙を頂きました。私は単なる礼状だと思って、中国語を知りませんので、40年間放置していました。よく考えますと40年昔の日中関係の雰囲気を知るために何かの資料になるかと思いまして、沈参事官に手渡すつもりでコピーを持参しました。お受け取りください。

○沈参事官 ただ今拝見しましたところ、これは外交文書的性格があります。40年前の日中関係の様子がよくわかる貴重な資料です。

との説明があり乾杯となった。参加者一同は喜んで盛り上がった。

 

(毛沢東主席の『矛盾論・実践論』について)

 もうひとつ興味ある話だが、沈参事官と鳥越俊太郎氏と私が隣り合っていて懇談の中でのこと。久しぶりの鳥越氏との歓談の中で、昭和30年代の学生時代の話となった。

 

○鳥越 80歳を過ぎたとは思えない。学生時代のことで何が一番ためになったか。

○平野 原水爆禁止運動でレーニン平和賞をもらった安井郁教授のゼミで2年間、毛沢東の『矛盾論・実践論』を学んだことだ。時々安井宅で東大時代の教え子と一緒に読書会を開いたが、当時、進歩的文化人の中に入っていた三島由紀夫さんがいた。

○鳥越 驚いた。『矛盾論・実践論』とはね。

○平野 衆議院事務局の仕事で役に立ったよ。与野党の対立闘争を解決するのに、矛盾の主要な側面を見つけて正常化のシナリオをつくるなど、いろいろと役に立った。ところで沈さんいま中国で『矛盾論・実践論』はどう位置づけられていますか。

○沈 日本で貴方たちの世代が『矛盾論・実践論』を学んで国会運営などで活用していたとは知りませんでした。重要な話ですよ。実はいま、中国では新しい動きとして毛主席理論の再活用という指導が行われています。その中で『矛盾論・実践論』が中心です。

○平野 戦後の日本では、革新派が西欧の社会主義や共産主義の方法論で政治を行いました。保守良識派の多くの愛読書のひとつが『矛盾論・実践論』でしたよ。

○沈 参考となる話を聞きました。

 

〇 国会つれづれ  17

 9月28日発信のメルマガ389号から5回にわたって休んでいましたが、再開します。

 

(「黒い霧解散」余談)

「国会つれづれ16」で説明したとおり、昭和41年11月30日に召集された第53回臨時国会は、自民党政権下で多くの疑惑事件が発覚し、第一次佐藤内閣は野党の解散要求に追い込められる。衆議院の野党側は議長・副議長を使って佐藤首相に解散を明言させようとする。その中で佐藤首相は「解散権は内閣にある。国会は文句をいうな」ということで臨時国会が終わった次の日に自民党両院議員総会で、佐藤首相が次の常会冒頭に解散を示唆するわけです。典型的な「話合い解散」といえる。

 今回の「審議なき冒頭解散」について安倍首相は「三件の先例があり、問題はない」と、テレビ朝日の党首討論で正当化した。黒い霧解散といわれる昭和41年12月27日の常会召集日冒頭解散は、三件の内のひとつだ。これは前述したとおりの「話合い解散」で、憲法53条の「少数者の権利」を侵害して、議会民主政治を安倍首相が抹殺したこととは異なる。

 安倍首相のテレビ朝日での虚言に反論するため前号のメルマガ393号で紹介したが、10月16日に発信した私のツイッターのインプレッションは、総選挙が終わって一週間過ぎても増え続け、29日午後10時現在で約32万9千通となった。憲法学者からの解散違憲論はこれまで全くない。

 一方、報道によれば、安倍首相はこれからの国会運営について、「国会の発言時間を各派割りとし、与党の発言時間を多く、野党の発言時間を縮小することを検討せよ」と、萩生田幹事長代行に指示したとのこと。

 議会政治とは「少数派の発言を保証する」ことが基本中の基本であることを知らないようだ。総選挙での議席数での圧勝に気をよくして、「自民党を支持した人たちは、国会での自民党議員の発言を待っている」とも語っているとのこと。「少数者の権利」を抹殺して憲法五十三条に違反した憲法犯罪を憲法学者らが黙認するからこのような流れになるのだ。私が危惧した「アベ・ナチノミクス」が活動し始めたといえる。

「国会つれづれ」が、つい「時局妙観」の話になってしまった。話を戻そう。

 昭和41年12月17日の常会召集日冒頭解散で園田副議長は当然に衆議院議員の職を失うことになる。私も一年間にわたる副議長職を辞めることになる。解散となり、園田副議長が副議長室に戻り、私の手を握り「本当によく尽くしてくれた」と礼を言われた直後佐藤首相秘書官から「総理から官邸に来て欲しい」との電話があった。「最後の仕事と思って、同行してくれ」といわれ一緒に官邸に行った。

