「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について議論する広場」

「日本一新運動」の原点―378

日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

 

〇 時局妙観 (政治家・与謝野馨の思い出)

 

 私は参議院議員を引いた後、国会議員が大勢集まる場所にはなるべく顔を出さないようにしてきた。与謝野事務所の藤江さんから「7月5日に、自民党・与謝野家合同の〝お別れの会〟を青山葬儀所で行うようになったので、顔を出してくれ」と電話があったのは東京が梅雨に入った時期だった。自民党を除名され、死去直前に復党し「お別れの会」を遺族と合同で自民党が開くところが面白いが、与謝野さんは天国で笑っているだろう。

 

 25年前自民党の長期政権を分裂させて、非自民政権をつくった犯人のひとりである私が、受付で名刺を出すと職員は困惑した様子。顔なじみの人物が来賓席へと案内した。「不味いな」と隅に座っていると、若い職員が〝どこの馬の骨か〟とばかり「貴方の席ではない」と追い出された。

正直ホッとして会場の入り口に出ると居場所がない。大臣秘書官やSPらがたむろしているコーナーに行くと、顔見知りがいて立ち話となる。丁度よい、ここに立っていると会場の中も人の流れも良く観察できる。昭和40年代、衆議院副議長秘書や議長秘書を併せて6年間勤めた記憶が甦った。当時はここが自分の居場所だった。権力の勢いは周辺の雰囲気でわかるものだ。暫し、秘書官たちの雑談に耳を傾けた。

 間を置かず、安倍首相が私とすれ違うように来場してきた。顔の皮膚が痂(かさぶた)のように固く、権力者としてのオーラは消えて、目線の焦点が不調の様子で健康上の問題が何時起きても不思議ではない雰囲気であった。続いて森喜朗元首相が通る。雑談相手の秘書官が「病人のようですね。オリンピックまで大丈夫ですか」と声を掛けてくる。来賓の現職政治家もOBもまったく元気がなく、与謝野氏の「お別れの会」ならぬ「安倍政権お別れの会」と感じたのは、私ひとりではなかったようだ。

 

1)「人誑し」(ひとたらし)の名人

 

 与謝野さんと私が親しい関係であったことを知っている政治家は、小沢一郎氏ひとりだと思う。私が衆議院事務局職員のころからだから、40年ほど前からの付き合いで、科学技術委員会理事のころは私が担当課長。「1980年代初めで「もんじゅ・六カ所村問題」が話題だった。科学技術政務次官を辞めたばかりの小沢氏から、「便所のないマンションをつくるな!」と注意を受けたことを記憶している。

 竹下政権の消費税制度、海部政権の国会改革(常会の1月招集等)、橋本政権の沖縄特措法成立等々、与謝野氏には誑し込まれ、扱き使われた話にはかぎりがない、政界引退後、小沢氏の構想で設置した「ジョン万次郎財団」の副会長に就いてもらい、日米草の根交流に尽力してくれた。財団の寄附金集めに二人で財界人を訪問し、私を紹介するとき「私が政治家になって悪知恵を教えてくれた人物です」と、私を困らせて喜ぶ関係であった。

 

2)憲法9条問題で中曽根首相を悩ませた話!

 

 昭和62年秋、中曽根首相が退陣した直後、私が与謝野さんとの会食で「憲法9条を護れた功績は護憲の土井たか子等ではない。一貫して再軍備改憲を叫び続けた中曽根さんだ。ポリティカル・パラドックス効果で、国民は同調せず改憲が実現しなかった」と、例によって酒が入っての話だった。翌朝、与謝野さんは私の話に〝尾鰭を付けて〟中曽根前首相に話してしまった。「中曽根総理が、平野君にぜひ会いたいと言っている。頼むから会ってくれ」と懇願してくる。私は断りに断り逃げ続けた。

 中曽根さんと私が二人だけで会ったのは、それから7年経った平成6年6月だった。村山「自社さ」政権が成立した直後で小沢さんから「敗れた海部候補に票を入れてくれた中曽根さんに自分の代理で挨拶に行ってくれ」と指示されてのこと。私が指導を受けた自民党指導者全員は「中曽根嫌い」だったので断ったが、これも運命と出かけた。中曽根元総理、自著5冊に署名して私を待っていて「ようやく会えたな。与謝野が世話になっている」と語り始め、「私は改憲論者だが9条も含めて、国民の総意で改正すべしという主張だ」と、7年前の話を憶えていた。

 