 首相室に入り10分くらいして出てきた園田前副議長は上機嫌で「佐藤総理から、世話になったと特別な言葉をもらった。君にも頑張ってもらった・・・」と涙ぐんだ顔で話しかけられた。 二人で記者たちで溢れる廊下を歩いていると園田さんの内ポケットから祝儀袋が見えている。多分、佐藤首相からもらったものだろう。「内ポケットに気をつけてください」と小声で伝えると、一瞬緊張した園田さんは人目につかないようにして、「預かっておいてくれ」と、私に祝儀袋を手渡した。感じでは、300万円ぐらいの現金が入っていた、と思う。        

(続く)

「日本一新運動」の原点―393

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観 (第48回衆議院総選挙を顧みて!)

 

 わが国の憲政史でも違憲、かつ異常事態といえる衆議院の「安倍ファースト解散」が断行されたのが9月28日。10月22日の総選挙の結果は、前回にも増して自民党の圧勝となった。一時は「小池・希望の党ブーム」で政権交代が実現するかに見えたが、野党第一党として責任ある「民進党」が三つに分解した。

 その結果、野党間の足の引っ張り合いで、政権の受け皿が消えたことが自民党圧勝の原因といえる。 日本では安倍政権にも野党側にも、近代国家として議会政治を理解しておらず、定着していないと思えることがこの総選挙でも出た。分析する詳細なデータが出ていないものの、持ち合わせの情報で反省をこめて説明しておこう。

 

1)四野党協力が崩壊した原因を考える

 

 9月16日から18日の三連休で、安倍首相が「9月28日に野党要求の臨時会を召集し召集日に冒頭解散、10月10日公示、22日の総選挙を決断した」と報道が連休明けに流れ、政局は一気に解散モードとなった。慌てた民進・共産・自由・社民の四野党は、選挙協力の組み方について協議を始めた。

 それまでの四野党の協議は、戦略的協議はなく民進党と共産党の間で非公式に、小選挙区の取引といえるような調整が窓口と言われる幹部間で行われていた。情報によると8月末ごろにはおよそ120~150の小選挙区で見通しがつき、共産党が絶対に譲れない16重要区を中心に時間をかけて詰め、その上で自由党や社民党に〝お零れを〟という調子だった。

 具体的に小選挙区を調整することも大事なことだが、私が各地で「市民連合」の人たちに話したのは「現職議員の生き残りを取引するようでは政権交代はできない。まず戦略的枠組みを堅めよ。「民進・自由・社民」で比例区をオリーブ型で統一名簿にし小選挙区では三党と共産党での協議機関を発足すべし。さらに、選挙協力のため基本政策構想をつくることだ」ということであった。

特に指摘したのは「選挙協力合意が〝安保法制破棄し安倍政権打倒〟だから、破棄した安保法制の代わりにどんな安全保障体制とするか、具体的政策でなくても方向性のような考え方を提示すべきだ」と話したが届かなかった。四野党の幹部が緊急事態になって、小沢代表がかねてから提唱していた民進・自由・社民の三党による比例区オリーブ型だった。

 これが不調になったのは社民党の一議員の反対であった。理由は「前原民進党代表の安保政策を許せない」ということ。次に出た構想が、民進党と自由党が合流するという「第二次民由合併」だ。狙いは小沢自由党代表が民進党に入り共産党との間で残っている小選挙区調整を信頼関係で解決し、民進党の重鎮として政権交代のために国民に安心感をもたせるということであった。民進党の若手やベテランも歓迎し、9月20日の松木けんこう議員のパーティーでは前原代表も出席してその方向で盛り上がっていた。

 ところが、その構想を民進党の「小沢アレルギー派」が潰すことになる。この時点で小沢代表は「野党第一党の前原民進党代表が野党協力体制を呼びかけてつくるべきだ。それに協力する」と語っていた。問題はその時期に結党した「希望の党」の存在であった。小池都知事側近の若狭勝氏と民進党を離党して小池新党に政治生命を託した細野豪志氏の二人が、結成したばかりの政党の選挙への対応にもたつく中小池都知事が突如代表に就任し、若狭・

細野両氏の方針をリセットすると発言。さらに「安倍一強政治を打倒」との方針を示し、野党としての方向を明らかにした。

 この動きの裏側で何があったのか。前原代表は高津連合会長に次のように語っている。

 

 前原氏は「小池さんとの話で選挙区調整は意味がない。一緒にならないとダメだとなった。民進党単独では支持率良くても8%。離党者が続きジリ貧だ。座して死を待つのではなく〝身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ〟と」(サンデー毎日)。この前原代表の決断を評価した神津会長は「安倍一強政治の受け皿」を一本化するため協力することになる。そして九月二十六日の「前原・小池・高津」会談で、民進党を希望の党に合流させる合意がなる。