 与謝野氏の「お別れの会」に、99歳の中曽根元総理が車椅子ながら元気な姿を見せていた。老人の多い来賓席で最も元気そうに見えた。そういえば与謝野さんと最後にあった昨年秋、ふと私に告げたのは「君が参議院選に出馬しないと早く引退したとき、中曽根さんは〝平野君は、何か考えがあってのことだろう〟と、何かことを起こす事を期待していたよ」と。

 私は与謝野さんより4つ上の〝終活〟世代。そろそろ、中曽根さんや与謝野さんへの回答を出さないとと改めて思いながら会場を出た。

 

〇 国会つれづれ  7

 

 このところ何かと話題が多く、2回にわたり「国会つれづれ」を休ませてもらった。昭和40年の日韓国会での国会紛糾が昨今の「安倍一強」国会に似た点があるので、当時の問題を説明しておきたい。

 

(日韓国会での憲法冒涜の話 続き)

 衆議院本会議といえば、憲法上、国会の意思を決める最も重要な権限をもっている機関である。日韓基本条約という重要案件とはいえ、先に審議決定すべき日程も多数ありまた野党の持つ抵抗権行使(フィリバスター)である関係閣僚不信任案などは、先議案件として処理するのが国会運営の憲法上の基本である。これを衆議院規則第112条の「議長の議事日程順序変更提示権」を乱用したのである。

 大混乱となった衆議院内が静かになった頃、大抵抗をした野党第一党の社会党国会対策委員長が、議院運営委員室を訪ねて坪川委員長(佐藤首相側近)と握手しながら「これでよかったですか」と語っているところに私が出くわした話などはメルマガ375号で述べたとおりである。

 この衆議院議長を利用して憲法を冒涜した暴挙を社会党の国会対策責任者が事前に知っていたわけだ。この裏には自民党から社会党関係者に、先例に倣って〝金銭的配慮〟があったことは想像に難くない。

 当時の憲法学者がこの政治の裏を知る術はない。多くの憲法学者が違憲の議事として学術誌だけでなく、新聞や月刊誌で批判を展開して世論を盛り上げた。その中で注目されたのは憲法81条「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」を、国会の議事の違憲・違法に適用すべきであるとの論であった。

 本来、憲法81条は「違憲立法審査権」といって文理解釈では適用できるようになっている。ところが極めて重要な政治的行為について「統治行為論」として、司法権が関わらないという憲法慣例が確立しており、これを変更しようという意見である。フランスには「憲法院」という機関があり、議会で審議中の法案について「違憲」の決定で止めることも可能である。

 前国会の「共謀罪法案」の国会審議を総括するに、法案の内容の違憲性もさることながら、参議院での中間報告の違憲・違法性をみても「統治行為論」を廃止し、国会の違憲行為に司法判断をさせることを検討すべきと思う。憲法や政治学者から意見が出てこない状況に、さみしい思いをしている。

      (続く)

 

○TBS・サンデーモーニング「風をよむ」余談


 80歳を過ぎてからはデモクラ・タイムズのネットテレビ『永田町風雲録』に集中して、政治家の悪口を言うことを生き甲斐としてきた。安倍官邸にハイジャックされた地上波テレビ局の中で、唯一の健全番組「サンデーモーニング」の『風をよむ』からの依頼で「政治の劣化を語れ」とのこと。7月7日(金)に録画して9日(日)に放映となったが寺島氏と岸井氏から私の固有名を出したコメントがあったのでお返しをしておきたい。

 寺島氏から政治の劣化について「経済人の見識劣化」にも原因ありとの指摘があったが、その通りだ。私は録画では「資本主義がマネーゲームからミリタリーゲームに悪化した背景が、各国で議会民主政治を劣化させていると発言したが、この個所は放映されなかった。

 岸井氏は「自社55年政治の泥水」を知る生き残りだが、議会政治の原理を知る文化財的存在だ。指摘された「選挙制度問題」も改革が必要だが「中選挙区制」に戻す意図があるとすれば時代錯誤だ。地上波テレビでの、ツイッター的議会報道が原因のひとつでもある。

 驚いたことに、9日の「風をよむ」放映のその日、視聴者二人から「議会政治の原理や歴史を学びたい」と、講演依頼が飛び込んできた。国民は強い関心を持っている。議会政治の劣化や再生はマスメディアの見識次第であることは世界共通の常識である

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Author:nipponissin1
   代    表 : 平野 貞夫
   顧    問 : 戸田 邦司
   事 務 局 : 大島 楯臣

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