 神津会長は、この構想を応援する条件として、民進党の理念と政策を引き継ぐことを伝えている。さらに、小沢代表が前原構想に関わっていたかどうかについて、「このことで小沢さんとは会っていません。オリーブの木構想を持っていた小沢さんが、連合が前向きでないと誤解していたことで説明したことはあります」と語っている。財界筋から小池希望の党代表に「民進党との合流の協議には、小沢を遠ざけておけ」との話があり、それを受けて前原代表は、ある時期から小沢代表との連絡を一切断っていたのが事実である。

 衆議院が解散となり民進党両院議員総会が開かれ、前原代表から小池希望の党との合意が提案された。民進党を希望の党に合流させて総選挙に臨むという想定外のものだ。この合意には文書がなく口約束のものであったが、若干の質問が出たものの全員拍手で了承された。野党第一党を事実上解党する話がいとも簡単に承認されたことに私は危惧と嫌な予感を感じた。

 翌日から小池代表の「排除と踏み絵」の発言と作業が始まる。憲法問題や安保政策については、当初自民党と同質であったが、その後政策公約では民進党の方針に変わるなど混乱が続く。結局、排除対象者とマスコミが希望を〝失望〟に叩き落としたため、希望の党排除者の一部が、枝野(民進党代表代行)氏を中心に「立憲民主党」を結成することになる。民進党は、希望組・立憲民主組・無所属組に三分裂し、野党協力は夢のまた夢と化した。

 小池希望の党代表の「傲慢な言動」、前原民進党代表の「大人の常識不足」が、自民党圧勝の主たる原因である。しかし選挙戦となり、野党間の足の引っ張り合いは見苦しく「安倍一強政治を変えろ」という、国民の70%の熱望を実現できなかったことは、全野党の責任である。政権交代のための野党協力は、これからも重大な政治課題だ。開票日の深夜のテレビで枝野立憲民主党代表が「私たちは護憲ではない。日米安保体制は強化する」と発言し、

共産党に距離を置く発言をしていたが、本当のリベラルなのか、急激な立憲民主党結成の検証が必要だ。

 

2)日本の憲法学者は「議会民主政治」の原理を理解しているのか?。

 

 憲法53条の「少数者の権利」を保証した臨時会の召集・活動権を抹殺して、冒頭解散したことに対し、私はこのメルマガだけではなく、テレビ・ラジオ・政治専門誌などで機会ある度に抗議してきた。これに対して憲法学者はじめマスコミ有識者からは、安倍政権に〝忖度〟したのか、何の発言も聞こえてこない。

 今回の事態を放置しておけば、国会運営の先例となり、多数派が少数派を死滅させることができる重大な問題となる。特別国会を待たず、議会政治の根本原理「少数者の権利」のあり方について国民的議論を期待する。

 この総選挙中、私は四回にわたりツイッターでこの問題を提起したところ、総計で約31万人からインプレッションを受けた。理屈っぽい内容にこれだけの反応があることを知って驚いた。以下、その詳細である。

 

(第1回)10月15日発信(83、814通)

 審議なき冒頭解散は、憲法53条が規定する「少数者の権利」を抹殺する解釈改憲によるクーデターである。総選挙後、自公政権が続けば国民がこれを正当化することになる。「少数者の権利」は政権交代の原点であり議会民主政治の生命だ。総選挙が事実上憲法改正国民投票だ。国会を死滅させてはならない。

 

(第2回)10月16日発信(200、363通)

「安倍首相は党首討論で「冒頭解散は三件先例あり、問題なし」と正当化。衆議院事務局で直接関わってきた私が言う。54回常会は話合い解散。105回臨時会は自民党多数派の要求。107臨時会は衆議院選挙制度実施のための野党要求の話合い解散。今回は「森友・加計隠し」の違憲解散。根本的に違う。

 

(第3回)10月17日発信(15、655通)

「少数者の権利」は、多数派の正当化など議会政治存立の基本として憲法が保障。発言権・表決権・特別多数決などだ。この源が憲法53条であり、臨時会の召集手続だけの解散権など許していない。フランスなら憲法院が「総選挙の無効差し止め」とするだろう。立憲主義を叫ぶ憲法学者の見解や如何に。

 

(第4回)10月18日発信(12、690通)

(今治で街頭演説を終えて、暫し休息中に俳句が出る)ツイッターで発信。

 

           神無月 加計隠しの 総選挙

           神無月 立憲主義の 声は消え

 

             (「国会つれづれ」は休みました)

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